冷たくなっているぴろと、その前で座りこんでいる真琴を発見したのは、名雪だった。

 

 

 

 

 


家族

−てのひらを太陽に−

後編

2001/10/03 久慈光樹


 

 

 

 

 死。

 なんて冷たい響きなんだろう。 

 真琴がいなくなってからの不安な日々も、帰ってきてからの楽しかった日々も。

 これからもずっといっしょだと誓った、あの日の言葉も。

 死というその冷たい現実の前には、全てが否定されてしまうような気がした。

 

 

 俺たちは、ぴろの亡骸を庭先に埋め、小さな墓を作った。

 庭で一番日当たりのいい、2階にある真琴の部屋からも見える場所だ。

 その間、俺も、名雪も、秋子さんも、何も喋らなかった。

 真琴も、何も喋らなかった。

 

 現実感が無かった。

 これは夢で、朝起きると隣で真琴が俺の腕にしがみついて寝ていて、その頭の上あたりに丸くなってぴろが寝ているのではないか。そんなことを考えた。

 

 初めて経験する身近な者の死。

 今までいっしょだった者と、突然もう2度と会えなくなる。

 真琴は、涙を見せなかった。

 だがそれはぴろの…… 家族の死というものを受け止めて、受け入れたからではない。

 俺たちと同じで、現実感が無いのだろう。

 何が起こったのか理解できなくて、今はただ呆然としているだけなのだろう。

 結局その日は一日、真琴の声を聞く事はできなかった。

 ただ部屋で一人、一日中座りこんでぼんやりしているだけだった。

 

 

 そしてその晩、真琴は熱を出した。

 

 

 

「秋子さん、真琴の容態は?」

「まだ熱が引かないの。でも大丈夫、きっと看病の疲れが出たのよ」

「真琴……」

 

 俺たちを元気付けようと、明るい声を出す秋子さん。だが俺と名雪の表情は暗い。

 

 真琴の発熱。

 考えまいとしても思い出してしまう。

 昨年の冬。7年ぶりに俺がこの街を訪れ、名雪と再会し、そして真琴と出会ったあの冬。

 真琴は2度、発熱し、そして……。

 

「ちくしょう……」

 

 情けないことだが、膝の震えが止まらなかった。

 

「祐一、真琴は大丈夫だよ、きっとただ、疲れただけだから、大丈夫だよ」

 

 そう言って、俺の手を握ってくれる名雪。

 だがその手は、震えていた。

 俺と同じように、名雪もがたがたと震えていた。

 

 

 夕食のときも、俺は何も喋らなかったし、秋子さんと名雪も同様だった。

 そのまま無言のうちに食事を終え、ごちそうさまでした、とだけ言って俺は部屋にこもった。

 ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を眺める。

 ぐるぐると、色々な事が頭をよぎる。

 何時間も、そうしてまんじりともせずに過ごした。

 枕もとの時計が、秒針を刻む音だけがやけに大きく聞こえる。

 

 ぴろという家族を失った俺たち。

 この上また、真琴までも失うことになってしまったら、俺たちは果たしてどうなってしまうのだろうか……?

 

「そんなバカなことがあるか!」

 

 俺はそんな事を考えた自分を心の中で殴りつけ、考えを振り払うかのように真琴が寝ている部屋へ向かった。

 

 

 

コンコン

 

「真琴、入るぞ」

「あら、祐一さん、まだ起きていたんですか」

 

 濡らしたタオルを真琴の額に乗せていた秋子さんが、そう言って振り向いた。

 時間は12時をまわっていた。名雪は自分の部屋にいたが、きっとあいつも眠れないでいるに違いない。

 

「はい、真琴が気になって……」

「うふふ、さっき名雪もそう言って来てましたよ」

「そうですか」

 

 妹が気にならない姉などいるわけがない。娘の事が気にならない母がいるわけがない。

 家族の事が気にならない者など、いるわけがないんだ。

 

「真琴は?」

「ずっと眠ってます。よっぽど疲れたんでしょうね」

「後は俺が診ます、秋子さんはもう休んでください」

「そうね、そうさせてもらうわ。祐一さん、真琴をお願いね」

 

 恐らくは気を利かせてくれたのだろう。秋子さんはそう言い残し、部屋を出ていった。

 後には俺と、時折苦しそうに息をつく真琴だけが残された。

 

「真琴、お前どうしたんだよ。元気だけが取り柄のくせしやがってよ」

 

 眠る真琴に話しかける。

 

「まったく、いつもいつも心配ばかりかけさせてやがって、ちったぁ人の迷惑も考えろ」

 

「……ごめんね、祐一。心配かけて」

 

 独り言のつもりが、思わぬ真琴からの返事に、少し驚いた。

 見ると、熱に上気した顔をこちらに向けた真琴が、済まなそうに俺の顔を見ていた。

 

「まったくだ」

「うん」

「秋子さんも名雪も心配してる。ついでに俺もほんの少しだけ心配してる」

「うん」

 

 わざとぶっきらぼうに言ったにも関わらず、真琴は少し嬉しそうな声で応えた。

 だがすぐにその表情は沈む。

 

「祐一、ぴろ、死んじゃったんだよね」

「……ああ」

「もう、会えないんだよね」

「……そうだな」

「うん」

 

 それっきり、俺も真琴もしばらくは何も喋らない。

 

「どうしてぴろは死んじゃったのかな?」

 

 やがて、真琴が呟くようにそう言う。

 

「真琴ね、ずっと考えてたんだ。ぴろが死んでから、ずっとずっと考えてたんだ」

「ぴろも真琴も、何も悪い事してないのに」

「どうしてぴろは死んじゃったのかな?」

 

 熱にうなされるように、真琴の独白めいた言葉は続く。

 

「みんないつかは死んじゃうんだよね」

「だったら、どうして真琴は生きているのかな」

「なんのために、真琴は生きてるのかな」

 

「生きるって、何なのかな?」

 

 

 純粋な真琴らしい、問い掛けだった。

 俺は何も言わず、じっとその言葉を聞いていた。

 何も、言えなかった。

 真琴の問いに答える事ができる者など、いやしないんだろう。

 その答えが出せるのは、よっぽどのペテン師か、死んだ者だけなのだ、きっと。

 

「あのな、真琴……」

 

 話しかけようとしたが、真琴が寝入っているのを見て、やめる。

 額に当てたタオルを代えてやる。

 

 そのまま2時間ほど真琴の寝顔を眺め、時々タオルを代えてやって、俺は自分の部屋に戻り、眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

 真夜中。

 祐一も、名雪も、秋子も、そして真琴も皆眠りの中にいた。

 そして真琴は、夢を見た。

 夢の中で真琴はぴろと向かい合って話をしていた。

 

「ぴろ、どうして真琴を置いていっちゃったの?」

「うにゃん……」

「やだぁ、真琴、ぴろと会えなくなるなんていやだぁ」

 

 泣きじゃくる真琴を、ぴろは困ったように見ていた。

 

「うなー」

「ぐすっ、どうしてぴろは死んじゃうの? どうして真琴は今、生きてるの?」

「うにゃにゃん」

「どうせみんな、いつかは死んじゃうんでしょ? だったら生きててもしょうがないじゃない」

「ふにゃ!」

 

 そんな真琴を叱るように一鳴きしたあと、ゆっくりと立ちあがるぴろ。

 そのまま天を見上げ、一声鳴く。

 

「うにゃー」

 

 するとどうだろう、何もない空間にまるで映画のスクリーンのように水瀬家の真琴の部屋が映し出された。

 

「あうっ、おかーさん……」

 

 熱を出し、苦しげに眠る真琴。秋子はそんな真琴の枕元に座っていた。

 

『真琴……』

『はぁはぁ……』

『真琴、頑張って』

『あぅ…… おかーさん、おかーさん』

 

 うなされる真琴の手を取り、元気付けるように。

 

『真琴、お母さんはここよ、真琴』

 

 その顔には、焦燥と、苦悩と。

 決して俺たち子供の前では見せない表情が浮かんでいる。

 

『ごめんね真琴、私には何もできない。大切な娘が苦しんでいるときに、私には何もできない……』

 

 そう言って真琴に語りかける秋子。その表情は、本当に苦しそうだった。

 

『ごめんね、ダメなお母さんで、ごめんね』

 

「おかーさん、おかーさん……」

 

 その様子を見て、涙ぐむ真琴。

 

『早くよくなりなさい真琴、そうしたら真琴の好きなもの、何でも作ってあげるから』

『どこにだって連れていってあげるから』

『真琴の言う事、何でも聞いてあげるから』

『だから、はやくよくなって…… 真琴……』

 

 

 

「おかーさん、おかーさん…… あっ!」

 

 空間に映し出された映像が、ぐにゃりと歪む。

 だがまた段々と鮮明になってゆく。

 続いて映し出されたのも、真琴の部屋。

 相変わらず苦しげに眠る真琴。そしてその脇にいるのは、名雪だった。

 

「おねーちゃんだ」

 

『真琴、お姉ちゃんね』

 

 眠る真琴に話しかける名雪。

 普段と違い、その顔には表情がなく、口調も淡々としたものだった。

 

『お姉ちゃんね、最初は真琴の事、あんまり好きじゃなかったの』

 

「えっ!」

 

『お母さんは賑やかでいいと言っていたけれど、本当は、知らない人がこの家にいるのは嫌だった』

 

「おねーちゃん……」

 

『だから「あの子」としか呼ばなかったし、あんまり話もしなかった』

 

「……」

 

『だけど……』

 

 今まで無表情だった名雪の顔が歪む。

 

『だけどもうダメだよ、もうあの頃みたいに思えないよ』

『だって真琴はわたしの妹だもの、わたしの大事な妹だもの』

 

「おねーちゃん……」

 

『真琴、お願い。また元気になって』

『もう嫌なの、真琴がいなくなるなんて考えられないの』

 

「おねーちゃぁん……」

 

『元気なってまた遊ぼうよ、わたしと、祐一と、お母さんと、みんな一緒に遊ぼうよ』

『だからお願い、真琴。もういなくならないで。わたしの前からいなくならないで』

『お願い、真琴』

『お願い……』

 

 

 

「おねーちゃん、おねーちゃぁん…… あっ!」

 

 またしても歪む映像。

 続いて映し出されたのも、真琴の部屋。そして眠る真琴の側に座るのは、祐一だった。

 

『真琴、お前どうしたんだよ。元気だけが取り柄のくせしやがってよ』

 

 眠る真琴に話しかける祐一。

 

『まったく、いつもいつも心配ばかりかけさせてやがって』

 

 ぶっきらぼうな口調。

 面白くもなさそうに、祐一は続けた。

 

『ちったぁ人の迷惑も考えろ』

 

「あぅ、なによぅ……」

 

 悪態をつく祐一に憤慨しかけた真琴だったが、そこでふと気がついた。

 

『まったく、せっかくの休日なのに、いい迷惑だ』

 

 あぐらを組み、眠る真琴の枕元に座る祐一。膝の上に置かれたその手は。

 震えていた。

 

『だいたいなんで俺たちが看病してやらなきゃいけないんだよ、まったく』

 

 言葉とは裏腹にその手は、いや、よく見ると祐一は全身で震えていた。

 まるで、何かに怯えるかのように。

 

「祐一?」

 

『秋子さんも名雪も過保護なんだよな』

 

 震える祐一。

 

『どうせ明日にはけろっとよくなってるに違いないんだ』

 

 いつのまにかその表情は、険しくなっていた。

 

『そうさ、どうせ明日には……』

 

 まるで、なにかに堪えるように。

 

『どうせ、明日には……』

 

『明日に…は……』

 

 それ以上は言葉にならず、唇を噛む。

 そのまましばらく、祐一は俯いていた。

 

「あぅ、祐一?」

 

 映像中の祐一を、不安げに見守る真琴。

 ぴろはそんな真琴をじっと見つめていた。

 

『ちくしょう……』

 

 俯いたままの祐一の口から、うめくような声が漏れた。

 

『ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう』

『ちくしょう……』

 

『真琴、お前また俺にあんな思いをさせるつもりなのか?』

 

「あぅ?」

 

『お前がいなくなってから、俺がどんな思いでお前を待っていたか、わかるか?』

 

「祐一……」

 

『あんな思いを、また俺にさせる気なのかよ、お前は』

 

 俯いたままの祐一が、噛み締めるように、ぽつりぽつりと話す。

 その表情を伺う事はできなかった。

 

『お前は勝手だ』

 

『勝手にこの家に来て、勝手にいなくなって、勝手に戻ってきて……』

 

『また、勝手にいなくなるつもりなのかよ』

 

『そんなこと、許さねぇからな。絶対に、絶対に許さねぇからな』

 

『だから……』

 

 俯いていた顔を上げる祐一。

 どこか苦しそうに、でもしっかりと、眠る真琴を見据えて祐一は言葉を紡ぐ。

 

『だから、早くよくなれ、早くよくなって、また笑ってくれ』

 

 そう言って、祐一は笑った。

 

『お前に似合うのは、やっぱり笑顔だ』

 

 今にも崩れてしまいそうな、そんな頼りない笑みだったが、確かに祐一は笑っていた。

 

「……ふんだ、当たり前じゃないのよぅ!」

 

 真琴も笑った。

 あふれ出る涙でくしゃくしゃになってしまった顔で。

 それでも笑った。

 

「おかーさん、おねーちゃん、それに祐一。真琴はどこにも行かないよ、だってみんな待ってるもの。待っててくれるもの」

「だから……」

「真琴はどこにも行かないよ」

 

 泣き笑いの真琴を、ぴろはしばらく目を細めて見つめていた。

 大切な友人を誇るような、そんな様子で。

 

「にゃー」

「うん、わかったぴろ。真琴、わかったよ」

 

 いつのまにか消えてしまった映像。

 

「なんで生きているかなんて分からない。何のために生きているかなんて分からない」

 

 だが真琴はもうそれを残念だとは思わなかった。

 

「でも、真琴は生きていたい」

 

 なぜなら、それは常に真琴の側にあるものだから。

 

「みんなと一緒に生きていたい」

 

 側にあってほしいと願うものだから。

 

「家族といっしょに、真琴はいつまでも生きていたい」

 

 だからもう、真琴は迷わなかった。

 

「それで、いいんだよね、ぴろ?」

「うなー」

「うんっ!」

 

 思いっきり明るい笑顔。

 段々とあたりの風景が歪んでくる。ああ目を覚ますんだな、と真琴は悟っていた。これが、ただの夢だということも。

 

 でも……。

 

「ありがとう、ぴろ。そして……」

 

 

 

 

 

 

「さようなら」

 

 

 

 

 

 最後に、ぴろの鳴き声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

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