春の風
2000/04/10 久慈光樹
「おはようございまぁぁ〜あ……」
気の抜けた声が食卓に響く。別に言語障害に陥ったわけじゃない、語尾があくびと重なっただけだ。
今日は日曜日、春の麗らかな陽気も手伝って今日はお昼まで寝てしまった。
俺の名前は相沢祐一、高校三年になったばかりだ。今年は大学受験の年だが、まぁ一日くらいはゆっくりとするのもいいだろう。
ここは水瀬家、外国にいる両親の元を離れ、俺は今年の初めからこの家に居候させてもらっている。
水瀬家の構成員は俺を入れて4人。
まずは居候の俺。
同級生で従兄妹の名雪。
名雪の母親であり、俺にとっては叔母にあたる秋子さん。
そして……。
「おはようじゃないわよぅ! もうお昼なのに!」
食卓から元気のいい声が飛んでくる。
「いいじゃないか、せっかくの日曜日くらいゆっくりしててもさ」
「よくない! こんな時間に起きてくるなんて、相変わらず祐一はぐうたらね!」
「なにをー!」
「なによぅ!」
ぽんぽんといいたいこと言いやがって。
こいつのへそ曲がりっぷりは相変わらずだ。
「あら、祐一さんおはようございます。ほら、真琴も女の子があんまり大きな声だしちゃだめよ?」
「あぅ…… ごめんなさい、おかーさん」
秋子さんの言う事だけは素直に聞きやがる。
こいつの名は真琴。
2ヶ月ほど前までは沢渡真琴、そして今は水瀬真琴だ。
身寄りが無かったこいつが、正式に水瀬家の養子になったのはほんの一ヶ月ほど前だ。
戸籍すら無かったこいつを養子にするのに、秋子さんがどれだけ苦労した事か。しかし秋子さんはそんなことはおくびにも出さず、ニコニコと笑っているだけだ。
そういえば名雪の姿が見えない。
「おい真琴、名雪はどうしたんだよ」
「名雪おねーちゃん、まだ寝てる」
「聞くまでもなかったな……」
「ふんだ、祐一だって今起きたばかりじゃないのよぅ」
「うっ…… ふん、たまに早起きしたからって。いつもはお前だって俺に起こされてるじゃないか」
「うっ…… ふんだ、今日は真琴の方が早かったもん!」
「はいはい、エライエライ」
そう言って真琴の頭をからかい半分に撫でてやる。
最初ちょっぴり気持ちよさそうにしていた真琴だったが、すぐに顔を真っ赤にしてその手を振り払う。この辺の妙な間がいかにも真琴だ。
「あぅー、真琴子供じゃない!」
「なにぃ! そうだったのか!!」
「はぁ、祐一は相変わらずヘンなんだから」
「お前にだけは言われたくない台詞だったよ」
真琴と漫才を繰り広げていると、トントンと階段を降りる音が聞こえてきた。
眠り姫が目を覚ましたのだろう。
「おはようございまぁぁ〜あ……」
「名雪…… 俺と同じ登場の仕方とは、やるな」
「うにゅ?」
どうやら俺の言葉が理解できなかったらしい。
というかまだ寝ているっぽい。
真琴も朝は割と弱い方だが、名雪には及ぶまい。
はっきり言って名雪の朝の弱さは半端ではない。
どのくらい半端ではないかと言うと、マグニチュード7の直下型地震でこの家が全壊したとしても「じしんだおー。くー……」と眠り続けるのではないかと、半ば本気で信じられるくらいだ。
「それほどでもないよ……」
「褒めてるんじゃない。それ以前に地の文を読むな」
「わ…… びっくり」
ダメだ、朝の名雪とまともな会話はできない。既に朝じゃなく昼だが。
「はい、お昼ご飯できましたよ」
秋子さんのそんなやわらかな声を合図に、朝食兼昼食となった。
「はぁ? 花見?」
真琴が花見に行こうと言い出したのは、昼食のチャーハンを食べ終え、秋子さんの煎れてくれたお茶を啜っている時だった。
「そう! 公園の桜がものすごーく綺麗なんだから!」
「そうかそうか、良かったな真琴。だから花見なり花火なりプリクラなり思う存分楽しんで来い。俺は寝てるから」
「真琴一人で行っても楽しくない! それにプリクラって何?」
「いや、特に意味は無いが」
「まあまあ祐一さん、せっかくだから皆で出掛けませんか? 公園ならそんなに遠くないし」
「だって秋子さん、普通花見にはお弁当やら飲み物やら持って行くでしょう? もう昼飯は食っちゃったし」
「わたしも頑張ってお弁当作るよ」
「名雪、お前は一日に何食メシを食う?」
「じゃあこうしましょう。晩御飯も兼ねて夜桜見物ということで」
「おかーさん、よざくらって何?」
「よざくらと言うのはだなぁ、真琴……」
「祐一さん、それは黄桜です」
ワンカップの酒だ…… と言おうとした俺の機先を制して秋子さんが突っ込む。うぬぅ…… 流石は秋子さんだ、でも心を読むのはやめて下さい。えすぱー?
「夜桜ってのはね、夜に見る桜の事を言うんだよ」
その隙に名雪が真琴に説明する。ちっ、からかい損ねた。
「うわぁ、楽しそう! うん、よざくらに行こう!」
「夜桜かぁ、それもいいな」
「うん! いこういこう!」
はしゃぐ真琴、まぁたまにはいいか。
それからはみんなして花見の用意だ。
秋子さんと名雪はお弁当を作り、俺と真琴はビニールシートやらポットやらを用意する。
「あぅー、祐一、これはどうすればいいのー?」
「おう、それは二階にあるバックに詰めといてくれ」
「はーい♪」
真琴は何が楽しいのか、浮かれっぱなしだ。まぁかくいう俺も頬が緩みっぱなしなんだけどな。
何でもない休日の、何でもない一コマ。
だけどそれはかけがえのない家族の時間。
冬の終わりに真琴が何よりも求め、そして手に入れたもの。
開け放した窓から、暖かな風が吹き込んでくる。
「いつの間にか、もうすっかり春なんだな……」
ずっと春だったいいのにな。
その風を頬に感じながら、そんな事を思う。
ははっ、これじゃ真琴と同じだな。
でも、春が過ぎ、夏が来て、秋になって、そして厳しい冬が来ても、また春はやってくる。うつろう季節は、一時も足を休めることなくまたこの風を俺達の元に届けてくれるだろう。
「あぅーっ! 祐一ぃー、入らないよー!」
二階から真琴の情けない声が聞こえてくる。
ふふっ、やれやれ。
「おい真琴ー、無理に入れようとするなよー?」
二階の真琴にそう声をかけながら、俺は窓の側を離れ、歩き始めた。
微かな風に、春を感じながら。