『その向こうにあるもの』

電話

1999/10/24 久慈光樹


 

 

トルルル

 

トルルル

 

トルルル

 

 受話器の向こうからは、相変わらず呼び出し音が聞こえてくる。

 今は午後8時30分。

 いかに柏木家の4姉妹が健康的な生活をしているとはいっても、まだみんな起きているだろう。

 そう言えば夏休み以来、彼女達とは顔を合わせていない。

 電話だけは月に2、3回はかけているのだが。

 

トルルル…… ガチャ

 

「はい、柏木です」

 

 この声は梓か?

 元気のいい声が受話器の向こう側から聞こえてきて、俺は思わず笑みをこぼしていた。

 

「もしもし、耕一だけど」

 

 俺が名乗ると、電話の向こうの梓はとたんに明るい声でまくし立ててきた。

 

「おー、耕一。久しぶりじゃない」

「そんなことないだろ、先月だって電話したじゃないか」

「そうだっけ? でも、こっちから電話したっていつも留守なんだもの」

「そうか? すまんすまん。ここんとこバイトが忙しくってな」

「まったく、耕一がちっとも連絡してこないから千鶴姉すねちゃって大変なんだから」

 

……ちょっと梓……

 

 電話の向こうから千鶴さんの慌てたような声が聞こえてきて、俺は思わず苦笑してしまう。

 

「バイト、バイトってちゃんと食べるもの食べてるの?」

 

 梓がちょっと心配そうな声でそう問いかけてきた。

 

「あははは……」

「あははは、じゃないよ。大体耕一は……え? 何?……今は私が話してるんだから、千鶴姉」

 

 どうやら電話の向こうでは、千鶴さんが梓と電話の取り合いをしているらしい。

 

「みんな元気にしてるか?」

はいはい、向こう行って…… え? ああ、うん、みんな元気だよ」

「そうか」

「あ、そうだ。こっちから掛けなおすよ。一人暮しじゃ電話代もバカにならないだろ」

 

 まったく梓らしい心づかいだ。

 ちょっぴり情けない気もするが、ここは好意に甘えるとするか。

 

「悪いな。そうしてくれるか?」

「うん、じゃあ一旦切るよ」

 

 そう言って電話は切れた。

 そして、俺が受話器を置くと、間髪いれずに電話が鳴り出す。

 は、早いな……。

 

「もしもし、柏木ですが」

あ、あの、楓です」

 

 聞こえてきたのは、今にも消え入りそうな小さな声。

 楓ちゃんだ。

 

「お、楓ちゃんか。久しぶりだね」

は、はい。お久しぶりです、耕一さん」

 

 この子も夏に比べて、だいぶ俺に対する態度も自然になってきた。

 俺が柏木家の血の呪いとも言える試練に打ち勝ってからは、時折笑顔も見せてくれる。

 だが、本来の性格なのだろう。奥ゆかしいところは変わっていない。

 

「そっちはだいぶ寒いだろ。楓ちゃんは風邪とかひいてない?」

「はい、大丈夫です」

「もう10月も終りだものね」

「ええ」

「こっちもそろそろ冬服を引っ張り出さなくちゃいけないくらいだよ」

「こちらは昨日コタツを出しました」

「え! そうなんだ」

「はい」

 

 言葉少なな楓ちゃんだったが、俺が何気なくふる話題に一生懸命答えてくれる。

 とりとめのない話題をかわしていた俺達だったが、電話口から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 

 

……楓、そろそろ姉さんに……

……千鶴姉は最後でいいだろ、次は初音!……

……そんな〜……

……いいから千鶴姉はおとなしく食卓にでも座ってなって……

……しくしく……

 

「クスクス」

「ははは」

 

 楓ちゃんは楽しそうに笑う、俺は苦笑するしかない。

 

「では、初音と変わりますね」

「うん」

 

「あ、お兄ちゃん?」

「初音ちゃん、お久しぶり」

「うん、お久しぶり」

 

 初音ちゃんは相変わらず元気一杯だ。

 今も電話の向こうで、あの『天使の微笑み』を浮かべているのだろう。

 電話なのでそれを見ることが出来ないのが残念だ。

 

「お兄ちゃん、バイト忙しいみたいだけど、体のほうは大丈夫?」

「うん、全然大丈夫だよ」

「それならいいんだけど、10時過ぎとかに電話してもまだ帰ってないみたいだから……」

 

 うーん、だいぶ心配掛けてるみたいだな。

 たしかにここのところのバイトのスケジュールは、我ながらすごいものがある。

 鬼の力に目覚めていなければとてもこなせないほどのスケジュールだ。

 

 実はある理由から、どうしてもバイトを詰めざるをえなかったのだが……。

 

「ごめんね、心配掛けて。でもほんとに大丈夫だよ」

「うん、わかった」

「それよりさ、今度試験休みでまとまった休みが取れそうなんだよね」

「え! それじゃあ……」

「うん、またお邪魔させてもらってもいいかな」

「お邪魔なんて…… ここは耕一お兄ちゃんのお家なんだからね!」

 

 ちょっぴり怒ったように、初音ちゃんはそう言ってくれた。

 

「そうだね、ありがとう初音ちゃん」

「ううん、それでいつ来てくれるの?」

「そうだなぁ、多分11月の半ばくらいには行けると思うよ」

「わかった。あ、でも旅費とか大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫、そのためにずっとバイトしてたんだから」

 

 本当はそれだけじゃないのだが……。

 

「うん、それじゃあみんなで待ってるね」

「お世話になります」

「クスクス、はい、わかりました」

 

「ええと、それじゃあ千鶴さんと代わってもらえるかな?」

「あっ! ごめんね、すぐに代わるね。 ……お姉ちゃーん、耕一お兄ちゃんが代わってほしいってー」

 

ドタドタドタ…… ガツン!

 

 電話口から何かにぶつかる音が聞こえてくる。

 急いで電話に出ようとした千鶴さんが何かにぶつかった音に違いない。

 まったく、千鶴さんは相変わらずおっちょこちょいだなぁ。

 

 俺が苦笑していると、受話器からやや涙声になった千鶴さんの声が聞こえてきた。

 電話の向こうでは梓の馬鹿笑いが聞こえてくる。

 

「は、はい、お電話代わりました」

「千鶴さん、大丈夫」

「え、ええ、大丈夫です。イタタ……

 

 どうやら相当強くぶつけたらしく、千鶴さんはまだ涙声だ。

 

 千鶴さんとも、もうだいぶ会っていないような気がする。

 実際には3ヶ月くらいなのだが。正直俺もちょっと寂しい。

 

 千鶴さんとはあの夏の日、初めてお互いの気持ちを確かめ合った。

 俺の最愛の人。

 

 柏木家の血の呪い、その重さを一身に受け、心を凍らせていた、千鶴さん。

 千鶴さんの全てを受け止められるほど、俺はまだ大きくはないけれど……。

 

「耕一さん?」

 

 千鶴さんの怪訝そうな声に、我に返る。

 いかんいかん、つい考え込んでしまったようだ。

 

「ごめんごめん、ちょっと考え事を」

「そうですか、それで耕一さん。こちらに帰ってきて頂けるんですって?」

 

 弾むような明るい声で俺に問い掛けてくる。

 その声からは、もうあの頃のような暗い影を感じ取ることはなかった。

 

「うん、11月の半ばくらいになると思うけど。詳しい日程が分かったらまた電話するよ」

「そ、そうですか、お待ちしています」

「でも千鶴さん、さっき梓が言ってたけど、俺があんまり連絡いれないからすねてたってほんと?」

 

 俺はちょっと意地悪く、千鶴さんをからかってみる。

 

「え、そ、そんなこと……」

「あれ、違ったんだ。悲しいなぁ、俺やっぱりそっち行くの取りやめようかな……」

「え、そ、そんなぁ〜。耕一さ〜ん」

 

 慌てた様子で頼りない声を出す千鶴さんに、俺は耐えきれず吹き出してしまう。

 

「あ、ヒドイ、からかったんですね! 耕一さんなんて知りません!」

「ごめんごめん」

「もう知りません! ぷんぷん!」

「あはは、ごめん。でも寂しかったのは俺も一緒だよ」

「えっ、は、はい。あ、あの、私も寂しかったです……」

 

 電話越しでも千鶴さんが真っ赤になっているのが目に浮かぶようだ。

 こういうときの千鶴さんは、年上だということを忘れてしまうくらいかわいい。

 

 電話の向こうからは、梓の『やれやれまた始まったよ』と言わんばかりのため息が聞こえてくる。

 

 さて、冗談はこれくらいにして、本題を切り出さないとな。

 

「それでね、千鶴さん」

「はい、何でしょう」

「えーとね、うーんと」

「?」

 

 く、いざとなるとなかなか言葉が出てこない。

 

「今度そっちに行ったときにね、大事な話と、それと…… 渡したいものがあるんだ」

「大事な話と渡したいもの、ですか?」

「うん、とても大事なことなんだ」

「? はい」

 

 普通ならここらでピンとくるものなんだろうけど、千鶴さんはああ見えてかなりの鈍感だ。

 やはり向こうに行ったときに、面と向かってちゃんと伝えないとダメみたいだな。

 

「うん、詳しいことはそっちに行ったときに話すよ」

「そうですか、何の事かはわかりませんけど、お待ちしていますね」

「うん。それじゃあもうそろそろ切るよ」

「はい、耕一さん、お体には気をつけてくださいね」

「ありがとう千鶴さん。千鶴さんこそ風邪なんかひかないようにね」

「ありがとうございます。それと……」

「ん?」

あ、あ、あ

「あ?」

 

あ、愛してます、耕一さん……

 

 恥ずかしさの為に、消え入りそうな声で、でもしっかりとした声で千鶴さんはそう言ってくれた。

 

「お、俺も愛してるよ、千鶴さん」

 

 多分俺も真っ赤な顔をしているに違いない。

 

 

 

 

 

 電話を切った後、俺はテーブルの上に置いてある小さな箱をそっと開く。

 

 そこには、小さな指輪。

 

 バイトの給料3ヶ月分の、今の俺に出来る精一杯の気持ち。

 

 このために、ずっとバイトをしてきたんだ。

 

 これを千鶴さんに渡すために。

 

 まだ学生の俺には『結婚してくれ』とは言えないけれど、だからこそ、その約束のための指輪。

 

 

 

 隆山はこれからどんどん寒くなるだろう。

 

 だけど柏木の家はいつだって暖かいに違いない。

 

 それは俺が忘れていた家族のぬくもりだ。

 

 その暖かさを心待ちにしながら、俺は眠りにつくのだった。

 

 

 

 

<FIN>