澄み渡った空。

 眩しい朝の陽射しが優しくわたしを包む。

 耳を済ませば小鳥のさえずり。

 今日もいい天気だ。

 

 わたしはゆったりとした気分で目を覚ました。

 朝、こんなにいい気分で目覚めるのは本当に久しぶりだ。

 

 今日はその役目を全うする事のなかった枕元の目覚し時計を、ゆっくりと解除する。

 祐一の声が吹き込まれた時計。

 目覚し時計の祐一の声を聞けないことに、ちょっぴり残念な気もしたけど、すぐに気を取り直す。

 だって本物の祐一を起こさなくちゃいけないから。

 今日はそれがわたしの義務。

 

 大好きな人を、わたしの声で起こしてあげる。

 なんて素敵な義務なんだろう。

 

 どうやらまだ祐一は起きていないみたい。

 それも当たり前かな。

 目覚し時計は午前6時30分を指している。

 まだまだ学校に行くのには早すぎる時間だ。

 

 

 それを確認して、わたしはニヤリと微笑んだ。

 

 

 「うふふふ…… 勝った

 

 

 

 


ある朝のひげき

2000/01/10 久慈光樹


 

 

 

「祐一ー、朝だよー」

 

トントン

 

 祐一の部屋の扉をノックする。

 

「祐一ー、学校遅刻しちゃうよーー」

 

トントン

 

 でも祐一が起きてくる気配はない。

 

「入るよー」

 

ガチャリ

 

「うふふー、やっぱり寝てるよー。賭けはわたしの勝ちだね」

 

 わたしは祐一の部屋に入ると、ベッドで布団をかぶっている祐一に歩み寄る。

 普段は祐一に起こされてばかりいるわたしだったが、今日は祐一よりも早く起きた。

 実は昨日の晩、祐一と「明日の朝、どちらが早く起きることができるか」という賭けをしたのだ。

 

 

 

 昨日の晩、いつも通り10時に寝たわたしだったが、ふとお手洗いに行きたくなり目が覚めた。

 寝ぼけまなこで時計を見ると、午前2時を少し過ぎたところだ。

 お手洗いを済ませ部屋に戻ろうとしたわたしだったが、ふとテレビがついているのに気がついて居間を覗き込んだ。

 

「あれ? 祐一まだ起きてるの? 早く寝ないと明日学校遅刻しちゃうよ」

「今いいとこなんだよ」

「明日起きられなくても知らないよ、お母さん旅行でいないんだから、寝坊しても起こしてもらえないんだよ」

「名雪じゃあるまいし、寝坊なんかするかよ」

「ひどーい、祐一もたまに寝坊してお母さんに起こしてもらってるくせに」

「ぐっ、い、いいじゃないか、普段はちゃんと起きてるんだから。だいたい寝たきり娘にそこまで言われる筋合いは無いぞ」

「ね、寝たきり娘って……」

「人が毎日起こしてやってるつーのに、いい若い娘が腹出してぐーすか寝やがって」

「……祐一のエッチ」

「ば、ばか! お、俺が、そ、そんなこと、考えてるわけ、な、ないだろ!」

 

 思いっきり動揺する祐一。

 このくらいの年の男の子なら皆そうかもしれないけれど、祐一は凄くエッチだ。

 祐一の部屋のベッドの下に、そういう本がいっぱい隠してあるの知ってるんだから。

 

 だいたい、初めてのときだって……。

 

 ……

 

 ……初めてのとき?

 

 ……

 

 

ボッ!!

 

「うおぁ! 大丈夫か名雪! 体の調子でも悪いのか!!」

「わっ、な、何でも無いよ!」

「だってお前…… 突然真っ赤になりやがって。今だって顔、尋常な赤さじゃないぞ……」

「ホ、ホントに何でも無いったら!」

 

 いけないいけない、思わずあの夜のことを想像してしまった。

 すごく痛かったけど、祐一はすごく優しくしてくれて……。

 

「うふ…… うふふふ……」

「……」

「やだぁ…… もぅ…… うふふ……」

「……名雪、なんか悪いモンでも食ったのか……?」

「……はっ!」

 

 いけないいけない、つい意識が違う世界に逝ってしまったみたい。

 祐一がまるで未知の生物でも見るような目でわたしを見ている。

 

「もう寝たほうがいいと思うぞ…… 色んな意味で

「ゆ、祐一だって寝なきゃだめだよ!」

「大丈夫だって、俺のことより寝たきり娘は自分の心配をするんだな」

「じゃあもし明日、わたしが祐一より早く起きたらどうする?」

「そんときは名雪の言うこと何でも聞いてやるよ」

 

 え?

 

「な、何でも?」

「おう。ま、無理だろうけどな」

「ホントに何でもいいんだね?」

「お、おう。」

 

 何でも……。

 祐一がわたしの言うことを何でも……・

 

「うふふ…… わたしもう寝るね…… うふふ……」

「お、おい名雪、そっちは……」

 

ごん

 

「(くるり)うふふ…… 何か言った?」

「……いや、何でもない」

「そう、じゃあおやすみ、祐一…… うふふ……」

「……大丈夫かあいつ……」

 

 その後、布団に入ってもなかなか寝ることができなかった。

 いつもなら布団に入れば3秒で寝ることができるというのに、3分もかかってしまったくらいだ。

 

 

 

「うふふー。祐一ー、賭けはわたしの勝ちだねぇー」

 

 今、わたしの目の前で祐一は賭けに負けたことも知らず、無邪気な寝顔をさらしている。

 普段はちょっぴり意地悪な祐一だけど、寝ているときの顔はとっても無邪気で、まるで子供みたいだった。

 わたしは何か嬉しくなってしまって、無邪気に眠る祐一の頬をつんつんと指でつついてみる。

 

つんつん

 

「うぅーん……」

 

つんつん

 

「うーー、やめろよーー……」

 

つんつん

 

「うーー……」

 

「うふふっ♪」

 

 ちょっぴり眉をしかめて、それでも起きることなく眠りつづける祐一。

 なんかかわいい……。

 普段は見せない祐一の無防備な姿に、もうちょっと意地悪してみたくなる。

 

うにーん

 

「うーーー、やめろーー」

 

 ほっぺを軽くつまんで左右に引っ張ってみる。

 

うにーん

 

「うーーー、なにをするか敵兵めーーー」

 

 うふふふ♪

 祐一ったらなんて寝言を言うんだろう。

 まったく、やっぱり祐一は祐一だ。寝ているときまでなんだから。

 

「ほらほらっ♪ 早く起きないとほっぺが伸びちゃうよー」

 

うににーーん

 

「うぉ! おのれ! この鬼畜米英が!!

 

がばっ!

 

「うきゃぁ!」

 

 突然祐一は意味不明の言葉を叫ぶと、わたしに抱き着いて、そのままベッドに引きずり込んだ。

 

 ど、どうしよう……。

 そんな……・朝からなんてわたし……。

 

 い、いやいや、そうじゃなくて……。

 

 そういえば最近ご無沙汰だし……。

 

 ってそうじゃなくて!!

 そ、そう! お母さんが起きてきちゃうかもしれない!

 

 ……ってお母さんは昨日から旅行中なんだ…… なんか別府地獄めぐりに行くとか言っていた。

 

 ど、どうしよう……。

 で、でも祐一が望むならわたし……。

 

 わたしは覚悟を決めると、体の力を抜いてそっと目を閉じた。

 

トクン…… トクン…… トクン……

 

 心臓の音が聞こえる。

 

トクン…… トクン…… トクン……

 

 わたしは恥ずかしさで気を失ってしまいそうだった。

 

「ん…… ゆぅいちぃ……」

ぐー

「……え?」

 

 規則正しい寝息に、慌てて目を開く。

 祐一は…… 寝ていた。

 わたしは一気に緊張から開放されて、ぐったりとしてしまった。

 

「もうっ! ただ寝ぼけてただけなんだね! まったく……!」

「ぐー…… ううーん…… なゆきぃー……」

 

「……もう……」

 

きゅ……

 

 わたしは祐一に抱きつかれたまま、両腕を祐一の背中に回し、そっと抱きしめる。

 ほんとに子供なんだから……。

 祐一はわたしの胸に頬を寄せて、まるで母親に抱かれる子供のように安らかな寝顔で眠っている。

 わたしは祐一の髪の毛に顔を埋めた。

 コロンとかそんな匂いではないけれど、なんだかホッとするような匂いがする。

 祐一の匂いだ。大好きな、大好きな祐一の匂いだ。

 

「大好きだよ、祐一……」

 

 その時、祐一が突然わたしの胸に寄せていた顔を動かし、そのままわたしの胸にぐりぐりと押し付け始めた。

 

「ちょ、ちょっと祐一!?」

 

ぐりぐり

 

「ちょっと…… ん! ……ゆ、祐一ったら!」

「ぐー…… なゆきぃ……」

 

 実は寝たふりをしているのではないかと思ったが、どうやら祐一は本当に寝ぼけているみたいだった。

 

ぐりぐり

 

きゃぅ! ……祐一!起きてよ!…… あ、あん!

 

ぐりぐり

 

「ぐー…… 名雪の胸は相変わらず小さいなぁ……」

 

ぶちっ

 

なにが相変わらずかー!!

 

ガスッ!!

 

「げふっ!」

「あ……」

 

 祐一はわたしの肘を脳天に受けて、そのまま動かなくなった……。

 

「ちょ、ちょっと祐一! 大丈夫! ねぇ、祐一ったらぁ!」

「ぐぅ…… おれが悪かったぁ…… ぐー」

 

 どうやら大丈夫だったようだ。ホッと胸をなでおろす。

 しかし、ここまでされて目を覚まさないなんて、なんか祐一らしいというか……。

 祐一は未だにしっかりとわたしを抱きしめていて、わたしは相変わらず身動きが取れない。

 そろそろ学校に行く用意をしなくてはならない時間だ。

 わたしは祐一を起こすことにした。もうちょっとこのままでいたい気もするけど……。

 

「祐一、そろそろ起きよ? ね?」

 

 わたしは祐一の背中に回した手で、祐一の背中を軽く叩く。

 

「ぐぅ…… 悪かったよ名雪…… アイスでも食べて機嫌直してくれよ…… ぐー」

 

 なぜにアイス……。

 ダメだ、祐一は寝ぼけていて一向に起きる気配がない。

 いったい昨日はいつまで起きていたんだろう。

 

「……俺にもくれよ…… アイス」

 

ぺろ

 

ひゃぅぅん!

 

 突然寝ぼけた祐一が、わたしの首筋をぺろりと舐めた。

 不意打ちだったため、思わず大きな声を上げてしまう。

 

「ぐー…… アイス……」

 

ぺろぺろ

 

「あ!あ!ダメ、ダメだよそんなとこ…… あふぅ!

 

ぺろぺろ

 

「はぁ! あふっ!」

 

 寝ぼけた祐一は、わたしの首筋や頬や耳をぺろぺろと嘗め回す。

 ああ! ダメだよ祐一!

 いつの間にそんなテクニックを……。

 

「ぐー……」

 

 満足したのか、突然舐めるのをやめる祐一。

 あ、も、もっと……。

 じゃなくって!!

 はぁ……はぁ…… 朝から何てことするんだよ! もう!

 

 わたしは涙目になって、荒くなった息とバクバクいっている心臓を落ち着かせる。

 び、びっくりした……。

 で、でもちょっぴり気持ちよかったかなぁーー…… なんて……。

 

 

じりりりり!

 

 

うきゃぁ!! うそうそ! 今のうそーー!!

 

 突然鳴り出した目覚し時計に、一瞬心臓が止まった。

 

「……ん?」

 

 目覚まし時計と、わたしの絶叫でようやく祐一が目を覚ました。

 

カチリ

 

 目覚し時計を消して、まだ半分寝ぼけているような目で腕の中のわたしをまじまじと見つめる祐一。

 え、えーーと……。

 

「お、おはよう、祐一」

「……はれ? なんで名雪が…… まだ夢見てるのかな?」

「ゆ、夢じゃない…… かも……」

「なんか頭のてっぺんがズキズキするんだが……」

「そ、そう?」

「……」

「……」

 

 不思議そうにわたしを見つめる祐一と、引きつった笑いで応じるわたし。

 どのくらいそうしていただろう。

 わたしは、祐一の目がいつのまにか寝ぼけたそれではなくなっていることに気がついた。

 祐一のこの目、どこかで見たことがあるような……。

 

 そうだ、夜、祐一がわたしを部屋に誘うときの……。

 ……そ、その、だから、その…… そういう時の目をしているような……。

 

「ゆ、祐一?」

「名雪…… 俺……」

 

 わたしはそこに至ってようやく、自分が今どういう状態なのかに気がついた。

 

 寝ぼけた祐一が顔を押し付けたため、パジャマの胸元は少しはだけ……。

 目はうるうると潤み……。

 顔は真っ赤になって……。

 祐一の腕の中で荒い息をつくわたし。

 

「え、えーーと…… 祐一、学校に行かないと……・」

「……」

「ゆ、祐一?」

「……」

「……」

 

なゆきぃーー!!

 

がばっ!

 

きゃーー! やっぱりーーー!

 

 

 

 

 結局その日は二人して学校を遅刻した。

 

 

 

 

<えんど>