家族

Another Story

−同心円−

<本当は……>

1999/12/09 久慈光樹


 

 

 

 気がつくと、真琴が手伝いをしていた保育所の前に来ていた。

 ぼんやりと歩いていたために偶然たどり着いてしまったらしい。

 よく車道に出て車にはねられなかったものだ。

 わたしは内心苦笑しながら、立ち止まって保育所の庭をぼんやりと眺めていた。

 懐かしい、わたしも小さい頃にかよった保育所だ。

 もう園児たちの姿は無かった。

 

 

「お先に失礼しまーす」

 

 保育所の中から、そう声が聞こえて思わずそちらを見る。

 ちょうど帰るところだったのだろう、その声を発した女の人と目が合った。

 

「あれ? 保育所に何かご用?」

「あ、いえ。ちょっと懐かしいなーって思って……」

「そうなんだ」

 

 わたし私よりも3、4歳年上だろうか。

 ちょっとお母さんと似た感じのする優しそうな人だった。

 

「わたしもこの保育所にかよってたんです」

「へー、ここ結構古い保育所だもんね、えーと……」

「あっ、わたし水瀬名雪といいます」

「名雪ちゃんだね、私は長森瑞佳っていうの。この保育所で保母さんをやってます」

 

 家の方向が偶然一緒だったこともあり、途中まで一緒に帰ることになった。

 長森さんは最近この町に引っ越してきたらしい。初対面だったが、その優しそうな外見通り気さくでいい人みたいだ。

 

 

 道すがら、長森さんは色々な事を話してくれた。

 前にいた町のこと。

 高校時代のこと。

 そして幼馴染のこと……。

 

 

「その幼馴染の人は今どうしてるんですか?」

 

 わたし私が何気なく聞いたその言葉に、長森さんの表情が一瞬暗くなる。

 聞いてはいけないことだっただろうか?

 でもすぐに普段通りであろう明るい笑みを浮かべて答えてくれる。

 

「この間、結婚しましたってハガキが来たよ」

「え?」

「高校時代からね、付き合ってる相手がいたんだよ、その人とついに結婚にこぎつけたみたい」

 

 明るくそう答える長森さんからは、先ほど一瞬だけ見せた暗い表情を感じ取ることはできなかった。

 

「名雪ちゃんは幼馴染っている?」

「……はい、います」

「そっか、で? 名雪ちゃんの幼馴染ってどんな人?」

 

 長森さんがさっきのお返しとばかりにそう聞いてきた。瞳にちょっぴり悪戯っぽい光が浮かんでいる。

 

「ええと、祐一っていうんですけど凄く意地っ張りで、ひねくれ者で、意地悪ばかりして……」

「うふふ」

「?」

「あ、ごめんね、なんか話を聞いてると良く似てるなーって。はい、続けて続けて」

「?? はい、祐一は…… 意地っ張りで、ひねくれもので……ってさっき言いましたっけ。でもでもとっても優しくて、寂しがり屋で……」

「……」

「……」

 

 そこで一旦言葉が途切れた。

 でも長森さんは、先を急かすことなく静かに耳を傾けてくれる。

 

「……最近、家族の一人が家を出ていってしまったんです。わたしは凄く落ち込んで、もしかしたらもう二度と帰ってこないんじゃないかって……」

 

 いくら気が合ったとはいえ、初対面の人にこんなことまで話している自分が不思議だった。長森さんも、いつのまにか真剣な表情で話を聞いてくれている。

 

「でも祐一はそんなわたしを元気づけてくれて…… 祐一ってとっても強い人なんだなって思ってたんです」

「今でも、そう思ってる?」

 

 その問いかけに、わたしはふるふると首を振った。長森さんは何故かわたしが否定することを知っていてわざと聞いたような気がした。

 

「少し前に自分の考えを話してくれました。祐一は自分をずっと責めていた。真琴が…… 家を出た子のことです、真琴が帰ってこなくて、そのことで自分が傷つくのが一番怖かったって。真琴が帰って来ないこと自体よりも、そのことのほうが怖い、弱い人間なんだって話してくれたんです」

 

 保育所の手伝いをしていたから、長森さんも真琴のことは知っているだろう。でもそのことについて深く詮索はしなかった。その心遣いが今のわたしには嬉しい。

 

「正直、少しショックでした。わたしは祐一について何でも知っているつもりだったから。自分の知らない祐一を知ったことが、ショックだったんです」

「……」

「でもそれ以上にショックだったのは…… わたしは…… 本当に真琴に帰ってきてほしいって…… 本当にそう思ってるのかなって…… 大切な…… 本当に大切な妹のはずなのに……」

 

 長森さんはわたしのその言葉を聞くと、その場に立ち止まって目を閉じた。

 怪訝に思ったわたしも同じように立ち止まると、彼女の様子をうかがった。じっと目を閉じ、微かに眉根を寄せて断ち尽くす姿は、まるで何かに耐えているようにも見えた。

 やがてゆっくりと目を開いた長森さんは、凄く真剣な表情でわたしを見据え、ゆっくりとした口調で話しかけてきた。

 

「名雪ちゃんは祐一君のことが好きなんだね」

「え?」

「本当に名雪ちゃんは祐一君の事が好きだから、だから本当は真琴ちゃんに帰ってきてほしくないと思ってる。違う?」

 

 長森さんの口調は穏やかで、決してわたしを責めている様子は無かった。

 でもわたしは、その言葉を聞いて心臓が止まったようなショックを味わった。

 気がつくとわたしは自分でも知らないうちに叫んでいた。

 

「そんなこと無い! そんなこと無いよ! だって…… だってわたしは真琴のお姉さんだもの! それに…… それに祐一はただの幼馴染だもの! そんな…… そんなこと……」

 

 立ち止まって叫ぶわたしを他の通行人がいかぶしげに見ている。でもそんなことは気にならなかった。

 長森さんが言った台詞は、昨日からわたし自身感じていたことと同じだったのかもしれない。でもわたしはそのことを認めたくなかった。

 

 認めてしまったら。

 

 わたしの中にあるこの気持ちが、祐一へのこの気持ちが、幼馴染に対するものだけではないことを認めてしまったら……。

 わたしが…… 真琴の帰りを本当は望んでいないんじゃないかという事を、認めることになってしまいそうで……。

 だから、わたしと祐一は幼馴染なんだって、ただの幼馴染なんだって思い込もうとしているんだ。

 

 長森さんはそんなわたしを、じっと見つめていた。

 その瞳には色んな感情が交じり合って浮かんでいるように感じられた、哀れみ、悔恨、嫉妬そして羨望。

 

「酷いこと言ってごめんね、名雪ちゃん。でもね、人を好きになるって事は奇麗事だけじゃ済まされない」

「好きになった相手が、自分以外の人を好きになってしまう。これも誰にも止められないこと。そしてその相手を自分が疎ましく思ってしまう事も」

 

「……長森さん」

「なに?」

「幼馴染って…… 不思議ですよね」

「え?」

「小さい頃は、その人のことが何でも分かって、誰よりもその人のことを理解でいていたはずなのに。気がつくと二人とももう子供じゃなくって…… 相手に知られたくない想いが沢山できて…… 子供の頃は、そんなこと考えたこともなかったのに」

 

 

「……同心円だね」

「え?」

「私の大好きな作家さんの書いたエッセイにね、幼馴染は同心円上に隣接するふたつの点みたいだっていうフレーズがあるの」

「同心円……」

「その二つの点は手が触れ合うほど近くに隣接してる、でも同心円を逆からたどればそれは最も離れているという風に取ることもできるわけでしょ?」

「そう……ですね」

 

 同心円上の二つの点。

 すごくぴったりな例えだと思った。

 一番近くて、でも一番遠い。そんな存在。

 

 同心円上の背中あわせ。

 背と背で肌を触れあいながら、その瞳は違う方向を向いている。いつでも振り返ることができるのに、それがあまりに当たり前すぎて、それをしない。

 近すぎて、互いが見えない。

 離れてみて初めて、ようやく相手の姿が見える。

 

 正にわたしと祐一の関係そのものだ。

 

 いや、そのものだった。

 

 わたしと祐一も同心円上に背中あわせで立っていたのだろう。

 そのことがあまりにも当たり前すぎて、それがどんなに幸せだったか分からなかった。

 

 でももう点は離れてしまった。

 祐一には待っている人がいる。

 

 真琴

 わたし達のかけがえのない家族。

 わたしのかけがえのない妹。

 そして祐一の待ちつづける人。

 

 

 もうわたしが振り向いても、祐一はずっと遠いところにいるんだ。

 そして祐一が振り向いてくれることはない。

 

 

 もう認めよう。

 わたしは本当は祐一のことが好きだったんだ。

 ずっと、ずっと前から好きだったんだ。

 

 そしてわたしは、真琴に嫉妬してる。

 わたしから祐一を奪っていったと思っている。

 真琴のことを妹として大切に思う気持ちとは別に。

 真琴のことを疎ましく思う自分がいる。

 

 本当は。

 本当はずっと前から気付いていたのかもしれない。

 わたしの祐一に対する気持ちが、幼馴染に対するものだけではないことに。

 気付いていてなお、わたしは振りかえることをしなかった。

 いや、できなかった。

 怖かったんだ。

 きっとわたし達の立つ同心円は酷く脆いものでできていて、ちょっとしたことで同心円たりえなくなってしまうものだったんだ。

 そうなってしまえば背中あわせで立つことすらできなくなる。

 そうなることが怖くて振りかえることができなかった。

 

 

「気付いたときにはいつだって遅すぎるんだよ」

 

 長森さんがそう呟いた。

 その言葉はわたしに対してというより、自分自身に向けたもののように感じられた。

 長森さんにも幼馴染がいた。

 きっと今のわたしと同じだったのだろう。離れてみて初めて自分の気持ちに気付いてしまったに違いない。

 

 長森さんは一体どんな心境で幼馴染の結婚の知らせを受け取ったのだろう。

 

「長森さんは……」

 

 言いかけてやめる。

 決して他人が聞いてはいけないことだ。

 

「名雪ちゃんの聞きたいことは分かるつもりだよ。あの人の結婚を知ってどう思ったか、でしょ?」

「いえ、いいんです」

「ううん、聞いて。 確かにね、ショックじゃなかったと言えば嘘になるけど、それ以上にもうあの人とは幼馴染ですら無くなってしまった気がしたことの方がショックだった」

「え?」

 

「結局、私は逃げていただけなんだよ」

 

 長森さんはそう言うと寂しそうに視線を落とした。

 

「高校を卒業して、私はあの人の住む街を離れ東京の大学に進学した。あの人の隣にいるのが私じゃないことに耐えられなかったの。一度逃げ出してしまうと、後はもう逃げつづけるしかなかった。そして私とあの人は幼馴染ですら無くなってしまった」

 

 そこで一旦言葉を切り、わたしに視線を戻すと、晴々としたような笑顔で言葉を続ける。

 

 晴々として、それでいてどこか痛みを伴った笑顔だった。

 

「名雪ちゃん。あなたは逃げないでね」

「わたしは……」

「好きになった人が、自分を見てくれないのはとても辛いことだよ、ましてやずっと一緒にいた人なら余計にね。でもそこで逃げてしまったら、ずっと後悔することになる。今の…… 私みたいに」

「長森さん……」

「大丈夫。名雪ちゃんならきっと大丈夫。だって好きなんでしょ? 祐一君のことも、真琴ちゃんのことも」

 

 長森さんのその言葉は、何の根拠も無いものだったけれど、わたしは不思議と心が軽くなっていくのを感じていた。

 

 そうだ、わたしは祐一も、真琴も大好きなんだ。

 

 幼馴染から一歩を踏み出せなかったわたしと祐一。

 その一歩を踏み出す機会は永遠に失われてしまったけれど。

 それでもわたしは祐一の側に居たかった。

 祐一と、真琴と、お母さんの側に居たかった。

 

 

 今はまだ、それは痛みを伴う選択かもしれないけれど。

 時が経てば。

 時が経てばきっとわたしのこの想いも家族に対する親愛に昇華することができる。

 そんな気がした。

 

 

 

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