こんな大きなサイトさんで何かを書くというのは初めてですね、多分。とりあえず久慈御大に『代理雑記書いてください、出来ればエロいのを』と要求されて、『御大の趣味嗜好は解りますけれど僕がエロいの書いてもエロくならないしとにかく御大のようにエロっちくは書けませんからそれだけはどうぞご勘弁』と泣きをいれてエロは次回以降の人に回してもらう事にしてもらってのここへの登場となりました、阿倍碧郎です。おそらくほとんどの皆様には初めましてです、一応辺境のサイトで物書きのようなことをしております。どうぞ宜しくです。
ちなみに上述の久慈さんからの依頼詳細はかなりの脚色があります(^^; 下手ですが書くのは大好きな僕としては喜んで書かせて頂いたというのが本当の所です、お誘いありがとうございます、御大。
しっかし御大はなぜ僕を『この安全日めっ』と呼ばれるのかがいまだに解りません。そんな発言したかなあ…(笑)。その代わり僕の方も御大を『バックアタック』と呼称させて頂いておりますが。こっちは出典が安易に解りすぎてかえって面白くないかもしれませんけれどね(笑)。
さて、僕が久慈さんと知り合ってからもう二年半ほどが経過しております。どこかで僕も書いたかもしれませんし久慈さんも書かれたことがあったかもしれませんが、そのきっかけとなったのは、今は閉鎖してしまいましたがリーフ関連二次創作の中心の一つであり、当時(1999年の11月頃でしょうか)はもう開設されていたその場所におけるkey関連二次創作置き場に、それ以前から某所の掲示板においてお名前だけは存じ上げていた久慈さんの作品を見つけて(『家族』シリーズであったと記憶しております)拝読し、その日のうちに感想を送らせて頂いた事でした。以降二次創作サイト運営などなど、種々の面でとてもお世話になっております。折角の機会ですので、この場を借りて御礼申し上げます、ありがとうございます。2000年初頭のサイト開設以来あっという間に巨大サイトまで育て上げられ、大変お忙しい事とは思いますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
っと、とりあえず前口上はこれくらいにしておいて、代理雑記としての本文に行きたいと思います。ここ数回久慈さんも話題にしておられたテーマですし、また僕と久慈さんの馴れ初めのようなものもそこからでした。お互いネット上ではそれを本分として活動しているわけですから、やはり二次創作、それもKanonものというテーマでちょっと書いてみたいと思います。僕の書く文章ですのでフォントも大きくなりませんし色も変わりませんし(そういう事ができないとも言うが(笑))、いつもの久慈さんの書かれるもののような空前絶後、抱腹絶倒たる内容からは程遠いとは思いますが、お付き合い頂けると幸いです。
唐突ですが、皆さんは三国志をご存知でしょうか。紀元180年ごろから270年ごろまでの100年ほどの間の中国の歴史や幾つかの動乱その他をひっくるめて使う言葉です、日本で言うと戦国とか南北朝とか、まあそんなイメージの言葉であり時代背景もちょっと似ているといえるでしょうか。日本でもおそらく一番有名であり人気のある時代だと思います。かくいう僕もこの時代の大ファンであり、語らせたら延々数時間は潰れるであろうという勢いであります。
ところでこの『三国志』という言葉ですが、『三国志正史』という歴史書を指す言葉として使われる事もあります。歴史書…当にその名前の通りで、上掲した期間の歴史を後の人が種々の資料を参項にして書き止めて、書物として纏めたものです。ちなみにこの『三国志正史』の場合は、書いたのは三国時代が統一されたあとの王朝である晋(色々動乱があって崩壊しかけた事もあり、西晋という呼び方をされたりもします)に仕えた文官である陳寿という人で、三国時代終了後割とすぐに完成した歴史書です。確かな年代を覚えている訳では無いのですが、ただこの陳寿という人は三国時代、その名の通り三国が鼎立していたそのうちの一角である蜀という国に仕えていた人なんですよね。蜀が、やはり三国のうちの一国であった魏に滅ぼされて、その際そのまま魏に登用されたわけです。だから三国時代後、そんなにスパンは開いていないだろうな、と言う所。ちなみに三国のうち残りの一国は呉という国です、ここに晋という上掲の国名がないのは、蜀を滅ぼしたあとで魏が内乱からその家臣に滅ぼされ、晋と国名を変えたことによりますが、あまり深入りはしません。
さて、三国時代は一番最近でも270年頃と書きました。その時代の日本はヒミコの時代、邪馬台国の時代の少し後です。もちろん文字文化なんてありませんから、歴史書なんてあるはずもない。こんな時代に中国は、国の事業として自分達の前の時代を記録するという習慣があったわけです。これはかなり驚くべき事でしょう。ちなみにこの三国志が最初なわけではなく、それ以前にも『史記』や『漢書』などの歴史書がありました。この辺は紀元前の歴史を書きとめたものでもあります。中国という国の、そしてその国民の歴史に対する意欲のようなものが伝わってくる事実であると僕には思えるわけです、はい。
以降ももちろん、新しい王朝による前の王朝の歴史書(史書や国史という言葉で表現する事が多いようです)の編纂作業は継続されました。隋による統一前の五代十国のように、短命の王朝が連続したケースなどではさすがに無理でしたか(動乱後の統一王朝隋も、30年で滅んでしまっているので作っていたかどうかは自信がありません)、唐や宋、元や明、清といった歴代王朝は全て、史書編纂の作業を行っております。歴史をきちんと記述するという側面のほかに、中国の正当な王朝であるということを示す、一種の義務のような部分もこれにはありました。正当な王朝であるからには国史編纂をするのは当然であり、したからこそ正当な王朝であるという表裏一体の関係です。13世紀の元のような、いわゆる中国人からみれば異民族であったモンゴル人の立てた王朝がきちんと編纂をしているあたりからも、それがうかがえます。中国を支配する以上、その正当性を色々アピールしないといけなかったわけですね。
ちなみにこのような歴史書編纂という風習は日本ではなぜか定着していませんでした。中国文化が大好きだったはずの日本の歴史はだから正道、根本資料と呼べるものがほとんど存在しておらず、例えば戦国時代などでも信長に関する中心資料はその家臣が記した日記のようなものでもあったりするわけです。あるいは当時の貴族の日記の断片的な資料を当たってみるとかそういうケースも少なくありません。このあたり、両国の歴史研究を考えて見るに面白い点かもしれませんね。
さて、少し話が逸れました。ここでちょっとそれぞれの国史の編纂時期を見てみることにしましょう。なかなか調べがつかないものもあって、簡単に解った物だけですが。
『新唐書』、『新五代史』…宋(北宋)により1000年代半ば頃成立?
『遼史』、『金史』、『宋史』…元王朝により1345年頃成立
『元史』…明王朝により1369年頃成立
『明史』…清王朝により1735年頃成立
さて、ここで年代を併記したのには意味があります。世界史を高校時代などに専攻された方はお解りかもしれませんが、では次に上掲の王朝の滅亡年代を書いてみましょう。
唐…907年
遼…1125年
金…1233年
宋…1297年
元…1398年
明…1644年
多少の間違いはあるかもしれませんが、おそらく合っていると思います。ここで気がつくのは、編纂が終了するまでの期間の長さだと思います。例えば遼の滅亡からその国史が編まれるまでは220年間があいています。同様に金の場合は100年、宋の場合でも50年ほど。元だけ例外的に短く1年でできていますがこれには事情があります。そして明の場合は90年ほど。
前の王朝の滅亡からその国史が編まれるまでなぜこれほどのスパンがあるのか。これは中国の歴史書に対する考え方があります。前の王朝が滅んだ後すぐに編纂すると、当時を経験した人が多すぎ、前の時代の遺恨や恩義などがまだ色濃く残っているだろうから、歴史書に恣意的な感情が入り込む可能性が高い、だからある程度時間をかけて編纂した方が正確な記述が出来ていいだろうというものです。納得できる考え方です、後世に残す歴史であるのなら、あまり滅んだ時代の熱気を包み込みすぎた文章というのは避けるべきですからね。
先に書いた明王朝における元史編纂の間のスパンが1年しかないというのは、元のあとを継いだ漢人王朝の明が、王朝としての権威付けを焦ったのが理由とされています。また異民族であるモンゴル人によって統治されていた漢民族の意識を高めるための作業であったのかもしれません。
まあそういう事情があるにせよやはりあまりに国史編纂までが早すぎるということで、この『元史』は非常に後世評判が悪い。どうしようもないのでその500年後に『新元史』という新しい歴史書が編まれてしまったくらいです。やはり中国という国は、歴史への思い入れが強い国な訳です。
さて、中華民国、中華人民共和国の前の王朝といえばラストエンペラー溥儀で有名な清です。この王朝の滅亡は確か1911年頃だったと記憶しておりますが、どちらにしても滅亡してからまだ100年経過しておりません。よって中華民国、中華人民共和国共にまだ『清史』の編纂をしておりません。上述した通り、歴史書を書くにはある程度のスパンを置くべきであるというポリシーが今でも徹底されているわけですね、見事な物です。ちなみにこの清という王朝は満州人が立てた王朝で、言語も中国語とは違う満州語という言葉が使われておりました。そして面白い事ですが、中国を征服した王朝のほとんどは中国の文化に往々にして圧倒され、自分達の言葉を使わなくなってしまうという傾向があります。異民族王朝は、例えば女真族の金や清、契丹族の遼なども自民族のアイデンティティを保持する事に大変苦労していたりもします、このあたりも調べてみるとなかなか面白いです。
よって実はこの満州語、今の満州の人たちは読むことができなかったりします。それほど漢文化に圧倒されてしまったわけですが、よって当時の資料を読むことが極めて困難であったりもするのです。ごく一部の人しか読めない満州語から起こされる『清史』がどのようなものになるのか、なかなか楽しみです。
さて、余談が長くなりました。二次創作についてですが、これについても今まで書いてきた事柄が当てはまるのではないかと、ふと思ってみたのです。僕はKanonをメインに二次創作を書いておりますが、やはり発売当初から一年ほどは二次創作の世界の熱気もすごい物がありました。百花繚乱、玉石混合(僕はもちろん、今も昔も石のほうです(笑))で、その中から幾つもの名作が出てきておりました。そこには間違いなくしかし、発売されたばかりの作品の熱気とそこから引きずったSS作家さんたちの熱情、熱意のようなものが加味されていた事は疑いありません。当時の久慈さんの『家族』シリーズなどにもそのような、荒削りながら非常に熱のこもった部分は見受けられる気がしますし、僕の『As
her sister』などもほとんど書きたいという気持ちだけで書いた作品ですので、そういう部分は多々見うけられます。ゲームの熱気、それに対する思い入れの熱気。そのあたりがこもった作品は、ゲーム自体の感動や面白さも読む際に加味されて、更に発展して再生産されて行くという傾向が見られた気がします。
Kanon発売からそろそろ三年、いまだ日々更新されるSSの数は多いです。この分野の人気というか二次創作の汎用性の高さには驚かされますが、しかしやはりこの分野における初期ほどの熱気は、今はないと思います。Kanonをプレイしたばかりという方も多いでしょうが、全員がそういう感情を持っているという事はない。これは仕方のないことです。
でも必ずしもそれは悪い事であるとは思いません。時間が経つに連れ、物事への冷静な見方というのは必ず出てくる。Kanonという作品に引っ張られるだけではない、二次創作への冷静な見方という物が。
これこそが即ち、中国の歴史及び歴史書作成に対する姿勢から学べる事では無いかなと思うわけです。アガサ・クリスティが生み出した探偵の一人で少々異端であるハーリ・クィンが言う所の、少し時間を置く事によって、当時は見えなかった事件や物事の真実を見極める事が出来るという考え方。Kanon二次創作においても、こいつを考える時期なのではないでしょうか。
痕やToheartといった作品では、既にこれは確立された感があります。もちろん発売当初のような頻繁さではないにせよ、今も脈々とSSはアップされているし、読まれてもいる。作品をもちろん下地にして置きながら、ある種それを離れたところでの世界観の確立が成功していると、こういえると思います。その様な空気の中で現れる二次創作は、どれも落ち着いて安心して読める、まさに良作というべきものが多いと思うわけでして。
これが果たしてKanonにおいてもできるのか。ある意味でKanonの二次創作という分野は転機というか分水嶺に差し掛かっているのかなとか、ふと思ってみたりします。書き手の端っこの方になんとかいさせてもらっているつもりの僕としても、ちょっとは気合入れてみようかな、とか思ってみたりみなかったり。…ま、でも所詮僕です、長く冗長な話くらいしか書けない事は解っているんですけれどね(笑)。
とまあ長々と書いてきましたが、結局言いたい事はこんな事です。歴史とはスケールが違いますけれど、一つの物語であり一つの歴史には違いないKanonという対象を、史家が歴史を、資料と空想と自らの腕をもってして100年の後に描いたように、僕たちはそれでは三年というスパンを置いた後でどのような物語として写し取るのか。初期の頃の爆発的な情熱は無いけれど、その中でこそアレンジャーの手腕は試され、オリジナリティも発揮される気がします。ネット上にたくさんいるkey系のSS作家さんの腕の見せ所、ある意味発売当初よりも今の方がそうなのかもしれないですね。とまあ、こんな考えもまた、Kanon二次創作を見る視点としては、なかなか面白いものだと思うのでが、如何でしょうか?
ほいでは次回、二次創作における18禁の可能性とその描写について(テーマは嘘(笑))、我が盟友であり、僕が心よりその技量を尊敬する数少ない二次創作作家であらせられるすなふさんに、次回の代理日記をお任せしたいと思います。期待してますよん♪
乱文雑記、申し訳ございませんでした。お読みくださった皆様、及び掲載して下さった久慈さん、ありがとうございます。しっかしこうしてそれっぽいものを書いてみると、久慈さんの雑記の上手さがわかるなあ…。
参考文献 『中国の歴史』(四、五、六) 陳舜臣
阿倍碧郎さん、ありがとうございましたー
無理言っちゃってごめんなさいね。
なんとも碧郎さんらしい雑記でしたね、この説得力は真似できんなぁ。
さて、碧郎さんはすなふさんをご指名ということですので、次回は彼にお願いしたいと思います。
ただ締切ブレイカーであるところの彼に「いつまでに書いてくれ」とお願いするほど私も向こう見ずではありませんし、いつもの私の気まぐれですので、いつでも気が向いたときで結構です。
もし書いて下さるなら、最後に次回の生贄をご指名ください。
んじゃすなふさんよろしくー