はじめに

 

本文中で登場する、「柚木詩子」の設定は、らすのうさんにご発案頂きました。

らすのうさん、ご協力ありがとうございました。

 

らすのうさんのHP 「LASNOW’S ROOM」

 

 

 


異能者

<第四章>

−紅と永遠と−

2000/01/31 久慈光樹


 

 

 

 Kanon本部 裏門

 

 

 

『ごめんなさいなの……』

 

 上月澪は、自分の前に蹲る人影に話しかけた。

 

 否

 

 話しかけたわけではない。

 澪は喋ることができないのだから。

 

 彼女は生まれつき話すことができなかった。

 この時代、彼女のように障害を持った人間が成人を迎えることは稀である。

 特に彼女のように大破壊後の混乱期にこの世に生を受けた年代は、肉体的なハンデがそのまま生きることへのハンデになり得たのである。

 それほどの混乱があったのだ。正に弱肉強食の時代であった。

 だが彼女はその混乱期を生き抜いた。

 それは彼女に特殊な力、“異能力”が備わっていたからに他ならない。

 彼女の異能力――自分の意思を相手の意識に直接送り込む――が無ければ、とても混乱期を生きぬくことはできなかっただろう。

 

 だが、澪は自分の異能力が嫌いだった。

 他人には無い特殊な能力。

 そんな能力がなければ、他人とコミュニケーションも図れない自分を歯がゆく思っていた。

 

 言葉。

 健康な人間ならば、誰もが持つコミュニケーションの手段。

 人間は言葉という独自の手段を用いて、同族間の意志の疎通を可能とした種である。人間以外でも独自の言葉を持つと推測される動物は多い、イルカなどは鳴声により仲間と意思の疎通を行っているとされている。だが、人間ほど多種多様の表現をできる言葉を持つ種は他に類をみない。

 正に人間にとって、言葉はコミュニケーションの手段として欠かせないものであると言えよう。

 それゆえ、言葉を発することが出来ないということは、他者とのコミュニケーションという点から見れば致命的と言える。

 大破壊以前の世界では、筆談であるとか手話に代表される言葉の代わりとしての意思疎通手段が存在し、口が聞けない、耳が聞こえないといったハンデも致命的とはならなかった。

 だが比較的平和だった時代でさえ、手話や点字の知識が必要であったり、なにより相手が理解しようとする努力をしなければ、障害を持つ者はハンデを克服できなかった。

 ましてや大破壊とそれに続く混乱は人々に「他人にかまってはいられない」「障害者に対する福祉まで手がまわらない」といった意識をもたらした。

 誰しも自分が生きることに精一杯だったのである。

 

 だが本人が望む望まざるに関わらず、澪には他人には無い力が備わっていて、それによって他者と意思の疎通が図れるということは紛れもない事実だった。

 

 自分で必要とする能力を嫌悪する。

 

 二律背反するその感情に、澪自身未だに答えを見出せずにいた。

 

 

 その能力を他人を傷つけることに用いるという行為についても同様であった。

 澪は誰も傷つけたくなかった。

 だが、自分が手に入れた初めて仲間と呼べる人たち。

 彼女がその人たちの役に立つことといえば、異能力以外には無かったのだ。

 

 

 

『ごめんなさいなの……』

 

 再度発せられる澪の“言葉”

 だがそれを受け取るべき人物は、彼女の言葉に答えることは出来なかった。

 

 

「わたしじゃない…… わたしじゃないよ……」

 

 地面に頭を抱えて屈み込み、ぶつぶつとうわ言のように繰り返す名雪。

 彼女の精神は正に破壊される一歩手前だった。

 

『楽にしてあげるの……』

 

 そう言って右手を上げる。

 あと一撃で、名雪の精神はズタズタにされ恐らく2度と元に戻ることはないだろう。

 

『さようなら、『眠り姫』』

 

 

 澪がとどめの一撃を名雪に放とうとした時、視界の端に紅い光を感じて、澪はとっさに精神バリアを展開する。

 

 

ズン!

 

 

『……!!』

 

 小規模であるが激しい衝撃が澪を襲い、彼女は精神バリアごと後方に弾き飛ばされた。

 

「名雪!」

 

 『紅の』相沢祐一だった。

 ONEの陽動作戦により本部から引き離されていた彼が、ようやく到着したのだ。

 再び形勢は逆転した。

 

「名雪! おい、大丈夫か!」

 

 屈み込む名雪の肩を掴み、何とか自分を取り戻させようとする。

 だが名雪の目は空ろに宙を泳ぎ、目の前の祐一すら認識していないようだった。

 

「くそっ! よくも…… よくもやってくれたな!!

 

 うずくまる名雪から手を離し、吹き飛ばされた澪に向き直る祐一。

 その両眼は怒りに燃え上がるようであった。

 この場にいない真琴のことも気にかかる。目前の敵を全力で葬り去るため、祐一は自らの持つ異能力を全開にした。

 全身が紅く燃え上がったかのような光を放ち始める。

 

『うう……』

 

 先ほどの一撃により、澪はかなりのダメージを負っていた。

 澪は一切の精神攻撃を無効化する能力を持っていたが、物理攻撃には極めて弱いという弱点があった。

 物理攻撃を得意とする異能者と精神攻撃を得意とする異能者の戦いは、まず機先を制した者が勝利する。

 不意打ちにより傷を負った澪は完全に祐一に機先を制されてしまった。

 

「フルパワーだ! 食らえ!! 『深紅の黄昏』(クリムゾン・トワイライト)!!」

 

 

 それは慢心だっただろうか。

 その瞬間、祐一は自分の勝利を確信していた。

 至近距離から、自分の持つ最大最強の異能力をフルパワーで放ったのだ。怒りに紅く染まる思考の中で、妙に冷めた思考を持つ部分が「相手は避けられないし、耐えられない」と告げていた。

 事実、澪は自分に襲いかかる真紅の光を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

 

 禍禍しいまでの紅い光が、澪を焼き尽くそうとした瞬間。

 

 ふっ、と。

 

 音も無くその紅い光は消失した。

 

『……え?』

「何!」

 

 一瞬何が起こったのか理解できない二人。

 そんな二人の耳に、男の声が流れこんできた。

 緊縛したこの場の雰囲気にそぐわない、なんとも緊張感のない間延びした声だった。

 

「こらこら、二人ともケンカすんなよ」

 

「誰だ!」

 

 誰何する祐一の叫びに、その男はゆっくりとその姿を現す。

 だが男は一人ではなかった。

 その両手にぐったりとした少女を抱き上げている。

 

「真琴!!」

 

 それは『水魔』里村茜と壮絶な戦いを繰り広げ、傷ついた沢渡真琴だった。

 

「貴様! 真琴に何をした!!」

「おいおい、勘違いするなよ。俺は倒れていたこの子をわざわざ連れて来てやったんだぜ?」

 

 殺気立つ祐一に、男は相変わらず緊張感のない声で答える。

 と、そこに澪がやや切羽詰ったように口を挟んだ。

 

『里村さんはどうしたの?』

「ああ、茜なら大丈夫だ。一足先に家に送り届けた。長森のやつに頼んでおいたから心配ないだろ」

「!! そ、そうか、貴様は……」

「ん?」

 

 真琴に気を取られていた祐一は、ようやく目の前の男の正体に気がついた。

 

「『永遠の』折原浩平……」

「あらら、今まで気がつかなかったのかよ。『紅の』相沢祐一くん」

「くっ!」

 

 浩平の揶揄するような台詞と口調に、我を忘れて激昂しそうになる祐一だったが、何とか思いとどまる。

 敵の手に真琴がいる以上、迂闊な真似はできない。

 

 祐一は、浩平の腕の中の真琴に視線を向けた。

 意識を失った真琴はぐったりとしている。だが幸い目に見えた外傷は見うけられなかった。

 

「お? そうか。ほら」

「な?!」

 

 祐一の視線に気がついた浩平は、警戒する祐一をあざ笑うかのようにすたすたと歩み寄ると、両手に抱えた真琴を無造作に祐一に預けた。

 

「頭に若干怪我をしてるが、多分気を失っているだけだろ。しばらくすれば気がつくんじゃないか?」

「な、何故敵を助けるような真似をするんだ!」

 

 受け取った真琴を大地にそっと横たえた祐一は、再び浩平と対峙した。

 だが浩平の行動に当惑の色が隠せない。

 その問いに対する浩平の答えは、何とも人を食った内容だった。

 

「俺は女の子には優しいからな」

「は?」

「男たるもの、女の子には優しくしなくてはいけないのだよ。祐一くん」

 

『それは単に浩平さんが女の子好きなだけなの!』

「ぐぁ…… 何てこと言うんだ、澪」

『ぷい!』

「お、おい、澪? 澪ちゃん?」

『みんなにも言いつけるの!』

「げっ! お、俺は別に悪いことなんかしてないぞ」

『浮気性なところは、昔からちっとも変わらないの!』

「浮気性って……」

『七瀬さんにも、みさきさんにも、長森さんにも、茜さんにも、言いつけるの!』

「げげっ! ま、待ってくれ澪!」

『ぷい!』

 

 突然始まった痴話ゲンカに、唖然とする祐一。

 緊迫した戦場の雰囲気が一気に日常的になってしまった。

 

「というわけでだ、祐一くん。俺は今からあいつらに言い訳…… もとい、真実が何たるかについて説明しなくてはならなくなった」

「へ?」

 

 突然自分に話が振られて、戸惑う祐一。

 どうもこの男、折原浩平を相手にするとペースを乱される。

 

「ここは双方『痛み分け』ということで話をつけようじゃないか」

「な! ……ふ、ふざけるな!!」

「ありゃ? ダメなのか?」

「あ、あたりまえだ! そっちが勝手に攻めてきておいて、都合が悪くなくと退却するだと? 今更はいそうですかと納得できる訳がないだろう!」

 

 再び怒りが祐一の思考を満たした。

 現に彼の家族とも言える二人の少女が戦いで傷ついているのだ。

 浩平の提案など飲めるものではなかった。

 

「うーむ。そうは言ってもなぁ……」

「ONEリーダーである折原浩平自身が出向いてくれるとは、かえって好都合だ! お前さえ倒せばこの戦いも終わる!」

「うわぁ…… 怖ぇ……」

『そんなことはさせないの! 浩平さんは私たちが守るの!』

 

 そう言って澪は、浩平の前に出ようとする。

 だが先ほどの祐一の攻撃で傷ついた彼女の足取りはおぼつかなかった。

 そんな澪の様子に気付き、浩平が声をかける。

 

「おい澪! お前怪我してるじゃねーか!」

『だいじょうぶなの』

「いいからお前は帰って休め。ここは俺がなんとかするから」

『でも……』

「澪ちゃーん? りーだーの言うことが聞けないのかなー?」

『でも……』

「おい! 柚木! いるんだろ? ちょっと出て来い!」

 

 突然、浩平は空に向かって声をはりあげた。

 すると、何もない空間に突然一人の女性が音もなく現れる。

 

「!!」

 

 驚愕したのは祐一一人。浩平と澪はそれがさも当然かのように、驚きはしなかった。

 

「はいはーい。詩子さん登場ー」

「相変わらず軽いやつだなぁ……」

「ちょっとー。折原くんにだけは言われたくないよ、その台詞」

「なにをー…… まぁいいや。おい、澪を家に送り届けてくれ」

「またー? さっき茜を運んで疲れてるってのに……」

『嫌なの! 私も戦うの!』

「だーめ。澪はおとなしく家で待ってろって」

「そうそう、戦いなんて野蛮なことは男どもに任せておけばいいんだよ、澪ちゃん」

 

 不満そうな澪を、浩平と詩子と呼ばれた女性が宥めている。

 それをしばらくは呆然と眺めていた祐一だったが、名雪を傷つけた敵である『沈黙の』上月澪を、みすみす逃してやることは彼にはできなかった。

 

「待て! 逃がすものか!」

 

 祐一はそう叫ぶと、もはや問答無用とばかりに自らの異能力を開放した。

 

「『深紅の黄昏』(クリムゾントワイライト)!!」

「!」

『!』

「……」

 

 祐一から放たれた真紅の光が3人を焼き尽くすかと思われた瞬間、先ほどと同じように唐突に紅い光は掻き消えた。

 だがその瞬間、祐一は何か黒い影のようなものが紅い光を包み込み消滅させるのをはっきりと目撃した。

 

「な、なんだと……?」

「おいおい、物騒なやつだなぁ」

 

「ちょ、ちょっとー、こんなおっかない所に私を呼ばないでよねぇ!」

「わかったわかった、さっさと澪をつれていってくれよ」

『私も戦うの!!』

「はいはい、澪ちゃん。一緒に帰ろうねー?」

 

 詩子はダダをこねる澪の肩を軽く掴むと、現れたときと同じように唐突に掻き消えた。

 

「ふー。やっと行ったか……」

「くっ!」

 

 まるでうるさい妹を追い払った兄のように安堵の溜息をつく浩平と、みすみす敵を逃してしまったことに歯噛みする祐一。

 

「ああそうか、祐一はあいつとは初対面だったなぁ」

「よ、呼び捨てにするな!」

「何だよ、いいじゃないか。俺のことも浩平でいいぞ。ちなみにさっきのうるさいのは柚木詩子だ」

「誰が呼ぶか! ……そうか、あれが『神出鬼没の』柚木詩子……」

 

 『神出鬼没の』柚木詩子。

 折原浩平の側近ではないが、恐らく彼女たちに匹敵する異能力を有しているであろう女性。

 その異能力は『瞬間移動』(リープムーブ)空間を超えて一瞬のうちに移動する能力。

 この能力があれば、恐らく側近の地位も望めたであろう。だが彼女は決して一線には出ようとはせず、気ままな一兵士の立場を楽しんでいた。

 

 彼女が『神出鬼没の』柚木詩子であるのならば、先ほど掻き消えるようにいなくなったことも納得がいく。

 

「あいつもなぁ、もうちょっちマジメにやってくれると助かるんだがなぁ……」

 

 部下の不真面目さを嘆く中間管理職のように、ぶつぶつと不満をこぼす浩平。

 だが祐一はそんな彼の様子には惑わされなかった。

 いかにとぼけたポーズをしているとはいえ、ONE最強の、いや世界最強の異能者であり、今や日本全土を掌握する組織であるONEのリーダーである『永遠の』折原浩平。

 間違いなく最強の敵だ。現に先ほどから祐一の攻撃はことごとく彼には届いていないのだ。しかも1発目はフルパワーだった祐一に対し、浩平は間違いなく全力を出してはいない。

 

 

 

 果たして自分はこの男に勝つことができるのか?

 

 

 

 焦りにも似た感情が祐一の心を焦がす。

 しかし彼を倒さねば、Kanonには明日が無いのだ。 

 

 

 どうする?

 

 

 浩平の様子に油断なく注意を払いながら、祐一は胸中で自問する。

 先ほど『深紅の黄昏』をかき消した黒い影。あれが恐らく浩平の異能力である『永遠』の力であろう。

 どういう原理かは分からないが、どうやら祐一の異能力はそのまま放っても『永遠』にかき消されてしまい、浩平までは届かないようだ。

 

 

 

 どうする?

 

 

 恐らくこの距離で放っても、先ほどと結果は一緒であろう。

 であれば道は一つ。防ぎようがないほどの超至近距離からの攻撃。それしかない。

 

 祐一がこの結論に達するまで、時間としては1分も経っていなかった。

 ようやく浩平は祐一に向き直り、声をかけた。

 

「と言うわけでこのまま俺達もお開きに…… って訳にもいかなそうだなぁ……」

「……」

 

 祐一は浩平の軽口にも反応することなく、慎重に間合を計る。

 彼我の距離はやく3メートル。策もなくただ飛び込んだのでは標的にされるだけだろう。

 一撃。

 最初の一撃を避けるか耐えるかさえすれば、確実に懐にもぐり込める。

 

 

 

 ままよ!

 

 

 

 いちかばちかそのまま飛び込むことを決意する祐一。

 後はタイミングを計るだけだ。

 一瞬でいい。意識を逸らしてくれれば……。

 

 緊張する祐一をよそに、浩平は相変わらず緊張感のない様子で突っ立っている。それでいて、つけ込む隙が見うけられない。

 じりじりと時間だけが経過する。

 5分、10分、15分。

 

 ふと、浩平の視線が祐一の背後へと向けられた。

 祐一の背後に蹲る名雪へと。

 

「その娘は…… まさか……」

 

 初めて見せる驚愕の表情。

 

 隙が。

 

 できた。

 

 

「おおぉぉ!!」

 

 その期を逃すことなく、間合いを詰める祐一。

 自らの異能力を高めると同時に、浩平からの攻撃に備えて意識を集中する。

 だが、攻撃は来なかった。

 そのまま懐に飛びこむことに成功する。

 

 

 もらった!

 

 

「『深紅の黄昏』(クリムゾントワイライト)!!」

 

 本日4度目の異能力が開放される。

 

 一瞬。

 

 正に一瞬の攻防だった。

 

 超至近距離から発動された祐一の異能力を、驚くべきことに体さばきだけでかわす浩平。

 かわされた時のことも予期していたのであろう、すぐに第2撃を右足に込めて蹴りと共に放つ祐一。

 だが、あろう事か、浩平はその攻撃を左手一本で受けた。その左手は漆黒の闇を纏っている。

 

がしっ!

 

 祐一の右足が放っていた紅い光が、浩平の左手を覆う漆黒の闇にかき消される。そしてそのまま蹴り足を掴むと、体を沈め、軸足に水面蹴りを放つ。

 たまらず転倒する祐一。

 そこに同じく漆黒の闇を纏った浩平の左足が振り下ろされる。

 体を回転させて避ける祐一。

 

どがっ!

 

 浩平の左足がそのまま地面を抉る。

 回転しながら体を起こし、少し距離をおいて祐一は立ち上がる。

 

 仕切り直しとなった。

 この間、3秒も経ってはいない。

 

 

「つ、強い……」

 

 祐一の口から堪らず声が漏れる。

 短いが、この上なく激しい攻防に肩で息をしている。

 それに対し浩平の方は息一つ乱すことなく平然としていた。

 力の差は明らかだった。目の前のこの男はその実力を半分も出しきってはいまい。

 まさかこれほどとは……。

 

「いやいや、祐一も若いのに大したもんだ。ひやっとしたぞ」

「くっ……」

「確かに凄い素質を持ってる。でもまだまだ経験不足だなぁ」

「……」

「時に祐一」

「何だ」

 

 乱れた息を整えるため、浩平のとぼけた会話に耳を貸す。

 今は1秒でも早く呼吸を整えるのが先決だった。

 

「お前の後ろにいる、その娘。名前は何て言うんだ?」

「……」

「あ、誤解するなよ。別に俺はその子がかわいいからお持ち帰りしようなんて考えてる訳じゃないぞ。第一そんなコトしたら七瀬あたりに簀巻きにされて、東京湾に沈められちまう」

「……名雪だ」

「そうかぁ。名雪って言うのか」

「……」

「……彼女か?」

「ぶっ!」

 

 にやにやと笑いながら、とんでもないことを口走る浩平に、思わず噴き出してしまう。

 どう考えても、高校の教室で男同志が会話しているような内容だ(この時代、高校はおろか「学校」という制度自体が消滅しているが)。血生臭い戦場の雰囲気が、一気に吹き飛んでしまったような錯覚すら覚える。

 

「いいよなぁ、俺もそんなかわいい彼女が欲しいなぁ」

 

 側近の女性たちに聞かれたら、その場で滅殺されてしまいそうな台詞をのうのうと発する浩平。

 祐一は頭痛がしてきた。

 

「澪の精神攻撃だろ?」

「は?」

 

 突然の話の飛躍についていけず、間抜けな声を発してしまう祐一。

 

「その娘、澪の精神攻撃を受けたんだろ?」

「くっ! そうだ!」

「それにそっちの娘、真琴って言ったけ? その娘も早いとこしかるべき治療をしないとまずいんじゃないか?」

「そ、そんなこと、言われなくたって……」

「だったら、俺とこんなとこで遊んでる暇はあるのか?」

「!!」

 

 確かに浩平の言う通りだった。

 だが、攻めてきたのはONEの方なのだ。

 都合が悪くなったからといって、兵を引こうというのはどう考えても勝手過ぎるのではないか。

 

「そんな都合のいいことを認めるわけがないだろ!!」

「ふっ、ふふふ、あーはっはっは!」

「な、何が可笑しいんだ!!」

 

 突然笑い始めた浩平を問い正す祐一。

 浩平は、唐突に笑うのを止めると、真剣な表情になり、祐一を睨み付けた。

 その迫力に気おされる祐一。今までのへらへらした印象からは想像がつかないほどの威圧感だった。

 

「祐一、お前は何か勘違いしているようだな」

「な、何を……」

「この戦いは、ONEとKanon、お互いの生き残りを掛けた戦争なんだぜ」

「戦争……」

「先に戦いを仕掛けた俺達の側から兵を引くことに納得できないのは分かる。俺とお前のケンカだったらそれでもいいだろうさ。だがな、これは戦争なんだ。優位に立った俺達のほうから兵を引こうと言うんだ、圧倒的劣勢に置かれたお前たちには願ってもない事だろうが」

「し、しかし……」

「しかしじゃねぇ! お前、秋子さんに何を教わった!」

 

 浩平のその言葉に、弾かれたように顔を上げる祐一。

 

「お、お前は秋子さんのことを知ってるのか?」

 

「……少し話しすぎたな」

 

 そう言って心もち、眉を顰める。

 だがすぐに厳しい顔になり、浩平は続けた。

 

「だが覚えておけ、お前自身が望む望まぬに関わらずお前はもうKanonの中心人物だ。お前の判断一つで幾百もの命が失われるかもしれないんだぜ」

「幾百もの…… 命」

「組織の上に立つっていうのはそう言うことだ」

 

 浩平の言葉が紡がれるのと同時に、彼の体を漆黒の闇が覆い始める。

 それを呆然と見守る祐一。もはや攻撃する意思は削がれていた。ただ彼の声に耳を傾け、その内容を心に刻む。

 

「そうだ。考えろ、祐一。そして成長しろ。個人的な異能力の強さが全てじゃない、個人的な感情だけで動くな。時には冷徹な選択だろうと、個を殺して群を生かすことを考えるんだ」

 

 浩平の体は、漆黒の闇にほぼ覆われつつある。

 『永遠』の力を利用した遠距離移動だ。

 だが、彼の言葉は続く。

 

「恐らくこれからお前の進む道には幾つもの選択肢があるだろう。時には自分の大切な人を天秤に掛けなくてはならないこともあるかもしれない。そうなった時、目先の事柄に囚われて大勢を見失うような選択をしないように今から考えるんだ」

「そ、そんな事…… 俺にできるのか……?」

「できるさ、だってお前は俺の……」

 

 そこまで話して、またしても喋りすぎたことに気がついたように言葉を止める浩平。

 祐一はその言い方に看過できないものを感じて食い下がった。

 

「お前の? 俺がお前の何だって言うんだ!」

 

 漆黒の闇は浩平の体を完全に覆い尽くし、急速に収束しつつあった。

 幾分聞き取り難くなった声で、だがしっかりと浩平の声は告げる。

 

「……そしていざ選択をしたんなら、もう迷うな。自分の選択を信じて進め。それが間違っているかなんて考えている暇があるのなら、一歩でも前に進むことを考えろ……」

「ま、待て! 俺の問いに答えろ! お前は俺の何だって言うんだ!」

「……進め……一歩でも前に……進め……」

 

 聞き取れたのはそこまでだった。

 収束を続けた漆黒は点になり、完全に消失した。

 

「俺の…… 何だって言うんだ……」

 

 その場に力なく膝をつく祐一。

 初めて会った時から、言いようのない親近感のようなものを感じていた。「こいつは俺と同じだ」そんな意識が最後までついて回った。

 それは例えば名雪に対して感じているような、真琴に対して感じているような。そんな親近感。

 血の繋がりのない家族。

 だが、名雪と真琴には血の繋がり以上の親近感を感じていた。

 

 家族という以上の。

 自分自身であるかのような親近感。

 

「くそっ! 何だって言うんだ! 何だってそれをあの男から感じるんだ!」

 

 苛立ち、戸惑い、そして不安。

 様々な感情が祐一を打ちのめす。

 だが、彼にはそれに浸っている時間は与えられなかった。

 

「名雪、真琴…… 帰ろう…… 俺達の家に」

 

 

「……私じゃない…… 私じゃ……」

「……」

 

 視線を泳がせ、うわ言のように呟き続ける名雪と、倒れ伏し、物言わぬ真琴。

 不意に涙が出そうになる。

 先ほどの浩平の台詞が頭に浮かぶ。

 

 

恐らくこれからお前の進む道には幾つもの選択肢があるだろう

時には自分の大切な人を天秤に掛けなくてはならないこともあるかもしれない

そうなった時、目先の事柄に囚われて大勢を見失うような選択をしないように今から考えるんだ

 

 

 

「俺に…… 俺にできるのか? 選択することができるのか?」

 

 

 

……進め……一歩でも前に……進め……

 

 

 そうだ。

 今はただ前に進むことだけを考えよう。

 

 敵の撤退を確認したのだろう。

 本部から駆け出してくるKanonの戦友たちを視界に止め、祐一は硬く拳を握り締めるのだった。

 

 

 こうしてKanon側は多大な犠牲を払いながらも、ONEの進行を阻止することに成功した。

 戦闘開始から5時間。

 初めは傾き始めだった太陽も、今は完全に沈み、あたりは漆黒の闇に覆われつつあった。

 

 

 

 絶え間無く振り続いていた雨は。

 

 いつの間にかあがっていた。

 

 

 

 

To Be Continued..