家族

−真琴のダイエット騒動−

そのに

1999/10/12 久慈光樹


 

 

 

 次の日、学校から帰ってきた俺は、自分の部屋で真琴たちの帰りを待っていた。

 今日も暑い、絶好のプール日和って感じだ。

 

「「ただいまーっ」」

 お、どうやら二人とも帰ってきたみたいだな。

 

どたどたどた……

 

 あの騒がしいのは真琴か。

 大急ぎで階段を駆け登ってくる。

 

「祐一っ、見て見て!」

「ったく、騒々しいやつだな」

「ほら見てーっ、ジャジャ−ン!」

 

 そう言って嬉しそうに買ってきた水着を見せる。

 淡いグリーンのワンピースだ。

 

「どう? せくしーでしょ」

ダメだな」

「なによぅっ、何がダメなのよぅっ!」

「もっとこう、ビキニのきわどい奴とか、ハイレグのおもいっきり食いこんだ奴とか……」

「そ、そんなの恥ずかしくて着れるわけないじゃないのよぅっ!」

 

 ゆでだこのように真っ赤になって反論することでもないと思うが。

 

「何を言う、大人の女性ならそういう水着を着るもんなんだぞ」

「そ、そうなの?」

「まあ真琴にはそのあたりが妥当だな」

「あぅーっ、なんかすごく馬鹿にされてる気がする」

「はっはっは、気にするな」

「気にするわよぅっ! もういい!

 

どたたたた

 

 入ってきたのと同じ勢いで部屋を飛び出していく真琴。

 まったく騒がしいやつだ。

 

「あれ? 真琴どうしたの?」

 

 入れ替わりに名雪が部屋に入ってくる。

 

「急に走り出したくなったんじゃないのか」

「もう、あんまり真琴をいじめたらダメだよ」

「名雪も水着買ったのか?」

「うん、わたしも思いきって新調しちゃった」

 

 そう言えば名雪の水着姿ってのも見たことないな。

 

「見せてみろよ」

「ダメだよ、どうせ変なこと言うつもりでしょ、きわどいやつじゃなきゃダメだ、とか」

 

 見透かされてるし。

 

「きわどい水着は男のロマンだ」

バカばっかり言ってないで、真琴の水着、ちゃんと誉めてあげないとダメだよ」

「どうして」

「真琴、祐一に水着見せるのすごく楽しみにしてたんだから」

「へいへい」

「ほら、早くプール行こうよ」

 

 

 

 夏休み前とはいえ、市民プールは結構な人の入りだ。

 

「うわぁ、結構人が多いね」

「まあこの暑さだ、仕方ないさ」

「あぅーっ、暑い。早く泳ご、泳ご」

 

 ようやく機嫌の直ったらしい真琴が、待ちきれないといった様子で俺達を急かす。

 分かったからTシャツの裾を引っ張るのはやめてくれ。のびるから。

 まったくガキだな。

 

 

「じゃあ後でね」

「おう」

 

 男の着替えなんて早いもんだ。

 ぱぱっと脱いでぱぱっと着るだけだもんな。

 どうせあいつらは時間がかかるに違いない。

 先に泳いでいようか、と考えていたとき、人ごみから声を掛けられた。

 

「あー、祐一さんだー」

「……」

 

 やたらと元気な声と、相変わらずの無表情。

 言うまでもなく、佐祐理さんと舞だ。

 

「おす、久しぶり」

「お久しぶりです祐一さん」

「……久しぶり」

「今日は大学は休みなのか?」

「はい、舞と二人で泳ぎに来たんですよー」

 

 今年の春からこの二人は近くの大学に通っている。

 結構レベルの高い大学で、佐祐理さんはともかく舞も結構頭が良かったんだな、と俺は感心したものだ。

 

「へぇ、いいなぁ大学生は」

「……そんなことない」

 

「いやしかし、それにしても……」

 

 俺は二人の水着姿をじっくりと観察する。

 実はさっきから気になってしまって、会話も上の空だったのだ。

 

 佐祐理さんはなんとブルーのビキニだ! パレオ、というのだろうか、腰に巻かれた花柄の布が微妙に腰のラインを隠しているところがまたたまらん!

 佐祐理さんは意外とスタイルがいいため、ビキニがすごくよく似合っている。

 

 そしてスタイルがいいといえば舞だ! 水着は普通のワンピースだが、その水着を挑発的に押し上げる胸! そして水着の色は白! やはり白の水着は男心を微妙にくすぐるものを持っているな。

 くぅぅぅ。男に生まれてよかったー!

 

ズビシ!

 

「ぐぉ!」

 

 舞のマジ突っ込みがチョップとなって俺の顔面に炸裂した。

 

「あらら、どうしたの舞」

「祐一、目がいやらしい」

 

 くぅぅ、マジ痛ぇ。

 しかしこの程度の被害で二人の水着姿をじっくり観察できたのだからよしとしよう。

 

「祐一さんも一緒に泳ぎませんかー?」

「……」

 

 佐祐理さんが朗らかにそう言ってくれる、舞もそうしてほしいという期待を込めた目(気のせいかもしれないけど)で俺を見ている。

 うーん、そうしたいのは山々なんだけど、真琴のやつがなぁ……。

 

「ごめん。連れがいるんだけど、そいつ野生動物のように人見知りするやつでさ、悪いんだけど又の機会に誘ってくれないかな」

「そうですかー、残念です」

「残念……」

「悪いね」

「じゃあ今度一緒にまたプールに来ましょうね、三人で」

「おう、いつでも声かけてくれよ」

「泳ぐのは嫌いじゃない」

「それでは祐一さん、ごきげんよう」

「さよなら祐一」

「二人ともまたな」

 

 うーん、惜しかったな。俺もこぶ付きじゃなけりゃあの二人と一緒に遊べたんだけど。

 

「じゃあ舞、私達はもう少し泳いで来ようか」

「はちみつくまさん」

 

 そんなことを話しながら、プールへと歩いていく佐祐理さんと舞。

 

 うーん、あの後姿がまた何とも……。

 

ドゲシッ!

 

「ぐはっ、何奴!

 

 突然の背中への衝撃に、思わず時代がかった言い回しになってしまう俺。

 振り向くと、片足立ちになった(俺に飛びげりをくれたらしい)不機嫌そうな真琴と、その後ろで同じように不機嫌そうな顔をしている名雪がいた。

 二人してまるで汚いものを見るかのような氷点下の視線を俺に送ってきやがる。

 その二対の視線にややびびりながらも抗議する俺。

 

「な、何すんだ、真琴!」

「ふん、でれでれしちゃってさ、この“せくはら王”!

「な、なんですと?」

「祐一はせくはら王だって言ってんのよぅっ!」

「何を言うか。健康な男ならば当たり前の反応だ!」

「そ、そうなの?」

「真琴、騙されたらダメだよ。祐一は昔からスケベだったんだから」

「な、名雪、お前まで……」

「ふんだ、名雪おねーちゃん。こんなせくはら王ほっといて泳ごうよ」

 

 そう言い捨てると、真琴は一人でプールに向かって走っていってしまった。

 俺はその後に続こうとした名雪を慌てて呼びとめる。

 

「お、おい名雪。二人とも何怒ってんだよ」

「自分の胸に手を当てて、よーく考えてみれば?」

 

 相変わらず不機嫌な名雪。

 く、しかしここで引き下がっては男がすたる。

 

「お、俺はただ卒業した先輩達と偶然会ったから話をしてただけだぜ」

「どうせそんなこと言ってエッチなこと考えてたくせに」

 

 さすが、7年のブランクがあるとはいえ幼馴染だ。

 どうやら俺の心(主に下心)は名雪には筒抜けらしい。

 だが、スタイルのいい女性の体に目が行ってしまうのは、男の本能だ。

 

 などとつらつらと考えていると、ふと名雪の格好に目が行った。

 当然、名雪も水着姿だ。水着は淡いピンクと白のストライプ。ワンピースだったが、肩紐のないタイプだ。

 このタイプの水着はスタイルが良くないと似合わないものだが、なかなかどうして、名雪に良く似合っている。

 名雪の水着姿って始めて見たけど、こいつ結構スタイルがいいんだな。

 

「な、何よ」

 

 俺の視線に気がついたのだろう。名雪が顔がうっすらと赤く染めながらも、不機嫌そうな口調を作って問い掛けてきた。

 

「その水着よく似合ってるぜ」

 

 俺がそう言った瞬間、瞬間湯沸し機のように真っ赤になる名雪。

 ボッ! という擬音が聞こえてきそうだ。

 

「そ、そんなこと言って、ご、誤魔化そうとしたって、だ、ダ、ダメなんだから」

 

 名雪、どもりすぎ。

 

「いや、名雪とは長い付き合いだけど、考えてみれば名雪の水着姿って始めて見たよな」

「そ、そうだっけ」

「おう、思った以上に水着が似合ってるんでびっくりしたんだ」

「……」

 

 ますます赤くなる名雪。

 かく言う俺も、今更ながら自分の言葉に恥ずかしくなって赤面していた。

 

「ま、まあその、泳ぎに行くか、名雪。あ、あははは」

「そ、そうだね、泳ごうか、祐一。あ、あははは」

 

 二人してぎこちなく笑い合う。

 そんな俺達を待ちくたびれたのだろう、相変わらず不機嫌そうな真琴が戻ってきた。

 

「二人とも何笑ってんのよぅ」

「あ、ま、真琴。わ、わたしちょっと更衣室に忘れ物してきちゃったから、取ってくるね」

 

 相変わらず赤い顔をした名雪は、そう言い残すと普段からは考えられないようなスピードで一目散に更衣室に飛びこんでいった。

 

「ちょっと祐一! 名雪おねーちゃんどうしたのよぅっ」

「い、いや別に」

「また祐一がせくはらしたんじゃないのぉ?」

「ばか、違う」

 

 相変わらず不機嫌な真琴に俺は内心ため息をついたが、ふと出かける前の名雪の言葉を思い出した。

 

 

    真琴、祐一に水着見せるのすごく楽しみにしてたんだから

 

 

 真琴は出かける前に俺に見せた水着を身にまとっている。

 まだまだ幼児体型で、こいつが言うように“せくしー”とはいかなかったが、これはこれで真琴に良く似合っている。まあ、かわいいと言えなくもないこともないような気がすることもやぶさかではない。(?)

 

 う、ダメだ、なんかまた顔が火照ってきたような気がする。

 

「な、何よぅ」

「うー、いや、その……」

「だから、何なのよう」

「そ、その水着な……」

「水着がどうしたのよぅ」

「よ、よ、よ」

「よ?」

 

 名雪の時には意識してなかったから、すんなりと“良く似合ってる”と口にできたのだが、一旦意識してしまうとこれがまた照れくさい。

 

「『よ』がどうしたのよぅ」

「よ、よ、寄り切り

「はい?」

 

 ぐっ、だめだ、何を口走ってんだ俺!

 変に意識するからダメなんだ、こんな時はさらっと言ってしまったほうがいいんだ。

 

「えーとだな、その、よ、良く似合ってると思うぜ」

「え? 祐一、今なんて言ったの」

「ば、ばか、何度も言わせんな。み、水着が良く似合ってるって言ったんだよ!」

「ほんと?」

「お、おう」

 

 初めはきょとんとしていた真琴だったが、俺がどもりながらも繰り返すと、今までのぶっちょう面が嘘のような満面の笑みを浮かべた、かと思うと今度は真っ赤になってもじもじし始める。

 まったく器用なやつだ。

 

「あーーーーうーーーーっ」

「な、何もじもじしてんだよ、気持ちの悪いやつだな」

「だ、だってー。あーーうーーっ」

 

 相変わらず真っ赤な顔であうあう言ってる真琴を見て、俺は早急に話題を変える必要性を感じた。

 

「そ、それより真琴。名雪のやつ遅いな、お前ちょっと見てこいよ」

 

「あーーうーーっ」

 

 もじもじ

 

「おーい真琴さーん」

 

「あーーうーーっ。恥ずかしいよ祐一ぃ」

 

 もじもじ

 

「『良く似合うよ』だなんてぇ。えへへへ……」

 

 もじもじ

 

「そんなほんとのことー。えへへへ……」

 

 もじもじ

 

「いくら真琴の水着姿がせくしーだからってぇ…えへ…えへへへ……」

 

 もじもじ

 

 

 ……このままあっちの世界に行ってしまった真琴を見てるのもなかなか面白いが、いいかげん俺も周囲の視線に耐えられなくなってきた。

 

「……幼児体型(ぼそっ)」

「誰が幼児体型かぁ!!」

 

 

ドゲシッ!

 

手がぶれて見えるほどの連打をくらってマット(?)に崩れ落ちる俺。

 

「ぐふっ…… し、○ョットガン。なんかどんどんマニアックに……」

 

 

 

 その後、戻ってきた名雪と、こちらも違う意味で“戻ってきた”真琴と一緒に泳ぐために、俺達はプールの縁まで移動した。

 

「それで真琴。お前勢い勇んでプールに来たはいいが、そもそも泳げんのか?」

 

 俺のその言葉を聞いた真琴ばかりか、名雪までもが顔を引きつらせる。

 お前もか!

 

「ば、バカにしないでよぅっ! 泳げるに決まってるでしょう!」

「あ、あたりまえだよ祐一。泳げるに決まってるでしょ!」

 

 めっちゃ動揺してるし。

 

「よし、じゃあ少し人ごみも収まってきたし、三人で飛び込みでもするか」

「「の、望むところよぅっ(だよ)!」」

「よーし、じゃあいくぞ。いち、にの、さん!!」

 

 ばしゃーーん

 ビターーーン

 

 プカーーーー

 

 ちなみに今の“ばしゃーーん”は俺が飛び込んだ音。“ビターーーン”は多分、名雪と真琴が飛び込んで腹を打った音。最後の“プカーーーー”は、仲良く二人でどざえもんのように水面に浮かんでいる音だ。

 

 ……って、全然だめじゃねえか!!

 

 

「お前らなぁ、泳げもしないくせに水泳でダイエットなんてしようとするか普通?」

「あはは……」

「あぅーっ」

 

 ったくしょうがねぇなあ。

 真琴は言うに及ばず、名雪も雪国育ちだからな。泳げないのも無理はないか。

 

「よし分かった! 今日は一日俺がみっちりと泳ぎを教えてやる」

「わっ♪ ほんと、祐一!」

「ふ、ふんだ、偉そうなこと言って祐一はちゃんと泳げるの?」

「少なくともお前よりは泳げると思うぞ、真琴」

「そうだよ、ちゃんと教えてもらおうよ。ね、真琴」

「分かったわよぅ」

 

 

 こうして俺は二人に泳ぎを教えることになった。

 

 名雪は普段はスローリーだが、さすがに運動をやっていただけのことはあり、夕方にはどうにか“泳げる”というレベルまで持っていくことができた。どうもこいつはただ単に泳ぐ機会が少なかっただけのようだ。

 

 

 だが、問題はこいつだ。

 

ばしゃばしゃばしゃ。

ばしゃばしゃばしゃ。

ばしゃばしゃばしゃ。

 

 盛大に水飛沫が上がっているが、肝心の真琴は見ているこっちが哀れになるくらい前に進んでいない。

 泳いでいるというよりは、溺れているといったほうが正しいな、ありゃ。

 

ばしゃばしゃばしゃ。

ばしゃばしゃ……・

 

「けほっ、けほっ、けほっ。あぅーっ」

 

「よし、真琴、もうお前に教えることは何もない

「何でそうなるのよぅっ!」

「何でと言われてもお前……」

「教えるって言ったんだから最後まで責任持ちなさいよぅっ!」

「そうは言ってもなぁ……」

 

 はっきり言って一日や二日でどうにかなるようなレベルじゃないぞ、この泳げなさは。

 

「また今度教えてやるから、今日はもう帰ろうぜ」

「あぅーっ、今度っていつよぅ」

「そうだ、真琴。来週の土曜日も祐一に泳ぎ教えてもらいなよ」

「あぅーっ、そうする」

「げっ! 何言ってんだよ。何で俺が……」

「いいじゃないのよぅ」

 

「祐一もほんとは真琴と一緒に居たいくせに」

 

「「……(真っ赤)」」

 

 ……くっ、名雪のやつ、恩をあだで返しやがって。

 

 なんか今日も俺が一番疲れたような気がする……。

 

 

 

「ただいまー」×3

「お帰りなさい、ご飯出来てますよ」

 

 家に帰ってきた俺達を、秋子さんが笑顔で迎えてくれる。

 俺達はそれぞれ手を洗った後、食卓についた。

 

 今日の晩御飯も、昨日と同じく野菜主体のメニューだった、肉がないのも昨日と一緒だ

 

「あのね、真琴。とっても言い難いことなんだけど」

 

 晩御飯を食べ終えた後、何やら秋子さんがすまなそうに真琴に話し掛けた。

 

 ん? なんか、昨日もこんな展開があったような……。

 

「これ、お隣の奥様からいただいちゃったのよ」

「わぁ、シュークリームだぁ♪」

 

 名雪又もや目が怖い。

 

「あーーうーーーっ」

 

 二日連続とは……。

 まったくもって、ついてないな。

 

「あーーーうーーーっ。 真琴いらない!

 

 どうやら今回も甘いものへの欲望を断ち切ったご様子。

 

「あっ! じゃあまた真琴の分食べていいかな? いいよね? いいよね? ありがとー。あっ! どうせ祐一も食べないんだよね、食べていい? いいよね? ありがとーー」

 

 キュピーン

 

「……」

 

 またもや、擬音つきで目を光らせて俺を威嚇する(?)真琴に屈した俺のシュークリームは名雪の胃袋に消えたのだった……。

 

 

 

 夕食を終えた俺は、風呂に入ると部屋に戻った。

 ふぁーあ、水泳って結構疲れるるよな。

 何か昨日から、俺が一番疲れてるような気がするのは気のせいだろうか。

 

「祐一ぃー、起きてるー?」

 

 ドアの向こうから、真琴の呼ぶ声が聞こえる。

 

「何だー?」

「入るよー」

「ってもう入ってきてるじゃねぇか。まぁいいや。どうした?」

「一緒にマンガよもー」

「なんだまたか」

「いーじゃないのよぅ」

「はいはい。で、また少女マンガか?」

「そう」

「で、俺がまた朗読するのか?」

「そう。今回はオーベ○シュタインの声でね」

「って、塩沢兼人か。またマニアックな……」

「何がマニアックなのよぅ。祐一にはあの渋さが分からないの!?」

「わかったわかった。じゃあ隣座れよ、ほら」

「うん」

 

 そう言って嬉しそうに隣に座った真琴だったが、俺の右拳を見て動きをとめる。

 

「どうした?」

「ねえ祐一、その傷……」

「ああ、これか」

 

 俺の右拳に何本か白く傷が残っている。

 

 俺の弱さの証明。

 

 そして俺達が家族であることの証。

 

 だが、真琴にはこのことは話したくなかった。真琴が居ない間のことは話したくなかった。

 もう済んだことだ、余計な心配をかけさせることもない。

 

「ちょっと前にな、不注意でガラスで切っちまったんだよ」

「だ、大丈夫?痛くない?」

 

 心配そうに問い掛けてくる真琴の頭を、優しくなでてやる。

 

「大丈夫だよ。ありがとな、心配してくれて」

「ま、まったくいつもボケーッとしてるからよ!」

 

 照れ隠しのつもりか、不機嫌そうに憎まれ口をきく真琴の頭を、俺はずっとなでつづけた。

 

「あぅーっ、もういいから早く本読んでよぅ」

「おお、そうだったな。銀河万丈の声で読むんだっけ?」

「違う!」

「いいじゃないか、『我は皇帝サ○ザー』とか言って……」

「祐一、マニアックすぎ」

 

 分かるほうもどうかと思うが。

 

 

 俺はマンガを読み終えたが、真琴は自分の部屋に戻ろうとしなかった。

 

「ほら、いくら明日は保育所が休みでも、そろそろ寝たほうがいいんじゃないか? 朝ご飯には容赦無くたたき起こすぞ」

「あぅーっ」

 

 何か言いたいことがあるのに、それを言いにくそうにしている真琴。

 

「どうした?」

「あぅーっ、祐一、い、一緒に寝てもいい?」

 

 真琴のその言葉に、ちょっぴりドキリとした俺だったが、すぐに平静を取り戻す。

 別にこいつは深い意味があって言ってるわけじゃない。ただ単純に一緒に寝たいだけに違いない。

 

「なんだ、またかよ」

「ダメ?」

「いや、別にダメってわけでもないが」

「じゃあ決まり」

「しっかしお前も成長してねえな。前だって『ぴろが一緒に寝たいって』とか言いながら……」

 

 俺はここまで言って、『しまった』と思った。

 ぴろの名を聞いた真琴の顔が悲しみに翳る。

 

 ちっ、俺はなんてバカなんだ。

 よりによって真琴にぴろの事を思い出させるようなことを言っちまうなんて……。

 

「悪い……」

「ううん! 真琴別に気にしてないよ! さあ、寝ようかな」

 

 そう言って俺のベットにもぐり込む真琴。

 無理に浮かべた笑顔が痛々しかった。

 

 俺は電気を消してその隣に横になりながら、話題を変えようと真琴に話しかけた。

 

「なあ真琴」

「何?」

「まだダイエットなんて続けんのかよ」

「当たり前じゃないのよぅ」

「無理にやせることなんてないと思うぜ、今だって別に太ってるわけじゃないだろうに」

「でも、真琴早く大人になりたいんだもん……」

 

 ダイエットすることと大人になることが、どう繋がるのか分からない。

 だが多分、こいつの頭の中では。

 

 大人の女性はスタイルがいい → 自分はスタイルがよくない → スタイルをよくするにはダイエット

 

 という恐ろしく短絡的な三段論法(?)が成り立っているに違いない。

 

「真琴は真琴だろ。無理に大人になることなんてないさ」

「あぅーっ」

「いいじゃないか、別に胸が洗濯板だって」

「そんなこと言うのはこの口かー」

 

むにー

 

「ひてて、ひゃめりょ、きゅちをひぃぱりゅなー」

「ふんだ! 明日から真琴のダイエットにずっと付き合うのよぅ。わかった!」

「わひゃった、わひゃったからひゃなせー」

「ならばよし」

 

 満足そうにうんうんとうなずきながら、手を離す真琴。いてて、口が裂けたらどうすんだ。

 

「明日も朝から水泳に行くわよぅ」

「へいへい、分かりましたよ」

 

 まったく、こいつも一度言い出したらてこでも動かないからな。

 仕方がない、ここは観念してこいつの気が済むまで付き合ってやることにするか。

 

「ダイエットプログラム最後の一つ“継続は力なり”よ!」

 

 そりゃただの標語じゃねぇか。

 

「さあ、そうと決まればさっさと寝るわよぅ」

「おう、おやすみ、真琴」

「おやすみ、祐一」

 

 

 こうして俺達は一つのベットで眠りについたのだった。

 

 

 

<つづく>

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