二月の下旬のこの時期、私たちの住む降山はまだ深い雪に覆われています。

 このあいだ電話で耕一お兄ちゃんとお話したときにそのことを伝えると、お兄ちゃんはびっくりしていました。東京は普段から雪があんまり降らないんだそうです。

 そんな降山ですが、今朝はいい天気でした。ここ2、3日降っていた雪が、お日様の光を浴びてキラキラと輝いて、とっても綺麗。

 

 このお話はそんなとても清々しい朝から始まります。

 

 

 


魔法少女
プリティ・メープル

第一話(最終回)

−青い花瓶と地獄突き−

2002/02/27 久慈光樹


 

 

 

 

「あれ? 梓お姉ちゃん、この花瓶どうしたの?」

 

 私、こと柏木初音がその花瓶に気付いたのは、朝ご飯のあと食器を洗うのを手伝っていた時でした。

 ちなみに今日は日曜日、私も梓お姉ちゃんも学校はお休みです。でも千鶴お姉ちゃんは今日も朝からお仕事に出かけていきました。お仕事って大変だなと思います。

 楓お姉ちゃんは部活です。私は違う学校だから楓お姉ちゃんが何の部活に入っているか知りません。

 前に一回聞いたんですけど……

 

「知りたいの?」

「うん」

「……本当に、知りたいの?」

「え? う、うん」

「……後悔…しない?」

「あっ、や、やっぱりいいよ! 聞かない!」

「……そう」

 

 というわけで、私は楓お姉ちゃんがどんな部活をしているのか知りません。

 でも今日、朝ご飯をいつものように一瞬で食べてしまった楓お姉ちゃんと、こんな会話がありました。

 

「……初音、赤ワイン」

「え?」

「……お家に、赤ワインはある?」

「赤ワインなんてどうするの?」

「……部活で使うの……真っ赤な血の色をした赤ワインを」

「ご、ごめんね楓お姉ちゃん、今ちょっと切らしてて…… か、買ってこようか?」

「いい、無くても平気だから」

「そ、そうなんだ……」

「じゃあ行ってきます。 くすくす…… アセトアルデヒド…… くすくす……」

「行ってらっしゃい、楓お姉ちゃん。……それと思い出し笑いはほどほどにしておいたほうがいいと思うよ」

 

 楓お姉ちゃんは普段はとっても優しいお姉ちゃんですけど、ときどきとっても遠くに感じてしまいます。

 

 

 

「あー、それ? きのう蔵から漬物出してきた時に見つけたんだよ」

 

 ちょっと他の事を考えていた私は、梓お姉ちゃんの声で我に返りました。

 

「そうなんだ」

 

 そうそう、花瓶の話をしていたんでした。

 その花瓶はちょっと薄汚れた感じでしたけど、それでもわかるくらいに綺麗な水色をしていて、なんだか私はとっても気に入ってしまったのです。

 

「ねえ梓お姉ちゃん、この花瓶どうするの?」

「んー? 洗って花でも飾っとこうかなって思ってね」

「あの…… この花瓶、私が貰ってもいいかな?」

「へぇ、初音が物を欲しがるなんて珍しい。気に入ったんだ」

「うん、ちょっと」

「じゃああげるよ、別に蔵に転がってた物だし」

「ありがとうお姉ちゃん!」

「いいっていいって」

 

 喜ぶ私に、大げさだなー初音は、って感じでちょっと苦笑しながら、梓お姉ちゃんは手早く食器を洗い終え、部屋に戻っていきました。

 今日は日曜日だから学校もお休み。でも受験生の梓お姉ちゃんはきっとこれから勉強するのでしょう。私は受験はまだちょっと先ですけど、今から勉強する癖をつけておくべきかもしれないな、なんて思います。

 さて、梓お姉ちゃんから貰ったこの花瓶、とりあえず洗って綺麗にすることにします。

 

「だってこのままじゃ汚れててかわいそうだもんね」

 

 暖かなお湯で、まずはこびりついた汚れを洗い流します。

 続いて食器用の洗剤をつけて他の食器と同じようにスポンジでよく洗い、そのあと暖かなお湯で泡を流すと……。

 

「うわぁ、キレイ」

 

 思わずそう口に出してしまうほど、その花瓶は綺麗でした。水色をしたガラスをお日様に透かすと、まるで中に光を閉じ込めたみたいにキラキラと輝いて。

 私は思わず見惚れてしまいました。

 

「えへへへ」

 

 そしてその花瓶を持ってお部屋に戻ろうとしたとき、ちょっとおかしな事に気付いたんです。

 

「あ、あれ?」

 

 もうお日様に透かしているわけでもないのに、さっきまでと同じようにその花瓶はキラキラと輝いていました。

 

「あ、あれれ、どうなってるの?」

 

 私はちょっと怖くなって、花瓶を床に置きました。なんだか段々と光が強くなっているようです。

 やがて……

 

「わっ、まぶしい!」

 

 突然、花瓶から光が溢れ、そのあまりの眩しさに、私は顔を手で覆うのがやっと。

 

「ど、どうなってるのーー!?」

 

 どのくらいそうしていたでしょう、やがて光は徐々におさまっていき、やがて、無くなりました。

 恐る恐る目を開けた私は、いつのまにか花瓶の前に人が立っている事に気付きます。

 

「か、楓お姉ちゃん?」

 

 いつものように無表情でそこに立っていたのは、部活に出かけていったはずの楓お姉ちゃんでした。

 なぜだか夏の制服を着ています。寒くないのかなあ?

 

「違います、私は楓ではありません」

「え?」

「私は『魔法少女 プリティ・メープル』、この花瓶の精です」

「な、なに言っているの、楓お姉ちゃん……?」

「……」

 

ビシッ!

 

「あいたーー!」

 

 問い返した私の頭に、電光石火のチョップ。

 ううう、痛いよぅ……

 

「私は『魔法少女 プリティ・メープル』、この花瓶の精です」

 

 頭を抱えてうずくまる私に、楓お姉ちゃん……じゃなくてプリティ・メープルは繰り返します。

 どうでもいいけど自分のことを「プリティ」とか言うのはちょっとどうかと思……

 

ビシッ!

 

「はぅっ!」

 

 なんとか立ち上がった私の頭に、またもや電光石火のチョップ。

 うううっ、痛いよぅ……

 

「余計なことは考えない」

 

 あくまで淡々と、楓お姉ちゃ……プリティ・メープルはそう言って私をたしなめます。

 

「しつこいようですが、私は『魔法少女 プリティ・メープル』、この花瓶の精です」

「わ、わかりました」

 

 もう痛い思いをするのはイヤなので、素直にうなずきます。

 そんな私をちょっと満足げに見やって、楓お姉……プリティ・メープルは話し始めました。

 

「私を綺麗にしてくれてありがとう」

「う、うん」

「あなたの名前を教えてくれますか?」

「あ、え、えっと、初音です、柏木初音」

「ありがとう、初音」

 

 そう言って微笑むさまは、どこからどう見ても楓お姉ちゃん。

 でもさっき光の中から現れように見えたし、この寒いなか夏物の制服を着ていてもぜんぜん寒そうにしていないところとか、やっぱりおかしいです。

 

 ……楓お姉ちゃんだったら充分ありえる話のような気もしますけど……

 

「初音ー? どうしたのさっきから騒がしいけど」

 

 物音を聞きつけたのか、部屋に戻っていた梓お姉ちゃんが台所に顔を出しました。

 

「あ、梓お姉ちゃん! こ、これはその……」

 

 ちょっと焦ってしまいました。

 この寒いなか夏服を着た、一見楓お姉ちゃんにしか見えないこの人を見たら、梓お姉ちゃんは何て言うでしょう。

 

「あれ? 話し声がしたみたいだから楓か千鶴姉でも帰ってきたのかと思ったんだけど、初音ひとり?」

「え?」

「初音、あんまり独り言ばっか言っていると楓みたいになるよ」

「え? え?」

「さーて、もうちょっと頑張ろ」

 

 混乱する私をよそに、梓お姉ちゃんはそう言ってまた部屋に戻っていきました。

 

「ど、どうして?」

「言ったでしょう、私はこの花瓶の精。初音以外の人間には、私を見ることはできないのです」

「すごいすごい、本当に花瓶の精なんだぁ」

 

 感動する私に、「えっへん」と平らな胸をそらすプリティ・メ……

 

ドス!

 

「はあぅっ!」

 

 の、喉に地獄突きは反則だよぅ……

 

「平らは余計です、それに初音にだけは言われたくありません」

 

 ごほっ、ごほっ、痛いよぅ……

 

 咳込む私を無視して、プリティ・メープルは何事もなかったかのように淡々と話を続けます。

 

「私を綺麗にしてくれたお礼に、初音の願い事をかなえてあげましょう」

「ごほっ…… 願い事?」

 

 どこかで聞いたような展開に、私は目を白黒させるばかり。

 

「ただし3つだけです」

「3つ…… な、なんでもいいの?」

「ただし死者を甦らせることだけはダメです、でもそれ以外のことなら、たとえ世界を征服することも可能です」

「そ、そんなこと考えないよぅ」

「その平らな胸を豊かにして欲しいという願いも却下です、ムカツクから」

 

 ううっ、さっきのことしっかり根に持ってるよぅ……

 

「さあ願い事をどうぞ」

「そ、そんなこと急に言われても……」

「さあ、さあ!」

 

 ううっ……

 

「じゃ、じゃあ、『世界が平和になりますように』ってのは……?」

 

 それを聞いたプリティ・メープルは、ちょっと唖然としたように私を見ていました。

 

 が、やがてにっこりと優しく微笑んで……

 

 

 

 

「この偽善者が」

 

 ぺっ、とその場に唾をはきました。

 

「うわぁ、態度悪っ!」

 

 

 

 私の肩をポンポンと叩き、苦笑しながら首を振ります。まるで「やれやれお子様はこれだから」と言わんばかり。

 

「ねえ初音、私が聞きたいのはそんな綺麗ゴトじゃないの」

 

 き、綺麗ゴトって……

 

「私の聞きたいのは、もっとこう、ドロドロと欲望にまみれた願い事なの」

 

 ど、ドロドロって……

 

「あるでしょう、例えばそう

『ホルスタインみたいな胸した次女を畜産試験場に出荷したい』

 とか

『三女と同じくらいツルペタだけど三女とは違って未来がない長女を面前で思いきり笑い飛ばしたい』

 とか」

 

 うわーん、なんか具体的だよぉ!

 

「そういうわけで、この願い事は却下。さあ次こそは欲望にまみれた願い事を言うのです」

 

 そ、そんなこと言われても……

 

「さあ言うのです、いま言えすぐ言え」

 

 え、えと、えと……

 

 

「こ、耕一お兄ちゃんに会いたいっ!」

 

 

 あわわわ、い、言っちゃった。

 恥ずかしいよぅ……

 

「イマイチ欲望の度合い的にアレですけれど、まあいいでしょう」

「えっ! かなえてくれるの?!」

「無論です」

 

 年末年始にこっちに来て以来、耕一お兄ちゃんは大学に通っているはずです。だから長期の休みでもない限り、こっちには来てくれないはずなんだけど……。

 

「……いま、「本当にできるのかな?」って思いましたね?」

 

 シュッシュッ、と地獄突きの素振りをしながら睨まれました。

 

「思ってない、思ってないよ!」

 

 思わず喉を押さえて後ずさった私を見て「まあいいでしょう」と呟いた後、プリティ・メープルは呪文を唱えました。

 

 

 

「らみぱす・らみぱす・るるるるる〜〜」

「うわぁ、古っ!」

 

 

 

ピンポーン

 

 あ、あれ? チャイム?

 まさか……

 

「やあ初音ちゃん」

「こ、耕一お兄ちゃん!」

 

 わっ、わっ、ホントに来てくれた!

 で、でもどうして……

 

「いやぁ、講師の先生が暴漢に襲われたとかで入院しちゃってさ」

「えっ!?」

「なんか背後からワインの瓶で殴られたとか」

「そ、そうなんだ」

「で、思いがけず暇になっちゃったから来たんだけど、迷惑だったかな?」

「迷惑なんてそんなこと全然ないよ! お兄ちゃんが来てくれて嬉しいよ!」

「はっはっは、初音ちゃんはいい子だなぁ」

 

 なでなで。

 ううっ、恥ずかしいよ……

 

「あれぇ? 耕一どうしたの?」

「おう梓、実は……」

 

 やがて千鶴お姉ちゃんと楓お姉ちゃんも帰宅し(耕一お兄ちゃんを見て、二人とも目を丸くしていました)、夕食の時間。

 ちなみにあのあと台所に戻ったときにはプリティ・メープルの姿は無く、私は床に置きっぱなしになっていた花瓶をそっと部屋に置いておきました。

 

 

 

「梓お姉ちゃん、こっちのお皿はここでいい?」

「あ、こっちでいいよ、いっしょに洗っちゃうから」

「はーい」

「耕一は?」

「寝ちゃったみたい、いま千鶴お姉ちゃんがお布団用意してる」

「まったく飲み過ぎなんだよあいつは」

「あははは……」

 

 耕一お兄ちゃんはビールをたくさん飲んで、いまはもう夢の中。

 何時間も電車に揺られて疲れたのかもしれません。

 

「でもよかったね、耕一お兄ちゃん来週いっぱいこっちにいてくれるって」

「まぁ、ね」

 

 わざと素っ気無くそう言う梓お姉ちゃんですけど、きっと嬉しいのでしょう、食器を洗いながら鼻歌なんて口ずさんでいます。

 

「あ、初音、ここはもういいよ」

「うん、じゃあよろしくね」

 

 私はお部屋にもどってパジャマに着替えながら、来週から耕一お兄ちゃんがいてくれる幸せに思わず笑顔。

 明日は耕一お兄ちゃんと何をして遊ぼう。

 明後日は何をしよう。

 その次の日は……

 えへへへ……

 

 

「と、私は淫らな妄想に身体の芯がジンジンと熱くなっていくのを感じていました」

 

 

「ひゃぁ!」

 

 突然な背後からの声に、思わず飛びあがってしまいました。

 慌てて降り返ると、いつのまにかそこには楓お姉ちゃん……にそっくりなプリティ・メープルが。

 

「『あっ、ダメ……』

 拒絶の意思とは裏腹に、私のいけない手は未発達な……」

 

「わ、わーーっ! そ、そんなこと思ってないよぅ!」

「初音はイヤラシイ娘ですね」

「いやらしくないよぅ!」

 

 思わず涙目。

 「冗談です」とプリティ・メープルは相変わらずの無表情。

 ちっとも冗談に聞こえません。

 

「最初の願い事は初音の淫らな欲望を満足させたみたいですね、それでは次の願い事をどうぞ」

「淫らな欲望じゃないもん……」

「次の願い事をどうぞ」

「淫らじゃないもん……」

「願い事をどうぞ」

 

 うわーん、ぜんぜん人の話聞いてないよー。

 

「え、えと…… じゃあ残りの願い事は棄権するということで……」

「却下」

「しくしく」

「どうしても思いつかないというのなら、残りの願いは私が考えて……」

「い、いいです! 自分で考えます!」

 

 ニヤリ、と口元を歪めて笑うプリティ・メープルに、私は慌ててそう言います。

 ううっ…… 願いを言う側が脅迫されてるよぅ……

 

「え、えと…… なんでも……いいの?」

「はい」

「ホントに、なんでも?」

「はい」

「……」

「さあ、願い事をどうぞ」

「や、やっぱりいいや」

 

ズビシ!

 

「はぅっ!」

「初音、私はあまり冗談は好きではありません」

 

 うううっ、痛いよぅ……

 

「え、えと、笑わない?」

「私は笑わないことで有名なのです」

「じゃ、じゃあ、怒らない?」

「私は温厚だと評判です」

 

 そ、それはウソだと思う……

 

「というわけで、願い事をどうぞ」

「……いたい……」

「え?」

 

「お母さんに……あいたい……」

 

 

 ぽつりと。

 呟くようにそう言って、私は下をむきました。

 高校生にもなってこんな願い事を言うのが恥ずかしくて、顔を上げることができません。

 プリティ・メープルはじっと黙ってなにも言いませんでしたけれど、私は自分の口にした願い事に、後悔していました。

 

 

 

 

 私は両親を知りません。

 小さい頃に、お父さんにお風呂に入れてもらったり、お母さんに抱っこしてもらったりしていたはずなのですけれど。

 私は、そのことを覚えていません。

 

 でも寂しいなんて思ったことは一度もありません。

 私には千鶴お姉ちゃんがいます。

 梓お姉ちゃんがいます。

 楓お姉ちゃんがいます。

 そして、耕一お兄ちゃんがいます。

 寂しくなんか、ちっとも寂しくなんかありません。

 

 それに、末っ子の私がそんなことを言ったら、お姉ちゃんたちはどう思うでしょう。

 きっと慰めてくれると思います。優しい言葉をかけてくれると思います。

 そして、私に悲しい思いをさせたと思って、悲しむと思います。

 

 だから私は寂しくありません、寂しいと思ったことなんてありません。

 お母さんやお父さんにあいたいなんて、言っちゃ……ダメなんです。

 

 私のわがままでみんなを悲しませたら、私も悲しいから。

 

 

 

 ふわり、と。

 抱きしめられる、感触。

 

「あ……」

 

「あなたには、お姉さんたちがいるでしょう? お兄さんも、いるでしょう?」

「……」

「優しい家族がいるでしょう?」

「……」

 

 

「だからこそ、我慢する必要はないのよ?」

「え……?」

 

 

「人を思い遣れるのは、初音のいいところ」

「そ、そんなこと……」

「だけど、いつだって我慢してしまうのは、悪いところ」

「……」

「自分を殺して我慢する必要はないの」

「……」

「わがまま、言えばいいじゃない」

「…うっ

「わがままを言ってもいいの」

「……うっ……」

「頼ってもいいの」

「……うっうっあいあいたいよ……」

「だって、家族ってそういうものだもの」

「……お母さんに、お父さんに……」

 

 

「お母さんに、お父さんにあいたい、あいたいよぅ!」

 

 

「その願い事、確かに聞きとどけました」

 

 

 

 

 

 朝。

 今日もいい天気。

 

 そういえば、私は昨日いつベッドに入ったんでしょう。

 昨日は思いもかけず耕一お兄ちゃんが来てくれたので、嬉しくてちょっと舞い上がっちゃったのかもしれません。

 

 昨日、なんだか楽しい夢を見た気がします。

 私は朝起きたら夢の内容を忘れちゃうタイプなので、よくは覚えてないのですけれど。

 なんだかとても楽しくて、幸せで、そして暖かな夢だったような気がします。

 内容ははっきりとは覚えていなくても、なんだか今日一日ずっと幸せな気分で過ごせるような、そんな夢を見た気がします。

 

「あれ?」

 

 着替えようとベッドから出て立ちあがった私の目に、窓際に置かれた花瓶がとまりました。

 

「こんな花瓶、あったっけ?」

 

 お日様の光を受けてキラキラと輝く、青い花瓶。とても綺麗な、青い花瓶。

 

 そのときです。

 

「いま、なにか……」

 

 確かになにかが私の脳裏をかすめたのですけれど。

 “それ”はまるで掌から零れ落ちる水のように、すーっと手の届かないところに行ってしまいました。

 

 私はそのままじっとその青い花瓶を見ていました。

 

「そろそろ、学校に行かなくちゃね」

 

 なぜか躊躇いを感じながらも、急いで支度を整えます。

 そして私は、そのまま部屋を出ようとして……

 

「行ってきます」

 

 窓際で光を受けて輝く青い花瓶に、そう声をかけました。

 

 

 

 私にはなぜだか、その青い花瓶が応えてくれたような気がしました。

 

 

 

 

 

『いってらっしゃい、初音』

 

 

 

 

<おしまい>

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ちょっと寝ぼうしちゃった」

「おはよう初音ちゃん、学校は大丈夫?」

「耕一お兄ちゃんおはよう。えへへ、朝ご飯食べる時間ないや、ごめんね梓お姉ちゃん」

「おはよう、初音」

「あれ? 楓お姉ちゃん今日は遅いんだね」

「……私も寝ぼう」

「あははは、じゃあ途中までいっしょに学校いこ」

「……うん」

 

 

「あ、楓お姉ちゃんはこっちだね、じゃあ行ってらっしゃい」

「初音も行ってらっしゃい」

「うん!」

「あっ、初音」

「え? なに?」

「最後の願い事、欲望にまみれたやつを考えておいてね」

「……え?」

「じゃあ行ってきます」

「あっ! ま、待ってよ、それってどういう…… お姉ちゃん! 楓お姉ちゃん!」

 

 

「ニヤリ」

 

 

 

<本当に、おしまい>