「……というわけで、舞、Kanonに入ってくれ」
「嫌」
「……」
「まいー、ゆういちさーん、ご飯できましたよー」
異能者
<第八章>
−復讐という名の枷に−
2000/09/04 久慈光樹
相沢祐一の『剣聖』懐柔作戦は行き詰まっていた。
Kanonとしては、なんとしても剣聖を自軍に引き込みたい。
その為に現在唯一の戦力とも言える祐一が派遣されたのだ。
だが肝心の勧誘要員の第一印象は最悪であった。
出会ってから3日経った今でも、ろくに口もきいてもらえない祐一である。
「はい、祐一さん」
「ああ、ありがとう佐祐理さん」
舞と祐一が険悪な雰囲気となる原因となった佐祐理であるが、本人はそれを特に気にした様子は無かった。
「佐祐理さんからも何とか言ってやってくれよ」
「ほぇ? 何をですか?」
「舞が一緒に来てくれないと、俺は家に帰れないんだよ」
「それは大変ですねぇ」
「だろ? だから佐祐理さんからも舞を説得してくれよ」
「あ、佐祐理に名案があります」
「おっ、流石は佐祐理さんだ。で、名案って?」
「祐一さんも佐祐理たちと一緒にここに住めばいいんですよ」
「なるほど! それは名案だ! ……ってそんなわけにいくかぁー!!」
「きゃぁー、あはははー」
ちなみに舞が始終無言なのは、決して深い思慮があるからではなく、目の前の食事に手一杯、いや、口一杯だからだ。
「舞ー、食ってないで話を聞いてくれよー」
「祐一、うるさい」
「さあ祐一さん、冷めないうちにどうぞ」
「ううっ、分かりましたよ」
しぶしぶと食べ始める。
だがこの3日で思い知った佐祐理の料理の腕に、次第に祐一の箸の動きも活発になり始めた。
「いつもながら佐祐理さんの料理は美味いなぁ」
「あははは、ありがとうございます」
「きっといいお嫁さんになるよ、うん」
「そんなことないですよー、きっと舞のほうがいいお嫁さんになると思います」
「舞がぁ?」
「舞も祐一さんのこと気に入ったみたいですし。祐一さん、舞をお嫁に貰ってくださいませんか?」
ぽかり!
「きゃぁー、あはははー」
「おう、それは名案だ。どうだ舞、嫁に来るか?」
ぶすっ!
「ぐわっ! 箸で眉間を突くのは反則だろっ」
「あはははー、舞ったら顔が真っ赤ですよー、きゃぁー」
ぽかり!
「あっはっは、照れることはないぞー、ぐわっ!」
ぶすっ!
「だから箸で突くなって!」
佐祐理にチョップ、祐一に箸突き。右に左に舞は忙しい。
今日も概ね平和であった。
「まったくもう! ヒドイ目に遭ったわ!」
「みゅー!」
「ぎゃぁー! だからお下げを引っ張らないでよー!」
「ダメだよ繭ちゃん、ほら離してあげなきゃ」
「うー、わかった」
時は遡って3日前、ちょうど祐一と舞が最悪の邂逅を成し遂げた頃。
『狂戦士』七瀬留美と『心眼』川名みさきは『チャイルド』椎名繭の懐柔に辛くも成功していた。
だがどういうわけかこの娘、留美のお下げをいたく気に入ってしまったようだ。油断すると今のように思いっきり飛びつかれる。
「みさきさんもお下げにしてみる気はない?」
「うーん、嫌だって言っておくよ」
「それは残念だわ……」
『心眼』川名みさきの異能力により、あれからすぐに『チャイルド』の居場所は分かった。
だが双方の誤解から争いとなってしまい、繭の操る聖獣『みゅー』に手を焼かされた。
幸いなことに致命的な結果に至る前に誤解も解け、なんとか彼女を仲間に引き入れることができたものの、かなりの時間を無駄にしていた。
「じゃあみさきさん、この子のことお願いね」
「うん、わかったよ。だけど留美ちゃんはどうするの?」
「私はちょっと寄るところがあるから」
そう言って口元に危険な笑みを浮かべる。
それを“観て”みさきは「やれやれ」とため息をついた。
「『剣聖』だね?」
「あ、あはは、やっぱ分かる?」
「ばればれだよ」
だが『剣聖』川澄舞と留美の因縁を知っているみさきは、あえて止めることはしなかった。
代わりにこう問うた。
「でも留美ちゃん、『剣聖』の居場所はわかるの?」
「うーん、多分あそこにいるんじゃないかな? ってくらいは」
「しょうがないなぁ、“観て”みようか?」
「あ、お願いできる?」
「みゅ?」
「繭ちゃん、ちょっと待っててね、すぐ済むから」
「うん」
みさきはその場に立ち止まると、その光を映さない目をゆっくりと閉じた。
内なる異能力を徐々に高めていく。
異能力の高まりに比例するように、みさきの身体が白く発光し始める。
その輝きが直視できないほど高まった瞬間、閉じていた双眸が開かれる。同時に発光は消えた。
「あ…… お姉ちゃん、目が……」
繭が呟く。
再び開かれたみさきの双眸は、瞳孔が赤く染まっていた。
「よく見ておきなさい、繭。あれが『心眼』川名みさきの異能力、『真なる瞳』(マナ・アイ)よ」
「まなあい?」
「そう、その気になればみさきさんはこの世のあらゆる事象を“観る”ことができるの」
「ほぇー」
「あんた、分かってて返事してる?」
「うん、全然分からない」
「はぁ…… 相変わらずあんたと話してると疲れるわ」
留美と繭が漫才めいた会話を繰り広げている間も、赤く染まったみさきの双眸は遠方を見据えている。
ゆっくりと頭を巡らす。
やがてある一点に視線を定めると、そのまま赤眼は閉じられた。
その双眸が再び開かれたとき、みさきの瞳は元の光を映さぬ黒眼に戻っていた。
「見つかったよ」
「流石はみさきさんね」
「『剣聖』はここから東に10日ほど行ったところにある森にいるみたい。いつものように倉田さんも一緒にいるみたいだね」
「『自己無き』倉田佐祐理ね。できれば彼女にも力を貸して欲しいところだわ。でも10日かぁ、結構遠いわねぇ」
「ああ、それとね」
まるで子供が取っておきの話をもったいぶって話すときのように、みさきはそこで言葉をいったん切って悪戯っぽい笑みを浮かべる。
その妙に子供っぽい様子に苦笑しながらも、留美は聞いた。
「それと?」
「彼も一緒だったよ」
「彼ってまさか……」
「Kanonの相沢祐一」
「『紅の』相沢祐一か、あいつ生き延びたのね。しぶといヤツだわ」
だがその台詞とは裏腹に、留美の口元にはさらに嬉しそうな、それでいて危険な笑みが浮かぶ。
『うーん、留美ちゃんの戦い好きにも困ったものだね。こんなことだから『狂戦士』なんて異名をつけられちゃうんだよ』
内心、結構ヒドイ事を考えるみさきであった。
『剣聖』川澄舞、『自己無き』倉田佐祐理がいかに中立を保っているとはいえ、留美の性格から言ってまず間違い無く戦闘になるであろう。
ましてや敵対勢力であるKanonでも最強と謳われる『紅の』相沢祐一が先に接触していたとあれば、尚のこと。
だがそれでもみさきは留美を止めようとはしなかった。
当然、心配する気持ちもある。だがそれ以上に彼女のことを信頼しているのだ。
勝算なき戦いに身を投じるほど彼女は愚かではないし、彼女の力であればいかに『剣聖』や『紅』が相手といえどそうそう遅れをとることはないであろう。
「じゃあ繭ちゃん、おっかないお姉さんは放っておいて、私と一緒に行こうか?」
「うん!」
「誰がおっかないお姉さんよ!」
「うーん、誰だろうね」
「もう! まあいいわ、じゃあみさきさん、繭のことお願いね」
「まかせといて」
「じゃあ繭、ここでしばらくお別れね」
「みゅー……」
「ほら、そんな顔しないの。すぐ戻るわ、先に本部で待ってて」
「うん、分かった」
こうして『狂戦士』七瀬留美は2人と別れ、『剣聖』がいる森への道を歩み始めた。
祐一に遅れること10日。
現在はそれから3日が経過した。
『剣聖』と『狂戦士』、因縁ある2人の邂逅が一週間後に迫っていることを、祐一たちはまだ知らない。
「舞、ちょっといいか? 実はお前に頼みたいことがあるんだ」
舞がそう祐一から声をかけられたのは、食事を終えて近くの滝まで散歩に来たときであった。
佐祐理は使い終えた食器を下流で洗っている。
「何?」
またか、という口調で素っ気無く応える舞。
祐一もこの3日間で舞の微妙な感情の変化を感じ取れるようになっていた。
「あ、いや、Kanonに入って欲しいって件とは別件だ」
「……そう」
「舞、俺と手合わせしてくれ」
突然の申し出、だが少しも動揺することなく、舞は無言で祐一に視線を送る。
『なぜ?』
舞の視線はそう問うていた。
「理由は終わってから話す」
「……」
そのまま無言で祐一の目を見つめる舞。
祐一もその視線を真っ向から受け止める。
水が滝壷に落ちる音と小鳥の囀りを遠くに聞きながら、しばらく二人は視線を合わせ続けた。
「わかった」
やがて舞が了承した旨を伝える。
「済まないな」
「いい」
「じゃあ早速始めよう、お互い手加減は無しだ」
手にした剣を無造作に構える舞。
祐一は少し間合いを取り、両足を広げ重心を落とした。
「いくぞ!」
気合のこもった声で叫び、異能力を開放する。
先手は祐一からであった。
「『深紅の黄昏』(クリムゾントワイライト)!!」
先の言葉通り、全く手加減のない一撃。
紅光が炸裂する爆音に、森から鳥が一斉に飛び去る。
あえて祐一は『狂戦士』に敗れた時と同じ戦法をとった。
すかさず場所を移動する。
だがあの時よりも早いタイミングで回避行動を取ったにも関わらず、『剣聖』の剣は祐一の予想を遥かに上回るスピードで彼に襲いかかった。
「くっ!」
避けきれず、二の腕を薄皮一枚、服と共に切り裂かれる。
舞にも手加減は全く見られない。
だがそれを意に介さず、今度は祐一から間合いを詰めた。
舞の繰る西洋剣は長剣である、超接近戦に持ちこめればその長さが仇となるであろう。それを見越しての戦法であった。
彼女が剣を引き戻したとき、祐一は完全に間合いを詰めつつあった。長剣で斬りつけるには近すぎる間合いだ。
だが、間合いを詰められたと見るや舞は予想外の攻撃に出た。
蹴りを放ったのである。
そのすらりと伸びた足から放たれる蹴りは、華麗に振り上げられたものではなく、前蹴りに近かった。
狙ったのは膝。
このまま接近すれば、その突進の勢いも手伝い確実に膝を蹴り砕かれるであろう。
祐一は右手に込めた紅光を直接ぶつけることを断念し、突進を止めると同時に前方に向かって開放した。
再び爆音が響く。
至近距離からの一撃であった。
だがたちこめる土煙が収まったとき、舞の身体は10メートルほども離れた場所にあった。
神速を誇る舞ならではの動きで、瞬時に攻撃範囲内から離脱したのである。
「祐一、なかなかやる」
「息一つ切らしていないくせによく言うぜ」
そのまま相手の出方を伺う。
祐一は今度は先手を打とうとしなかった。
この間合いだ、たとえ放ったとしても確実に避けられるであろう。そして外れた紅光は大地を抉り土煙を巻き上げ視界を奪う。相手は神速の異能力『神歩行』を操る川澄舞だ、自ら視界を閉ざしてしまっては奇襲を招くことになる。
そう判断したためだ。
「今度はこちらから行く」
西洋剣を構える舞。
と、その姿がかき消すように視界から消えた。
同時に右側面に殺気を感じて咄嗟に左に飛び退る。
剣先が頬すれすれを通りすぎた。
「よく避けた」
そう呟く舞の姿が、またしても消える。
今度は背後から殺気が襲った。
態勢を立て直すことをあきらめ、そのまま前方に倒れ込むように飛び退る。
それでも背中を少し切り裂かれた。
「くっ!」
『剣聖』の名に恥じぬ凄まじい強さであった。動きを目で追うことすらできない。
殺気を感じ取るだけで2撃もその斬撃を避けた祐一も賞賛するに値するだろう。
だが、彼は大きく態勢を崩していた。
前方に倒れ込んだ身体を支えきれず、大地に片膝をつく。
「これで終わり」
祐一が避けきれないことを悟ったためか、続く舞の斬撃は手加減が見られた。彼の命を奪うつもりは無いのであろう。
だが続く祐一の行動は舞の予想を上回るものであった。
ギィン!
「弾かれた!」
舞の目が驚愕に見開かれる。
彼女の剣を弾いたのは、祐一の突き出した両手の前に現れた白銀の壁であった。
「……精神バリアの応用」
その舞の呟き通り、それは精神バリアを応用したものであった。
通常、精神バリアは球状に異能者の全方位をカバーするように展開される。
だが祐一はそれを突き出した両手の前、30センチ四方に圧縮して展開したのだ。
物理的に考えて、全方位をカバーするよりも限られた部分に圧縮して展開する方が強度は増す。事実、通常であれば薄く発光するだけの精神バリアが白銀に輝く壁となって舞の斬撃を弾き返したのだ。
異能者は精神バリアを半無意識に展開することができる。だがそのことが、精神バリアは球状に全方位を覆うものだという先入観を持たせる要因となっていた。
祐一の発想の柔軟さと、それを咄嗟に実行できる判断力に舞は内心賞賛の念を抱いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
だが精神バリアの圧縮と一言に言っても、それは祐一に多大な負担を強いた。
既に戦闘を続行できる状態ではなかった。
そのことを見て取り、舞は剣を納め、これ以上続行の意思がないことを祐一に伝える。
「はぁ、はぁ…… ふぅ、まだまだ、だな」
「そんなことはない、祐一は強い」
「いや、まだまださ、謙遜じゃなくね」
荒い息を何とか収め、立ちあがる。
「最後の斬撃だって、舞が手を抜いてなければ反応もできずに切り捨てられていただろうしな」
そう言って笑う。だがその笑みには自嘲の色は無く、むしろ清清しく感じられた。
舞はしばしその笑みに見惚れた。
「舞ー、祐一さーん」
駆けてくる佐祐理のその声に、舞はハッと我に返った。そして自分が祐一に見惚れていたことを悟り、一人赤面する。
祐一は駆け寄る佐祐理に気を取られ、そんな舞には気付かなかった。
「佐祐理さん、どうしたの?」
「はぁ、はぁ、はぁ。どうしたの、じゃないですよ、凄い音がしたから佐祐理は心配になって」
「ああ、ごめんごめん。何でも無いんだ」
「何でも無いって……」
そういってあたりを見まわす佐祐理。
2度にわたり祐一が放った『深紅の黄昏』により、あたりは台風が通りすぎた後のような惨状であった。
「あー、これはその……」
「祐一と稽古をしていた」
「そうそう! 舞に稽古をつけてもらってたんだよ」
「あっ、祐一さん、血が出てるじゃないですか!」
佐祐理の言葉通り、舞に切りつけられた二の腕と背中から軽く血が流れ出していた。
「こんなのかすり傷さ、平気平気」
「ダメですよ。舞、やりすぎ!」
「あー、佐祐理さん、いいんだって。俺が無理言って舞に付き合ってもらったんだしさ」
「ごめんなさい、祐一」
「へ?」
佐祐理に咎められたとはいえ、素直に謝る舞の姿に間抜けな声を上げてしまう祐一。
今までの素っ気無さを考えれば無理の無いところであろう。
「あ、ああ、こっちこそ悪かったな、無理言っちまって」
「別に構わない」
「さあ祐一さん、手当てをしますから」
救急道具を持ってきた佐祐理に手当てを受ける祐一に、舞が問い掛けた。
「なぜ手合わせを?」
「終わったら話す約束だったな」
「(こくり)」
無言で頷く舞から視線を外し、綺麗に晴れ渡った空を眺めるようにして祐一は話し始めた。
「ONEの『狂戦士』とは知り合いなんだろ?」
「昔、戦ったことがある」
「やっぱりな」
『狂戦士』も面識があるような話をしていた。
恐らくはお互いに剣を合わせたことがあるのだろうと思っていた。
「ここに来る前、俺は自分の力を過信して彼女に完膚なきまで叩きのめされた。完敗だったよ」
「そう」
「ああ、それで思ったんだ。これじゃダメだって」
「何が?」
「俺には、守りたい人たちがいる」
「……」
「守りたい大切な人たちがな。彼女たちを守る力が欲しい、どんなことからも守り通せる力が欲しい。そう思ったんだ」
「……」
「お前に会って、いい機会だと思った。俺は、力を手に入れるために一から鍛えなおそうと思う」
「……」
沈黙を続ける舞を怪訝に思い、視線を戻す。
注意して見ないと分からないほどに、舞は唇をほんの少しだけ突き出していた。よく見ると少し頬を膨らませているようだ。
「……(彼女たちって誰?)」
「? なに拗ねてるんだ?」
「別に拗ねてない!」
ぽかりとチョップされた。
「続けて!」
「あ、ああ…… だからな、舞」
「えーとさ、また明日もさ、その、稽古、お願いしてもいいか?」
恐る恐るといった口調で、舞に問いかける。
今までが今までだっただけに、無下に断られても仕方が無いところだ。
「構わない」
だが、あっさりと了承された。
どうやら少しは認めてくれたらしい。祐一は素直にそれが嬉しかった。
「あはは、『剣聖』に直に稽古つけてもらえるとは思わなかったよ」
「祐一は勘がいい、でもまだ身体が重い」
「うっ」
「もう少し体重を絞るべき」
「やっぱりそうか?」
「そう」
そのまま祐一の欠点を指摘していく舞と、それを神妙に聞く祐一。
その姿は、傍から見れば師と教えを受ける弟子のようであった。
俺には、守りたい人たちがいる
無言で祐一の治療を続ける佐祐理の脳裏に、先ほどの祐一の言葉が木霊しつづける。
その顔には普段のような暖かな笑みは無く、代わりに氷のような無表情があった。
だがそのことに、舞もそして祐一も、最後まで気付かなかった。
そして結果としてそのことが、更なる悲劇を招くことになろうとは。
この時点では、誰一人として気付いてはいなかったのである。
祐一が舞に師事してから一週間が経過した。
連日、2人は滝の前で模擬戦を繰り広げる。
模擬戦とは言っても初日のように両者とも手加減無し。息一つ切らさない舞とは対照的に、祐一は連日全身傷だらけになって佐祐理に手当てしてもらっていた。
たった一週間であったが、舞の的確な欠点の指摘による指導がよかったのか、それとも前日に指摘された欠点は翌日には克服する祐一の資質がよかったのか、短期間で祐一の実力は確実にアップしていた。
だがまだまだ『剣聖』には遠く及ばない。
「うー、さびー」
今日も死角からの連続攻撃に大きく態勢を崩したところに、正面からの掌底突きをくらい、川に頭から突っ込んだ祐一である。冬の盛りは過ぎたとはいえ、まだまだ寒い。濡れた服を乾かし、毛布をかぶって焚き火にあたっていた。
「態勢を崩した時は、無理に反撃しようとしないほうがいい」
「うーん、でもやられっぱなしになっちまうんじゃないか?」
「無理に反撃するとより態勢を崩す」
「うっ」
思えば今日もそれで墓穴を掘った。
「そういう時は、態勢を立て直すことを第一に考えるべき」
「わかった、頭に留めておくよ…… あ、痛てて!」
「わっ、ごめんなさい祐一さん、痛かったですか?」
「ああ、大丈夫だよ佐祐理さん」
「あんまり無茶しちゃダメですよ」
「あははは、師匠が厳しいからなぁ。でも悪いね、毎日手当てしてもらっちゃって」
「佐祐理にはこのくらいしかお手伝いできませんから」
佐祐理は普段通りだった。
少なくとも表面上は。
舞は佐祐理の様子がおかしいことに薄々勘づいていたが、あえてなにも口にださなかった。
祐一は付き合いの浅さから、気付きもしなかった。
正しく噛み合っていた歯車が、ほんの少しづつ噛み合わなくなってきている。
正常に機能している機械でも、たった一つの歯車が噛み合わなくなってしまうことで全体の動きを止めてしまうのだ。
だがそのことに、舞ですらまだ気が付いてはいなかった。
「お、そろそろ服も乾いたかな?」
乾かした服を着込み、少し遅い夕食をとる。
いつも通り舞をからかいながら3人でとる食事。
佐祐理も笑っていたが、それは傍から見ても少し違和感があった。
無理にはしゃいでいるように見えた。
その時になって、祐一も佐祐理の様子が普段と違うことに気付く。
佐祐理がいつになく思い詰めた様子で祐一に話しかけたのは、食事を終え、しばらくしてからだった。
「祐一さん、少しお話があるんです」
「え? あ、ああ」
だが佐祐理は話し出すことはせず、ちらりと傍らの舞を見る。
舞は気を利かせたのだろう、散歩に出てくると言って剣を片手にその場を外した。
「ごめんね、舞」
「何が?」
「ううんいいの、気をつけてね」
「行ってくる」
「舞、ごめんね……」
最後の呟きは舞に届くには小さすぎた。
ホーホーホー……
梟の声を聞きながら、舞は一人、祐一と稽古を続けている滝まで来ていた。
いつにない佐祐理の様子は気になったが、祐一ならばきっとうまくやってくれるだろう。会ってから10日ほどであるというのに、舞は祐一を信頼していた。
出会いが最悪だった事もあり、初めの内は何て嫌なヤツなのだろうと思っていた。
だが突然の手合わせの申し込みと、それに続く戦いが彼に対する偏見を無くした。
実際問題、彼は強かった。
実力的には自分の方が上かもしれないが、彼の戦い方からは、絶対に負けられないという決意のようなものが感じられた。それは自分には無いものだ。
その決意が何処から来るものなのか、舞は知りたいと強く思った。
これほどまでに他人に興味を惹かれたのは初めてだったかもしれない。
そして戦い終わって、彼は言ったのだ。
「大切な者を守りたいからだ」と。
舞はその時の事を思い出し、そっと目を閉じた。
自分は果たして、大切な者のためにあそこまで必死になることができるだろうか。
いや、それ以前に、自分にあそこまで大切に想うことのできる者がいるのだろうか。
物心ついたときから一人きりで生きてきた。
死にたくないがために、我流で必死に剣をおぼえた。
恐らく資質があったのだろう。気がつけば、『剣聖』などとご大層な異名で呼ばれるようになった。
だが心の飢えは満たせないでいた。
佐祐理。
こんな無愛想で可愛げのない自分を慕ってくれる大切な親友。
祐一。
初めて自分と対等の立場で付き合ってくれる大切な異性。
自分は、ずっと前から欲していたものを、手に入れたのかもしれない。
舞は、今という時がずっとずっと続けばいいと、そう考えていた。
「祐一さん、佐祐理には弟がいたんです」
佐祐理は舞の姿が見えなくなると、唐突に話し始めた。
いつにないその強引な様子に、いぶかしむ祐一。
「一弥って名前でした」
「今は、どうしているの?」
「死にました」
そう答える佐祐理の顔には笑顔が浮かんでいる。だがしかしその笑顔はまるでよくできた人形のようであった。
一見普段と変わりが無いように見える笑み。
だがその笑顔はどこか壊れていた。
「一弥はとっても強かったんですよ」
佐祐理の言う強さとは心の強さの事だと、祐一は思った。
が、それは違っていた。
「佐祐理たちが属していた組織は、小さかったけれど、そこで一弥は一番の異能者でした」
「異能者、だったのか……」
「ええ」
ならば彼が命を落としたのは……。
「戦いで、死んだのか」
「……」
佐祐理はその問いには答えず、またも唐突に話題を変える。
「祐一さんは守りたい人がいるんですね」
「え?」
「守りたい、大切な人がいるんですね」
「あ、ああ」
壊れた笑みを浮かべながら話すその様は、本当に楽しそうであった。
だからこそ、祐一は背筋が凍るほどの恐怖を覚えた。
「大切な人を守るために戦う。素敵ですねー」
「佐祐理さん!」
尋常では無いその様子に、思わず佐祐理の肩を掴んでしまう祐一。
「触らないで!」
だが、彼女の口から漏れたのは、予想だにしなかった強烈な拒絶だった。
「さ、佐祐理さん?」
「……祐一さん。一弥はね、すごくいい子だったんですよ」
そして何事も無かったように、笑みを浮かべて話を続ける。
「すごく強いくせに、誰も傷つけたくないと思っている、とっても優しい子だったんですよ」
「……」
「すごく優しい子だったから、戦う事が嫌いだったんです」
「そうか」
「ええ、だから嫌がるあの子を無理矢理戦場に駆り出すのは、いつも姉である佐祐理の役目でした」
「!」
驚愕する祐一。
彼女の独白は続いた。
佐祐理たちの父がその組織の長だった事。
父の、そして組織のことを思って一弥に無理を強いていた事。
そのために厳格な姉であろうとした事。
「そしてあの日」
佐祐理の顔に浮かんでいた笑みに陰りが落ちる。
「あの日も一弥は戦いに出る事を嫌がっていました。でも、佐祐理はそんな一弥を叱りつけ、いつものように戦場に連れていったんです」
ぽつり、と頬に当たる水滴を感じて、祐一は空を見上げる。
昼間あれほどの晴天だったにもかかわらず、雨が降り出していた。
「そしてあの子は死にました。いいえ、殺されました、敵に」
「そう、だったんだ」
「ええ」
雨は、いつしか本降りになっていた。
祐一はなんと声をかけていいか分からない。
もっとも、彼女も同情や慰めなど欲してはいないだろうが。
「その時に一弥を手にかけた者を、佐祐理はずっと探していたんですよ」
「……で、今も探しているというわけか」
佐祐理の隠された目的。
彼女は弟を手にかけた者に復讐するつもりなのだろう。
彼女は罪の意識に苛まれているに違いない。
争いを嫌う一弥を無理やり死地に追いやってしまったことに。
それを復讐という大義名分にすり替えることで、彼女はその大き過ぎる罪の意識から無意識のうちに逃れているのだ。
だからこそ、壊れないで済んでいるのだろう。
「いいえ、もう探してはいません」
だが、佐祐理の返答は祐一の意表を突いた。
「もう復讐はやめたのか?」
「いいえ、探す必要が無くなったからですよ」
振り続く、雨。
そして、佐祐理は続けた。
「だって、見つけたんですもの」
壊れかけの、笑顔を浮かべて。
「一弥は、Kanonとの戦いで死んだんですよ」
「なっ!」
「そして、直接手を下したのは」
「ま、まさか……」
「『紅の』相沢祐一」
「そ、そんな……」
もう佐祐理は笑っていなかった。
氷のような無表情が、彼女の内心を表していた。
「私はあなたを許さない」
祐一は動揺し、佐祐理が自分のことを“私”と言ったことにも気付かなかった。
彼女の手には、いつの間にか鋭いナイフが握られている。
「あなたは言ったわね、力が欲しい、と」
「あ、ああ」
「まだ殺し足りないの? 一弥を、多くの人を殺しておいて、そのうえまだ力を求めるというの?」
「ち、違う! 俺は……!」
「違わないわ!!」
そう叫ぶ佐祐理の目にあるのは、紛れも無い憎しみの炎。
「大切な人たちを守るため? だから殺したの?」
「そ、それは……」
「あなたが殺した人たちにだって、大切に想う者はいたのに。あなたが殺した人たちを、大切に想う者もいるのに」
一歩、踏み出す。
「私は許さない。私から一弥を奪ったあなたを、私は絶対に許さない!」
そう叫び自らに歩み寄る佐祐理を前に、祐一はただ立ちつくすことしかできなかった。