雑記帳


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20051025 何の話だかよくわからん





 先週の金曜日に朝コンビニ寄ったんです。
 タバコを買って、さて出社するかと意気込んで駐車場に出た瞬間、空を飛びました。
 足元にあった車止めの縁石がまったく見えておらず、ありていに言えば足をひっかけて転びました。
 よく階段で、後一段あるのに気付かなくて怖い思いをしたりすることがありますが、感覚としてはあれに近い。「あれー?」という感じで、気付いたときには受身も取れずまともにアスファルトに叩きつけられてました。
 結果、両腕打撲で全治二週間。左腕の肘と右手首に包帯巻いてます。
 そういうわけでキーボード打つだけで非常に辛い久慈光樹です。どじっこです。



 さて、今日は年齢の話。

 皆さんもご存知のとおり、久慈光樹は今年で実年齢27歳になったわけですが、Web年齢的にはもっと低いような気がします。
 ある程度狙ってそうしている面もあるわけですが、これはやっぱり気性でしょうねぇ。よく普段は引っ込みじあんなのにWebだと気が大きくなる人っていますけれど、わたしはその典型であるような気がします。
 これはオフでわたしと飲んだことがあるような人でしたらよく分かると思いますが、久慈はオフだと借りてきたにゃんこのようにおとなしいです。これが普段Web上でオオアバレしている久慈光樹かと不思議がられていることでしょう。
 各方面から山ほどツッコミを食らいそうなことをつらつら書きましたが、ようは何が言いたいかというと、何だっけ?

 とりあえず、いまIRCチャンネル「#雪の少女」に実年齢16歳という非常なティーンがよくいらしてくださってます。
 まぁぶっちゃけこの人であるわけだが、話していると割と新鮮な気持ちになります。
 やはりこう、世代の差というのはあるのです。「バーバパパ」が通じない、であるとか「スクールウォーズ」を知らない、であるとかいう問題ではなく、下手すると会話が成り立たない。
 これは別にぴろりんがロリコンであるとか、ぴろりんが二次コンであるとかいう点が問題なのではなく(いや大問題ですが)、やっぱり世代の差なのだと思います。
 だって考えてもみてください、16歳ですよ16歳。14年離れているということは、私が中学2年生の頃に生まれたということです。Kanonが発売された頃にはまだランドセルかついでたんですよ? そりゃ話も合わねーわ。

 ぴろりんは最近、SSというものを書き始めました。
 KanonのSSを書いている人の中で、わたしが知っている中でも30を過ぎている人は結構います。(わたしは含まれません)
 16歳と30歳が同じKanonSS界隈というコミュンに属しているのです。
 なおかつ、このコミュンはさほど大きなものではありません。
 そう考えると、意見の違いや感性の違いがあるのはあたりまえの話です。30歳が好むような話は16歳には退屈でしょうし、16歳が好むような話は30歳には子供騙しと映ってしまうかもしれません。
 これはぴろりんがどうこうという問題ではなく、一般的な話です。
 年代によってSSの好みがあるのだから、匿名でのこんぺ対策議論なんてものはまったく無駄なことなんじゃないかなぁという気もします。
 匿名だから卑怯だとかそういう問題ではなくて、10代と30代が相手のプロフィールも分からずにあーでもないこーでもないとやりあっても時間の無駄にしかならないと思う次第なのですが、まぁそれは別の話。


 どうも論点がふらふらしているわけですが、ようは何が言いたかったのかといえば――何だろ?

 とりあえずおのれティーンという方向で。

 これでなぁ、ぴろりんがおにゃのこだったらなぁ……
 同じ16歳でも、おにゃのこであるのかヤロウであるのかでだいぶ印象も違うというものなのです。
 16歳の男子高校生なんて、こう、箸が転がっても欲情する年代ですからなぁ。
 夜な夜な一人ファイトしたり、好きな子を脳内であられもない姿にさせてみたり、授業中にニヤニヤしてみたり、そういう年代です。

 そういうわけで、ぴろりんはこんどクラスメイト(♀限定)を呼んで合コンを開催し、久慈を呼んでください。


 ――と思ったら、ロシア在住か。ぜんぜんダメじゃん。



20051019 我慢の限界






 閲覧者の方で、今日の雑記を読んで不快に思われる方がいらっしゃいましたら、今から謝っておきます。申し訳ございません、久慈は堪え性の足りぬガキでございます。



 わたしとしても、あまりこういう直言めいたことは書きたくないのです。

 ただでさえ「大御所ぶっている」であるとか「天動説の人」であるとか巷で評判なのですから少しは控えたいのです。いや別に叩かれるのは苦にならないというかもっと叩いてぇ! という感じなのですが、そういう問題ではありません。



 とりあえず、今までわたしは我慢してきました。

 そうは見えないかもしれませんが、わたしがここでちょっかいを出すのは、我慢に我慢を重ねて、それとなく本人に伝わるように間接的に忠告して、それでも改善の意思すら見られないような場合に限られるのだということだけは、ご理解ください。







 前置きが長くなりましたが、ずばり書きます。













 
協力会社のねーちゃん、背中が出過ぎーーっ!!








 カットシャツが短すぎるのです。
 パンツがローライズすぎるのです。
 椅子に座ったり、立ったり、屈んだりすると、オシリの上部分の背中が、その……出すぎなんです。
 あんたカゲロウさんかっ!


 笑い事ではありません、これは由々しき事態です。
 ここは渋谷のセンター街でも原宿の駅前でもないのです、男性社員はスーツにネクタイであり女性社員も「ダサい・暑い・野暮ったい」(By事務姉)と評判の制服着用のれっきとした会社事務所なのです。いかに制服支給のない協力会社の方とはいえ、背中を出してくるというのはいかがなものか。
 なおタチの悪いことに、わたしの席から視線を少し横に動かすと、そのねーちゃんがこちらに背中を向けて座っているという席配置。
 なんということでしょうか、これでは気が散って仕事になりません。

 わたしも努力しました。
 まさか26、7のうら若き女性に「背中出てますよ」とも言えず、ここはこうそれとなく角の立たぬように本人に伝わる経路で注意を喚起すべきであろう、と。
 幸い、彼女はいま当社の女性社員と一緒に昼食をとっています。彼女たち経由でそれとなく伝えるという案で行くことにします。





「○○さんてさ、背中出すぎだよね」
「……久慈さん、変態ですね」
(管理姉@溜め息と共に)


「○○さん、あの背中出しまくりな格好はヤバイんだが」
「あんたほんと馬鹿だね」
(事務姉@心から見下した目で)





 人選を間違えたっ!!





 本人にそれとなく伝えてもらうどころか、久慈光樹の社会的信用をあたら低下させただけという無残な結果となってしまいました。
 つーかこれ以降、管理姉などは席が隣なので、わたしが手を止めていると「ヘンなとこ見てないで仕事してください」と速攻で突っ込まれるのですが。背中見てるわけじゃないよ! 仕事のこと考えてるんだよ!


 元凶であるところの協力会社のねーちゃんは、今日も全開で背中出してます。というか今日はわき腹までもっ!
 ……つか本当にいたたまれないのでやめていただきたい。座っていると背中どころかオシリの割れ目まで見えそうなイキオイなんですが……




 いやいや! 見てないから! 仕事のこと考えてただけだから!

 だからそんなに蔑んだ目で見ないでください、隣の席の管理姉。(この文章は会社で書いています)



 一番いたたまれないのは、上記の会話もわたしの会社における扱いも一切の脚色の無い事実だということです。


 なんて
――こと。

20051013 続・感想の話






義務という言葉は嫌いですね。感想といえど文章ですから必然的に批評を受ける立場にあるってのはどうでしょ 




 というご意見を、前回の雑記にいただきました。Web拍手にて。

 うーん、どうでしょうかね。
 「義務」という言葉の使い方はまぁ置くとして、感想は批評を受ける立場にあるのか否か、という点で言えば、私は否だと思いますね。
 あまりにも礼を失しているのは論外です。それは感想だからSSだからという問題じゃなく、人としてダメだ。必要最低限の礼を遵守した上での話です。
 感想というのはSSと違って、自己表現のための物ではないと思うのです。中には自己表現の一環として感想を書いてらっしゃる方もいるかもしれません、特にこんぺのように感想が公開されることが前提である場合には。ですが原則的には、感想は対象となるSS(もしくは作者)に対してのみ向けられるものです。
 SSの向いている先は不特定多数の読者ですが、読者からの感想の向いている先は作者ただ一人であるわけです。
 そんな感想に対して、第三者が口出しするのはお門違いだと思うのです。
 その感想に対して反論、もしくは意見できるのは、作者ただ一人なんじゃないでしょうか。
 そして作者といえど、不特定多数に向けて発信している以上は感想それ自体を拒むことはできません。これはあえて断言しますが、感想を拒むことは作者にはできないのです。

 ですがこれは作者がなんでも読者の言うことに従う事とイコールではありません。
 そして逆に、作者がなにがなんでも感想に返事をしなさいということでもありません。

 極論してしまえば、感想に従う義務も返事をする義務も作者にはないのです。(読者としては欲しいですけれどね、返事)
 ですがそれはあくまでも原則論的な話です。感想で自作に対して意見していただいたことを取り込み、次の作品に反映させられるかどうかで、その作者のSS書きとしての将来が決まると言っても過言ではないでしょう。
 いただいた感想に対してそれをどう消化し、どう取り込むかはSS書きの度量と技量にかかっています。

 とと、いかんまた少し話が逸れました。感想は批評を受ける立場にあるのか否かという話です。
 否の根拠は、先ほど挙げた「感想は作者にのみ向けられたものである」ということ。つまり第三者が感想を批評するのは的外れじゃないですか、と。
 そしてもう一つの根拠は、「感じ方はひとそれぞれ」であるということです。
 こう書くとなにを当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、こんぺの場のような場所だと他者と比較される分、惑わされやすいですね。
 こんぺに限った話をしていないのであまりこんぺを例にしたくはないのですが、例えば結果が1位2位の作品に対して、1点や2点をつけていたとする。それは果たしてその読者が読解力(嫌な言葉です)が無いということなのでしょうか?
 例えばある特定の原作キャラが大好きで、そのキャラが不幸になるSSを激しく嫌う内容の感想を書いたとする、果たしてその感想は正しいのか否か。
 「批評」とは「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること」です。SSに対する感じ方は人それぞれで、その人それぞれさを文章にした感想というものに対して「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること」は、果たして意味があるのでしょうか。それは単なる感情論にしかならないのではないでしょうか。

 感想は批評を受ける立場にあるのか否か、わたしは否だと思います。



 余談ですが。

 アレな作者がよく口にする「嫌なら読むな」という言葉、感想に対して用いるのなら「(批評されるのが)嫌なら感想を書くな」ということになります。
 「SSを嫌なら読むな」「感想を嫌なら書くな」、そう言い放って読者に実践されてしまったら、果たして困るのは作者か、読者か。
 作者としては、少なくとも損得勘定くらいはできるようになってから発言をしたいものですね。





 あと

>10月1日 「裕一は、熱く滾ったソォドを名雪の震えるプリンに突き立てた」まで読んだ。


 というご意見もいただきましたが、プリンよりもあんみつの方が妥当だと思います。
 つーかそんなこと書いてない。帰れ。



20051001 感想の話






【今回の論点】

・SSに対する「感想」というものの位置付け
・SSこんぺがもたらした「感想」の位置付けの変化



 どうも私の文章は書いている間に論点があさってに吹っ飛んでいってしまうことが多いので、最初にまとめてみました。
 そういうわけで、今回はSSに対する「感想」というものについて少し。


 界隈ではご存知の方も多いと思いますが、現在ONEを題材とした「おねこんぺ」が開催されており、採点期間の真っ最中です。
 私も久しぶりに感想書きとして参加しており、もうすべて読み終えて採点を終え、感想もそのすべてにつけました。諸般の事情から偽名での感想参加であるわけですが。
 他者の二次創作を読んで感想をつけるという機会があると、感想というものについていろいろと考えてしまうのです。



 私が二次創作小説、いわゆる「SS」というものを書き始めたのは、今から6年前です。(処女作の初公開が1999年10月7日)
 あの頃はまだSSというものはそれほど一般的ではなく、特にSSに感想を送るという行為は非常に稀でした。今ほどITが普及していなかったこともあり、メールにて感想を作者に送るという行為は、今に比べて驚くほど敷居の高いものであったのです。
 そういう環境の中でいただけた感想メールは正に宝物で、私などはいただいたメールを暗記するほど読み返したりしてニヤニヤしていたものでした。
 現在でも、メールでの感想というものはほとんどいただけません。これは私だけかもしれませんが、この6年で「感想というものはいただけないのが普通」とある種割り切ることができるようになるほど、メールでの感想というものはいただけないものです。
 ですから私と同じように割合に昔からSSを書いている者は、感想というものを絶対視しています。それがどんなに的外れだろうと、多少礼を失していようと、「感想をいただける」という喜びの方が大きい。そういう傾向が比較的強いのが、昔からSSを書いている人たちなのだと思います。

 転じて、いま現在はどうか。
 SSこんぺという仕組みが確立された現在、感想という物の位置付けが微妙に変わってきているように思います。
 あえて耳に心地よい表現をするなら、今まで一般的ではなかった感想というものが身近になってきた。メールではなくWebページからの投稿という形式をとることにより、また採点という付加価値をつけることにより、誰でも気軽に、構えることなくSSに対して感想を書ける環境が整ったのです。
 この点において、SSこんぺという仕組みは画期的だったと思います。いままで感想をいただくということから縁遠かったSS書きが、こんぺでSSを書けば二桁にのぼる感想をいただけるという、夢のような場ができたのですから。
 作者と読者の距離が縮まった。これはSSこんぺという仕組みにおいて、もっとも大きなプラス方面の副産物であったのではないでしょうか。


 ですがこのことが、感想という物の扱いに思わぬ変化を引き起こすことになります。


 Webページからの投稿形式により作者以外の第三者にも感想の内容が読まれるということ、そして明確な順位付けにより発生する採点の責任、これらの要素から、感想に対する意見や批判が発生するようになります。
 特に要素の前者、第三者にも感想の内容が晒されるという仕組みは、感想に、もっと言えば感想書きに劇的な変化をもたらしました。
 いままではいわば「私」であった感想が、「公」の扱いを受けるようになったのです。
 「感想人」「感想書き」という立場の確立、下手なSS書きより名の知れた「カリスマ感想人」とも言える人物たちの出現、そして的外れな(と各自の主観により判断された)感想への批判。これらは6年前からは到底考えられない現象でした。
 感想人たちは感想のいわば作風ともいうべき物を確立し、個性のある感想をこんぺにて披露するようになります。それにより「○○さんに感想を書いて欲しい」「△△氏のマナーは悪すぎる」「あおきさんに踏まれてぇ!」などの感想に対する感想を受ける立場になり、いわば意見を発信する側と受信する側を兼ねる位置付けになりつつあるのです。
 済みませんちょっと私情が交じりました、マジメにやります。

 これらの変化が良いことであるのか悪いことであるのか、それは私には判断できません。
 ですが確実に言えることは、「意見を発信する側と受信する側を兼ねる位置付け」というのは作者側と同じということです。
 「嫌なら読むな」とうそぶく輩は論外として、SS書きには自らの公開した作品に対する批評を拒否する権利はありません。それと同様に、感想人も自らの発した感想に対し、批評を享受せねばならない義務が――果たしてあるのでしょうか?

 これは始めに明言すべきでしたが、今回はわたくし久慈光樹個人の意見は極力入れないようにしています。(「あおき哲夫さんに踏まれてぇ!」というのはまごうことなき本心ですが、論点はそこではありません帰れ)
 それは、私が純粋な「感想人」ではないからです。
 純粋な感想人、いわゆる読み専門の感想書きさん方は、いまのこの状況をどのように考えられているのでしょうか。
 私には想像することはできても実感することはできません。私はSS書きであって、感想を受け取る側なのです、今回のこんぺのように感想を書くことは当然ありますが、純粋な読者と作者兼読者では考えがまったく違うのではないでしょうか。
 時に活発に意見交換のされる某したらば匿名掲示板でも、見ている限り残念ながら作者としての立場からの発言がほとんどであるように思います。

 もし機会があれば、純感想人の方に現状をどう思っているのかを一度聞いてみたいものです。





追記:

 自分で読み返してみて、我ながらつまらん文章だなと反省。
 やはり主観を入れない(と努めている)文章というのは無味乾燥で面白くありませんね。
 もし次回があれば、もう少し踏み込んで、主観バリバリの方面から切り込んでみたいと思いますがどうせ飽きるからダメだ。


 


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