「家族になるって、 家族で居続けるって、 どういう事なのかしら?」

 

 それは、俺への問いかけではなく、独白に近かっただろう。

 俺は、動揺した。

 その言葉に、明確な解答を見出せない自分に

 動揺した。

 

 

 その問いは、重かった。

 

 どうしようもなく、重かった。

 


 


家族

−家族の定義−

前編

2000/12/03 久慈光樹


 

 


「あちぃんじゃぁ!!」

 

 叫ぶ俺。

 暑かった。

 ただただ、暑かったのだ。

 

「祐一、うるさいっ!」

 

 同じ居間のソファーで、ぐったりとしていた真琴が、俺に怒鳴り返す。

 その隣では、名雪が「声を出すのもおっくうだ」という様子で、ぐったりしている。

 どうでもいいが名雪、パンツ見えてんぞ。

 

「どうしてこのくそあちぃ時期にクーラーが壊れるんじゃぁ!」

「そんなこと、真琴に言われても困るっ!」

 

 ちきしょう、あの軟弱クーラーめ。

 大体、この土地はおかしい!

 冬、あれだけ寒かったのだから、夏は涼しいってのが住人に対する礼儀ってもんじゃないのか?!

 それがどうだ?

 連日連夜のこの暑さ!

 確かに東京などに比べれば、湿気が少ない分、涼しく感じるのかもしれないが、そんな事は今のこの状況下では何の慰めにもならない。

 

「ちきしょうっ! 夏が暑いなんてだれが決めた! 俺に断りも無く、だれが決めたぁ!」

 

 いかん、自分でも何を言っているかわからん。

 暑さのせいだ。

 

「あらあら、祐一さん、ご近所迷惑ですよ」

 

 相変わらず涼しげな秋子さん。

 この人は暑さを感じていないのか?

 俺が唖然としていると、ぐったりしていた名雪が体を起こし、ふらふらと歩き始める。

 

「名雪、どうしたの?」

「じゅーす……」

「ダメよ、ジュースばかり飲んでいては。身体に悪いわよ?」

「だって、暑いんだもん」

 

 秋子さんの忠告にも耳を貸さず、死にかけたクラゲのような足取りで台所へと向かう。

 

「あぅ、真琴もぉ……」

 

 真琴も、まるで死にかけたウミウシのような足取りで後に続く。

 例えがアレなのは暑さのせいだ。そう、全て暑さのせいなのだ。

 

「くそぅ、抜け駆けは許さん……」

 

 俺も続く。

 だが……。

 

「「「氷がないっ! それ以前にジュースがないっ!」」」

 

 ただただ、暑かったのだ。

 

 

 

「で、涼みに来た、と」

「えへへ、ごめんね、香里」

「ま、いいけどね」

 

 あまりの暑さに身の危険を感じた俺たちは、香里の家に涼みに来ていた。

 ううむ、やはり夏にクーラーは必須だ。 ビバ! 文明の力!

 

「あぅー、涼しい」

 

 普段は野生動物のように人見知りをする真琴もいっしょだ。暑さに屈したらしい。

 まぁ香里とは多少面識もあるしな。

 

「はい、どうぞ」

「おう、悪いな栞」

「いえ」

 

 冷え冷えのジュースとクッキーを乗せたお盆を片手に、栞が笑顔で答える。

 もうその笑顔には病の影など一片も見て取ることはできなかった。

 

「あぅ、じゅーす」

「はい、真琴さん」

「あ、ありがと……」

 

 確か真琴と栞はそんなに親しくは無かったはずだ。

 現に、ちと真琴は警戒気味。

 

「あ、このクッキーおいしいんですよ」

「あぅー、真琴、クッキー好き」

「はい、どうぞ」

「ありがとっ」

 

 ふむ、流石は栞、体良く餌付けに成功したらしい。

 『女3人寄ればかしましい』とは良く言ったもので、たちまち真琴も打ち解けて4人で笑い声を上げながらおしゃべりを始める。

 男は俺一人なので、ちょっと居心地が悪い。

 

「ふーん、栞は入院してたんだ」

「はい」

 

 最早すっかり仲良しといった様子で、真琴と栞が話している。

 

「祐一さんや名雪さんにはご心配をおかけしました。何度もお見舞いに来てもらっちゃって」

「ううん、元気になって本当に良かったね、栞ちゃん」

「はい」

「相沢くんなんて、ほとんど毎日お見舞いに来てくれたものね」

「はい……」

 

 頬を染める栞。

 氷のような視線を送ってよこす真琴と名雪。

 楽しげな香里。

 くそっ、こいつは絶対に確信犯だ!

 

「で、でも、ホントに元気になったよ、うん」

「祐一さんが元気付けてくれたからです」

 

 頬を染めたまま、うつむいてもじもじと胸の前で組んだ指を動かす栞。

 なんだか俺は微笑ましい気分になって、その頭をそっとなでた。

 

「いや、俺は何もしてないよ。栞が頑張ったからさ」

「えへへ」

 

 なでなで。

 真っ赤になりながらも、栞は嬉しそうだ。

 

 ぞくり

 

「うっ」

 

 ぞくぞくぞく

 

「か、香里、クーラー効きすぎじゃないか?」

「いいえ、丁度いいわよ」

 

 にやにやと笑いながら答える香里。

 背筋を貫く悪寒が、背後より感じる氷点下の視線にある事を知りつつも、怖くて振り向く事ができない俺。

 ちなみに固まったままなので、栞の頭に手を置いたままだ。

 相変わらず栞は真っ赤な顔でもじもじ。幸せそうだ。

 

「妙に背筋がゾクゾクするんだが……」

「あらそう? 気のせいじゃない?」

 

 楽しげな香里。

 俺は怖くて未だ振り返る事ができない。

 

「祐一ぃ、あんたって人はぁ……」

 

 ううっ、真琴、俺はお前のそんな冷たい声を初めて聞いたよ。

 

「倉田先輩や川澄先輩だけじゃなく、栞ちゃんまでも……」

 

 ううっ、名雪、こないだのプールの事、しっかり根に持ってたのな。

 

 やきもちを焼いてもらえるのは、男として確かに嬉しくもあるが、この2人のそれは半端じゃない。

 俺はこのクーラーの効いた快適な環境と、2人のやきもちに身を晒される危険を天秤にかけてみる。

 ……1秒で結論は出た。

 

「じ、じゃあ俺はそろそろ失礼するよ! あでゅー!」

「あ、祐一さん」

「「こらぁー! 待ちなさい祐一ぃー!」」

 

 残念そうな栞と、捕まったら間違い無くヒドイ目に合わされそうな2人の声を尻目に、俺は美坂家から遁走したのであった。

 

 

 

「あぢぃ……」

 

 当面の危機は去った。

 だが暑い。

 暑いのである。

 

「サ店に行く金も無いしなぁ」

 

 北川はこの夏休みを利用して家族旅行とか言っていたし、それ以外にはまだ親しい友人もいない。

 

「いかん、くらくらしてきた」

 

 このままあても無くさまよい歩いても、行き倒れになってしまう。それくらい暑かった。

 何とかせねば。

 

 

 案1:暑いのを承知で水瀬家に帰る。

 確かに直射日光は凌げるが、風通しを考えた場合、まだ外の方がましと言える。

 却下。

 

 

 案2:金が無いのを承知でサ店に入る。

 俺はあゆのように食い逃げをするほど、人生を捨ててない。

 却下。

 

 

 案3:仕方が無いので美坂家に戻る

 ……俺はまだ死にたくない。

 却下。

 

 

「くそぅ、どうすれば」

 

 途方に暮れる俺。

 この際、室内で涼むのはあきらめ、室外でなるべく涼しい場所を探すことを優先しよう。

 

「とは言ってもなぁ」

 

 室外で涼しい場所となると……。

 そのとき、脳裏に天啓が!

 

「そうだっ、あそこなら!」

 

 

 

 

「ああ、涼しい……」

 

 やってきました噴水公園。

 吹き上がる噴水が何とも涼しげだ。

 縁に腰掛け、素足を噴水に浸す。

 お世辞にも格好いいとは言えないが、まぁ俺の他には誰もいないからいいだろう。

 

「ああ、極楽、極楽」

「相沢くん、ジジくさいわよ」

「うぉぅ!」

 

 突然の背後からの声に飛び上がる俺。

 振り返ると香里が呆れたような顔で立っていた。

 

「ほっとけ! で、どうしたんだ香里、こんなところで」

「これを買いに来たのよ」

 

 そう言って手に下げたペットボトルを見せる。

 どうやらジュースの買い置きが切れ、買いに出たらしい。

 

「相沢くんがとっとと逃げ出すから、大変だったんだから」

「どうかしたのか?」

 

 空々しく問い返してみる。

 

「名雪と真琴ちゃんが栞に絡むし、それで拗ねた栞は私に絡むし」

 

 その光景を想像し、思わずふき出す。

 きっと2人に絡まれた栞は

『そんなこと言う人、嫌いです!』

 と拗ねながら、香里に絡むのだろう。

『お姉ちゃんのせいだからね!』

 とか言いながら。

 

「くく、それで香里も逃げ出してきたというわけか」

 

 笑いをこらえながらそう問いかける俺を、軽く睨みながら、香里は頷いた。

 

「ははは、自業自得だ、散々煽ったのはお前だろ」

「ふぅ、そうね、失敗したわ。 ……よいしょっと」

 

 苦笑しながら、俺の隣に腰を下ろした。

 

 

「しかし、栞は本当に元気になったな」

 

 話題を変えた俺のその言葉に、遠い目をした香里が答える。

 

「そうね、本当にあなたのおかげね」

「そんな事はないだろう。一番の功労者はお前だよ」

 

 遠くを見ていた香里は、その言葉を聞くと、すっと視線を俺に向けた。

 その瞳に哀しげな色を見出し、俺は少し動揺した。

 そして香里の口から漏れた次の言葉は、彼女らしくなく歯切れの悪いものだった。

 

「本当に…… そう、思う?」

「あ、ああ」

 

 哀しげな視線に気おされるように、俺の返事も歯切れが悪いものになる。

 

「そう」

 

 それだけ言うと、香里は俺から視線を外し、また遠くを見る。

 暫くは2人とも無言で、ただ噴水の吹き出る水音と、蝉時雨を聞いていた。

 

 

 

「……たのよ」

「あん?」

 

 水音にかき消され、香里の呟きを聞き漏らす。

 

「何か言ったか?」

「……」

 

 暫くの逡巡の後、香里は意を決したように言う。

 

「私は、一度あの子を見捨てたのよ」

 

 その言葉に、俺は詰まる。

 確かにそうかもしれない、だが、結局最後まで見捨て続けることはできなかったのだ。

 

 

 自分には妹など居ない。

 

 そうやって辛い現実に背を向けることで、弱い自分を守っていた香里。

 だが、最後まで否定することはできなかった。

 自分を慕ってくれる妹を、自分の慕う大切な妹を否定しつづける事など、できなかったのだ。

 俺は、その旨を香里に伝える。

 なるべく素っ気無く、当たり前のことを当たり前に言うように。

 だが彼女は頑なだった。

 

「でもね、それでも私があの子を否定した事実は消えないのよ」

 

 妹の、栞のことを大切に思えば思うほど、一度でもその存在を否定してしまった自分が許せないのだろう。

 まったく潔癖で、そのくせ誰よりも優しい香里らしい。そしてだからこそ、その苦悩は深いのだ。

 

 ふぅ。

 

 ため息を一つつき、笑みすら浮かべて彼女は言った。

 

 

 

「家族って何なのかしらね?」

 

 

「……!」

 

 一瞬、暑さも水音も蝉時雨も、全てが遠のく。

 

「栞は私の大切な家族。だけど私はあの子を一度否定した」

 

 香里の声には自嘲の色は無かった。

 ただ、本当に疑問なことを口に出しているだけのようであった。

 

「家族になるって、 家族で居続けるって、 どういう事なのかしら?」

 

 それは、俺への問いかけではなく、独白に近かっただろう。

 俺は、動揺した。

 その言葉それ自体にではなく、明確な解答を見出せない自分に動揺した。

 

 

 

 水瀬家。

 名雪と秋子さんは母と娘。

 俺と秋子さんは甥と叔母。

 俺と名雪は従兄妹。

 それだけ。

 血の繋がりといえばそれだけだ。

 

 だが、今の俺は自信を持って言える。

 俺たち4人は、本当の家族だ。

 俺と真琴と名雪は、秋子さんの子供だし、真琴と名雪は俺の大切な兄妹だ。

 血の繋がりなんて関係無く。

 

 香里と栞にしたってそうだ。

 誰が見ても、そして何より本人たちがそう思っている通り、紛れもない姉妹、紛れもない家族。

 

 それでも香里は言う。

 

 

 

『家族になるとは何か? 家族で居続けるとはどういうことか?』

 

 

 

 そして俺はそれに明確な答えを出す事ができない。

 それは本当に単純で、でもだからこそ難問だった。

 

 俺と香里は、そのとてつもなく重い問いに、押しつぶされるように。

 どちらも声を発する事すらできなかった。

 

 

 できなかったのだ。

 

 

 

<つづく>

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