「ねえパパ」
「ん? なんだい? 汐」
「赤ちゃんは、どうやって生まれるの?」
「……なに?」





しあわせのカタマリ





 渚を亡くした俺が、本当の意味で父親になることができてから半年。とある平和な日曜の昼下がりに、事件は起きた。

「ねえパパ、赤ちゃんてどうやって生まれてくるの?」

 まさか詳細な描写をするわけにもいかず、言葉に詰まる。
 これはおおよそ人類発祥から今まで、世のお父さんお母さんたちを悩ませ続けた最も難解な、だが子を持つ身としては避けては通れない試練と言えるだろう。

「ねえ、パパー」
「あ、うーん、ええと、ママのおなかの中からかな」

 無難な答えはだが、汐を納得させることができなかったらしい。もうすぐ小学校にあがる我が娘は、不満そうに頬を膨らませた。

 最初こそぎこちなかった俺と汐との関係も、やっと自然になってきたと思う。最近ではこんなにも自然に、子供らしい仕草を見せてくれるようになった。

「もー、パパ、笑ってないでこたえてよー」
「ああすまんすまん、だけどパパ嘘は言ってないぞ。汐はママのおなかから生まれてきたんだからな」
「それはそうだけど、汐がききたいのはそういうことじゃない」

 我が娘ながら言い様がマセて……いや、大人びてきたものだ。頬がまた緩むのを感じる。
 こうやって、汐はどんどん大人になっていく。まだまだ先の話だけれど、やがては誰かを愛し、やがてそいつと共に歩いていくのだろう。その時まで、俺が支え続けていかなくてはならないのだ。

「いいからこたえろよてめー、シバくぞ」
「女の子がそんなバイオレンスな言葉遣いしちゃいけません!」
「えー、だってあっきーがもしもの時はこう言えって」

 あのオッサン、孫になに教え込んでんだ……

 と、妙案。
 こういう答え難い質問は、年の功で乗り切ってもらうに限る。
 渚という愛娘を立派に育て上げたあの二人なら、きっと上手いこと汐を納得させてくれるだろう。


『ねえあっきー、赤ちゃんてどうやってうまれてくるの?』
『かっ、なんだ汐、そんなことも知らねーのか。赤ん坊はな、女の○○(ピー)』


「ぬあーっ! 小さい子供になに吹き込んでんじゃオッサン!」
「パパ、いきなりおっきな声だすとびっくりするよ」
「はぁはぁ、す、すまん汐」

 思わず妄想で絶叫してしまった。
 オッサンは論外だ。というか考えるまでもない結果だった。

「なあ汐、早苗さんに聞いてみようか?」
「うん、さなえさんにきく!」
「よし、じゃあ行くぞ」
「うん!」





 簡単に支度をし、古河家へ。歩いて数分の場所の立地条件が今は好都合だった。





「うおるあぁぁぁっ!」

カキーン!

「うおー! アッキーすげー!」
「場外ホームランだ!」
「さすがアッキーだぜ!」
「ふははははは! 見たかガキども、これが俺様の実力だーっ!」

「あんたはなに子供相手にムキになってんだよ……」
「あっきー!」
「あー? なんだ汐と小僧か」

 休日のない自営業だというのに、相変わらず真昼間から暇なオッサンだった。

「なんだ、混ぜて欲しいのか?」
「欲しくねーよ」
「かっ、相変わらずかわいげのねぇ野郎だ」
「あっきー」
「あん? どうした汐」
「赤ちゃんて、どうやって生まれてくるの?」
「……」

 面食らったようにまじまじと汐の顔を見る。さすがのオッサンもこの問いには答え辛かったようだ。

「なんだ汐、そんなことも知らねーのか。赤ん坊はな、女の○○(ピー)」
「アホだろあんた!」
「いてぇ! てめぇいきなり殴りつけるとはいい度胸だ! かかってこいやコラァ!」
「上等だコラァ!」

 売り言葉に買い言葉、殴り合いに発展しそうになる。いつものことだった。

「もう、パパもあっきーもけんかしちゃダメ!」

 そんな俺たちを叱り付けたのは汐。
 小さな身体で精一杯胸を張り、しかめつらしく眉を寄せるその姿に、思わず笑みがこぼれる。
 そして同時に、チクリと、胸が痛んだ。


 その姿も、声も。

 渚に、そっくりだったから
――


「オラァ!」
「いてぇ! オッサンてめぇ人が感傷にひたっているときに殴りつけるな!」
「ふふん、男と男の拳での勝負に油断は禁物ということよ」
「いまそのバットで殴っただろ! どこが拳での勝負だよ!」
「あん? まぁそういうこともあるだろ」
「ねえよっ!」
「なんだやるかコラァ!」
「上等だコラァ!」

「はいはい、二人とも喧嘩しちゃダメですよ」

 再び掴み合いに発展しそうになる俺たちを今度こそ止めたのは、早苗さん。
 そしていつものようににっこりと笑いながら、とんでもないことを口にした。

「朋也さんはどんどん秋生さんに似てきますね」
「げっ、それは嫌過ぎる……」
「てめぇ早苗、俺のどこがこんな小僧に似てるってんだ」
「そっくりですよ」
「勘弁してください……」
「そりゃこっちの台詞だ!」
「なんだやるかコラァ!」
「上等だコラァ!」

「やっぱりそっくりですね。ね? 汐ちゃん」
「うん、パパとあっきー仲良し」

「……とりあえず茶でも飲んでいきやがれ」
「……ああ」
「じゃあお茶を入れてきますね。汐ちゃんも一緒に行きましょう」
「うん」

 手を繋いで家に入っていく早苗さんと汐。その微笑ましい様子に目を細めながら、俺もその後に続く。



「おい小僧」

 と、オッサンに呼び止められた。
 振り向くと、バットを肩に担いで背を向けていた。

 そしてポツリと。オッサンにしては本当に珍しく呟くように。


「汐のやつ、だんだんと似てきやがるな」


 誰に、とは聞かない。聞くまでもない。先ほど俺自身感じたことだ。
 

「なあオッサン」
「なんだ」
「あいつは……」
「あん?」
「渚は……」


「幸せだっただろうか」


 ざあ、と、風が吹いた。
 舞い散る桜の花びらが、まるで雪のように降り注ぐ。

「かっ」

 タバコの煙を吐き出しながら、オッサンは言った。それがさも当然のことであるかのように。

「当たり前ぇだろうが」
「そうか、そうだよな」
「あいつは俺と早苗の娘だぞ、幸せだったに決まってんだろ」

 振り向いて、そう言ってニヤリと笑うオッサン、その言いようがおかしくて、俺も笑った。

「それにまあ」

 そう続けて、オッサンはぼりぼりと頭をかきながら、ぶっきらぼうに言った。


「あいつほど、旦那を愛したヤツはそういねぇだろうよ」


 また、ざあ、と、風が吹いた。


「かっ、なに泣いてんだてめぇ、ガキか」
「……風で目にごみが入ったんだよ」
「ふん、まぁそういうことにしといてやるぜ」

 すれ違いざま、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭をかき回される。

「胸を張りやがれ、渚を幸せにしたのはてめぇだ」
「ああ……ああ」

 公園で顔を洗ってきやがれよ、と乱暴に言って、オッサンは家に入っていった。





「さなえさん」
「なあに? 汐」
赤ちゃんは、どうやって生まれてくるの?

 顔を洗って家に入ると、早速の質問攻撃だった。
 笑顔のまま固まる早苗さん。すみません、俺が不甲斐ないばっかりに……

「え、ええと。赤ちゃんはコウナゴさんが運んでくるんですよ」
「……それを言うならコウノトリさんじゃないっすか?」
「そうとも言いますね」

 小女子が運んできてどうする。
 というかいつも通りの笑顔ではあるが、この人はこれで結構動揺しているのか?

「だから言ったじゃねーか汐、赤ん坊は女の○○(ピー)から……ぐおっ!」
「ダメですよ秋生さん、子供に変なこと教えちゃ」
「目がー! 目がぁー!」

 目を押さえつつごろごろと転がるオッサン。
 早苗さん、目潰しはねぇっす…… というかこの人絶対に動揺してると思う。

「そういえば汐、今日は幼稚園でどんなことがあったの?」

 あまりにも強引な話題転換。だが純粋な汐は嬉々として幼稚園での出来事を語る。
 お遊戯をしたこと、お昼寝をしたこと、歯科検診があったこと。本当に楽しそうに語る汐を、お茶を飲みながら聞いていた。

「汐は虫歯なかった?」
「うん! 汐ちゃんとはみがきしてるもん」
「そう、偉いわね」
「えへへ、ちゃんとお口あいてはいしゃのせんせいに見せたよ」
「そうなの」
「うん! パパより開かれたよ!(お口を)」
「ぶーっ!」

 い、いや、そりゃ確かに毎晩歯磨き後には口を開かせて確認しているが……

「てめぇ小僧…… 喧嘩売ってんのか……」

 噴き出したお茶をモロに浴びたオッサンがヒクヒクと青筋を浮かべて唸る。すまんオッサン、不可抗力だ。

「やるかコラァ!」
「上等だコラァ!」
「もう! パパもあっきーもやめなさーい!」

 結局、似た者同士だった。






 そのまま晩飯をご馳走になり、古河家を辞する。
 日もすっかりと暮れた夜の中、汐と手を繋いで家路についた。


「今日は楽しかったか、汐」
「うん!」

 若干眠そうだが、それでも心から楽しかった風の笑顔で、全身でうなずく汐。
 その笑顔だけで明日からまた仕事を頑張る元気を分けてもらえる。

「そういえばお前、あの質問はもういいのか?」
「あのしつもん?」
「ほら、赤ちゃんはどこからくるのか、って」
「うん、さなえさんにおしえてもらった」
「……」

 早苗さんのことだ、よもやオッサンのようなアホなことは言わなかったとは思うが。

「えっと、パパにも教えてくれよ」
「うん、えっとね」

 そうして汐は、なにかとっておきの秘密を披露するかのように告げる。


「赤ちゃんはね、パパとママのしあわせから生まれてくるんだよ」


「え……?」


 幸せ、から。


「さなえさんいってた、パパとママがしあわせだったから、汐が生まれてきたんだって」


 俺と渚の、幸せから。


「しあわせが形になったのが、汐なんだって」


 俺は……


「…パパ、どうしたの? どこかいたいの?」


 俺と渚は……


「……いや、どこも痛くないよ汐」
「だってパパ、ないて……」



 俺と渚は、間違っていなかった。



「早苗さんの言う通りだよ」

「パパとママは、とってもとっても幸せだったんだ」

「毎日が楽しくて、嬉しくて。辛いこともあったけど、それでも、パパもママもとっても幸せだった」


「幸せだったんだよ」


 だから、お前が生まれたんだよ。


「汐はいま、幸せかい?」

 そんな幸せの、俺と渚の幸せの塊である汐はいま、幸せかい?





「うん! 汐も、とってもとっても、しあわせだよ!」





<FIN>