家族

−真琴のダイエット騒動−

そのいち

1999/10/12 久慈光樹


 

 

 

「あぅーっ!! に、にきろ〜〜〜!!」

 

 その情けない声は、夕飯を終えて部屋へと引っ込んだ俺にまで聞こえてきた。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 あの声は真琴か?

 読みかけの雑誌を枕元に放り投げ、慌てて部屋から飛び出す。

 どうやら風呂場から聞こえたみたいだ。

 

 俺が部屋を出ると、驚いた顔をして自分の部屋から飛び出してきたらしい名雪と鉢合わせた。

 

「あ、祐一。何? あの声」

「俺が知るか。でも風呂場からみたいだったな。真琴か?」

「うん、確か今は真琴がお風呂に入っていたと思ったんだけど」

 

 そうこうするうちに風呂場へとたどり着いた。

 

「おい、どうしたんだ? 真琴」

 

 俺が風呂場へとたどり着いたとき、真琴は茫然自失と言った体でだらしなく床にへたり込んでいた。

 ちなみに体にはしっかりとバスタオルが巻かれている。

 ……別に変なこと期待してたわけじゃないぞ。

 

「にきろ、にきろ……」

 

 ぶつぶつと目線を空に漂わせながらつぶやいている。

 どうでもいいけど怖いぞおい。

 

「おい、真琴。どうしたんだ? “にきろ”って何のことだ? おい!」

 

 俺は真琴の肩をゆすって問い掛ける。

 

「二キロって……まさか真琴」

 

 それでも名雪は何のことかわかったらしい。

 俺は相変わらず空ろな目でぶつぶつと繰り返す真琴(傍から見てるとマジ怖ぇ)から聞き出すことを断念し、名雪を問い詰めることにした。

 

「名雪、こいつ一体どうしたんだ?」

 

 名雪はそれには答えず、茫然自失している真琴にそっと問い掛けた。

 

「真琴、ひょっとして太った?

 

 その言葉を聞いた真琴は、びくっ! っと体を振るわせると、その視線をゆっくりと名雪の方に向けた。

 

「あぅーっ! 名雪おねぇちゃーん!」

 

 そう言って名雪にすがりつく真琴。

 俺は、あまりといえばあまりの展開にハニワ状態だ。

 

「よしよし、わかるよ真琴。ショックだねショックだよね」

 

 そう言って真琴を慰める名雪も涙目になっている。

 

 

 ……おい。

 

「なんだよ、二キロって体重のことか? たかだかそれだけのことで大騒ぎしたのかよお前は!」

 

 俺のこの言葉に、真琴だけじゃなく名雪までもが凍りつくような視線を俺に送ってきた。

 な、なんだよ、俺なんか怒らせるようなこと言ったか?

 

 俺すでに逃げ腰。

 

「祐一…… 見損なった」

「うん…… まさか祐一がそんなこと言うなんて」

 

 おい!  俺か? 俺が悪いのか?!

 その冷たい視線にびびりながらも必死に反論する俺。

 

「だ、だって体重が増えたくらいでそんなに大騒ぎすることないだろ?」

「祐一、女の子にとって体重が増えるってことは、とても大変なことなんだよ」

「そうよぅ! このつらい気持ちは祐一なんかには分からないのよぅ!!」

「かわいそう、かわいそうね真琴」

「名雪おねぇちゃーーん!」

 

 そう言って再び名雪にしがみつき、泣き出す真琴。

 だめだ、眩暈がしてきた。

 俺には到底理解できない世界だ。

 

「あらあら、どうしたの三人そろって」

「あ、秋子さん。聞いてくださいよ……」

 

 騒ぎを聞きつけやってきた秋子さんに、俺はこのバカバカしい状況を説明した。

 

「それは祐一さんが悪いわね(きっぱり)」

「ほら見なさいよぅ!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ秋子さん。たかだか体重の話でしょう?」

「祐一さん。女心は繊細なのよ」

 

 だめだ、この家でこの手の話題はあまりにも俺に分が悪い。

 

「でもね、真琴。あなた位の年では体重が増えるのは成長分よ。あまり気にすることはないわ」

「あうー…… でもぉ……」

「うーん、お母さんの言う通りかも知れないね」

「そうよ、女の子は真琴くらいの年から女らしい体つきになっていくの。だから今増えた体重分は全部、胸やおしりにいくのよ」

「え、そ、そうなのかな」

「そうよ、だからあまり気にしないほうがいいわ」

「そうだぞ真琴。大体お前、それ以上胸がなくなったらまっ平らになっちまうぞ」

「やかましい!!」

 

 真琴の放ったアッパーカットが俺のあごに炸裂する。同時に頭上からの打撃がおれのテンプルを直撃した。

 

「ホ、ホワイト○ァングとはマニアックな……」

 

 崩れ落ちる俺を尻目になおも会話は続く。

 

「決めた!!」

 

 こぶしを振り上げ宣言する真琴。

 

「真琴、ダイエットする!」

「えぇ!真琴本気!?」

「うん、名雪おねーちゃん」

「あらあら、もう真琴ったら。止めたって聞かないでしょうけど、くれぐれも無理はしないようにね」

「うん、わかってるおかーさん」

「真琴、ふぁいと、だよ!」

「うん、ふぁいと!」

 

 こうして真琴のダイエット騒動が始まったのである。

 

 

 

 

 翌朝。

 

 朝〜 朝だよ〜

 朝ご飯食べて……

 

 かちゃ。

 

「くっ、まだあごが痛ぇ……」

 

 あの後、真琴と名雪は作戦を練るといって、二人して名雪の部屋に引っ込んだ。

 まったく、女ってのはわからない。なにも体重が増えたくらいであんなに大騒ぎすることもないと思うんだが……。

 

「さて、ねぼすけどもを起こしに行くか」

 

 真琴がいない間、いつの間にやら名雪を起こすのが俺の朝の日課になってしまったが、真琴が帰ってきてからはその朝の日課が二人分になった。

 まったく、似たもの姉妹だよ、あいつらは。

 

「うぉらーーーー起きろ真琴ーーーーー!!」

 

 まずは手始めに真琴からだ。

 姉ちゃんと同じく、こいつも割と朝が弱い。

 ただ、姉ちゃんほどは手ごわくないため、肩ならし(?)にこいつから起こすのはいつものことだ。

 

「あーー うーー」

「ほら、今日も保育所の手伝いがあるんだろ」

「うーー祐一ぃ、おはよ」

「はいはい、おはよう真琴」

 

 布団から起きあがり、ごしごしと目をこすって挨拶する真琴。

 そのしぐさが妙に子供っぽくって(まあこいつはいつもガキみたいなもんだが)俺は微笑みながら挨拶を返す。

 

「俺は名雪を起こしてくるから、お前は先に朝飯食って来い」

「うん、わかった。着替えてから行くー」

 

 さて、次が問題だ。

 

「うらーーーー起きろ名雪ーーーーー!!」

 

 妹とちがって、叫んだくらいではこいつは起きない。

 そのことを身をもって知っている俺は、問答無用で布団を引っぺがすと、がくがくと体をゆすってやる。

 

「うにゅ?」

「うにゅ? じゃねえ! 朝だ、起きろ名雪」

「ゆういち、おはようございまふ」

「はい、おはよう名雪…… って言ってるそばから寝るな!!」

「くー」

 

 くそっ、いつもながらこいつは手強い。こうなったら最終手段を行使するまで。

 

「あ、名雪、猫がいるぞ」

「ねこーねこー」

 

 条件反射で体を起こし、とり憑かれたように『ねこー』と繰り返す名雪。

 毎度のことながら割と怖い。

 

「ゆういちーねこどこー、ねこーねこー」

「ばか、こんなところに猫がいるか!」

「うーまた騙したんだね。祐一嫌い」

「はいはい、嫌いで結構。早くしないと遅刻するぞ」

「うー」

 

 不満そうだが、遅刻するよりはましだ。

 俺は名雪に二度寝しないように釘をさすと、ゆっくりと階段を降りて食卓についた。

 やがて名雪も着替えて降りてくる。

 いつも通りの水瀬家四人の朝食。

 

「そういえば真琴、昨日作戦を練るとか言ってたけど、どうなったんだ?」

「ふっふっふっ、もうばっちりよ。ねぇ、おねーちゃん」

「ふっふっふっ、そうだよ、私と真琴にかかればダイエットなんて一発だよ」

 

 真琴と名雪だから不安なんだが……。

 

「ダイエットしてるのに朝飯なんか食ってていいのか?」

「祐一は甘い!」

「え? 甘い?」

「名雪、妙なところで反応するな」

「祐一さん。ダイエットするときには規則正しい食事と、適度な運動が一番なんです。無理に朝ご飯を食べなかったりすると、体を壊してしまいますから」

「そういうもんですか……」

「というわけで、ダイエットプログラム1、『ランニング』だよ!」

「ダイエットプログラムって……」

「真琴と名雪おねーちゃんで考えた、真琴のための専用ブログラムよぅ」

「はぁ、そうですか」

「そう、だから祐一。夕方ランニング付き合ってね」

「ぶっ! なんで俺がそんなことに付き合わなくちゃいけないんだよ!」

「いいじゃないのよぅ、つきあいなさいよぅ」

「大体ランニングって早朝にやるもんだろうが」

「あぅーっ、早朝なんて起きれるわけないじゃないのよぅ」

「威張って言うな!」

「まあまあ、祐一付き合ってあげなよ」

「い・や・だ」

「うー、いいじゃないのよぅ」

「名雪に付き合ってもらえよ、陸上部だったんだしちょうどいいだろ?」

「真琴は祐一と一緒がいいんだよねー」

「そ、そんなことないわよぅ!」

 

 慌てて否定する真琴だが、耳まで真っ赤になってやがる。

 分かりやすいやつだ。

 

「しょうがねぇなあ、付き合ってやるか」

「え、ほんと!」

「ふふ、やさしいですね祐一さんは」

 

 秋子さんに暖かく言われて、俺まで顔が赤くなる。

 まったく俺も真琴には甘いな。

 

「今日は保育所は何時頃に終わるんだ?」

「うーんとねぇ、四時くらいには終わると思うけど」

「じゃあ俺のほうが早いな、学校が終わったら保育園まで迎えに言ってやるよ。それで一旦家に帰って着替えてから走るか」

「そうだね、そうしてあげなよ」

「うん、分かった。ありがと祐一」

 

 うれしそうな真琴。

 こいつも前と比べてずいぶんと素直になった。

 まぁ、天邪鬼なところは相変わらずだけどな。

 

「三人とも時間は大丈夫ですか?」

「おっと、もうこんな時間か」

 

 俺たち三人は玄関まで見送ってくれる秋子さんに元気に『いってきます』の挨拶をして、家を出る。

 この時間なら走っていかなくても十分間に合うだろう。

 真琴の保育所も途中まで道が一緒なので、毎朝三人でこの道を歩く。

 

「しかし真琴、二キロ増えたってお前、体重何キロになったんだ?」

「そ、そんなこと言えるわけないじゃないのよぅ!」

「そうだよ祐一、女の子に体重聞くなんて失礼だよ」

「まったくでりかしーのないやつ!」

「平仮名だぞ」

「うるさい!」

 

 いつも通り真琴をからかいながら登校する。

 

「あ、真琴こっちだ」

「うん、じゃあ真琴。お仕事がんばるのよ」

「夕方迎えに行くまで保育園にいろよ」

「わかった。じゃあ祐一、名雪おねーちゃん。いってきまーす」

「いってらっしゃい」

「車に気をつけてな」

「あぅーっ、真琴子供じゃないんだから大丈夫よぅ」

 

 そう言い残して元気に走って行く真琴。

 保育所の仕事もずいぶんと慣れて、うまくやっているらしい。

 

「さて、俺たちも学校行くか」

「そうだね」

 

 真琴を見送った後、俺と名雪は学校への道を急ぐのだった。

 

 

 

 

 放課後。

 俺は名雪と分かれ、真琴が働く保育所へと来ていた。

 

 どうやら早く来すぎたみたいだ。

 まだ園児たちの元気な声が聞こえてくる。

 

「ガキは元気でいいねぇ」

 

 そんなジジくさいことを考えながら、保育所の周りの金網から中をうかがう。

 それに気付いたのだろう。保母さんと思われるエプロン姿のおねーさんが俺のほうに歩いてきた。

 年は23、4だろうか。やさしそうな、どことなく秋子さんを連想させるような人だ。

 胸の名札に“ながもりせんせい”と書かれている。

 

「園児のお家の人かな?」

「あ、いえ。そうじゃなくて」

「うーんもうちょっと待っててね。まだお遊戯の最中なんだよ」

 

 人の話を聞いちゃいねぇし。

 

「だからそうじゃなくて」

「あれ? 違ったの?」

「ええと、こちらでお手伝いさせてもらってる水瀬真琴の家の者なんですけど」

「ああ、真琴ちゃんの」

「ええ、一緒に帰る約束してたんですけど。でも早く来すぎちゃったんで待ってますよ」

「そういうことなら、中に入って待ってた方がいいよ」

「え? でも……」

「そんなところに立って中をうかがってると、変質者さんみたいだよ」

「……分かりました。お邪魔します」

 

 保母さんについて保育園の中に入る。

 

「真琴ちゃーん。彼氏がお迎えにきたよーー」

「ぶっ!!」

 

 なに言い出すんだこの人は、大声で。

 

ダダダダダダッ

 

 なんかすごい勢いでエプロン姿の真琴がダッシュしてくる。

 

「だ、誰が彼氏なのよぅ!!」

「あれ? そうじゃなかったの?」

「違いますよぅ!」

 

 おや?

 あの人見知りの激しい真琴が、この保母さんに対しては普通に接している。

 

「ゆ、祐一も何とか言いなさいよぅ!」

「あ、ああ」

「はいはい、真琴ちゃん。まだお遊戯の途中だよ」

「あぅーっ、わかりました」

 

 いかにも渋々といった感じだったが、この保母さん(確かながもりさんだったか)の言葉に素直に従う真琴。

 

「すみません、わがままでしょうあいつ」

「うん、そうだね。でもいい子だよ。えーと、君は……・」

「あ、すみません。俺、相沢祐一といいます」

「そうか、君が祐一君なんだね」

「え?」

「ううん、こっちのこと。ええと私は長森瑞佳。この保育園の保母さんだよ」

「(? まあいいか)真琴は長森さんにずいぶんと懐いているようですね」

「真琴ちゃんとは友達だよ」

「そうですか。真琴のことこれからもよろしくお願いします」

「うん、こちらこそ」

 

 そう言って微笑む。なかなかきれいなおねーさんだ。

 

「ごめんね、祐一君。私まだ仕事があるから」

「あ、お構いなく」

「真琴ちゃんのお仕事の様子でも見ていてあげるといいよ」

「はい、そうします」

 

 どれ、真琴のやつはちゃんと働いてるかな。

 お、いたいた。

 へぇ、ちゃんと“お姉さん”してるじゃないか。

 今はお遊戯の時間か。なんかみんなで踊ってるよ。

 しかしあいつ園児と一緒にいてもあまり違和感がないな。精神年齢が近いのかも。

 おや? なんか一人だけ美味く踊れない子がいるなあ。

 あらら、泣き出しちゃった。

 お! 真琴が慰めてる。頭をなでてやって、いっしょに踊ってやってるぞ。

 偉い偉い。ははっ、ガキは泣いてもすぐに笑うんだな。あんなに楽しそうに笑ってらぁ。

 真琴も一緒になって笑ってる。

 なんか見ていてこっちまで嬉しくなっちまうような、そんな風景だ。

 

「ふふふ」

「うわぁ! なんだ長森さんか」

「ごめんね、驚かせちゃったかな? 私のほうは手が空いたんで様子を見に来たんだけど、真琴ちゃんうまくやってくれてるみたいだね」

「ははっ、そうですね。正直ちょっとびっくりしましたよ。あの真琴がねぇ」

「真琴ちゃん園児にすごく人気があるんだよ」

「そうなんですか?」

「うん、そうだよ。この間なんか、男の子に『僕、大きくなったら真琴先生と結婚する!』て言われてびっくりしてたもの」

「あははは!」

「ふふふ」

 

 そんなことを話しながら、二人して真琴を見ていると、長森さんが俺に問い掛けてきた。

 

「そういえば、名雪ちゃんは元気にしてる?」

「あれ? 名雪のこと知ってるんですか?」

「うん、前にね、一回だけお話したことがあるんだよ」

「そうなんですか」

「そう、だからさっき名前を聞いたときに、ああ、この子が祐一君なんだなって思ったんだよ」

「ああ、それでさっき……。名雪俺のことなんか言ってました?」

「うーん、それは秘密だもん」

「ちぇ、どうせ有ること無いこと言ってたんだろうな」

「あはは」

 

 そうこうする内にお遊戯の時間も終ったらしい。

 俺が見ていることに気付いた真琴が、うれしそうな顔をしてとてとてと駆け寄ってくる。

 でも口から出てくるのは憎まれ口だ。

 

「何ニヤニヤしながら見てるのよぅ」

「ばか、ニヤニヤじゃなくてにこにこと言え」

「ふんだ、どっから見てもニヤニヤよ」

 

「あー、この人真琴せんせいのこいびとー?」

 

 俺達に気付いた園児の内の一人が、無邪気に真琴に問い掛ける。

 ませてんな、最近のガキは。

 

「ゆ、夕美ちゃん、ち、違うわよぅ。こいつはただのいそうろうよぅ」

そうろう?

「まあ、似たようなものかな」

 

 違うだろ、意味が全然。

 

「真琴ちゃん、後は私達でやっておくから今日はもういいよ」

「え、でも……」

「いいからいいから、せっかくの彼氏のお誘いなんだから」

「あぅーっ、だから違いますったら!」

「真琴せんせいお顔がまっかっかだよ」

「あぅーっ、夕美ちゃんまで」

 

 園児にまでからかわれるこいつって一体……。

 

「いいんですか?」

「いいのよ、真琴ちゃんのことよろしくね祐一君」

「はい、それじゃあ行くか真琴」

「うん、じゃあお先に失礼します。ばいばい夕美ちゃん」

「ばいばーい」

 

 保育園を後にした俺達は、一旦家に帰って運動する格好に着替えると、早速ランニングを始める事にした。

 

「じゃあ行きますか」

「コースはどうすんのよぅ」

「お前、そんくらい決めておけよなぁ」

「あぅ……」

「そうだな、とりあえず噴水公園のあたりまで行くか」

「うんっ!」

「なんか嬉しそうだな、お前」

「そんなことないわよぅっ。ほら行こうよ祐一。早く早く!」

 

 やっぱり真琴は嬉しそうだった。

 

 

「はぁはぁはぁ……」

「はぁはぁはぁ……」

「け、結構いい運動になるな」

「あ、当たり前じゃない、はぁはぁ、そうじゃなくちゃ、はぁはぁ、意味がないのよぅ」

 

 噴水公園までのランニング。

 軽く流すつもりだったけど、結構疲れてしまった。

 

「ちょっと休んでいこうぜ」

「だ、だめよぅっ、はぁはぁ、ダイエットのためには、はぁはぁ、ここでがんばらないと」

 

 俺のほうはだいぶ楽になってきたが、真琴は相変わらず肩で息をしている。

 男と女の基礎体力の違いだろう。

 

「初めから無理したって仕方ないだろ。休んでいこうぜ」

「はぁはぁ、分かったわよぅ」

 

 俺達はしばらく噴水公園のベンチで休んだ後、真琴の息が収まってきたのを見計らって再び走り出した。

 

「よぅし、祐一、公園の出口まで競争しよ」

「望むところだ、真琴ごときに負けるわけはいかないぜ」

「よーいどん!」

「うわ、卑怯だぞ真琴!」

「へっへーんだ、祐一なんかに負けないわよぅ…… うきゃあ!!

 

 ビターン!

 

「あーあ、よそ見して走るからだ。大丈夫か?真琴」

「あぅーっ、だ、大丈夫よぅ、これくらい…… 痛っ!」

 

 慌てて立ちあがろうとした真琴だったが、左足を押さえて顔をしかめている。

 どうやら転んだ拍子にひねったようだ。

 

「ったく、しょうがねぇなぁ。大丈夫か? 真琴」

「こ、これくらいどうってことないわよぅ」

 

 相変わらず強がっているが、走るのはちょっと無理そうだ。

 

「ほれ」

「な、何で後ろ向いてしゃがむのよぅ」

「おぶってやるよ」

「な!? ま、真琴子供じゃないんだからやめてよぅっ!」

「子供じゃなくも女の子だろ、こんなときは男が女の子を背負ってやるもんだ」

「……」

「ほれ、早くしろ」

「……うん」

 

 よいしょっと。

 

「真琴重くない?」

「全然」

 

 内心、少しびっくりした。

 真琴は思っていた以上に軽かった。

 

「ごめんね、祐一」

「いいさ、さっきも言っただろ? 真琴は女の子なんだからな」

「うん。ありがと、祐一」

 

 お互いの顔が見えないことが良かったのかもしれない。

 俺も真琴もいつもよりほんの少しだけ素直になれたような気がした。

 

「ねえ、祐一ぃ」

「ん? どうした真琴」

「祐一の背中って広いね」

「男だからな」

「うん」

「……」

「……」

「ねえ、祐一ぃ」

「今度はどうした?」

「祐一の背中ってあったかいね」

「真琴の体もあったかいぞ」

「うん」

 

 さらさらした髪が俺の首筋をくすぐる

 真琴は俺の首筋にぴったりと頬をよせている。

 真琴の息使いと、胸の鼓動が直接俺の背中に伝わってくる。

 

「ねえ、祐一ぃ」

「どうした?」

「真琴ね、今とっても幸せだよ」

「……そうか」

「うん。おかーさんがいて…… 名雪おねーちゃんがいて…… そして祐一がいて……」

「……」

「真琴ね…… 祐一のことね…… だいす…き……

「真琴?」

 

 途中で途切れてしまった言葉に、背中の真琴に問い掛けるが返事はなく、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

「寝ちまったか」

 

 寝ぼけて言った台詞。

 普段の天邪鬼な真琴からは決して出ることは無いであろう台詞。

 でもだからこそ、それは真琴の本心なのだろう。

 

「俺もな、真琴」

 

 寝ている真琴には届かないことを承知で、俺も本心を口に出す。

 

「俺も今、幸せだよ。 秋子さんがいて、名雪がいて、そして真琴がいて」

「俺も真琴のこと大好きだぞ」

 

 

 家までたどり着いた俺は、気持ちよさそうに眠る真琴を起こすのは忍びなかったが、足の具合が心配だったので起こすことにした。

 

「おーい真琴ー。家に着いたぞー」

「あぅ…… ねむい」

 

 起こした真琴を秋子さんの所に連れて行き、ひねった足首を見てもらう。

 幸い軽くひねっただけのようで、一晩湿布を貼っておけば明日には大丈夫だろうとのことだった。

 これは余談だが、いつか俺が手を怪我したときもそうだった、秋子さんの治療は妙に手馴れていて、とても素人とは思えない。

 不思議に思って聞いてみたこともあるのだが、『秘密です』と言われて教えてもらえなかった。

 うーむ、相変わらず謎の多い人だ。

 

 ともかく、真琴が大丈夫だと分かって安心した俺は、汗でべたべたして気持ち悪かったので早く風呂に入りたかったのだが、レディーファーストということで今は真琴が先に入っている。

 

 ふう、なんか疲れちまったな。

 

 普段から運動らしい運動もしていないため、今日のジョギングは少し堪えた。加えて軽かったとはいえ真琴を家まで背負ってきたのだ。

 俺は自分でも知らぬ間にうとうとしてしまったらしい。

 

「あぅーっ、祐一。寝ちゃったの?」

 

 真琴のそんな声で目が覚めた。

 

「あれ、寝ちまったのか俺」

「うん、祐一お風呂空いた……」

「なんか元気無いな、まだ眠いのか?」

「違うわよぅ。ええとね、全然体重減ってなかった……」

「そりゃお前、一日走ったくらいで減るもんじゃないだろ」

「あうー……」

 

 ごはんですよーー。

 

 一階から秋子さんの声が聞こえてきた。どうやら夕食の支度ができたらしい。

 うーん、晩飯の前に風呂に入りたかったんだけどな。

 まあ食べてからでもいいか。

 

 

 

 今日の晩御飯は野菜主体のメニューだった、っていうか肉がない。

 真琴のダイエットとやらに秋子さんが協力したと言うところだろうか。

 ふう、しばらくは肉を食えそうにないな。

 

「あのね、真琴」

 

 晩御飯を食べ終えた後、何やら秋子さんがすまなそうに真琴に話し掛けた。

 

「なあに、おかーさん」

「とっても言い難いことなんだけど」

「な、なに?」

「これ、今日いらしたお客様からいただいちゃったのよ」

 

 秋子さんがどこからともなく取り出したのは……

 

「わぁ、ケーキだぁ♪」

 

 名雪、目が怖い

 

「そうなのよ、生物だから今日中に食べないと悪くなっちゃうし。どうする? 食べる?」

「あーーうーーーっ」

「おい真琴、よだれ、よだれ」

「はっ!」

 

 名雪は今さら言うまでもないことだが、真琴もこれで甘いものには目がない。

 しかしこいつもついてないな、ダイエットを始めたとたんにいきなりの窮地(?)だ。

 きっと今のこいつの頭の中では、甘いものへの欲求と体重への執着が火花を散らしているのだろう。

 

「あーーーうーーーっ。真琴いらない!

 

 おっ、どうやら体重への執着が勝利したようだ。

 

「あっ! じゃあ真琴の分、私食べていいかな? いいよね? いいよね? ありがとー、真琴」

 

 名雪、キャラクター違うぞお前。

 

「祐一さんはどうします?」

「俺は当然……」

 

 「いただきます」と言おうとした時、俺は横に座る真琴から強烈な視線を感じた。

 “キュピーン”という擬音が聞こえてきそうなほどに俺に視線を送る真琴。

 なんか目が光っているように見えるのは俺の気のせいだろうか。

 

 じーーーーーー

 うっ

 

 じーーーーーー

 ううっ……

 

 じーーーーーー

 うううっ……

 

「と、当然いりません……」

 

「あらそう、残念ね」

「あっ! じゃあ祐一の分も私がもらうね。ありがとー祐一」

 

 くそ、何で俺まで。

 俺のケーキは速攻で名雪の胃袋に消えた。

 

「あーおいしかった。ごちそうさま」

 

 俺と真琴の恨みがましい視線もどこ吹く風、三人分のケーキを食べ終わった名雪は満足げにため息をついている。

 おのれ名雪。

 

「そう言えば真琴、ダイエットプログラム1はどうだった?」

「あぅーっ、体重減ってなかった」

「あらあら、さすがに一日では無理よ真琴」

「そうだよ、根気よく続けないとね」

「あぅーっ」

「じゃあ真琴、明日あたり早速プログラム3に移ろうか」

「うん、そうしよ」

「プログラム3? 2はどうしたんだ」

「プログラム2は『甘いものは食べない』だよ」

「ああ、それでさっき我慢したんだな」

「ふっふっふっ、真琴のスペシャルダイエットプログラム3は“水泳”よぅ」

「はぁ」

「そうだよ、水泳は体の脂肪を燃焼させるのに最適なスポーツなんだよ」

「はぁ、そうですか」

「なによぅ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよぅ」

「いや別に……」

「ふんだ、まあいいや。というわけで祐一、明日プールに集合よ!」

「な・に・が『というわけで』だ! たのむから俺を巻き込むな!」

「いいじゃないのよぅ、付き合いなさいよぅ」

「だから名雪に付き合ってもらえって」

「私も行くよ。明日は土曜日だし」

「じゃあいいじゃないか」

「あら、三人で行ってくればいいじゃないですか。 ね、祐一さん」

「うーん、確かに最近は暑い日が続いてるしなぁ」

「じゃあ決まり」

「まあいいか、で、秋子さんは行かないんですか?」

「ごめんなさい、明日は仕事があるんです」

「そうですか。残念」

「三人で楽しんできてくださいね」

「わーい、プールプール!」

「ガキかお前は」

「なによぅ」

「まあまあ二人とも。ところで真琴、あなた水着は持っているの?」

「あぅーっ、持ってない……」

「あれ、そうなんだ。じゃあ真琴、明日お昼食べたら一緒に買いに行こっか」

「うん!」

 

 うーん、せっかくの半日授業をつぶすのはちともったいない気もするが、楽しそうな二人を見ていると、たまにはいいか、という気になってくる。

 

「じゃあ俺は先に家に帰ってるからさ」

「うん、なるべく早く帰ってくるよ」

「ふっふっふっ、真琴のせくしーな水着姿を拝めるなんて祐一は幸せ者ね」

 

 何が“せくしー”だ、平仮名じゃねーか。

 俺はよっぽど『お前みたいな幼児体型をセクシーとは言わん』とでも言ってやろうと思ったが、昨日のように必殺ブローでKOされそうだったので、やめておいたのだった。

 

 

 

<つづく>

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