すきすき! 長森先輩!

−長森先輩、水泳する−

2002/03/20 久慈光樹


 

 

 

 我らがアイドル長森先輩は、若干運動が苦手である。

 

 本当に、本当に若干である。

 ……確かに高校生になって泳げないというのは多少問題かもしれないが……

 いや! しかしそれすらも長森先輩の魅力のひとつなのだ!

 ビート板などをもって恥ずかしそうにバタ足をする様などは、そのまま額に入れて飾っておきたいくらい愛らしいのである。

 とにかく、我らがアイドルにして憧れの的である長森先輩は、若干運動が苦手なのである。

 

 さて、いかに大らかで母性に満ちた長森先輩とはいえ、流石に高校生になっても泳げないということは負い目になっていたらしい。

 一念発起! 休日に水泳の特訓をする決意をなさったのである。

 ああ、なんという向上心! 流石は長森先輩である。

 だが教師役として幼馴染である折原浩平を選出するあたり、人を見る目は残念ながらイマヒトツと言わざるを得ない。

 

「あ、あのね、浩平、その…… お、お願いがあるんだよ」

「あ? どうした長森、顔が赤いぞ。りんご病か?」

「ち、違うよ! その、あの、ね。 私にその…… 泳ぎを教えてほしいんだよ」

「……ということは何か? 長森は俺に水泳を習いたいと?」

「う、うん」

「水着で、みっちりと、手取り足取り、俺に水泳を習いたいと、そう言うんだな?」

「な、なんか表現がイヤらしいよ……」

 

 結局なんだかんだ言いつつも折原浩平は承諾し、週末にいっしょに市営プールへ行くことになったのである。

 そのときの長森先輩の嬉しそうな顔といったらもう……

 残念ながら、長森先輩の人を見る目はイマヒトツと言わざるを得ないのである。

 

 

 

 

 さて、週末である。

 長森先輩のファンをもって任じているところの我々も、むろん市営プールに赴いたのである。

 だがこれは件の折原浩平が長森先輩の“ないすばでぇ”を目の当たりにしてよからぬ行動に出ないか監視するためであって、決して我々が長森先輩の“ないすばでぇ”を拝見したいがための行動では無い事をここに明記するものである。

 余談であるが、長森先輩はその慎ましやかな性格とは裏腹に素晴らしい“ないすばでぇ”の持ち主であり、牛乳を常飲しているためかその豊かな胸などはもう現代に降臨したミロのビーナスといわんばかりなのである。

 堪らんのである。

 

「水着新調したんだけど…… ど、どうかな?」

「……」

 

 ……堪らんのである。

 

「イヤらしい目で見てんじゃないわよ、折原のドスケベ」

「……で、どうして七瀬がここにいるんだ?」

「ぐ、偶然よ偶然!」

 

 七瀬先輩である。

 竹を割ったようなさっぱりした性格と、ツインテールのよく似合うそのルックスから、我らが長森先輩と校内での人気を二分するお方である。

 事実私の友人にも

 

「七瀬先輩に殴られてぇ!」

「あの足で踏まれてぇ!」

 

 などと心酔する輩が数多くいる。私などにはいささか理解に苦しむ境地ではあるのだが、人の趣味に他者がとやかく口を出すべきではなかろう。

 そしてこれは我ら長森先輩派と七瀬先輩派の共通した悩みでもあるのだが、どうやら長森先輩だけでなく七瀬先輩すらもあのボケナスでバカモノであるところの折原浩平を憎からず想っているようなのである。

 いったいどういうことなのか? 世には神も仏も無いということか。

 今だって偶然会った風を装っているが(あれでも装っているつもりなのだ、七瀬先輩は)きっと長森先輩と折原がプールに出かけるという噂を耳にして、居ても立ってもいられなくなった末の行動であるのだろう。

 私は長森先輩派ではあるが、そのいじらしい行動を目の当たりにすると七瀬先輩に傾倒する輩の心境もわかろうというものだ。

 

 なのに、である。

 

「そうか、偶然だなぁ」

 

 ご本人様はちーーっとも気付いていないのである。

 ホッとしたような、でもそれでいてどこかしら落胆した様子の七瀬先輩が憐れでならない。

 

「え、なに瑞佳、あなた本当に泳げないの?」

「わっわっ、浩平そんなこと教えないでよー!」

「事実だろうが」

「そうだけど……」

「で、なに? 折原に教わるつもりだったの?」

「だって浩平、泳げるし……」

「バカねぇ、折原になんて教わったら速攻で妊娠するわよ」

「……俺は色魔か?」

「んー、じゃあ私がお手本を見せてあげるわ」

 

 そう言って七瀬先輩は颯爽とプールに向かう。

 そうそう、言い忘れていたが七瀬先輩も素晴らしい“ないすばでぇ”なのである。堪らんのである。

 

「見てなさいよー」

 

 華麗なフォームでの飛び込みから(ちなみに市営プールでは飛び込み禁止である)力強いストークで泳ぎ始める。

 七瀬先輩はこと運動に関しては万能である。華麗な泳ぎを披露し、あっという間に折り返して戻ってきた。

 

「おぅ、さすがは七瀬だな」

「そ、そう?」

 

 プールサイドで賞賛する折原浩平、嬉しそうな七瀬先輩を見て、長森先輩はちょっぴり羨ましそうだ。

 

「ほら」

「サンキュ」

 

 折原は七瀬先輩に手を差し伸べ、そのままプールから引き上げてやる……途中で、あろうことか手を離しやがったのである。

 

「どわっ!」

 

 バシャーンと水音も高らかに、七瀬先輩はまるで汚れ芸人のような滑稽さでプールに落ちた。

 いかな七瀬先輩とはいえ、あの落ちっぷりはいかがなものか……

 

「うわははははっ!」

「な゛、な゛に゛ずんの゛よーー!」

 

 鼻から水が入ったのか、愉快な声で抗議する七瀬先輩。

 いかがなものか……

 

「悪かった悪かった、ホレ」

 

 再び手を差し伸べる折原浩平。

 

「くっ、その手に乗るか!」

「悪かったって、もうしないから」

「っとにもう!」

 

 手を握り、プールから引き上げて……ああ、また……

 

「どわぁ!」

 

 再びバシャーンと水音をたてて、またしても汚れ芸人のように愉快な姿勢でプールに落ちる。

 ああ、七瀬先輩……

 

「お゛、お゛り゛はら゛ーーーっ!」

「うわーはっはっは!」

 

「ううっ、ひょっとして私の存在、忘れられてる?」

 

 ああっ、長森先輩が端っこで床にのの字を!

 

 

 

 

「こ、浩平、て、手離しちゃヤダよ!」

「わかったわかった」

「ぷはっ! げほっ! げほっ!」

「おーい、根性無いぞ長森ー」

「ううっ……」

 

 結局、折原が長森先輩に教えることになった。

 折原の顔が真っ赤に腫れあがっているのは、無論あのあと七瀬先輩にボコられたからである。当然の報いと言えよう。

 

「しかし本当にぜんぜん泳げんな、長森は」

「だから泳げないって言ってるじゃない……」

 

 ちょっぴり拗ねたような長森先輩、普段は母性にも似た優しさを発揮する長森先輩にしては珍しい表情である。

 デジカメを忘れた事が返す返すも悔やまれる……

 

「だいたいから長森には気合が足りない」

「そんなことないもん、一生懸命やってるもん」

「必死さがないからダメなんだ、今日中に泳げるようにならなかったら罰ゲームだからな」

「そ、そんなぁ、浩平むちゃくちゃだよ」

「必死になるにはそのくらいしないとダメなんだよ」

「じゃあ罰ゲームって何をすればいいの?」

「そうだなぁ、俺の言うことを何でも一つきくってのはどうだ?」

 

 くわっ! なんて事を!

 “ないすばでぇ”であるところの長森先輩に、な、何でも言うことをきかせるだとぉ!!

 

(ごくり)

 

 ……

 ……

 ……

 

 こここここここの色魔が!

 

「はぁ…… それって結局、いつも通りってことじゃない」

「どういうことだよ」

「だっていっつも浩平わがままばっかり言ってるもの」

「なにぃ、そんなことないだろ」

「そんなことあるよ」

「とにかく今日中に泳げるようにならなかったら罰ゲームだからな」

「うー、じゃあもし泳げるようになったら、私の言うことも何でも一つきいてもらうからね」

「うっ」

「それでいいよねー、こーへー?」

「くっ、まぁいいだろう」

 

 不承不承ながらその条件を呑む折原。

 

 そしてそれからの長森先輩の頑張りは凄かった。

 普段から頑張り屋の長森先輩だが、いつも以上に頑張ったと思う。

 

 だが……

 

 

「ま、まぁそう気を落とすな」

「……」

 

 結局、その日一日頑張ったのだが、泳げるようにはならなかった。

 そもそも条件が無茶なのだ。とても一日やそこらで泳げるようになるレベルでは…… いや、長森先輩は頑張った、頑張ったのである。

 

「ほら、帰るぞ長森」

「……うん」

 

 よほど残念だったのだろう、しょんぼりと元気がない長森先輩。

 

「そうだ、罰ゲームがあったんだ」

「……うん、いいよ、何でも」

 

 どこか無理のある笑顔で応える長森先輩。

 それを見た折原は、こんなことを言い出した。

 

「……毎朝、俺を起こしに来い」

「え? 行ってるじゃない」

「これから先も、毎日だ」

「え?」

「高校を卒業しても、その先も、ずっとだ」

「……」

「……」

「……」

「と、とにかくそう言うことだ! それじゃあ家まで競争だ! それ!」

 

 耳まで真っ赤になって、突然走り出す折原。

 それを唖然と見送る長森先輩。

 やがて……

 

 

「浩平、それって……」

 

 まるで、花が咲くように。

 まるで、雲の間から陽射しが覗くように。

 満面の笑みを浮かべて。

 

 そして長森先輩も走り出す。折原の後を追って。

 

 

 

 

「待ってよー、こーへー!」

 

 

 

 

 我らがアイドル長森先輩の水泳は、概ねこのような感じであった。

 

 

 

 

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