憧れていた。

 小さい頃から憧れていた。

 その優しい笑顔に。

 

 姉として、そして母として。

 あたし達を優しく包んでくれる。

 

 ずっと、ずっと憧れていた。

 

 

 

 好きだった。

 小さい頃からずっと好きだった。

 その爽やかな笑顔が。

 

 兄として、そして異性として。

 あたし達を暖かく包みこんでくれる。

 

 ずっと、ずっと好きだったんだ。

 

 ずっと

 

 ずっと……

 

 

 

 


『その向こうにあるもの』

ライラック

<前編>

― 指輪と誤解と朝ご飯 ―

2000/02/21 久慈光樹


 

 

 

「いつまで寝てるんだーー!」

 

ばさぁ!

 

「うぉ!」

 

 俺は布団を剥ぎ取られて目を覚ました。

 

「な、何だぁ! 空襲か! 敵はどこだ!!

「……耕一、何か悪いもんでも食べたのか?」

「あら?」

 

 気がつくとそこは既に見慣れてしまった柏木家の居間。

 とはいえ、既に俺の部屋と言った方がいいかもしれない。

 

「あらら?」

「耕一、アレほど道に落ちているものは拾って食っちゃダメだって言っただろ……」

「だーー! 誰が拾い食いなんぞするか! 寝ぼけてただけだ!」

「それにしても、空襲だーー、なんて…まったくいつの時代の人間だよ……」

「う、うるさいな」

 

 さっきからぽんぽんと言いたいことを言っているこいつは、梓。俺の従姉妹の一人だ。

 短くカットした髪型が、これほど似合う女の子もそうは居ないんじゃないかと思われる。

 柏木家の4姉妹はいずれ劣らぬ美女、美少女ぞろいだが、こいつもご多分に漏れず黙ってさえいれば相当の美少女と言えるだろう。

 

「まったく、人がせっかく呼びにきてやってるってのに… ほら! 朝ご飯できたよ!」

「わかったわかった。先に行っててくれよ」

「早く…

 

 途中で声が途切れたので、俺は怪訝に思い梓の様子を伺った。

 梓は部屋のテーブルの上に置かれた小さな箱をじっと見つめている。

 

 しまった! 昨日の晩、千鶴さんに渡しそびれてそのまま出しっぱなしにしておいた指輪だ!

 何とか話を逸らさないと、何と言ってからかわれるか分からない。

 

「耕一… これって…

「いやぁ! 今日はいい天気だなぁ!!」

「へ?」

「まったくもっていい天気だ!!」

「もしもし?」

「こんないい天気だと、朝飯が美味いに違いない!!」

「もしもし? 耕一、聞いてる?」

「さあ梓、朝飯を食べに行こう! すぐ行こう!!」

 

 そう言って俺は梓の肩を押して、そのまま居間を出た。

 危ない危ない。

 俺の華麗な話術でどうにか危機を乗りきることができた。

 

 

 さてさて、柏木家の朝食はご飯と決まっている。

 向こうにいるときにはパンはおろか朝飯自体抜くことが多かった俺だが、やはり朝飯はパンではなく白いご飯と味噌汁が飲みたいと思う。

 

「いやぁ、やっぱり梓の作る飯はうまい!」

「そ、そう?」

「おおよ! きっといい嫁さんになれるぜ、梓は」

「あ、アリガト……」

「よかったね、梓お姉ちゃん!」

 

 5人で囲む食卓は結構賑やかだ。

 

「耕一さん…… それは私に対するあてつけですか……」

「ち、千鶴さん…… い、いや、そういうわけじゃ……」

 

 

 そんなこんなで皆食事を終え、楓ちゃんの入れてくれたお茶を啜る。

 ふぅ、うまい。

 

「ねぇ、耕一…… あのさ……」

「ん? どうした、梓?」

「さっきのことなんだけど、台の上にあったアレってひょっとして……」

 

 ぐぁ! こいつは突然何てことを言いやがるんだ! しかも千鶴さんのいる前で!!

 

「ちょっと梓、こっち来い!!」

「え? え? え?」

 

 がしっ

 どどどど……

 

「「「??」」」

 

 

「な、なんだよ耕一、こんなところまで引っ張って来やがって」

「なんだじゃない! あんなところで変なこと聞くからだ!!」

「別に変なことじゃないじゃないか。あれってやっぱり千鶴姉にやる指輪だろ?」

「うっ…… まあ、その……」

「別に隠すこと無いだろ」

「え、いや、まあそうなんだけど……」

「で? いつだ?」

「へ? いつって……?」

式の日取

「ぶっ!」

「千鶴姉もあれで忙しいからな、やっぱり大安吉日にやるもんだろうし……」

「お、おい梓! ちょっと待て!」

 

 な、何を言い出すんだこいつは!

 話が飛躍し過ぎだ!!

 

「でもそうなると忙しくなるな、結納とか。あ! 仲人はやっぱり足立さんにお願いしたのか?」

人の話を聞け!

「何だよ?」

「それは誤解だ!」

「誤解?」

「ああ、俺は今すぐに千鶴さんと結婚しようなんて思ってないの!」

「なにぃ……」

 

 梓は低い声でそう呟くと、俺に激しく詰め寄った。

 

「耕一! お前、千鶴姉のどこに不満があるんだ!」

「ぶっ!」

「そりゃ確かに千鶴姉は料理も出来ないし、おっちょこちょいだし、何も無い所で転ぶくらい不器用だし…」

 

 梓…… 実の姉つかまえてそりゃないだろ……

 

「おいおい、勘違いするなよ」

「勘違い? だって今、結婚する気は無いって……」

「今すぐにはって言ったろ? ありゃ確かに千鶴さんにあげようと思って用意した指輪さ、婚約用にな。俺はまだ学生だ、そんな俺が千鶴さんを支えてやれると思うか?」

「で、でも、好きなんだろ? 千鶴姉の事」

「もちろんだ、でもな、好きだからってすぐに結婚出来るわけじゃない。お前、俺に千鶴さんのヒモになれって言うのか?」

「だけど……」

「あのな、梓」

 

 俺はそこで一旦言葉を切った。

 前々から俺が考えていた事。

 千鶴さんにさえ語ったことの無い、俺の夢ともいえる事。

 いい機会かもしれない、梓には知っておいてもらいたかった。

 一番千鶴さんの身近にいるであろう梓には。

 

 

「俺な、大学を卒業したら鶴来屋に就職しようって思ってるんだ」

「鶴来屋に?」

「ああ。俺なんかがどれだけ助けになるか分からないけどな」

「でも、耕一は叔父さんの息子だろ? 鶴来屋に就職するのが筋ってもんじゃないのか?」

「それは身内の意見さ、鶴来屋の重役連中はそうは思わないだろうさ。恐らく俺が就職すれば、分不相応の高い地位に置かれるだろう。これは別に俺の能力が優れているからじゃなくて、鶴来屋が柏木家の家族企業とも言える企業形態だからありえるんだ」

「家族企業……」

「そう、それは株式の配分を見れば明らかさ。だけど古くからの重役連中からしてみれば、大学を出たての青二才が自分達と同じかそれ以上の発言力を持つことに、心中穏やかでいられるはずが無い。まず間違いなく追い落としにかかるだろうな」

「それって…… 千鶴姉の今の状態と一緒じゃないか」

「そう、梓もよく見ているじゃないか。だけど直系の男子である以上、現在の地位は下とは言え、連中にとっては千鶴さんより俺の方が脅威に思えるはずだ」

「じゃあ耕一は千鶴姉の風除けになるために鶴来屋に就職するつもりなのか?」

「勘違いするなよ、俺はそれだけの為に人生棒に振るつもりはないさ」

「じゃあ……」

「おっと! この話はここまで! という訳で、あの指輪は婚約指輪ってことさ」

「な、何だよ、ここまで話しておいて…」

「ははは、あんまり他人にばらして失敗したらカッコ悪いだろ?」

「失敗?」

「これだけは言っておく。俺はな、梓。鶴来屋の今の体制を変えようと思ってる」

「え?」

「だけど、それが成功するかどうかは分からない。恐らく失敗する可能性の方が高い」

「失敗したら…… どうなるの?」

「恐らく俺も千鶴さんも鶴来屋を追われるだろうな」

「え!」

「いや、千鶴さんはお飾りの会長として今の地位に留まることになるだろうな。そして政略結婚の道具にされるだろう」

「そんな!」

「でもその時は、俺は千鶴さんをさらってでも一緒になる」

「耕一……」

「爺さんの代から続く鶴来屋だけど、千鶴さんのためだったら俺はためらい無く捨て去る事ができる。それだけは覚えておいてくれよ」

「……うん、わかった」

 

 

 

<つづく>