お母さんが、いない。

 どこにも、いない。

 

 いるわけがない。

 

 

 だって

 

 

 お母さんは死んでしまったんだから。

 

 

 

 

 


第一回 かのんSSこんぺ出展作

月の鳴く夜

2002/04/22 初展
2003/02/10 改訂

 久慈光樹


 

 

 

 

 

 わたしはもう笑えない。

 なのに祐一は笑っている。

 まいにち、まいにち、へらへら、へらへら、笑っている。

 笑って、元気出せ、なんてことをわたしに言う。

 学校に行く、祐一は毎日学校に行く。

 お母さんがいないのに、何事もなかったかのように学校に行く。

 

 まるで

 そうまるで

 お母さんなんて、最初からいなかったかのように。

 

 祐一はお母さんの子供じゃないから。

 だからお母さんがいなくなっても祐一は笑うし、いつものように学校にだって行く。

 元気を出せ、なんてことを平然とわたしに言う。

 

 祐一の笑い顔を見ると、吐き気がする。

 祐一なんかじゃなくて、お母さんがいてくれればよかったのに。

 

 そういえば

 

 祐一が来る前は、お母さんがいた。

 祐一がこの家に来て、お母さんがいなくなった。

 祐一がこの家に来たから、お母さんがいなくなった。

 祐一がこの家に来せいで、お母さんがいなくなった。

 

 なんだ、だったら

 

 祐一がいなくなれば、お母さんが帰ってくるんじゃないか。

 祐一が死ねば、お母さんが帰ってくるんじゃないか。

 

 なんだ、簡単なことだった。

 

 

 祐一が、死ねばいいんだ。

 

 

 

 

 

 それは、月がとても綺麗な晩だった

 

 何度も

 何度も

 何度も

 何度も

 

 台所から持ってきた包丁を突き立てるたびに、潰れたカエルみたいな声を上げて。

 その声があんまり可笑しいものだから、笑いが止まらない。

 可笑しい。祐一はよく可笑しいことを言って、わたしを笑わせたけれどそれと同じくらい、ううん、それ以上に可笑しかった、面白かった。

 

 やがて“それ”は動かなくなった。

 

 額の汗を拭って、一息ついたところでわたしは気がついた。流れ出したモノが、部屋のあちこちに飛び散ってしまったことに。

 お掃除する大変さを考えたら、泣きたくなった。わたしはあんまりお掃除が好きじゃないから。

 ため息を一つついて、床に転がった“それ”に目を向ける。

 どうしよう、これ。

 

 動かなくなった後も、“それ”からは赤いモノがどんどん出てきた。このままじゃ床が水浸しになってしまう。

 お母さんが帰ってきて、お部屋がこんなだったら、きっとびっくりさせてしまうだろう。

 お掃除しなきゃ。

 

 とりあえず、ベランダに出しておくことにした。ベランダが汚れちゃうけれど、仕方がない。手が汚れちゃうのが嫌だったけど、これも仕方がない。

 なんだか頭に来て、サッカーボールみたいに蹴ってみたけど、足が痛いだけだった。

 

 重くてすごく苦労したけれど、引っ張ってなんとかベランダに放り出すことができた。真っ赤になってしまった包丁も、べたべたして気持ちが悪かったからいっしょにベランダに出しておいた。

 それからお掃除をした。

 雑巾を絞って床を拭き、シーツは後でまとめてお洗濯することにする。とにかくどこもかしこも真っ赤で、お掃除を終える頃には真夜中になっていた。疲れた。

 

 

 

 

 お母さんは、まだ帰ってこない。

 どうしたんだろう、どうして帰ってこないんだろう。事故にでも遭っているじゃないだろうか。

 ちょっぴり、心配になった。

 

 そこでわたしは、気がついた。

 “あれ”だ。

 ベランダに放りだしたままの“あれ”がまだこの家にあるから、きっとお母さんは帰ってこないんだ。

 わたしは“あれ”を、捨てに行く事にした。

 

 なんだか固くなっていてすごく重かった。

 両手で引きずって玄関まで持ってくるだけで、わたしはくたくたになってしまった。

 引きずった後には、廊下に赤い線のように染みがついてしまって、また掃除しなくちゃいけない。なんだかまた、泣きたくなった。

 

 一休みしてから、またそれを引きずって家を出たところで、わたしはその光景にしばらく見とれた。

 外は、月の領域だった。

 天に真円を描き、地面に影ができるほどの光を投げかける真っ白な月は、まるで自分がこの世界の王様であるように、自己を主張している。

 塀も、道も、植木も、わたし自身も。わたしが抱えた真っ赤な“それ”すらもが、すべて青白く色づいている。

 

 キレイ。

 とても、キレイ。

 

 

 しばらく月を見上げた後、わたしは“それ”を抱えたまま、歩き始めた。

 

 

 ずる……

 ずる……

 ずる……

 

 引きずっては休み

 

 ずる……

 ずる……

 ずる……

 

 引きずっては休む。

 

 

 家の近くにあるごみの集積所に行くだけで、とんでもなく時間がかかった。

 こんなとき、祐一がいてくれたらよかったのに。

 祐一はなんだかんだいっても根は優しいから、女の子のわたしにこんな重い荷物を持たせることはしないだろう。

 

 

 そういえば。

 

 祐一はどこに行ったんだろうか。

 

 

 “これ”さえ捨ててしまえばお母さんが帰ってくる。きっとその頃には祐一も戻ってくるだろう。

 お母さんも祐一も。

 早く帰ってこないかな。

 二人が帰ってきたら、すぐにご飯にしよう。

 ちょっと遅くなっちゃったけれど、祐一もお母さんもきっとお腹を空かせて帰ってくるだろうから。

 三人で囲む食卓はいつだって笑いに溢れていて、きっとわたしは、いま以上に幸せな気持ちになるだろう。

 

 大好きなお母さんと、大好きな祐一。

 わたしはいまとても、幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、それにしても

 

 

 

 

 

 

 

 今日はなんて、月がキレイなんだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

<END>