その日は朝から激しい雨だった。

 

 昼間だというのに空は塗りつぶされたように黒く、その漆黒のカーテンを切り裂くように、ときおり雷光が走る。

 春の嵐、というにはやや早すぎる天候。

 

 

 決戦の日だった。

 

 

 

 

 


異能者 第二部

<第九章>

−走る少女たち−

2004/1/3 久慈光樹 A Happy NewYear!!


 

 

 

 ゆっくりと、だが整然と。ONEの異能者狩り部隊が姿を現したのは、正午にさしかかろうかという時間帯のことであった。

 迎え撃つKanon全軍の配置は既に完了している。右翼には『死神』美坂香里率いる第二部隊約1000。左翼には『紅の』相沢祐一率いる第一部隊約1000。そして中央には『剣聖』川澄舞の直営部隊と、臨時に彼女の指揮下に入った旧第三部隊が合わせて約1500。

 絶対の布陣。しかも作戦は最初から拠点防衛。例え相手がONE率いる最精鋭たる異能者狩り部隊であったとしても、突破は至難の業であろう布陣。

 

「遂に来たか……」

 

 全軍の指揮を任された『剣聖』川澄舞の呟き。常に彼女の側にあってその呟きに応えを返していた親友の姿は今は無い。

 

「佐祐理が戻ってくるまで、ここを落とさせはしない」

 

 自分たちがKanonに加わってから、まだ間もない。

 だが舞は、この場所を、この仲間たちを、まるで安住の場所を見つけたかのように感じていた。

 自分には何も無かった。やがて尊敬できるライバルや親友は既に手に入れた。そしてKanonに来て、舞は本当の意味で心を落ち着けることができる「家」を入れたのだ。

 舞の脳裏に、逆撃部隊の指揮をとっているであろう髪の長い笑顔の綺麗な少女が浮かぶ。

 友人で、そして恋敵の少女。

 

「名雪、頼む」

 

 

 

 

「雷雨とは、ね」

 

 舞から数キロ離れた第二部隊本営で香里が苦々しげに天を見上げる。降りしきる雨に濡れる身体もそのままに。

 

「第一陣は間違いなく、『水魔』ね」

 

 見上げた視線を、そのまま遠方に姿を現したONEの軍に移して、彼女はそう呟く。常であれば彼女の呟きに反応するであろう副官であり最愛の妹の姿はそこにはない。

 

「栞、生きて帰りなさい」

 

 自分と妹のために守り通そうと誓った『美坂家』は今は無い。いや、形を変えて存続し続けているのだ、このKanonという組織と共に。

 もうここ以外に自分と妹の帰る場所はない。Kanonが滅びる時は、自分たちも共に滅びる時なのだ。そんなことは許さない。絶対に許さない。

 いままでずっと肩肘を張ってきた。自分を演じてきた。『美坂家』当主として恥かしくないように、威厳を保てるように。

 この場所では、Kanonというこの組織では自分は自分を偽らずにいられる。ありのままの自分でいられる。絶対に、無くさせはしない。

 香里の脳裏に、髪の長い笑顔の素敵な少女が浮かぶ。

 まるでずっと昔から親友であったかのような錯覚すら覚える。

 

「頼んだわよ、名雪」

 

 

 

 

 

「『水魔』は確実、だが『狂戦士』は。そして奴は……」

 

 第一部隊本営、祐一がギリと奥歯を噛み締める。その傍らには百人隊長であり彼の部隊においての片腕であった義理の妹の姿は無い。

 

「真琴、しっかりやりやがれよ」

 

 

 そして、脳裏に浮かぶのはもう一人の義妹。

 ねぼすけで、天然で、だけど誰よりも優しく誰よりも一生懸命な、少女。

 

 「いってきます!」 彼女は最後にそう言ったのだ。

 行って来ます。それは帰ってくることを約束した言葉。

 あいつなら大丈夫、絶対に大丈夫。あいつはおっちょこちょいでドジだけれど、いままで一度も約束を破ったことがないくらいに律儀なのだ。あいつなら絶対に使命を果たし、そして無事に俺の元に、俺たちの元に帰ってくる。

 だから――

 

「頼んだぞ、名雪」

 

 

 数分の対峙。

 そして遂に、ONE軍が侵攻を開始した。

 

 

 

 

 

 

「ちっ、やはり裏門の警備も厳重だな」

 

 苦々しげな、『トリックスター』北川潤の囁き。

 常であれば2、3名での警備しかなされていないONE本部裏門の通用口。だが流石に決戦の日とあって、そこには10名単位の警らが配置されていた。

 

「いけるか? 水瀬?」

 

 北川が声を掛けた時には、彼女は既に敵に察知されぬよう密かに異能力を高めていた。

 

「眠れ……」

 

 解き放たれる異能力。Kanonの幹部たる『眠り姫』水瀬名雪の異能力『醒めない眠り』(ウィッシュレススリープ)の前に、警らについていた10数名の男たちはまとめて眠りの底に落ちていた。

 

「さすがです、名雪さん」

 

 彼女の脇で見守っていた栞、『命喰い』美坂栞の賛辞にひとつ頷く。

 名雪たち逆撃部隊の5人がONEに到着したのは、昨晩のことだった。すぐにも侵入をしようとする真琴や栞を抑えて、名雪は一晩様子を見た。もしもONEが作戦を変更し、決戦の日を先延ばしにしたのなら、侵入するのは死にに行くようなものだからだ。

 警備は厳重ではあったが、ONEの様子を知る北川の話では本部に出入りする人間が少なすぎるとのことだった。恐らくはもう侵攻部隊はONEを立った後なのだろう。そのことは着いてすぐに知ることができた。

 だがそれでも、あえて名雪は潜入を一日遅らせたのだ。

 もし万が一自分たちの潜入が早期に露見した場合、最悪侵攻部隊が引き返してくることになりかねないということを憂慮したのだ。

 確かに、今回の作戦は時間との戦いだ。自分たちがあの忌まわしい『ラプラスの魔 機構』をいかに早期に破壊できるかに、決戦の勝敗が賭かっているといっても過言ではない。

 

 だが、生き残らなければ意味がない。

 自分はこの逆撃部隊のリーダーであるのだ。香里や舞の顔が浮かぶ。彼女たちの妹を、親友を、必ず生きて帰さねばならない。

 そして自分も生き残るのだ。 

 短絡的なヒロイズムで命を落とせば、家族である祐一や母がどんなに悲しむか。

 誰も死なせない、そして自分も絶対に死なない。それはリーダーとして人の上に立つものの義務なのだ。

 

「名雪さん、行きましょう」

 

 栞の言葉に頷き、名雪たちKanon逆撃部隊は裏門から侵入を果たす。

 

 降りしきる雨と、ときおり轟く雷鳴に紛れながら。

 

 

 

 

 

 

「中央突破戦法? なぜ?」

 

 舞が怪訝そうに呟く。ONEの第一陣約2000がとったのは紡錘陣。そのまま目を見張るような速度で進軍を開始したのだ。その意味するところは間違いなく、中央突破。

 よく統率された勢いとその速度は凄まじく、まるで鋼の濁流である。そのまま手をこまねいて傍観すれば、中央に配置した舞率いる1500の部隊は寸断されてしまうだろう。ONE最精鋭の名に恥じぬ理想的な中央突破戦法であった。

 しかし……

 

「『織天使』に伝令! フォーメーションA-1!」

 

 舞の鋭い声が響くと、彼女からやや離れた場所から天に向けて一条の光。伝令役である『織天使』月宮あゆによる作戦通達の狼煙。『天使の涙』(エンジェルズティアー)を収束して一本に纏めたその光は、離れた場所で指示を待つ2人の千人隊長に届いただろう。

 やがて左右に展開した部隊が、ONE軍を包み込むように形を変えて半包囲体勢を形作っていく。

 

「行ける」

 

 全軍の再編成速度とONE軍の進行を瞬時に見て取った舞が呟く。このまま展開すれば、ONEの先方が舞たちの本体に届くより前に半包囲隊形が完成するだろう。そしてそれが完成してしまえばONE軍は前方と左右から挟撃される形になる。いかなONEの誇る最精鋭とて、ひとたまりもないに違いない。

 通常の戦であれば、この時点で舞は勝利を確信しただろう。

 だが――

 

「未来、予測」

 

 舞の脳裏に浮かんだのは、『トリックスター』が持ち帰った到底理解の及ばぬ幾何学図式に示されたシステム。そして、一人の男の姿。

 

「なにを企んでいる、『永遠』……」

 

 未来予測が可能なのであれば、自分たちの手の内もすべて晒されているに等しい。恐らくは眼前で中央突破陣形をとって侵攻する部隊は罠だろう。

 しかしこの罠が真に辛辣なのは、罠だと知りつつも対応しないわけにはいかないという点だ。もしも罠を警戒して手をこまねけば、みすみすONEに中央突破を許してしまう。中枢を分断されたKanon軍は統率を失い、左右に展開した各部隊は容易に各個撃破されるだろう。そうして労せずしてONEは勝利を手にすることになる。

 例えどのような罠が待ち受けているにしても、舞に、Kanonに取りえる策はただ一つ。半包囲陣形による殲滅意外にはありえない。罠を承知で踏み入り、それを仕掛けた者の想像を越える速度と威力で罠ごと粉砕する、それしか打つ手がないのだ。

 

「左翼の展開が遅い! 右翼と連携するように伝えて!」

 

 舞の叫びに、降りしきる雨の空に一条の光が飛び立つ。飛行の異能力を持つあゆが、直接伝令を伝えに飛んだのだ。彼女の移動速度であれば致命的な事態になる前に伝令は通達されるだろう。

 

「半包囲された敵はそのまま中央突破を狙うはず! 迎撃の準備を怠るな!」

 

 続く舞の叫びに、周囲で「応!」と声が挙がる。

 士気は高い。これならば左右の部隊が敵を切り崩すまで十分に持ちこたえることができるだろう。

 戦況を見る限り、いまのところ不安な要素は見当たらない。それどころか戦術的に一歩リードしたと言っていいだろう。

 だが、舞の心には目に見えぬ暗雲が立ちこめ始めていた。

 

 この空と、同じように。

 

 

 

 

 

「死神よ、かの者に永遠の安らぎを」

 

 栞のその呟きと共に、彼女の背後より音もなく闇が具現化する。髑髏をフードで覆った死神が飛び立ち、手に持った鎌で男を一閃すると、まるで幻影のようにその鎌は男をすり抜けた。そして一言も発することなく、見張りの男は絶命し崩れ落ちた。

 『命喰い』美坂栞の異能力、『死神の鎌』(デスサイズ)である。
 元々は『美坂家』で暗殺のために用いられていた異能力であり、隠密行動で見張りを無力化するにはこれ以上無いほど適した力だ。『美坂家』当主の実妹の手により放たれるそれは、不意を突かれればよほどの異能者でもない限りまず生き残ることはできない。

 

「北川くん、次は?」

「そこの角を左だ」

 

 名雪は北川の声に一つ頷くと、そのまま走る。仲間たちもそれに続いた。

 

「どうせ俺たちが逆撃に転ずることは知られてるんだ、一気に行こうぜ」

「え? だって真琴たちまだ誰にも見つかってないじゃん」

「未来予測で既に知られているということですね」

 

 佐祐理の言葉に「ああ」と返し、突き当りを右だ、と指示を出す。

 

「でも、それだったら、はぁ、どうしてこんなにも、はぁはぁ、すんなりと、入り、込めたんでしょう?」

 

 息を切らしながら栞。体力の無い彼女は潜入してからの緊張とずっと走りつづけていることでだいぶ消耗しているようだった。だが文句一つ言わずに仲間たちに付き従う。

 休憩を取ろうと声を挙げかけた名雪だったが、そんな栞の様子を見てその言葉を飲み込んだ。作戦は時間との戦いだ、こうしている間にも『ラプラス・デーモン・システム』により、祐一たちが窮地に立たされているかもしれないのだ。

 

「恐らく、戦いが始まったんだろう」

 

 北川のその言葉に、全員が息を呑む。

 彼の推察どおり、いまこの瞬間戦いが開始されたところだった。『ラプラスの魔 機構』はその全能力を戦場に向けているため、逆撃部隊として潜入した彼女らを捕捉できないのだ。

 

「その突き当たりは広間みたいになっている、そこを抜けるんだ!」

 

 走る少女たちの前に、両開きの扉が見える。

 

「気をつけて! 恐らくは待ち伏せがあるよ! いったん止まって、体勢を整えよう」

 

 いまこの瞬間は知らず、事前に自分たちの潜入が知られていたことはほぼ疑いない。であればONEに採れる唯一の策は、要所に警備の人員を配置して力ずくで侵攻を阻むことだけだった。

 そして未来予測により逆撃部隊の人員構成も知られている可能性が高い。Kanonが迎撃部隊の戦力低下も甘受して、逆撃部隊に精鋭を割いたことを知っているのであれば、この扉の向こうにいるのは恐らく側近の誰か――

 

「準備はいい? 開けるよ?」

 

 ゆっくりと開かれていく扉。

 そしてその向こうには――

 

「あら、意外と早かったのね」

 

 部屋の中央付近にただ一人で立つ少女。

 

「良かったわ、退屈しなくて済みそうだ」

 

 長い髪を頭の両側で纏め、右手には鞘に収まったままの無骨な日本刀。

 

「くっ、そんな……」

 

 名雪の額に汗が浮かぶ。最悪の相手だった。

 

 

 側近筆頭、『狂戦士』七瀬留美。

 

 

「ようこそONEへ。歓迎するわ」

 

 不敵な笑みを浮かべ、手に持った刀をゆっくりと鞘から引き抜く。

 

「もっとも――

「散開して! 来るよ!」

 

「生きては、帰さないけれどねっ!」

 

 異能力が、爆発的に高まる。

 

 もう一つの戦いの火蓋が、切って落とされたのだ。

 


 

To Be Continued..