はじめに

 

本文中で登場する、「倉田佐祐理」の設定は、阿倍碧郎さんにご発案頂きました。

碧郎さん、ご協力ありがとうございました。

 

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異能者

<第六章>

−現在(いま)、そして未来(あした)−

2000/05/31 久慈光樹


 

 

 

 夜半。

 水瀬秋子自室。

 

 それは何の前触れも無かった。

 寝巻きに着替えるためにクローゼットを空けようとした瞬間だった、部屋の中央に音も無く黒い霧のようなものが現れたのだ。

 秋子はそれを見て一瞬だけ驚いた顔をしたが、その後は特に取り乱すことも無く、じっと“それ”を見つめる。

 やがて黒い霧の中から一人の男が姿を現した。

 

「こんな時間に女性の部屋に現れるのはマナー違反ですね」

「浩平さん……」

 

 現れたのは、現在Kanonと敵対する勢力であるONEのリーダー、『永遠の』折原浩平であった。

 

「お久しぶりです、秋子さん。 いや、水瀬博士とお呼びしたほうがよろしいですか?」

「やめて……」

 

 その疲れ果てたような秋子の様子は、Kanon指令『静かなる』水瀬秋子とは思えないほど弱々しかった。

 

「祐一のことで来ました」

「ええ、きっと来ると思っていたわ」

「秋子さん、祐一は……」

「大丈夫、まだ何の兆候も無いわ」

「そうですか」

 

 言葉少なに交わされる会話。

 だが両者の胸中には言葉にならない様々な思いが交錯していた。

 

「あの時祐一と一緒にいた、名雪という少女はやはり……」

 

 秋子はその問いには答えず、ただ辛そうに俯いた。

 その様子を見た浩平は、彼女のその様子に全てを察したようだった。

 

「そう、ですか。あのもう一人の少女、確か沢渡真琴、彼女もそうなのでしょう? すぐに分かりましたよ」

「……」

 

 長い沈黙、その沈黙を破るように今度は逆に秋子が問う。

 思慮深い、悪く言えば己の心を相手に悟らせない彼女らしくなく、その問いは直接的で、やや感情的であった。

 

「浩平さん、あなたは祐一さんに何を望んでいるの? あなたは何を考えているの?」

「……」

 

 だが浩平はその問いには答えず、逆に問う。

 

「秋子さん、あなたは『永遠』についてどう考えてらっしゃいますか?」

「……」

「……」

「……破滅の力。人が持つべきではない、人が持つには早すぎた力」

「ふふ、あの時もあなたはそう言って下さいましたね。そして俺たちに協力してくれた」

「……浩平さんはどう思っているの。自分の持つ、その恐ろしい力について」

「同じですよ、秋子さんと。『永遠の力』はこの世にはあってはならない、あるべきではない」

 

 そう言いきる浩平には自虐の色は感じられない。

 夜が明けたらまた朝が来るように、至極当たり前のことを当たり前に話している印象を受ける。

 

「浩平さん、あなたは……」

「さて、長居をすると色々と面倒ですからね。今日のところはこれで失礼します」

 

 更に言葉を重ねようとしたとき、それを遮るように退出する旨を伝える浩平。

 その言葉を聞き、秋子は言いかけた言葉を飲み込む。代わりに寂しげな微笑を浮かべて言った。

 

「次に合うときは戦場、かしらね?」

「そうならないことを願っていますよ。 ああ、そうだ最後に一つだけ」

「何かしら?」

「俺たちONEがKanonという存在に何を期待しているのか? 恐らく秋子さんの考えている通りのことですよ」

「何のこと?」

「ふふ、相変わらず食えない人だ。でもまあそう言うことです、ですからおのずと次の選択肢も見えているはず。その選択肢は正しい、そう思いますよ」

「そう」

「はい。では失礼します、夜分に失礼しました」

 

 そう言い残すと、浩平は現れたときと同じように漆黒の闇と共に姿を消した。

 

 

「怖い、子ね」

 

 誰にとも無く呟く秋子。

 その言葉は、彼の異能力に対してのものではない。

 

 先ほどの会話。

 秋子は今回の戦いにより、Kanonが反ONE勢力の旗印になることをほぼ正確に予期していた。それは必ずしもKanonとして望むべき事ではなかったが、彼我の戦力差を考えればKanonには選択肢など無いに等しい。

 そして、ONEリーダー『永遠の』折原浩平、彼のこの戦いにおける真の狙いがそこにあるということもまた、秋子は気付いていた。こと戦略にかけては流石はKanonのリーダーと言えるだろう。

 だが、浩平は秋子がそれを読んでいることを承知して、更にその後に秋子がとろうとしている行動までも肯定して見せたのだ。

 

 秋子がとろうとしている行動。

 それは、どこの組織にも属さない未知なる異能者確保の為、祐一に本部を離れさせるというものであった。

 一見突拍子も無い計画。だが秋子にはそれをするだけの理由があった。

 異能者同士の戦争では、一人でも多く優秀な異能者を有している側が勝利する。量よりも質が求められるのだ。

 ONEと互角に渡り合える組織がKanonしかいないという現状では、既存の勢力にそれを期待することはできない。その為、未だどの勢力にも属さない未知の強力な異能者の確保は、Kanonにとって急務であった。

 

 『眠り姫』水瀬名雪、『ビーストマスター』沢渡真琴が負傷の為に第一線を退いた現在、実質的に唯一の戦力と言えるのは『紅の』相沢祐一ただ一人。その祐一を本部から離れさせるなど、凡人には考えつかない思考である。仮にそうしたとして、そこをONEの異能者狩り部隊に強襲されたらKanonは為す術が無いのだから。

 だが秋子は浩平が現時点ではあえてKanonを殲滅するつもりが無いことを見抜き、この凡人が見れば無謀とも思える作戦を考案したのだ。

 その考えをすら見抜き、あまつさえ肯定さえしてみせた『永遠の』折原浩平。

 恐るべき戦略眼の持ち主であった。

 

「罠? いえ、あの子はそんな無駄はしない。であれば今回はあの子の言う通りにするか」

 

 未だどの組織にも属さない未知なる異能者。既に秋子には心当たりがあった。

 世に『剣聖』と噂される、流浪の剣士。その腕を見込んだいくつもの組織が彼女を確保しようとしたが、未だどの組織にも属してはいない。

 大破壊前より続く、死を司る『美坂家』の一族。確かその長女は『死神』と称されるほどの実力者だとか。

 この者たちの協力を得ることができれば……

 だが、協力を得るにはこちらもそれ相応の力を示さねばならない。

 Kanon最強の異能者である『紅の』相沢祐一であれば適任だった。いや、それ以外の選択肢は考えられないと言っていい。

 

 問題は祐一がそれを納得するかどうかだ。

 傷ついた名雪と真琴、家族同様に育った彼女たちの元を離れ、一人別行動をとることを果たして彼は善しとするだろうか?

 

「でも」

 

 納得してもらわねばならない。

 このままいけば、異能者の質という点から見てKanonにはまず勝ち目が無い。そう遠くない未来、折原浩平が思い描く通りの現実が待っているだろう。

 

「個を殺し群を生かす、か」

 

 戦闘記録で見た、浩平が祐一に言った台詞。

 彼はひょっとするとこの事すらも予期して、祐一に対してこの言葉を投げたのではないか?

 だとしたら……

 

「浩平さん、あなたは祐一さんに何を望んでいるの? あなたは何を考えているの?」

 

 誰もいなくなった空間に、先ほどと同じ問い掛けをしてみる。

 だが、当然答えは返ってこなかった。

 

 

 

 

「名雪、そんなところにいると風邪ひくぞ」

 

 Kanon本部は一見すると普通の日本家屋である。

 だがその地下には戦闘用本部としての近代施設が完備されており、先のONEによる本部襲撃の際にも、もっぱら狙われたのは別の場所にある地下施設への通用門であった。

 そのため、あれほどの激戦にも関わらずこの祐一たちの“家”は無傷で済んだのだ。

 その家のベランダに名雪の姿を見つけた祐一は、彼女を驚かさないようにそっと声をかけた。

 

「……」

 

 だが、返ってくるのは沈黙。

 側近の一人『沈黙の』上月澪の精神攻撃を受けた名雪は、しばらくの間会話すらままならい状況であった。完全に術中に落ちたわけではなかったことが幸いし、精神破壊までは行かなかったものの、回復後も記憶の混乱と精神的不安定の兆候が見られた。

 現に回復後すぐ面会に行った祐一は、一度手ひどく拒絶されている。

 以来、毎日面会に赴いていたが、名雪は一度も口をきいたことはなく、ただじっと座っているだけであった。

 今夜も就寝のあいさつに病室を訪れた祐一だったが、そこに彼女の姿はなく、散々探し回った。

 そして「もしかしたら」という思いから、以前に好きな場所だと聞いていたベランダへと足を運んだのだ。

 案の定、名雪はそこにいた。

 未だ寒さの残るこの地の夜空の下、パジャマ姿のまま立ち尽くす名雪。その瞳は大空を彩る星に向けられていた。

 

「風邪ひくぞ、名雪」

 

 再度声をかける。

 

「星を…… 見ていたの」

 

 以前拒絶されて以来、初めて聞く名雪の声だった。

 その事に驚き、歓喜しながらも、表面上は何事もない風を装って問い掛ける。

 

「星?」

「今日は、星が綺麗」

 

 祐一はゆっくりと名雪のそばに歩み寄ると、同じように空を見上げた。

 

「ああ、本当だな」

「うん」

 

 それからしばらく、二人とも無言で星空を見上げる。

 大気を汚染する害虫たる人間が極端に少なくなったためか、夜の空は澄み渡り、正に“降ってくるような”という表現がぴったりの星空であった。

 

「祐一、ごめんね」

 

 その謝罪は何に対してだったろう。

 心配をかけたことに対してか。

 お見舞いに来てくれた祐一を拒絶したことか。

 それとも未だ知らぬ過去に対してか。

 祐一には分からなかったが、それに対する答えは決まりきっていた。

 

「いいさ」

「祐一、ごめんね」

「ああ」

「わたしはもう大丈夫、大丈夫だよ」

 

 そう言って微笑む名雪。

 だがその笑顔は祐一から見ても無理している事が明らかで、痛々しかった。

 

「そうか、安心したよ」

「うん」

 

 祐一は、もどかしさに歯噛みしていた。

 言葉だけで伝わる意思の、なんと少ない事か。

 言葉を発しなければ想いは決して相手には伝わらないが、言葉だけではあまりにも伝わる想いが少なすぎる。

 

「祐一は……」

「ん?」

「祐一は、8年前のこと、覚えていないんだよね?」

「ああ、秋子さんに聞いても教えてくれなかった」

「そう……なんだ」

「名雪、8年前に何があった? なぜお前はそんなにも俺に対して負い目を感じなくちゃならない?」

「……」

 

 黙り込む名雪。

 祐一は先を急かすことなく、だが明確に答えを待つ。

 

「それは、祐一が思い出すしかないんだよ」

「なぜだ?」

「祐一が自分で思い出さないと意味がないんだよ」

「……」

「ごめんなさい、わたしにはこれしか言えない」

「……そうか、悪かったな変な事聞いて」

「ううん、いいの」

「じゃあ俺はそろそろ部屋に戻るけど、名雪はどうする?」

「わたしはもう少しここにいるよ」

「そうか、くれぐれも風邪ひかないようにな」

「うん、ありがとう。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 祐一が自室へと戻っていった後、名雪は再び星空を見上げ、誰にともなくそっと呟いた。

 

 

「過去を思い出しても、真実を知っても。それでもまた今みたいにわたしに笑いかけてくれる?」

 

 

 

 

 

 翌日、祐一は秋子から今後の作戦展開についての指示を受けていた。

 

「では、俺だけ別動隊として本部から離れるということですか」

「そうね、そういうことになります」

 

 ONEの狙いが反乱分子の統合にあり、その旗印としてKanonが選ばれた事、そしてその目的がある以上、現時点での大規模な攻撃はありえない事、その2点を踏まえた上で、秋子は祐一に在野の異能者確保の任務を言い渡した。

 

「幸いな事に、名雪も真琴も順調に回復しつつあります。小規模な小競り合い程度ならば十分に渡り合えるわ」

 

 秋子の言葉通り、名雪だけでなく真琴も順調に快方へと向かっていた。

 未だ言語に障害があるものの、今朝祐一が見舞いに行った際には持ち前の天邪鬼さを発揮して祐一を苦笑させたほどだ。

 

「わたしたちなら大丈夫だよ、祐一」

「しかし……」

「祐一さん、今は己の感情よりも大局を見据えた行動をとらなければならない時よ」

「え?」

「『永遠の』折原浩平の言葉、もう一度思い出してみなさい」

 

 

 

恐らくこれからお前の進む道には幾つもの選択肢があるだろう。

 

目先の事柄に囚われて大勢を見失うような選択をしないように今から考えるんだ 

 

 

 

 祐一は先の戦闘での浩平の言葉を思い出していた。

 進む道。

 今、この選択も進むべき道を決める岐路なのだろうか?

 

 だが、その祐一の思考を遮るように、オペレーターの声が部屋に響く。

 

「『剣聖』の所在が確認されました!」

「……先に『剣聖』と接触する方が効率がいいわね」

 

 スクリーンに投影されたその場所は、北の果てにあるこの街からあまりにも遠い。

 大切な者たちに何があっても、自分は何もできない距離。

 祐一は決断を迫られていた。

 

 大切な人たちの側に居て、危険から守ってやりたいと言う個の心。

 大局を見据え、結果的に組織としての利となるであろう群の心。

 

 いつも一緒だった名雪と真琴。実の子のように育ててくれた秋子さん。

 開放の象徴としてのKanon。自分を受け入れてくれた組織。

 

 祐一は思う。

 確かに秋子の言う事は正論であり、恐らくその言葉に従い別働隊として動くことが最善なのだろう。

 だが本当にそれでいいのか?

 自分はただ、状況に流されているだけなのではないか?

 その行動は、本当に自らの決断した結果なのだろうか?

 

 そんな祐一の内心を知ってか、秋子は諭すように続けた。

 

「祐一さん、何が最善の道かなんて私にも分からない。だけど今は立ち止まっている時ではないわ」

「……」

「例えそれが流されていると感じても、今は前に進まなければならない」

「前に…… 進む……」

「そう。座していては私たちに未来は無いわ。未来は私たちの手で、勝ち取るしかないのよ」

「……」

 

「……祐一さん、あなたは何の為に戦っているの?」

「!!」

 

 祐一はその問いに、全身の血が凍りつくような思いを味わった。

 なぜならその問いは、先の戦闘からずっと彼の内に有ったものだったからだ。

 

 何の為に戦っているのか。

 誰が為に戦っているのか。

 

「俺は…… 大切な人たちを守る為に戦ってきたつもりでした。名雪と、真琴と、秋子さんと。大切な人たちを守る為に」

「祐一……」

 

 名雪が祐一の名を呼ぶ。だが彼はそれが聞こえなかったかのごとく言葉を続けた。

 

「だけど俺は守れなかった。大切な家族が傷つくのを防ぐ事ができなかった」

「それは違うよ! 祐一はちゃんと助けてくれたじゃない!」

「違うんだ名雪! 俺は守れなかったんだ! 大切な人たちが居たのは俺だけじゃない! 俺だけじゃなかったのに!!」

 

 パパを返して!

 

 幼子の手で綴られた手紙が祐一の頭をよぎる。

 

「だったら尚のこと、祐一さんには旅立って貰わなくてはならないわ」

「なぜです! 俺が居ない間に、ONEの奴らがここを襲わない保証なんてどこにも無いじゃないですか! もう俺は後悔するのは嫌なんだ! あんな風に後悔するのはもう嫌なんだ!!」

「自惚れないで!!」

「!!」

 

 『静かなる』という異名が示す通り、普段は温厚であり冷静な秋子の怒声に、祐一だけでなく名雪も思わず息を呑んだ。

 

「祐一さん、あなたは全てを自分の手で解決できると思っているの?」

「そ、それは……」

「全てを自分の背に背負い込んで、責任を取れると思っているの?」

「う……」

「それは慢心よ。現状このまま交戦を続けたとして、待っているのは消耗死。そうなった時のことをあなたは考えた事があって?」

「……」

「『永遠の』折原浩平。彼は時と場合によっては非情に徹しきれる人間よ。恐らくそうなれば彼は私たちを赦しはしないでしょうね、一人残らず殲滅させられるわ」

「……」

「あなたの軽率な判断で何十という人間が命を落とすのよ?」

「俺の判断で……」

「目先の判断に捕らわれず、大局を見るということはそういう事。時に自分の最も大切な者達よりも、優先しなくてはいけないこともあるの」

 

 そう諭す秋子の声にはもう先ほどのような激しさは無く、我が子を慈しむ優しさに溢れていた。

 

「祐一さん、今は堪えなさい。 それに私達なら大丈夫」

「祐一、わたし、祐一が帰ってくるまで絶対にここを守ってみせるよ。真琴だってそう言うはずだよ」

「名雪……」

「行きなさい、祐一さん。後悔したくないのなら、尚のことあなたは進まなければならないわ」

「……わかり、ました……」

「ありがとう」

 

 完全に納得したわけではなかった。

 完全に自分の意思で決断したわけではなかった。

 だが、進む道が決まったのであれば、例えそれが全て自分の意思で進んだ道ではなくとも、選び取った道の中で最善を尽くそう。

 祐一は、自らにそう言い聞かせるのだった。

 

 

 

 

「てめぇ! ふざけるなよ!!」

 

 それは大破壊後の混乱期には日常とも言える光景だった。

 無骨な銃器を手にした男の前に立つのは、まだ成人を迎えていないであろう少女。

 恐らくその光景を見る者があれば、その者の目には間違いなく少女の命は風前の灯火と映るであろう。

 混乱期から8年以上が経過し、当時よりは落ちつきを取り戻したとはいえ、大破壊前の世界から見ればほんの些細な事をきっかけとして起こる銃器による虐殺。

 

 異能力を持つ者に、銃火器は全く意味をなさない。

 だが実際に異能者の割合は生き残った人間の3割にも満たず、また銃火器を無効化する精神バリアを張れるほどの異能者ともなれば、更にその内の1割にも満たない。そのほかの圧倒的大多数の人間にしてみれば、銃火器は未だ恐怖の対象なのである。

 

 その光景は奪うものと奪われるもの、力ある者と無き者の単純な対比の図であった。

 少女の手に光る、抜き身の剣を除いては。

 

「……ふざけてなんかいない」

 

 少女のその言葉は冷静さを通り越して無関心とも取れるほどであった。

 

「ぶっ殺されてぇのか!」

「できるのならばやってみればいい」

 

 まるで男の持つ銃器が目に入っていないかのような少女の台詞。

 正気の沙汰ではなかった。

 

「てめぇぇ!! 死ねやぁ!!」

 

 男はそう叫ぶや否や、手に持ったサブマシンガンのトリガーを絞る。

 

 ヘッケラー&コッホ社製のサブマシンガン、MP5SD6であった。

 大破壊前にはその高い命中制度と、扱いやすさから、米国の対テロ部隊デルタフォースを始め世界各国の特殊部隊の標準装備と言えるまでになった名銃である。

 連射速度800発/分。

 装弾数である30発をわずか3秒弱で打ち尽くすこのサブマシンガンは、消音銃であり、その恐るべき威力に比べ拍子抜けするようなくぐもった音を響かせる。

 

 男は目の前の生意気な少女が、血の海に沈む光景を夢想しただろう。

 だが、前方で蜂の巣になっているはずの少女の声は、背後から聞こえた。

 

「無駄」

 

 そしてその声が男がこの世で最後に聞いた声となる。

 

 ゴトリ

 ベチャ

 

 地面に何か重い塊が叩きつけられる音と、それに続く水をぶちまけたような音。

 

 ドサッ

 

 若干遅れて首を失った男の体が前のめりに倒れた。

 

 初速毎秒1キロメートルを越えるスピードで飛来する弾丸が到達するよりも早く、少女は男の背後に回りこみ、手にした剣で首を落としたのだ。

 人間業ではなかった。

 

「舞!」

 

 無表情で剣についた血を拭う少女に、少し離れた場所から見守っていたもう一人の少女が声をかける。

 

「ごめんね、舞。佐祐理のせいで……」

「佐祐理に酷い事をしようとした報い」

「怪我、してない?」

「してない」

「本当に?」

「本当」

「本当に本当に?」

「本当に本当」

 

 剣を持った少女に心配げに問い掛ける佐祐理と呼ばれた少女は、その応えを聞くとまるで花がほころぶような笑顔を見せた。

 

「あははー、よかったー。佐祐理のせいで舞が怪我でもしてたらと思うと」

「大丈夫、佐祐理は心配性」

 

 舞と呼ばれた少女はあくまで無表情を崩さず、しかし聞く人が聞けば苦笑を含んでいると気付くであろう声音で応える。

 

 『剣聖』川澄舞。

 その圧倒的な剣技と異能力により世に名を轟かせる存在でありながら、協調性に欠け、未だどの組織に属さない流浪の剣士である。

 先の戦闘での凄まじい移動速度は、彼女の持つ異能力『神歩行』(ブリンクスルー)によるものであった。

 単独では高速移動手段でしかないこの異能力も、彼女の剣技と合わされば恐るべき効果を発揮する。

 だが真に恐るべきは、彼女自身がこの異能力を意識せずに用いているという点であった。技の名称ですら彼女の神速を恐れた他者が勝手に命名したほどなのである。

 

 そして彼女の唯一の親友であり、行動を共にする同行者。

 『自己無き』倉田佐祐理。

 

「佐祐理」

「ほぇ?」

「さっき、異能力を使った」

「えー、何のことかなー?」

「惚けても無駄」

「あははー、やっぱり舞には分かっちゃたんだ」

 

 彼女の異能力は若干特殊である。

 『身代わりの自己』(セルフサクリフェイス)

 先ほど舞に対して密かに使用されていた異能力。

 この異能力は対象となる人間の受けるべきダメージを、全て無効化する。

 例えそれが対象人物の精神バリアを破壊するほどの攻撃であれ、全てのダメージを無効化するのである。

 だが一見完全無欠の防御手段であるこの異能力にも、致命的欠陥があった。

 無効化されたダメージは、全て術者である佐祐理自身にフィードバックされるのである。

 フィードバックされたダメージは佐祐理自身の精神バリアで軽減が可能とはいえ、正に「身を呈して」庇っているのと同様なのだ。

 

「もう使わないって約束して」

「ダメですよ舞。佐祐理は舞が傷つくくらいなら、自分が傷ついた方が何倍もマシなんですよー」

「佐祐理……」

 

 彼女はいつもそうだった。

 過剰とも言える自己犠牲精神。

 それはまるで自己を他者としてしか認識していないかのようであった。

 彼女が『自己無き』倉田佐祐理と呼ばれる所以である。

 彼女の過去に何があったのか。舞ですら知らなかったし、また舞もあえて知ろうとはしなかった。

 

「それにしても、この辺もぶっそうになってきたねぇ」

「(こくり)」

 

 抜き身の剣に布を巻きつけながら、舞はコクリと頷く。

 

「そろそろ他の場所にいこうか、舞」

「そうする」

「じゃあ南に行こう。佐祐理は暖かい所に行きたいな」

「暖かいのは嫌いじゃない」

 

 この時代、少女二人で旅をするということは決して安全とは言えなかったが、二人はまるでピクニックに行く相談でもするように楽しげに行く先を話し合う。

 もっとも、楽しげなのは佐祐理だけで、舞は相変わらずの無表情なのだが。 

 

「じゃあ南に決定。行こっか、舞」

「(こくり)」

 

 

 

 二人の少女が去った後には、ただ、風が死者を弔うように吹き荒ぶだけであった。

 

 

 

 

To Be Continued..