異能者

<第三章>

−変貌−

1999/12/24 Merry X'mas ! !

久慈光樹


 

 

 

 Kanon本部 正門

 

 

 

「もう一度だけ聞きます。降伏しなさい。もはやあなたに勝ち目はありません」

 

 あくまで冷徹な口調で降伏を促す茜。

 真琴の頼みの綱である聖獣「ぴろ」は、茜の作り出した水の鎖に繋がれたまま、身動き一つ取れないでいる。

 しかも真琴自身の動きもまた、水の鎖により封じられていた。

 攻撃手段はおろか移動手段までも封じられ、茜の攻撃を精神バリアで防御するのが精一杯の真琴。

 

 だが茜も聖獣を押さえ込むのに異能力を割かねばならないため、決め手に欠けていた。

 真琴の展開する精神バリアは思いの外強固で、未だにその防御を突破できない。

 

 

 しかし、それも時間の問題だった。

 

「うう……」

 

 真琴は傷だらけだった。

 茜の水の球体による攻撃をなんとか精神バリアで凌いではいるが、フィードバックにより体のそこかしこから血が滲んでいる。

 

 精神バリアのフィードバックはある程度力の拮抗した異能者同士の戦いであれば避けては通れない現象である。

 フィードバックとは言っても、実際には敵の放つ異能力を100%防御できない為に起こる現象である。

 銃や火薬による爆発は完全に防御する精神バリアがなぜ同じ異能力の攻撃だけは100%防御できないのか、未だに解明されていない謎の一つだ。

 

「はぁはぁ…… だ、誰が…… あんた達なんかに!」

「……そうですか」

 

 その答えを聞いた茜の瞳が一瞬だけ悲痛な色を見せた。

 だがすぐにそれを隠すように再び目を細めると、新たに水の球体がその周囲に発生する。

 聖獣の拘束にも異能力を割いているためだろう。その球体は野球のボールくらいの大きさでしかなかった。

 それでもその攻撃は、確実に傷ついた真琴の命を奪える威力を備えていた。

 

「これで終わりです…… さようなら」

 

 超高速で迫り来る水の球体。

 恐らく傷ついた真琴には、その攻撃を防ぎきるだけの余力は残っていないだろう。

 

 絶対的な死。

 真琴には、その死までの時間が妙に長く感じられた。

 

 人は死ぬ前に今までの人生が走馬灯のように頭をよぎるという。

 このとき真琴の頭に浮かんだのは、家族として自分を暖かく包んでくれた人達のことだった。

 

 

 秋子おかあさん。

 暖かい存在。

 母性というものを初めて感じさせてくれた。

 

 

 名雪おねえちゃん。

 眩しい存在。

 綺麗で優しい姉に、憧れを抱いていた。

 

 

 そして。

 

 祐一。

 

 

 世界で一番大切な存在。

 ずっとずっと祐一の側に居たかった。

 離れたくなかった。ずっと祐一をココロが求めていた。

 まるで魂が引き合うように。

 

 

 ずっと祐一の側に居たい。

 

 ずっと祐一と生きて居たい。

 

 祐一と離れ離れになるのは嫌だ

 

 嫌だ

 

 嫌だ

 

 嫌だ

 

 嫌だ!

 

 

「嫌だぁぁぁーーーー!!」

 

 

 その瞬間。

 真琴の中で何かが弾けた。

 

 

バシィィン!

 

 

「なっ!」

 

 冷静だった茜の声に、初めて動揺が走る。

 水球が真琴の精神バリアを突き破ると思った瞬間、精神バリアが消失し、真琴が素手で水球を弾き飛ばしたのだ。

 人間業ではなかった。

 

 

 先ほどから激しさを増した雨と、ややうつむき加減のため前髪が真琴の顔を覆い、その表情を伺うことはできない。

 

 

ドクン

ドクン

ドクン

 

 

 真琴がゆっくりと歩を進める。

 さほど力を入れたようには見えなかったが、足に絡みついた水の鎖が引き千切られる。

 

「!!」

 

 聖獣の怪力でもびくともしなかった水の鎖が引き千切られる様を見て、茜の表情に更なる動揺が走る。

 

 ゆっくりと、だが確実に近づいてくる真琴。

 思わず後ずさりしてしまいたくなるような、威圧感が漂っている。

 いつの間にか聖獣は姿を消していた。

 

「くっ!」

 

 図らずも聖獣の拘束に異能力を割く必要が無くなった。

 再びバスケットボール大の水球を複数個造り出す。

 茜はその全てを、自分に向かってくる真琴に叩きつけた。

 

 

バシィィン!!

 

「は、速い!」

 

 水球は今まで真琴の居た場所の地面を抉っていた。

 一瞬にして攻撃範囲内から離脱したのだ。

 人間の為し得る速度ではない。

 まるで野生の獣のような動き。

 

「ぐるるる……」

 

 茜から一旦距離を置き、喉を鳴らす真琴。

 その瞳に瞳孔は無く、瞳全体が金色に光っている。

 かみ締めた口からは、異様に鋭く尖った2本の犬歯が覗く。

 地面に片膝、片腕をつくその姿は、野生の獣の持つ一種の美しさを醸し出している。

 全身がうっすらと金色に発光しているように見えた。

 

『金色の獣』(ゴールデンビースト)

 

 茜の脳裏にそんな単語が浮かぶ。

 正に今の真琴は金色(こんじき)の獣だった。

 人の姿をした、美しくも危険な肉食の獣。

 

 

「ぐるる……」

 

 警戒するように様子を伺う金色の獣。

 茜も額に冷たい汗が伝う。

 その顔には明らかな焦りの色が浮かんでいた。

 己の異能力の強さは、自分が一番良く知っている。先ほど苦もなく水の戒めを引き千切った真琴に、茜は脅威を感じていた。

 敵の様子を見る限り、まず間違いなく接近戦になるだろう。

 肉弾戦は茜の苦手とするところだった。接近戦に持ち込まれたら恐らく彼女に勝機は無い。

 その考えが焦りを呼んだ。焦りは容易に判断力の低下に繋がる。

 

 その時、ふと、真琴が笑ったように見えた。

 肉食獣の笑いだった。

 

 

 瞬間

 

 

 真琴が動いた。

 決して人間には真似のできない速度で茜に肉薄する。

 

 

 かかった!

 

 

 茜は勝利を確信する。

 勝負の駆け引きという点から見ても、彼女は一流だった。

 

 劣勢に置かれた側が、あえて焦りを演じ隙を見せる。

 

 危険な賭けだったが茜は賭けに勝ったのだ。

 

 察知されないように密かに高めていた異能力を開放する。

 瞬時に茜の両腕に水で造られた弓と矢が現れた。

 神速でその矢を引き絞ると、接近する真琴に向かって放つ。

 放たれた水の矢は、凄まじい速度で真琴に吸いこまれていった。

 

 正に一瞬の攻防。

 常人が見ても何が起こったかさえ分からないだろう。

 

 水の矢は狙い違わず真琴の眉間に突き刺さった。

 

 

 かに見えた。

 

 

「ざ、残像!」

 

 直線的な突進から、ほぼ直角に真横への跳躍。

 その凄まじい動きは元居た場所に残像を残すほどであった。

 

 そのまま獣は茜に襲い掛かる。

 

「きゃああああぁ!!」

 

 

ズガン!

 

 

 辛うじて精神バリアを展開した茜だったが、真琴の凄まじい威力を秘めた一撃に、そのまま精神バリアごと吹き飛ばされる。

 

「うっ、げほっ……」

 

 茜の口から真っ赤な血が吐き出される。

 少し内臓が傷ついたらしい。

 

 もはや形勢は逆転していた。

 変貌した真琴の圧倒的な力に、茜の命は風前の灯火だった。

 

 

 

 だが、茜の目はまだ光を失ってはいなかった。

 何度も咳き込み血を吐きながらも、ふらふらと立ち上がる。

 

「ぐるる……」

 

 そんな茜を見て、真琴が嬉しそうに喉を鳴らす。

 まるで狩を楽しんでいるような表情だった。

 

「負けるわけにはいかない……」

 

 出血で視界が霞む。

 

「あの人の目を覚まさせるまでは……」

 

 それでも茜は立ち上がる。

 

「私は負けるわけにはいかない!」

 

 そう叫ぶと、異能力を全開にする。

 己の身を守る精神バリアを展開する力をも惜しみ、異能力を高める。

 やがて茜の全身が薄い水色に輝き始めた。

 

「ぐるる……」

 

 茜の力に反応し、真琴も全身に力を溜める。

 真琴の全身もはっきりと目視できるほどに金色の光を放ち始める。

 

 両者とも一言も発しない。

 奇妙な沈黙がその場を包んだ。

 ただ降りしきる雨の音だけがこだまする。

 

 

 

ガアアァァ! 


 先に動いたのは真琴だった。

 腹に響くような雄叫びを上げると、金色の光の矢となって茜に襲い掛かる。

 

 その叫びに呼応するように、閉じていた瞳を開く茜。

 全身が眩しいくらいの水色に輝いている。

 

「くらいなさい!」

 

 

「『青い衝撃』(ブルーインパルス)!!」

 

 

 その叫びと同時に、茜の全身を包んでいた水色の光が波を打ち始め、その波が四方に爆発的に広がる。

 

 大気を激しく振るわせ、その波を高速で四方に伝播させる超振動攻撃。

 『水魔』里村茜の最大の異能力、『青い衝撃』だ。

 その波に触れたものは、全て塵にまで分解される。

 物理攻撃としては『狂戦士』七瀬留美の持つ異能力と並び、ONE最強を誇る。

 しかし、その威力に比例して術者自体に与える負荷も相当のものだ。

 今の茜の状態では、自殺行為とも言える。それでもこの技を繰り出すところに、茜の並々ならぬ覚悟が伺えた。

 

 

ガガアァァン!!

 

 

 やがてその波は大地へも達し、小規模な爆発を生んだ。

 もうもうと立ちこめる土煙。

 だが降りしきる雨に、土煙は急速に晴れていく。

 茜の立っていた場所を中心として、大地がすり鉢状に抉れていた。あたかも小型のクレーターのように。

 凄まじい破壊力だった。

 

「やった…… の?」

 

 強烈な倦怠感が襲う。

 もはや立っている事すら限界だった。

 急速に霞み始める視界で、仕留めたことを確認しようとする茜。

 もっとも、もしも直撃を食らったのであれば遺体すら残ってはいないだろうが……。

 

 

 

 しばらくあたりを見回すと、300メートルほど向こうに倒れ伏す人影が見えた。

 

「ま、まさか…… あの間合いから回避できるなんて……」

 

 恐らく茜の異能力発動と同時に、本能によって回避を試みたのだろう。本来なら必殺の間合だっただけに、驚嘆すべき反射神経といえる。

 だが、流石に100%回避することはできなかったのだろう、倒れ伏す真琴は額から血を流し、完全に気を失っているようであった。全身を覆っていた金色の光は既に無く、ただの少女に戻っている。

 

「生きてる……」

 

 真琴が弱々しくも、呼吸していることを確認すると、そのまま茜は力尽き、地面に倒れ伏した。

 

「よ…かった……殺さずに………済んだ」

 

 敵の本拠地で気を失ってしまうことの危険性は承知していたが、もはや限界だった。

 

「ごめん……なさい…浩……平……」

 

 そう呟くと、茜はそのまま気を失った。

 

 

 

 

 倒れ伏す二人の少女に雨が降り注ぐ。

 

 

 バシャ 

 

 降りしきる雨音に混じって、ゆっくりと二人に近づく足音が聞こえる。

 その音の主は、ゆっくりと大地を踏みしめ、気を失った茜に近づいていく。

 

 男だった。

 

 男は、倒れ伏す茜をしばらくじっと見つめていたが、やがて、ゆっくりと茜に向かって手を伸ばす。

 

 

 

 降り続く雨。

 一向にやむ気配は無かった。

 

 

 

 

To Be Continued..