二度とは戻らぬ ひみつ - 2004/05/11(Tue) 00:48 No.350 



 上月澪は、忘れ物をした。

『忘れものをしたの』
「あら、上月さんにしちゃ珍しいわね」
「ん? どしたの雪ちゃん」
「なんかね、上月さんが忘れ物をしたんだって。部室?」
「(こくこく)」
「ふーん、澪ちゃんでもうっかりすることあるんだね」
「みさきは茶飯事だけどね。上月さん、私ら待ってようか?」
「(ふるふる)」
「そう? じゃあ悪いけどお先に失礼するわね」
「うん、じゃあ澪ちゃんまたあした」
『さようなら、なの』

 澪はそうスケッチブックに書き記すと、そのまま校舎に向けて駆けた。
 尊敬する先輩に嘘をついてしまったことに、小さな胸を痛めながらも。

 今年で二年生になる彼女は、この学校に忘れ物をした。
 それは彼女にとってとてもとても大切なもので、なんとしても探し出さなくてはならないものだった。

「よろしくな」

 そう言って笑った彼の顔が、未だに脳裏に焼きついている。
 一目惚れだった。
 彼はたった一目見ただけで澪の心に住み着いて、彼女を捕らえて離さない。

 そんな彼を、澪はこの学校でなくしてしまったのだ。

 何が起きたのかは解らない。
 だが彼は、澪が本当に宝物に想っていた彼は。
 この学校で、澪の前からいなくなってしまった。

『忘れものをしたの』

 息を切らし、薄暗い部室の隅で膝を抱える。先ほど書き記したスケッチブックのページを開いてじっと眺めた。

『さみしいの』

 部活の仲間や、クラスメイトには決して見せない弱音。

『さみしいの』

 スケッチブックに書かれる文字は歪み、まるで断末魔のミミズが縦横無尽にのたくったような筆致にしかならない。

『さみしいの』

 誰も助けてはくれない。
 誰も自分を見てはくれない。
 彼が、彼だけが、本当の自分を見てくれた。身体障害者としてのではない、本当の上月澪を、彼は見てくれたのだ。
 そんな彼を、自分は置き去りにしてしまった。たとえ一時とはいえ、忘れ去ってしまったのだ。

『たすけて』

 滲む文字。どんなに後悔しても、時は戻ることは無く――

『だれかわたしをたすけてよ』


 上月澪は、忘れ物をした。

 恐らくはもう――戻らない。

 

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