家族

−水瀬家の四季−

そしてまた、春

2004/6/27 久慈光樹


 

 

 

「わぁ、もうすっかり春だぁ」

 

 少女の弾んだ声が、丘を吹きぬける風に乗って広がる。

 抑えきれない喜びを全身で表現するかのように、彼女は緑芽吹く草原をスキップするかのように一気に駆ける。

 右に、左に。存分にこの「ものみの丘」と呼ばれる場所の春の空気を満喫した彼女は、丘の真ん中、心地よい草のベッドに仰向けに倒れ込むようにして仰向けに横たわった。

 小鳥のさえずり、風のそよぐ音、そして小さな、呟き。

 

「また今年も、春がきたよ」

 

 まるで目に見えない誰かに囁きかけるかのように、それだけを口にした。

 そしてそっと、まぶたを閉じる。

 

 その閉じたまぶたに何を見ているのか。

 少女の表情は厳かだった。普段の爛漫な彼女からは考えられないほどに真剣で、厳かな、そんな、表情。

 

「悲しいことが、あったよ」

「辛いことも、あった」

 

 眉を顰めるでもなく、口を結ぶでもなく。淡々と彼女は独白する。

 

「いいことばっかりじゃなかったよ」

「春が来て、また春が来るように、楽しいことのくり返しだったらいいなって思ってたけれど」

 

 一緒にいたいと願った人。彼女が心から欲しいと願った家族という名のぬくもり。与えてくれた人たちとの触れ合いは、あまりにも刹那で。

 そうして何もかもを失った彼女は、だけれどもまた帰ってきた。帰ってこれた。

 彼女は幸せだった。幸せだったけれど。

 

「楽しいことばっかりじゃ、なかった」

 

 常に彼女の傍らにあった一番の友人。猫の姿をしたあの子は、もう二度と会えないところに行ってしまった。

 

 春は確かに来たのだけれど、ずっと春が続くわけではなかったのだ。

 

 

「でもね、生きているって感じがするよ」

 

 楽しいことばかりじゃない。

 嬉しいことばかりでもない。

 

 でも、だからこそ。

 

「真琴は、生きてる」

 

 春が来て、また春がくればいいと願った。

 その願いは叶わなかったけれども。

 またこうして、春が来た。

 春が来て、夏が来て、秋が来て冬が来て、そしてまた春が来たのだ。

 

 

「頑張って、生きてるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで彼女の名前を呼ぶ声が聞こえて、ずっと閉じていた目を開いた。

 平原に横たえていた身体を起こして声のした方に顔を向けると、彼女の大切な大切な家族の姿があった。

 

 姉が自分を見つけて大きく手を振っている。

 母がお弁当の入ったバスケットを手に優しく微笑んでいる。

 そして彼が早く来いと呼んでいる。

 

 暖かな陽射しが視界いっぱいに広がって、彼女いっぱいに広がって。

 そうして彼女は、笑顔で。

 

「遅いよーみんなー!」

 

 そう叫んで立ち上がった。

 

 姉が、母が、そして彼が、みんなが自分の名前を呼んでいる。早くおいでと。

 駆け出そうとする寸前。

 振り返ってそして彼女は最後に呟いた。

 

 

 

 

「真琴ね、頑張ってるよ」

 

「だから、心配しないで」

 

「みんな」

 

 

 

 

 春の暖かな陽射しが、丘を包んでいる。

 爽やかな風が一陣、丘の草花を揺らす。

 

 それはまるで、彼女の幸せを祝福しているかのようだった。

 

 

 

 

 

水瀬家の四季  了

 

 

 

 

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