異能者 第二部

<第八章>

−カウンターアタック−

2003/12/21 久慈光樹


 

 

 

「全面攻勢……」

 

 北川が発した情報に、今度こそKanon幹部たちの顔色が変わる。

 

 延期されていたKanon侵攻計画、その全容。新たに『ラプラスの魔 機構』を組み込み、延期される前よりも万全の体制で、遂にONEはKanonに侵攻する。

 計画の全容のみならず、正確な日時、動員される総人員までも情報として持ち帰った北川の手腕は驚嘆に値するものであったが、誰もそのことに気をまわす余裕は無い。

 

 KanonとONEの全面戦争。

 遂に、来るべき時が来たのだ。

 

 今まで口を開くことのなかった、『剣聖』川澄舞が初めて口を開く。

 

「このままでは私たちに勝ち目は無い」

 

 剣聖の言葉は重い。彼女とて、まともにぶつかり合えば必勝とは言わぬまでも無様な戦いはしないだけの自信があった、連日行われている軍事演習でもまず満足できる結果が得られているのだから当然である。

 だが、それはあくまで「まともに戦えば」という条件付きでの話だ。近未来を知ることができる、などという反則を使われたのでは、いかな百戦錬磨の『剣聖』といえど打つ手がない。そして戦略戦術において彼女を超えるものはKanonにはおらず、その彼女が勝てないと言えばKanonは勝てないのだ。このままではKanonは揃って滅亡の円舞曲を舞うことになるだろう。

 

「えーと……『あぷらすしすてむ』だっけ?」

 

 名雪のその言葉に、『ラプラス・デーモン・システム』だ、と返す祐一。

 相変わらずの、どこかのほほんとした眠そうな口調、あゆや佐祐理のようにまだ名雪と付き合いが浅い者は、その口調に総じて苦笑する。緊張感と共に張り詰めていた空気が緩んだような錯覚すら覚える。マスコットキャラクター、というと言い過ぎかもしれないが、名雪のその雰囲気は彼女のま紛うことない美点のひとつだろう。

 だが、祐一や真琴、親友と呼べる間柄になった香里、そして彼女の真価を垣間見たことがある舞は、『眠り姫』水瀬名雪を侮りはしなかった。この水瀬家の長女は、決して見た目どおりの娘ではないのだ。

 

「そうそう、その『ラプラス・デーモン・システム』、それさえ壊しちゃえば互角に戦えるんじゃないかな。ですよね、舞さん」

 

 こくりと頷く舞、だがその表情はやや困惑気味だ。

 

 「簡単に言うけどな……」と祐一。破壊しようと思ってできるものならそうしている。今回の侵攻計画で要となるシステム、当然ONEも万全の守りを固めているに違いないのだ。

 

「でもそれを壊さないとわたしたちに勝ち目はない、だったらなんとかするしかないと思うよ」

「それは確かにそうだが……」

「いっそのこと部隊を2つに分ける? 一方がONEの侵攻部隊を何とか防ぐ間に、もう一方がシステムの破壊を担当するとか」

 

 香里の提案はだが現実的ではなかった、本人もそれを知っているのかやや投げやりな口調である。

 

「部隊をいたずらに分散させるのは危険、各個撃破されるだけ」

 

 舞の指摘に、そうよねやっぱり、とため息をつく香里。

 しかしどちらか一方に全兵力を集中する事はできない。全軍をもって侵攻部隊に対すれば未来予測によって敗退は確実であり、かといってシステムの破壊に集中すれば背後を突かれ挟撃されることは必至。

 各個撃破の危険を冒して兵力を分散させるか、不利を承知で集中させるか。Kanonに残された選択肢はその2つしか無いように思われた。

 

「そのなんとかシステムを壊すのって、そんなに大兵力が必要かな?」

 

 名雪の相変わらずどこか間延びした声に、彼女の能力を知っているはずの祐一でも眉をひそめた。話を聞いていなかったのか、と。

 

「例えば、祐一と舞さんの二人だけだったらどう?」

 

 『紅の』相沢祐一と『剣聖』川澄舞という純戦力としてならKanonでトップ2の名を、名雪は挙げる。

 

「守りが普通の異能者ばかりだったらお二人でも何とかなるかもしれませんけど……」

 

 控え目に佐祐理が答える。

 

「そうだな、『狂戦士』や『水魔』が守りにまわるのなら厳しいかもしれない」

 

 祐一も続ける。いかに自分や舞といえど、単身では彼女らの率いる異能者狩り部隊を相手取るのは難しいとの判断からだ。

 

「そうしたらでも、侵攻部隊には『狂戦士』や『水魔』がいないってことになるよね」

 

 異能者集団同士の戦いは、単純に総数の多い方が勝利を収めるというわけではない。異能者の数よりも質が勝敗を決するのだ。だからこそ侵攻部隊に対するためには戦力を割くわけにはいかないと考えていた。だがそれはONEにしても同じことなのではないのか。

 

「要は、少数精鋭の逆撃部隊を編成して、ラプラスの破壊を担当する。うん、いい案じゃないか?」

 

 光明が見えた、祐一の声も弾む。だが香里が首を振った。

 

「その逆撃部隊の編成にもよると思うけれど、そちらに戦力を割けばそれだけ迎撃部隊の戦力は低下するわ、危険すぎる」

「でもそれはONEも同じことだろ」

「そうね、でもONE侵攻部隊とKanon迎撃部隊の戦力差がそこで例え五分になったとしても、あたしたちは勝てないわ」

「そうか、未来予測……」

 

 結局は堂々巡りなのだ、彼我の戦力が五分である以上、ラプラス・デーモン・システムによる近未来予測というアドバンテージがそのまま勝敗を決する。このままではKanonには万に一つの勝ち目もない。

 

「迎撃部隊が勝つ必要はないじゃない」

 

 静まり返ってしまった場に、またも名雪の間延びした声が響く。

 

「負けてもいいってことか?」

「あはは、そうは言ってないよ。迎撃部隊は、ただ時間稼ぎをすればいいだけ」

「そうか、システムが破壊されれば未来予測はできなくなるから……」

 

 気付いた様子の香里に、にっこりと笑って、名雪は告げる。

 

「そこで初めて、わたしたちはONEと互角に戦う事ができるようになるんだよ」

 

 名雪の提案は、危険ではあったが理に適っていた。

 少数精鋭の逆撃部隊がラプラスの魔機構を破壊するまでの間、迎撃部隊は被害を最小限に抑えつつ守りに徹する。不利は否めぬであろうが、もともと篭城の軍を攻略するには3倍の兵力を必要とするというのが戦術の定石であるのだから、不可能ではない。

 

「時間との戦いになるわね」

 

 方針は決した。

 逆撃部隊の編成は後日決定する事とし、この日の会議はひとまず解散となった。

 

 

 

 

 

 

「お疲れさま、祐一」

 

 声をかけてきたのは名雪。

 

「ああ、名雪もお疲れさん。さすがだな」

「そんなことないよ、でもありがとう」

 

 朗らかに笑う名雪、そんな彼女を少し眩しそうに眺める祐一。

 

「ねえ祐一、これからちょっと時間ある?」

 

 やや唐突に、名雪がそう聞いてきた。

 

「またお散歩しない?」

 

 祐一の表情が微かに渋いものになった時点で、名雪は続く彼の答えが予想できた。

 

「すまん、ちょっと用事があるんだ」

 

 済まなそうに、彼はそう言う。その様子から、断る口実というわけではなさそうだ、恐らく本当に用事があるのだろう。

 名雪はその「用事」が何であるかを察していた。心に黒い霧がかかるのを自覚する、だが表面上は完璧にそれを押さえ込んだ。祐一に悟られるわけにはいかない。

 

「そっか、ごめんね引き止めちゃって」

「声をかけたのは俺だぜ、じゃあ行くよ、一人歩きは気をつけろよ」

 

 最後にそう声をかけて歩み去る祐一、その背中に「うん、ありがとう」と返した名雪の声は、普段と何ら変わりのない調子。

 

 祐一は、振り向くべきだったのだ。

 振り向けば、彼女がどんな表情で彼を見送っているかに気づくことができたのに。

 

 祐一が見えなくなるまでその場に立ち尽くす名雪。やがて彼女は歩き始めた。

 彼が歩み去った方角に向かって。

 

 

 

 

 

 

「遅いよ祐一くん」

 

 街外れ。申し訳程度に灯る街灯の下、ダッフルコートに身を包んだ小柄な少女。

 

「悪い」

 

 短くそう返す。遅れたのは事実だった。

 

「んで、話ってなんだ?」

 

 話があるから一人で街外れに来てほしい。

 あゆにそう言われたのは、会議が始まる少し前。普段であれば何かしらからかいの文句を口にするであろう祐一も、あゆのその思いつめたような表情を前に何も言えなくなり、ただ頷くことしかできなかった。

 そして今も、あゆはそんな表情をしている。

 

「ボクね、探し物をしてるんだ」

 

 ぽつりとそう呟くあゆは、普段の天真爛漫な笑みはなく、目を離したら今にも空気に溶けてしまいそうなほどに儚げで、祐一は思わず息を飲んだ。

 

「祐一くんには前にも話したよね」

「ああ……」

 

 初めて会った頃に聞いた話だった。その時にはあえて踏み込まず、深くは聞かなかったが。

 自分から口にしたところを見ると、話してくれる気になったということなのだろうか。それでも躊躇いがちに、祐一は先を促すように頷く。

 

「ボクの探し物はね……」

 

 俯いて言葉を紡ぐあゆの顔には、いつしか笑みが浮かんでいた。だがそれは自嘲の笑み。あゆにはもっとも似つかわしくない笑みだと、祐一は思った。

 

「わからないんだ」

「え?」

 

 思わず聞き返した祐一に、あゆは繰り返すように言う。

 

「わからないんだ、ボクが何を探していたのか、なぜ探していたのか、ぜんぜん、思い出せないんだよ」

 

 探し物があるのだが、それが何であったのかわからないと、あゆは言う。

 突拍子も無い話だった。

 

「思い出せないって…… 記憶が無いのか?」

「ボクはね、祐一くん。真っ暗な場所で目を覚ましたんだ」

 

 言葉の意味が掴めず、言い淀む。

 目覚めた、とはどういうことか。朝、目を覚ましたら、という意味とは違うように思うが。

 

「文字通り、だよ。ボクはずっと眠っていたんだ、そしてある日突然――そう、祐一くんとあの街で出会う一ヶ月くらい前だったかな――目を覚ました。びっくりしたよ、起きたら自分が誰なのかすら思い出せないんだもん」

 

 声だけは明るく、あゆは冗談めかして言う。だがそう口にできるようになるだけでも、どれだけの葛藤があったのか。

 いや、今でも割り切れてなどいないのだろう。あゆの表情は相変わらず自嘲に歪み、それでいて目はまったく笑っていない。

 

「記憶が無いのは割り切ることできたんだ、だって無いものはしょうがないじゃない」

 

 あゆらしいと言える前向きさ。ほんの一瞬だけ彼女の相貌に苦笑じみた笑みが浮かぶ。

 

「でもボクはすぐに大事なことをひとつだけ思い出したんだ、自分の名前より先だったよ」

 

 だがしかしその苦笑もすぐに消える。

 

「ボクは探しものをしなくちゃいけないんだって」

 

 もう既に自嘲の笑みですらなかった。顔を歪めて、全身を震わせて、半ば叫ぶようにあゆはそう吐き出す。

 

「探し物は本当に大事なものだったはずなのに、それなのに、それが何なのかはぜんぜん思い出せないんだ」

 

 その様子はまるで何かに急き立てられるかのようで、祐一はもう見ていられなかった。

 

「もういい、あゆ」

「ねえおかしいよね祐一くん、なんでだろうね」

「もういい」

「探さなくちゃ、ボク探さなくちゃいけないのに!」

「もういいからっ!」

 

 あゆが抱える「探しものをしなければならない」という意識。それが記憶を失ったことからくる強迫観念であるのか、それとも本当に探さねばならぬ何かがあるのか、祐一には解らない。

 彼に解るのは、まるで自らを切り刻むかのように言葉を紡ぐあゆの言葉をこれ以上聞きたくはないということ。そんなあゆの痛々しい姿を見たくはないということ。

 

 だから、抱き締めた。きつく、きつく、抱き締めた。

 

「祐一……くん」

「俺が一緒に探してやる」

「え……?」

「この戦いが終わったら、終わった後に生き残ることができたら、俺が一緒に探してやるから、だから……」

「祐一、くん」

「だからもう、泣くな」

「祐一くん、祐一くん……」

 

 

 月の無い夜。真っ暗な夜。

 貧相な街灯に照らし出されたふたりのシルエット。ひとつになったシルエット。

 

 少し離れた塀の陰。

 名雪は、目の前の光景からすぐに顔を逸らした。

 そうすることで、目の前の出来事がなかったことになるとでも言うように。

 

「祐一くん……」

 

 遠くから途切れるように聞こえてきたあゆの呟き。両手で耳を塞いでも、一度聞こえてしまったその声は脳裏に木霊した。

 

 祐一くん、祐一くん、祐一くん

 

 名雪にできたのは、逃げ出すことだけだった。

 

 

 あの時と、同じように。

 

 

 

 

 

 

 方針が決定してからのKanonの動きは早かった。

 翌日には逆撃部隊の人選がリーダーである水瀬秋子に提出された。Kanonの参謀的な位置付けになりつつある『死神』美坂香里により作成されたその人選案を、以下に抜粋する。

 

 リーダーは『眠り姫』水瀬名雪。

 逆撃部隊はその性質上、臨機応変な事態への対応が求められる、よって統率力に優れた指揮官は必須であり、その点で彼女が最適。彼女が千人隊長を務める第3部隊は、決戦の際には川澄舞の直下に置かれることとなる。

 『ビーストマスター』沢渡真琴

 本作戦における攻撃面の要。聖獣ぴろの攻撃力は多人数を相手取った際にこそ発揮される。しかし百人隊長である彼女が抜ける第1部隊の戦力低下が懸念される。

 『命喰い』美坂栞

 攻撃力に劣ると思われがちな彼女であるが、異能力の特性上一対一の戦闘であれば彼女ほど強力な異能者はKanonでも稀有である。彼女も第2部隊の百人隊長であるが、第1、第2共に千人隊長を外すことはできない以上、彼女ら百人隊長を計画に組み込むしか選択の余地はない状況である。

 『自己なき』倉田佐祐理

 本作戦における防御面の要。ただし彼女の持つ異能力は自らを犠牲にして他者を救う性質のものであるため、ONE潜入の際には隠密行動を主とする必要がある。

 『トリックスター』北川潤

 攻撃力は期待できないが、隠密行動が主となる今回の作戦ではONEの内部を知る彼の存在は不可欠である。

 

 『以上5名による逆撃部隊の編成を提案するものである』

 人選案はそう締め括られ、そしてこの案は即座に可決された。

 

 

 

 様々な思惑と、様々な意志を経て、時は過ぎる。

 ONEによる全面攻撃の一週間前、逆撃部隊の5人がKanonを後にする日がやってきた。

 

「名雪、任せたわよ」

「うん、任せられたよ」

 

 極秘の作であるため、彼女らを見送るのは幹部の数名のみ。秋子の言葉に、一つ頷いて胸を叩く名雪。

 妹にあれやこれやと世話を焼いていた香里が、ごほんと一つ咳払いをして、続ける。

 

「北川くん、その、栞のこと、お願い」

「ああ、任せとけ!」

 

 気負って声も裏返らんばかりの北川の言葉に、集まった仲間たちに笑みが広がる。「まったく……」とぼやく香里の顔は心なし上気しているようだ。

 

「私たちが戻ってくるまで、持ちこたえんのよっ!」

 

 いつも通り強気な言葉とは裏腹に、真琴の表情には若干の不安の影。

 逆撃部隊は敵地に少数で潜入するという極めて危険な任務を負った部隊であるが、だからといって祐一たち迎撃部隊が安全というわけではないのだ。むしろONEの最精鋭と『未来予測』というハンデ付きで対峙せねばならぬ分、危険の度合いはより大きいと言えるかもしれない。

 

「真琴たちの帰ってくる“家”を、ちゃんと守るのよっ!」

「たりめーだ、お前らこそとっととあのクソ機械ブチ壊して戻ってくんだぞ!」

 

 売り言葉に買い言葉、まるで言い争いをするかのような、真琴と祐一のやりとり。

 だがそこに秘められた確かな気遣いと、家族としての絆。名雪も秋子も、そして他の面々も、自然と笑みが浮かぶ。

 祐一、名雪、真琴、そして秋子。名雪と秋子以外は血の繋がらぬ家族。だがしかし、血の繋がりなどを何の問題ともしない家族。

 この時代において、彼ら彼女らのような関係は本当に稀で、でもだからこそ貴重だった

 両親と死に別れた佐祐理、香里、栞。両親の顔すら知らぬ舞。彼女らにとって、水瀬家は理想の家族だったかもしれない。

 

 明日をも知れぬ戦乱の時代にあって、水瀬家の家族は確かに幸せだった。

 

 幸せだったのだ。

 

 

「名雪さん、そろそろ……」

 

 思いを振り払うかのように、佐祐理が声を挙げる。

 時間だった。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

 まるで買い物にでも行くかのような気楽な口調。名雪はいつだってそうだった、いつだって彼女は能天気で、ちょっぴり天然で。でもだからこそ、周りの者は自然と笑顔を浮かべることができるのだ。

 

「名雪!」

 

“虫の知らせ”という物が、もし本当にあるのならば。

 祐一の感じていたそれは、正にそう表すべき物だったかもしれない。

 

「うん? どうしたの? 祐一」

 

 思わず呼び止めた彼に、名雪は変わらぬ笑顔にほんの少しだけ不思議そうな表情を混ぜて、振り返る。

 その表情が、変わりのない、本当にいつも通りの表情だったからこそ。

 

「あ、いや、その…… 気をつけてな」

 

 彼は、遂に彼女に何も伝えることができなかったのだ。

 

「あはは、変な祐一。うん、じゃあ」

 

 

「行ってきます!」

 

 

 相沢祐一。後に、彼は知ることになる。

 

 

 本当にいつも通りの、いつも通りに見える、彼女の姿。

 

 

 

 

 

 

 それが、彼が見た最後の『眠り姫』水瀬名雪だった。



 


 

To Be Continued..