星群の輝き
2000/02/27 久慈光樹
「は〜飲んだ飲んだ!」
俺は心地良い気分になって歩いていた。
今日は久しぶりに北川と飲んだ。
就職してからはあまり会っていなかったため、昔話に花を咲かせたってやつだ。
北川は高校時代からの親友だ。
もう高校を卒業してから9年になる。
大学、そして就職。
あっという間だったような気もするし、気が遠くなるほど長かったような気もする。
「おっとっと……」
少し飲み過ぎたかもしれない。
足がもつれた。
「ちょっと休んでいこうかな」
川原を歩いていた俺は、川原の土手に腰を下ろして少し酔いを覚ます事にする。
「はぁ……」
流石に27にもなると、昔のような無茶な飲み方はしないが、北川と話す懐かしさも手伝って少し飲み過ぎてしまった。
ふと夜空に目を向けると、そこには満天の星空。
そのあまりの見事さに、そのまま仰向けに横になった。
「降ってくるような星空」ってのは陳腐な表現だが、この北の街ではまさにその言葉がぴったりに思えた。
冬も終わりに近づいたが、空気が澄んでいるのか、俺のように散文的な人間が見ても詩のひとつも考えてしまうような、そんな夜だ。
「10年…… か」
10年。
無意識のうちに口に出た言葉。
何から10年だというのか。
高校を卒業してから9年、就職してから5年。
10年前。
10年前、俺は17歳、高校2年生だった。
「10年……」
またも口は俺の意思に反してその言葉を刻む。
やめよう。
いや、もう認めよう。
本当は俺は知っている。
何から10年経ったのか知っている。
あいつが……。
栞が逝ってから今年で丁度10年になる。
起きないから奇跡って言うんですよ
あいつはそう言い、そして奇跡は起きなかった。
俺は奇跡ってやつを切望し、そして絶望した。
どうして今更こんな事を思い出すんだろう。
酔っているからだろうか、それとも満天の星空がそうさせたのか。
昔なら、こんな事思い出したら顔を上げてなんていられなかった。
感情を押さえきれず涙を流して泣き叫んだだろう。
今はこんなにも冷静に思い出す事ができる。
時は万物に公平で、耐えられない事実も思い出として風化させていく。
それがいいことなのか、悪いことなのかは分からない。
だが、栞の時は17で止まり。
俺の時は27になった。
「栞……」
この名を口にしたのは何年ぶりだろうか。
10年前。
あの時、彼女は俺の全てだった。
彼女が病で倒れた時、起きないことを心の奥では知っていながらも真剣に奇跡を望み、そして奇跡は起きなかった。
彼女の最期には俺も立ち会った。
香里は泣いていた。
俺は香里の泣いている所を初めて見た。
彼女は栞に泣きながら詫びた、「ひどいお姉ちゃんでごめんね」と何度も何度も妹に詫びていた。
そんな香里を栞は笑顔で許した。自分は全然気にしていないと言っていた。
そして栞は、最期の時まで笑顔だった。
笑顔のまま彼女は逝った。
強い娘だったと思う。
死に際して笑顔でいられる強さ。
省みて、俺はどうだったか。
その場では俺は泣かなかった。
というよりも栞が
俺の全てだった彼女が居なくなってしまったという実感が無かった。
そうだ、思い出した。
あの時も俺はこの場所に来たんだ。
あの時も怖いくらいの星空だった。
その星空を、今と同じような星空を見て。
唐突に俺は、栞がもう居ない事を、二度と会えない事を実感した。
そして泣いた。
よくもこんなに涙が出るものだと思うくらい泣いた。
あれから10年。
色んな事を経験したし、あの時のように純粋でもなくなった。
この星々から見れば、ほんの瞬きにすぎないような年数でも、俺には長かった。
一生癒えることは無いだろうと思っていた心の傷痕も、完全とはいかなくとも癒えた。
当時の事を思い出しても泣けなくなった。
満天の星空。
今見えているこの星々の光も、何万年もかけてここに届いている。
ひょっとしたら今は輝いて見えるこの星も、何百年も前に消えてしまっているのかもしれない。
そう、星だって気の遠くなるような歳月を経て、生まれ、死んでゆく。
そうしてまた気が遠くなるような歳月を経て、再び生まれ、光を放ち始めるのだ。
ひょっとしたら栞だって……。
「祐一」
不意に名を呼ばれ、体を起こした俺の目に、駈けてくる名雪がとまった。
帰りが遅くなったので、心配して迎えに来てくれたんだろう。
「ハァハァ…… どうしたの祐一、こんな所に寝転んで」
「星を見てたんだ」
「ふぅん」
そう言うと名雪は、俺に習って土手に腰を下ろすと、夜空を見上げた。
「うわぁ、本当に凄い星空だね」
「ああ」
俺も再び夜空に目を向ける。
今日は新月なのか月も出ていないようだ。
星の光がはっきりと目に飛び込んでくる。
俺達はしばらく無言で星空を眺めていた。
「ねぇ祐一、なに考えてるの?」
「ん?」
「考えてた事、当ててあげようか」
「俺は……」
「栞ちゃんのこと…… でしょ?」
「……」
「今日、北川くんと飲んできたんでしょ? だからそうじゃないかと思ったんだけど、違った?」
「いや、その通りだ」
「ふふっ、やっぱり」
「……」
「あれからもう10年も経つんだね」
「そうだな……」
それだけ話すと、また俺達は無言で星を眺めつづける。
言葉にしなくても、お互いの考えている事は大体分かる。
名雪が身を震わせた。
走ってきた為、汗ばんだ体が冷えたのだろう。
俺は無言で自分の着ていたコートを脱ぐと、名雪に掛けてやった。
名雪はこちらを驚いたように見て、それからにっこりと微笑んだ。
「ありがと」
「そろそろ、行くか」
「もういいの?」
名雪は俺が栞のことをこの星に重ねていた事を知っていたのだろう、躊躇いがちにそう聞いてきた。
「ああ、もういいんだ。それに明日は大事な日だしな、風邪なんてひかれちゃ困る」
「うふふ、そうだね」
明日。
俺は名雪と結婚する。
いつも俺を見てくれて、支えてくれたこいつと俺は明日、結婚する。
俺より先に腰を上げて、土手を登る名雪。
俺は立ちあがりながら、もう一度星空を仰いだ。
「また、会えるさ……」
「え? 何か言った?」
「いや、何でも無い。ほら、行くぞ」
「あっ、待ってよ祐一」
「しょうがねぇなぁ」
そのまま名雪の肩に手を置いて抱き寄せる。
名雪は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐにちょっと恥ずかしそうに頬を染める、そしてそのまま俺に身を寄せてきた。
二人で寄り添って、俺達はその場を後にする。
空には満天の星空が、そんな俺たちを見守るように輝いていた。
また、会えるさ
空に輝くあの星々のように
気が遠くなるほどの時を経ても
きっとまた……