言霊

1999/11/08 久慈光樹


 

  

 

 言葉が私を傷つける。

 

 「お飾り」

 

 「客寄せ」

 

 「マスコット」

 

 わかってる。

 

 そんなことは誰よりも私自身が一番よくわかっている。

 

 

 面と向かって言われたことは一度もない。

 

 でも、そんなことは何の慰めにもならない。

 

 いっそ面と向かってそう言われたほうが遥かにいい。

 

 そうすれば、私も言葉で反論できるし言葉で相手を説得することだってできる。

 

 ……でもだめ。

 

 きっと私の言葉は相手には届かない。

 

 どんなに心を込めても。

 

 どんなに相手に分かってもらおうと努力しても。

 

 きっと言葉は届かない。

 

 だから私は何も言わない。

 

 どうせ届かない言葉なら。

 

 何も言わなくてもきっと一緒。

 

 

 

 もう

 

 疲れた……。

 

 

 

「会長。お宅につきましたが」

 

 運転手の人の声に、私は我に返った。

 少しまどろんでいたようだ。

 

「ああ、ごめんなさい。どうもありがとう」

 

 御礼を言って車から降りる。

 降りるときに少し眩暈がしてふらついてしまう。

 疲れているようだ。だからあんな嫌な夢を見てしまうのだろう。

 

「それでは、また明日の朝迎えに参ります」

 

 運転手さんは私にそう一礼すると鶴来屋へと戻っていった。

 

 鶴来屋

 

 隆山では最大級の高級旅館。

 私はそこの会長を務めている。

 でも会長なんていっても、大学を卒業したばかりの私には荷が重過ぎる仕事だった。

 事実、私なんていてもいなくても何も変わりないだろう。

 私の仕事といえば、足立さんがあらかじめ目を通し、整えた書類に決済印を押すことと、マスコミの取材に応じることくらい。

 足立さんは「ちーちゃんは会長なんだからドンと構えていればいいんだ。仕事なんてそのうち覚えるさ」と言ってくれるが、そういうわけにもいかないだろう。事実、ろくに仕事も知らない若い娘が会長に就任すると決まったときには、役員の方を始め、鶴来屋全体に大きな動揺が走った。

 足立さん達の巧妙な根回しの結果、混乱は避けられたが、私に対する風当たりは表面に出なくなった分、さらに酷くなった。

 「お飾り」「客寄せ」「マスコット」、そう陰口されていることは知っている。反対派の役員を中心に、私を会長から退けさせる動きがあることも知っている。

 始めのうちこそ、そういった反対派の方と何とか話し合おうと努力した。

 私なりに言葉を尽くし、何とか相手に分かってもらおうと努力した。

 

 でもそれは全て途労に終わった。

 私がどんなに心を尽くして話すことも、相手の心には届かない。

 表面上は素直に従う振りをしても、自分の内面で考えていること、私に対する不平や不満すら話してはくれない。

 私のどこが悪いのか、何を気をつければよいのか、私はどうするべきなのか。

 言葉に出してもらわなければ私には分からないし、相手が何を望んでいるのかも分からない。

 

 もうどうすればよいのか分からない……。

 

 

 吹き付ける風に軽く身震いする。

 門の前で立ち尽くす私に、秋の終わりの風が容赦無く吹き付けてくる。

 

「妹達の前ではこんな顔は見せられないわね」

 

 気持ちを切り替えるために、わざと声に出してそう言ってみる。

 家に帰ってきたときには、私は理想の姉、理想の母を演じなくてはならない。

 間違っても会社での会長としての顔を見せるわけにはいかない。

 特に今日のように暗く沈んだ思考の時には気をつけなくてはならない。

 

 でも大丈夫、きっと私はうまくやれる。

 これまでだったそうだったのだから。

 だからきっと今日も、これからもずっとうまくやれる。

 

 会長としての冷徹な大人の顔

 姉としての頼りになる大人の顔

 母としての優しい大人の顔

 

 ずっと使い分けてきたのだ、だからきっとこれからもうまくやれる。

 色んな仮面を使い分けることにはもう慣れた。

 

 私はそんなことを考えながら、でもしっかりと心の仮面をかぶり直してからゆっくりと門をくぐった。

 

 

「ただいまー」

 

 玄関をくぐって、少し大きな声で帰宅を知らせる。

 靴を脱いでいると、奥からパタパタと初音が出迎えてくれた。

 

「お帰りなさい、お姉ちゃん。お仕事ご苦労様」

「ただいま、初音」

「もうすぐご飯できるよ」

「そう、じゃあ着替えてくるわね」

 

 着替えるために部屋へ向かおうと、食卓のある部屋の前を通る。

 梓と楓が出迎えてくれた。

 

「お帰り、千鶴姉」

「お帰りなさい」

「ただいま、梓、楓」

 

 暖かく出迎えてくれる妹達の笑顔に、私も意識しないで笑顔になることができた。

 

「ほら、ボケッとしてないでさっさと着替えてきなよ」

「酷いわ梓、私ボケッとなんかしてません!」

「はいはい、千鶴姉はただでさえ亀なんだから、もっときびきび行動してくれよな」

「ちょっと梓! 亀って何よ!」

「そのまんまの意味だろ」

「梓お姉ちゃん、千鶴お姉ちゃん、喧嘩しちゃだめだよぉ」

「(こくり)」

「うっ、梓、後で覚えてなさいよ」

 

 いつも通りのやり取り。

 でも、私の中の妙に覚めた私が、冷静にそれを眺めている。

 大丈夫、今日もうまくやれている。

 

 部屋に戻り着替えてから、4人で食卓を囲む。

 賑やかで、暖かい家族の食事。

 そんな楽しい食事が終わり、楓の入れてくれたお茶を飲んでいると、電話が鳴り出した。

 

「あ、私が出るよ」

「ありがとう初音」

 

「はい、柏木です。 ……あっ! 耕一お兄ちゃん!」

 

 どうやら東京にいる耕一さんからの電話だったようだ。

 耕一さんとは夏以来会っていない。

 

 夏。

 耕一さんが忌まわしい柏木の血の呪いに打ち勝った夏。

 私が耕一さんと結ばれた夏。

 

 あれからまだ2ヶ月と経っていないのに、もうずいぶん昔のような気がする。

 耕一さんはほとんど毎週電話をくれるが、やはり会えない日々が続くと寂しい。

 

「……うん分かった。じゃあ千鶴お姉ちゃんに代わるね」

 

 楽しそうに話していた初音が、私に電話を代わってくれた。

 

「もしもし、こんばんわ耕一さん」

「こんばんわ、千鶴さん」

 

 電話越しに聞こえる耕一さんの優しい声。

 その声を聞いた途端、会えなかった寂しさが薄らいでいくのを感じる。

 

「寒くなってきたけど、千鶴さんは元気にしてる?」

 

 いつだって私を気遣ってくれる耕一さん。

 胸が温かくなる。

 

「はい、私は元気です。耕一さんこそお元気でしたか?」

「俺も元気だよ。グータラ大学生だからね」

「まあ、うふふふ」

「ははははっ」

 

「ところで千鶴さん、仕事のほうは大変じゃない?」

「え……?」

 

 耕一さんの問いかけに、思わず声が詰まる。

 

 

   辛いです

 

   もう限界です

 

   助けて下さい耕一さん

 

   私を助けて

 

 

 本心を吐露してしまいたい。

 耕一さんに助けを求めたい。

 

 でも私の口から出るのはいつも通りの偽りの言葉。

 

「……ええ、社員の皆さんも協力してくれます。私は大丈夫です」

「そうか、良かった」

 

 それからしばらくお話して、梓と代わった。

 梓の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 私はその笑い声から逃げるように一人部屋に戻った。

 

 

 

 

どさり

 

 ベッドに仰向けになって寝転がる。

 

   助けて下さい耕一さん

   私を助けて!

 

 電話越しにそう叫べば、耕一さんは何があってもここに来てくれるだろう。

 そして何があったとしても私を救おうとしてくれるに違いない。

 あの時の叔父様のように、私を救ってくれるに違いない。

 

 でもそれはできない。

 私のかぶる仮面が許してはくれない。

 

 いつからだろうか、自分を演じるようになったのは。

 少なくとも耕一さんに ……耕ちゃんに初めて会った時の私は、ありのままの私だった気がする。

 

 あの頃のありのままの私は、まだいるのだろうか?

 会長、母、姉。

 それらの仮面を全て取った私には果たして顔があるのだろうか?

 

 

 私の言葉が皆に通じないのも当然なのかもしれない。

 

 それは偽りの言葉だから。

 様々な役割を演じている私の言葉だから。

 様々な仮面をつけた私の言葉だから。

 ありのままの私の言葉じゃないのだから……。

 

 暗い思考に沈んで行くことを自覚しながら、私はそのまま深い眠りの底に落ちて行った。

 

 

 

 

 

  ……ル

 

  …ルルル

 

  トルルルル

 

 部屋に備え付けた電話の音で目を覚ました。

 時計を見るとすでに10時をまわっている。

 

  トルルルル

 

 そうだ。電話に出なければ。

 この電話は私個人の回線で、鶴来屋の人間か親しい知人からしか、かかってくることは無い。

 

    鶴来屋でなにかあったのだろうか……。

 

 不安な気持ちを押さえ込み、電話に出る。

 

「はい、柏木でございます」

 

 だが、電話口から聞こえてきたのは以外にも耕一さんの声だった。

 

「こんばんわ、千鶴さん」

「こ、耕一さん!」

「え! どうしたの?」

「い、いえ、耕一さんこそどうなさったんですか?」

「ああそうか、もう10時過ぎだもんね。ごめんね千鶴さん、寝てた?」

 

 耕一さんは苦笑した様子で、ちょっと的外れなことを言う。

 でも寝ていたのは事実だったので、ちょっと赤面してしまう。

 

「本当にどうなさったんですか?」

「いやね、さっきの電話で千鶴さんなんか元気が無かったからさ……」

「……え?」

 

 元気が無かった?

 声に出ていたのだろうか。

 ううん、そんなことはない。私はいつも通りだったはずだ。

 

 外面上は。

 

 そう、いつも通り。

 心の中では弱い私が『辛い』『助けて』と悲鳴を上げているのに、仮面をかぶった私は『何でもありません』って顔をして、普通にして……。

 

「俺の気のせいだったらごめん。でも、もし何か悩みがあるんだったら、遠慮なく俺に相談してよ」

「耕一さん……」

「いや、俺なんかに相談してもどうなるもんでもないけどね、あはは」

 

「でも、それでも俺と千鶴さんは…… その…… こ、恋人同士なんだから」

「耕一さん…… 耕一さん……」

「あ、え? ち、千鶴さん、泣いてるの?」

 

 分かってくれる。

 耕一さんだけは分かってくれる。

 

 ありのままではない、偽りの言葉

 本心を隠して心を閉ざした私

 仮面をかぶって偽りの自分を演じている私

 

 そんな私を……。

 

 耕一さんはいつだって分かってくれる。

 

「耕一さん…… 耕一さぁん……」

 

 子供のようにぐずぐずと泣きながら、ただ耕一さんの名前を呼ぶことしかできない。

 

 あいたい。

 耕一さんにあいたい。

 

「千鶴さん。やっぱり辛いことがあったんだね」

 

 そんな私に、耕一さんは優しく声を掛けてくれる。

 

「でもそんな時は自分一人で抱えこまなくたっていいんだよ、できれば俺に話してくれないかな?」

「……いいんです、これは私の問題ですから」

 

 どうしてこんな言葉が出てしまうのだろう。

 

 こんなに辛いのに。

 

 こんなに助けてほしいのに。

 

 どうして伝えることができないのだろう。

 

 

「ねえ千鶴さん、言葉って不便だよね」

 

「え……?」

 

 耕一さんの突飛な台詞に、思わず聞き返してしまった。

 

「自分で思っていることが相手には10分の1も伝わらない。仮に伝わったとしても、それは相手の感受性が豊かなのであって、万人に自分の考えが伝えられている訳じゃない」

 

「……」

 

「でもね、千鶴さん」

 

 耕一さんはそこで一旦言葉を切った。

 そして少し間をおき、ゆっくりとかみ締めるように再び話し始める。

 

「俺、最近思うんだ。言葉って確かに相手には気持ちを伝えるのが難しい。でもね、だからといって言葉にしないんじゃ、相手は絶対にわからないんだよ」

 

「言葉にしても伝わるかどうか解らないけれど、でも言葉にしないと決して伝わらないんだ」

 

 

   言葉にしないと決して伝わらない……。

 

 

 耕一さんの言葉を心の中で反芻してみる。

 

「だからね、千鶴さん」

 

「はい」

 

「もっと話そうよ」

 

「え?」

 

「伝えたいことを言葉にするのは難しいけれど、でも決して伝わらないわけじゃないんだ。伝えたいことが10分の1も伝わらないんだったら、10倍話せばいい。もっと伝えたいんだったら、もっともっと話せばいい」

 

「耕一さん……」

 

「あ、あはは、何言ってるんだろ俺、意味不明だね」

 

「そんなこと無いです。ありがとう耕一さん」

 

「うん」

 

「本当に…… 本当にありがとう……」

 

 

 

 それから私は色んなことを耕一さんに話した。

 

 鶴来屋のこと。

 

 妹達のこと。

 

 そして私自身のこと。

 

 耕一さんはまるで我が事のように憤慨し、慰め、そして共に笑ってくれた。

 

 

 もう私は耕一さんの前では仮面をかぶる必要はなかった。

 耕一さんの前では自分を偽る必要はなかった。

 

 そしていつかは。

 

 いつかはみんなの前でも仮面をかぶらなくてもよくなる日がくるのだろうか。

 ありのままの自分をさらけ出せる日がくるのだろうか。

 

 

    もっと話そうよ。

 

 

 耕一さんはそう言った。

 

 10分の1も伝わらないのならば10倍話せばいいと。

 

 

 話してみよう。

 

 全員が耕一さんのように、私のことをわかろうとしてくれる人ばかりではないだろう。

 

 自分の伝えたいことが伝わらなくて、くじけそうになるかもしれない。

 

 言葉のすれ違いや誤解で悲しい思いをすることもあるかもしれない。

 

 

 でも話してみよう。

 

 いつかは伝わることを信じて。

 

 自分の想いが相手に伝わることを信じて。

 

 ありのままの自分の言葉で話してみよう。

 

 

 

 電話越しに、耕一さんと笑いあいながら、私はそう心に決めていた。

 

 

 

<Fin>