『その向こうにあるもの』
今はまだ
1999/10/27 久慈光樹
ぷしゅ〜
隆山〜隆山〜
「うっ!」
電車から降りた俺は、あまりの寒さに思わず声をあげてしまった。
もう11月も半ばに差し掛かり、さすがに寒いだろうと思って厚着してきたのだが……。
「想像以上だな」
東京とは寒さの質が違う気がした。
まさに身を切るような寒さだ。
それにしても雪が降っていなくて良かった。
せっかく予定よりも1日早く来たのに、雪で電車が遅れたのではつまらない。
俺が柏木家に行くのは、予定では明日のはずだった。
しかし今日まで入れていたバイトが、先方の都合で急に今日はお流れになってしまい、早くみんなの顔が見たかった俺は、1日早く行くことにしたのだ。
みんなにはお昼頃に電話したが、今日は平日であるためか誰も出なかった。
だからそのまま電車に乗ってやってきたというわけだ。
さすがに観光地だけあって、駅前には何台かタクシーが止まっている。
貧乏学生としてはやや気が引けたが、この寒さに早くも耐えられなくなりつつあった俺は、そそくさとタクシーに乗り込んだ。
行き先を聞いてくる運転手に、柏木家の住所を告げようとした俺だったが、ふと思いつき寄り道していくことにした。
確か駅から一番近かったのは……。
「……いいでしょ? 楓」
仲のいい友達にその声に、ふと我に返った。
明日は耕一さんが家に来てくれる。
授業が終わってからずっとそのことを考えつづけていた私は、ちょっとぼんやりしてしまったみたい。
友達の会話をいくつか聞き逃してしまったみたいだ。
「え? ごめんなさい、何のこと?」
「どうしたの楓、ぼんやりしちゃって」
みんなはあきれた顔をしていたが、その内の一人がニヤリと笑った。
うう、何か嫌な予感がする。
「ひょっとして彼氏の事でも考えてたのかなぁ?」
彼氏?
私には特にお付き合いしている人はいない。
今だって耕一さんのことを考えていただけで……。
耕一さん?
彼氏?
耕一さんが?
かーー
「うわ、楓。顔真っ赤だよ。ひょっとして図星ぃー?」
「あらー、うちのクラスの男どもショックよねぇー」
「ね、誰よ誰よ」
「教えなさいよぅ」
みんながここぞとばかりに突っ込んでくる。
いけない!
ここではっきりと誤解だということを明言しておかなくては、またいつものようにからかわれてしまう。
私は恥ずかしさを振り切ってみんなの誤解を解こうとした。
「べ、べつに耕一さんは彼氏なんかじゃ……」
「ほー、耕一さんねぇ」
いけない!
混乱して何を口走っているの、私!
「その耕一さんって人が楓の彼氏なんだ」
「ち、ちがいます! 耕一さんはただの従兄弟なんだから……」
「へー、従兄弟の人が彼氏なんだ」
うっ、こうなってしまっては、みんな私の言うことなんて聞いてくれない。
何とか話題を変えようと、必死な私。
「そ、そう言えばさっき何か私に聞いた?」
「ほっほー、露骨に話をそらしますねー、楓さん」
ううっ、お願いだからその話題から離れて……。
「あはは、やっぱり楓はからかいがいがあるわねぇー」
「ほーんと、ここまで純情な子って今時そうはいないわよねー」
みんなはそう言って、やっと私を解放してくれた。
うううっ、みんなの意地悪……。
結局、帰りにみんなでどこかに寄っていかないかとのお誘いだったようだ。
私も当然みんなに付き合うことにする。
ここの所、寒い日が続いているから、何かあったかいものでも食べに行こうということになった。
校門まで来たとき、ちょっと大きめの荷物を持った男の人が寒そうにしながら校内をうかがっている姿が目に付いた。
「ちょっと、何、あの男」
「ひょっとしなくても十分怪しいわね」
「あ、でもちょっとかっこいいかも」
「うーんそうだね、合格かな」
みんなはそんなことを口にしながら、校門へと近づいて行く。
靴を履くのにちょっと手間取ってしまった私は、みんなに追いつくために、ちょっと小走りになっていた。
遠くからは分からなかったが、校門に立つ男の人の顔も、近づくにつれ徐々に見分けがつくようになってきた。
あれは……。
「こ、耕一さん!」
普段の私からは考えられないであろう大きな声に、みんなはびっくりしたように振り返る。
でも私は、そんなことは目に入らなかった。
耕一さんがいる。
でもどうして? 確か来てくれるのは明日だったはずなのに。
しかもどうして私の高校の前にいるの?
「やあ、楓ちゃん」
混乱する私に、耕一さんがにっこりと笑って声をかけてくれる。
「あ、こ、耕一さん、ど、どうしたんですか? お散歩ですか?」
い、いけない!!
混乱してまたもや何を口走っているの、私!
耕一さんに変な娘だって思われてしまったかも……。
顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかる。
恐る恐る上目づかいに耕一さんの顔を見ると、案の定耕一さんは少し怪訝そうな顔をしていた。
ううううっ、恥ずかしい……。
「い、いや、散歩しているわけじゃなくて」
「そ、そうですよね、ごめんなさい、変なことを言って」
少し落ち着いてきた私は、耕一さんがここにいる事実だけで幸せな気分になっていた。
私って現金なのかも。
「ほんとは今日もバイトのはずだったんだけどね、急に予定が空いちゃって」
「そ、そうだったんですか、でも耕一さんと1日早く会えてうれしいです」
「ははは、ありがとう楓ちゃん」
自分でも少し大胆なことを言ってしまったかも。
ますます顔が赤くなっていくのを自覚して、まともに耕一さんの顔を見ることが出来ない。
でも耕一さんと会えてうれしいのは本当。
「でもどうしたんですか、こんなところで」
「どうせ今から家に行っても誰もいないと思ってね、ちょうどいい時間帯だったから楓ちゃんのお出迎えさ」
「え! じゃあずっと私を待っててくれたんですか」
「いや、ずっとって訳じゃないよ、ちょうどいいタイミングだったみたいだ」
耕一さんはそう言ってくれるけれども、それはきっと嘘。
だって耕一さんすごく寒そうにしているもの。
きっと長いこと待っていてくれたに違いない。
「ありがとうございます、耕一さん」
だから私もしっかりと耕一さんを見て、しっかりと感謝の言葉。そして自分に出来る精一杯の笑顔。
「どういたしまして」
耕一さんも私の大好きなとびっきりの笑顔で答えてくれた。
幸せに浸る私の背中を、ぽんぽんと誰かがたたく。
……忘れてた……
恐る恐る振り返った私が見たものは、一様にニヤリと笑った友達たちの姿だった。
み、みんな怖い。
「ふっふっふ、楓ちゃーん? この人が噂の耕一さんねー?」
「うっそー、楓の彼氏ってすごくかっこいいじゃない!」
「こーんなかっこいい彼氏がいたら、クラスの男どもがどんなにアタックしてもダメなはずよねぇ」
「幸せそうねー? まさに恋する少女といった趣よねー」
あうあうあう〜
「でもまあ、邪魔しちゃ悪いし」
「お邪魔な私達は退散しましょうか」
「そうだね、二人っきりにさせてあげようか」
「じゃあね、楓。えーと耕一さん、楓のことよろしくお願いしますねー」
みんなは口々にそんなことを言いながら、私を置いて帰ろうとする。
みんなの内では耕一さんが私の彼氏だということが、すでに既成事実になってしまっているらしい。
本当にそうだったらいいのに……。
少し胸が苦しくなる。
でも私はそんな感情を振り切るように元気にみんなに話し掛ける。
「みんなごめんね。一緒に帰れなくて」
「いいよいいよ、楓は彼氏と帰った帰った」
「だから、別に耕一さんは……」
「あはは、照れない照れない」
「じゃーねー楓」
もう、ちっとも人の話を聞かないんだから。
「なんか悪かったかな?」
みんなを見送った後、隣を歩く耕一さんが私にそう声をかけてくれる。
「あ、そ、そんなことないです。」
私はちょっと慌てて答える。
みんなにはちょっと悪いことをしたと思うけれど、まさか耕一さんと二人きりで並んで歩けるなんて思ってもみなかった。
今はとっても幸せな気分。
「でもさすがにぢょしこーせーは元気だね。ちょっと圧倒されちゃったよ」
「うふふ、耕一さん何かおじさんみたいですよ」
「ひどいなあ楓ちゃん。俺まだ21だよ?」
「ふふ、ごめんなさい」
歩きながら耕一さんと交わす他愛のない言葉のやり取り。
でもそれが、私をとっても幸せな気分にしてくれる。
耕一さんは千鶴姉さんに会いに来たのだろう。
先ほどと同じように、キュッと胸が苦しくなる。
私と耕一さんは、みんなの言うような関係にはずっとなることはないだろう。
きっと耕一さんの中では、私はいつまでたっても『妹』なのだ。
それでも
千鶴姉さんと耕一さんだったら
きっと私は心から祝福できる
今はまだ
今はまだこんなにも胸が苦しいけど
きっと大丈夫
その時がくればきっと二人を心から祝福してあげることができる
そして私は耕一さんの本当の義妹になるんだ
耕一さんの家族になることができるんだ
「ちょっと寒いな。帰る前にちょっと寄り道して何か暖かいものでも食べていこうか」
「はい!」
今、きっと私は最高の笑顔で耕一さんに答えることができたと思う。