異能者 第二部

<第六章>

−もう戻らぬ日々−

2003/3/10 久慈光樹


 

 

 

「はぁ……」

 

 どさり、とベッドに身を投げ出し、深山雪見博士は深いため息をつく。

 二日ぶりのベッドだった。どんなに忙しい中でもシャワーだけは浴びに戻ってはいたあたりが、年頃の娘らしい部分だったが。

 

「疲れたわ、さすがに」

 

 長年従事してきた研究、その集大成たるプロジェクト『ラプラス・デーモン』。初の実稼動は、核(コア)の精神に若干のストレスが検出された以外は、おおむね成功と言える結果を残した。未だ改善せねばならぬ箇所も多いが、既に短時間であれば実用に十分耐えうる。計画は順調、初回の稼動実験であることを考えれば順風満帆と言えるだろう。

 

 だが雪見の心は、事前にそう思っていたほどには弾まなかった。本来であれば心地よい疲労となるはずであるのに、身体の芯に泥のようにゆたう疲労は、ただ不快なだけだった。

 なぜそうなのか、どうして成功を諸手を上げて喜べないのか。雪見自身、知っていた。

 

 初めてこの計画を『プロフェッサー』より知らされたのは、もう何年前だったか。覚えているのは、その計画の概要を聞いた瞬間に上司である住井を平手で張り倒したということだ。

 もう数年来からの親友である川名みさき。当時も、そして今も、雪見は彼女を大切に思っていた。そんな親友を計画のいわば人身御供とすることに、激しい嫌悪を抱いたからこその行動だった。

 平手打ちを食らった住井は、だが怒り出しはしなかった。今も変わらぬあの憮然としたような表情で、この計画には雪見の力が必要であること、冷静になってしばらく考えてみて欲しいことを告げると、何事もなかったように雪見の前から去っていった。

 

 そして

 

 雪見がその計画に参加する旨を彼に伝えたのは、それから数ヵ月後のことだった。

 

 

 考えを変えたのは、上司である『プロフェッサー』住井護という人物が、何を考えているか、何を為そうとしているかを知ったからだ。

 彼女は初め、自らの計画の為ならば人体実験をも辞さないような利己的な人物であると、上司をそう評した。だからこそ激しく反発したのだし、結果だけみれば彼はそう思われてもおかしくないだけの事を為そうとしているのだ。

 しかし彼の内面は、表面に現れているほどに平静ではない。長く仕事を共にするうち、雪見はそれに気付いた。

 『プロフェッサー』住井護は、みさきと親友である自分以上に、彼女を計画に組み入れることに忸怩たる思いを抱いている。それがみさきのことを思い遣っての感情であるのか、それとも科学者としての矜持からくるものであるのかまではわからない、だが少なくとも、平然と人体実験じみたこの計画を遂行できるほどに、彼は恥知らずな人物ではなかった。

 科学者としての知的好奇心も勿論あった、純科学的に見た場合、非常に魅力的なテーマのプロジェクトだった。だが彼女が参加を決めたのは、上司である住井の思いを知ったからこそだったのだ。

 

 

 

「久しぶりだね」

 

 ぼんやりとそんなことを考えていた雪見の耳に、聞き覚えのある男の声が飛び込んできた。

 

「……!」

 

 ドアが開いた様子はない、それどころか部屋には自分以外の気配は無かった。にも関わらず、声のした方に顔を向けた雪見の目に飛び込んできたのは、ドアに背を預けるようにして立つ男の姿。

 その事実よりも、むしろ雪見は自分があまり驚いていないことにこそ、驚いた。

 

 ドアの前に微笑んで立っていたのは、氷上シュンであった。

 

 『異名無き』氷上シュン。

 この時期、彼を知る一部の者たちは彼をこう呼んでいた。決して表舞台に姿を現すことをせず、ONEにもKanonにも一貫して非干渉の立場を貫く彼の存在を知る者は少ない。

 そして異能者たる彼の力が『永遠の力』であることを知るのは、『永遠の』折原浩平を除けば、雪見だけだった。

 

「氷上……シュン」

 

 その名を口にしたのは、何年ぶりだろうか。

 数年前、そう、雪見がまだ『深山博士』などというご大層な名で呼ばれるようになる前のこと、彼の名は、彼の姿は、彼の存在そのものは、雪見の全てだった。名を呼ぶだけで、心が春色に染まった。名を呼ばれるだけで、心が溶けてしまいそうだった。

 だが今は……

 

「久しぶりね、随分と」

 

 可能な限り表情を消して。

 そう口にした雪見に、「そうだね」と返すシュン。見慣れたアルカイックスマイル、ああ変わらないな、と思う。そしてそう思った事に、理由のわからぬ苛立ちを覚えた。

 

 だからかもしれない。

 

「で、何の用かしら?」

 

 こんなに冷たい言葉が出るのは。

 

「少々君に聞きたいことがあってね」

 

 そんな雪見の様子を知ってか知らずか、飄々とうそぶくシュン。

 

「まずは計画のひとまずの成功、おめでとうと言っておくよ」

 

 プロジェクト『ラプラス・デーモン』に関しては一部の幹部、技術者を除いてはONE内部でも完全に極秘扱いである。関係者には厳しい緘口令が敷かれ、いまのところそれは徹底されているはずであった。

 だがそのようなことは目の前に立つこの男にはなんの意味もない、雪見はそのことを知っていた。

 

『どこにでも居るが、どこにも居ない』

 

 目の前に立つ『異名無き』氷上シュンという男はそういう存在だった。それは比喩としてではない、事実、警備が万全であるはずのONE本部において「深山博士」の私室に今もこうして侵入を果たしているではないか。

 

「でも意外だったよ」

「あら、何がかしら?」

 

 脳内では様々な事柄が溢れていても、表面上はそれを悟らせない。深山博士はそういう女性だった。だがシュンの発した次の一言に、さしもの彼女も表情を強張らせた。

 

「親友である川名みさき嬢を、計画における犠牲の羊に供したということが、さ」

 

 瞬間、雪見は叫びそうになった。

 

 あなたに何がわかるの!

 私がどんな思いでそれを為しているか、あなたにはわからない、わかるわけがない!

 何もわからないくせに!

 私のことなんて、何も知らないくせに!

 

 数年前の雪見だったら、叫んでいただろう。ひょっとしたら即座に平手をお見舞いするくらいはしたかもしれない。

 だが良くも悪くも、雪見は数年前の、氷上シュンを己がすべてと感じていた頃の彼女ではなかった。

 

「ふふ、随分とはっきり言ってくれるじゃない」

 

 余裕を持って、そう返す。氷上シュンがどのような思惑から先ほどの言葉を投げたにせよ、その意図は自分を激発させることにある、であればむざむざその意図に沿ってやる義理はない。頭の中の冷静な部分が、論理的にそう言っていた。

 私は変わってしまった、そう思う。あの頃、まだ少女だったあの頃のように、感情に任せた物言いをしなくなった。

 果たしてそれは、幸せなことなのだろうか。

 

 しかし目の前に立つ男は、あの頃から少しも変わっていない笑みで、言った。

 

「頭がいいのに嘘だけは下手なところは、変わってないね」

 

 その言葉に、雪見を激昂させるような意図はなかっただろう。言葉は単なる感想に過ぎず、口調はどこか昔を懐かしんでいるような感すらあった。

 でもだからこそ、今度こそ雪見は激昂した。

 

「言ってくれるわね……」

 

 叫ばなかったのは、あまりにも怒りが大きすぎたからだ。人間、本当に怒ったときには言葉少なになるものだ。

 

「本当は川名嬢を巻き込んだこと、後悔しているんじゃないのかい?」

 

 すべてを見透かしたような問い。

 

「ええそうよ!」

 

 もう雪見は止まらなかった。

 

「みさきが本当は異能力という力を自己嫌悪していることだって知ってる! 本当は巻き込みたくなんてなかった!」

「だったらどうして巻き込んだんだい? 君が参加しなければ、ひょっとしたら計画自体が頓挫したかもしれないのに」

「だってみさき自身が望んだから!」

 

 詭弁かもしれない。しかし紛れもなくそれこそが、雪見が計画に参加している真の理由だった。住井の件はきっかけにすぎない。

 幼馴染といえるほどの関係であるみさき。彼女は自分の力がONEの、もっと言えば『永遠の』折原浩平の力になることをなによりも望んでいる。親友であればこそ、その気持ちは痛いほど雪見に伝わってきた。恐らくこの計画を知らされたとき、みさきは一も二もなく賛同し、進んで参加するだろうと予測していたし、事実、そのとおりになった。

 

「なぜだい?」

「なぜって何が!」

「なぜ君は、親友の意思を尊重しようと思ったんだい?」

「それは……」

 

 氷上シュンのその問いは、確かに雪見の虚を突いた。

 

 なぜだろうか。自分に問い掛けてみる。

 

 幼い頃から、みさきは自らの異能力を嫌っていた。表立って態度に出したことはなかったが雪見には、いや、雪見だからこそそれがわかった。

 異能者たちの集うONEという集団に属している今ではあまり実感したことはないが、異能者という存在は一般にはあまりにも希少で、特異なものだ。

 そしてそれは、雪見たちの育った街でも同様だった。

 表立っての差別と迫害がなかったのは、幸福だったかもしれない。だが表立ってはいないからこそやっかいだったともいえる。

 

 腫れ物に触るような扱い。

 明らかに自分たちとは異質な存在に対する、畏怖にも似た戸惑い。

 

 それらは目に見えなく、表面上に表れないからこそ、より一層みさきを苛んでいたのかもしれない。

 

 街での、みさきの態度は一貫していた。

 彼女は他の人と変わりなかった、変わりないように振舞っていた。

 自分には異能力などという特異な力は備わっていないのだと、自分は他の人間と同じなのだと、なにも違うところはないのだと、そう態度で示すかのように。

 もしも彼女に対し、異能者とどう付き合ったらいいかわからないと言う者がいたのなら、きっと彼女はこう言っただろう。

 

『普通でいいと思うよ』 と。

 

 それは“逃げ”だった。異能力という特異な力を持ってしまった自分から、彼女はそうやって逃げていたのだ。周りの者が自分とは異質の存在であるみさきを排除しようとする無意識下の感情から、彼女はそうやって逃げることで、身を守っていたのだ。

 雪見には、それが良い傾向だとは思えなかった。事実から逃げるだけでは、何の解決にもなっていないのだということを、理性では理解していた。だが雪見は何も言えなかったのだ。

 なぜなら雪見は、異能者ではなかったから。みさきとは違うから、彼女に対し何も言う資格はないのだ。少なくとも雪見自身はそう思っていた、思い込んでいた。

 

 だが、ONEという組織に属すようになって、みさきは変わった。

 周りの環境に因るところが大きかったというのも、勿論あるだろう。ここには異能者しかおらず、ここではみさきは特殊ではなかったのだから。だがそれだけではない、今のみさきは何より、異能力という己の力から逃げていないのだ。

 間接的とはいえ、戦争に異能力を用いるという事実。そしてそれはこの計画でより顕著な形で表れる。

 みさきはもう逃げてはいない、異能力から、そして自分自身から。

 異能力を争いに用いるという事実、それにより人が死ぬという事実。その罪も、罰も、みさきは逃げることなく受け止める覚悟なのだ。

 そしてそれがわかったからこそ、ああ、そうなのだ、わかってしまったからこそ、雪見はこの計画へ参加することを決めたのだ。

 

「私は……」

 

 親友であるみさきが、他者と違うという事実から逃げることしかできなかったみさきが、立ち向かおうと決めたのならば――

 

「私は、みさきの意思に従うだけ」

 

 だって――

 

「私はみさきの親友だから」

 

 気負いなく、決意表明というにはあまりにも淡々とした様子で、笑みさえ浮かべながら。

 そう言い切った雪見の言葉は、ただそれだけ聞けば、意味不明に違いなかった。だがシュンは微笑む。すべてを解っているかのように。

 

 そしてその笑みは、あのアルカイックスマイルではなかった。

 

「あ……」

「なるほどね、納得したよ、それに安心した」

「安心?」

 

 シュンの笑みに心奪われながら、どこか放心したような雪見がオウム返しに問う。対するシュンは、もう用は済んだとばかりに彼女に背を向けながら、言った。

 

「君はやっぱり変わってないね、ユキ」

「……!」

 

 ユキ。

 ああ、そうだ、そうだった。

 あの頃この人は、私をそう呼んでいた。

 誰からも、そう、親友であるみさきにしても「雪ちゃん」だ、自分のことを「ユキ」なんて愛称で呼ぶ人はいなかった。この人を除いては、そんな愛称で自分を呼んでくれる人はいなかった。

 

 気付くと、彼の姿はなかった。現れたときと同じく、ドアを開けた気配すらなかったのに、その姿はかき消えていた。

 

「馬鹿……」

 

 悔しい。

 結局、彼は自分のことなどお見通しだったのだ。雪見自身ですら気付いていなかった計画参加の本当の理由、きっと彼はすべてわかっていて、自分の行動に悩む私を見かねて、気付かせてくれたのだろう。

 昔からそうだった、いつだって彼は、私のことなんてなんだってお見通しで。

 そして私は、今みたいに彼の言葉ひとつで気が楽になっていて。

 

 『ユキ』

 

 そうやっていつだって彼は、私をそう呼んで、あの笑みを浮かべていたのだ。

 

「あなただって、変わってないじゃない……」

 

 気付いた、今になってやっと、気が付いた。

 昔の、私と一緒にいたときの彼は、あの笑みを浮かべていた。いつだってあの笑みを。

 心を読ませぬ曖昧な笑みではなく、暖かな、見る者の心を暖かくさせてくれるような、あの笑みを。いつだって彼は浮かべていた。

 

「シュン……」

 

 もう、いいだろうか。

 私は、泣いても、いいのだろうか。

 

「馬鹿、馬鹿……!」

 

 彼と、自分と、そしてもう戻らない過ぎ去った日々に対する涙は、果てることなく雪見の頬を濡らした。

 

 

 

 

 

 

 

 Kanonリーダー水瀬秋子が意識を取り戻したのは、襲撃から一夜明けた翌日のことだった。

 出血こそ多かったが、傷それ自体はさほど深いものではなく、医師によれば意識さえ戻れば回復は時間の問題とのことであった。

 今回の水瀬秋子負傷の報に、Kanonを襲った衝撃は決して小さなものではなく、それだけ秋子の存在がKanonにとってどれだけ大きいものであったかをよく表していたと言えるだろう。直接戦いの指揮を執っていなくとも、異能者ではなくとも、Kanonのリーダーは水瀬秋子以外には考えられない。Kanonのメンバーは等しくそれを再確認したのであった。

 

「失礼します」

 

 秋子の自室。

 昼間は家族である祐一や名雪、真琴。そして彼女の身体を心配した幹部たちが入れ替わり立ち代り訪れていたこの場所に、倉田佐祐理が一人で尋ねてきたのは夜半のことであった。

 

「倉田さんにも、心配かけたわね」

「いえ」

 

 ある程度の決意をして訪れたであろう佐祐理の硬い表情を和らげるように、秋子は穏やかな顔で彼女を迎え入れる。

 そんな秋子に気勢を削がれたかのように、しばらくは無言で話を切り出せない佐祐理。

 口を開いたのは、秋子だった。

 

「なにか聞きたいことがあって来たのでしょう?」

 

 その言葉に、佐祐理は意を決して来訪した目的を告げる。

 

「水瀬指令は、襲撃者について心当たりがあるのではありませんか?」

 

 あの後、Kanonリーダー暗殺未遂犯の捜索が大々的に行われた。

 恐らくはONEの放った暗殺者であろうことは容易に想像がついたが、異能力による攻撃であることが明らかであったため、捜索の範囲を特定することが難しく、結局襲撃犯の影すらも特定することができないという結果に終わっていた。

 

「どうしてそう思うのかしら?」

 

 相変わらずの微笑み。悪く言えば内心を悟らせぬ狡猾なその笑みを浮かべ、秋子が問う。額に巻かれた純白の包帯が痛々しかった。

 

「あのとき指令は仰いました、『魔弾の射手』と」

「また、こうも仰いました。「生きていたの?」と」

 

「恐らくあなたは、襲撃者の放ったあの光弾に見覚えがあった、そして襲撃者自身を推測できたのでしょう、だから思わず口をついてあの言葉が出た。違いますか?」

 

 佐祐理の話を無言で聞く秋子。その表情に変化は見られない、少なくとも表面上は。

 佐祐理もそれ以上は言葉を重ねることもなく、無理に急かすこともなく、辛抱強く待ちつづけた。

 

 どのくらいそうしていただろう、やがて、秋子が口を開く。

 

「そう、私はそんなことを口にしたのね」

「……」

「罪の意識というのは、意識していなくても表れてしまうものなのね」

 

 そう言って笑う秋子は、まるで自嘲しているかのようだった。

 

「まずはお座りなさい」

 

 そう言ってベッドの脇に置かれた椅子を指し示す秋子に、佐祐理は素直に従う。

 

「初めに言っておくと、私が襲われたのは恐らくKanonとは無関係だと思うわ」

 

 その言葉に驚きを隠せない佐祐理。

 今回の水瀬秋子襲撃は、Kanonリーダー暗殺を狙ったONEの差し金であるとの見方が有力であったし、佐祐理自身もそう信じて疑わなかったのだ。だが秋子はそう思ってはいないという、それはつまり、水瀬秋子個人に怨恨を持っている者の犯行であるということであろうか。

 

「誰かに恨まれている心当たりがあるのですか?」

 

 自らそう問いながらも、それはにわかには信じられない問いだと感じた。

 水瀬秋子は佐祐理から見ても非の打ち所のない人物だった。母の顔すらも知らぬ佐祐理ですら、母の温もりというものを感じさせてくれる女性。Kanonリーダーという立場になければ、殺す殺されるなどという殺伐とした世界に身を置くような女性ではない、佐祐理はそう感じていた。

 その思いが表情に表れていたのだろう。秋子は佐祐理の顔を見て小さく笑うと、こう口にする。

 

「私はあなたが思っているほど善良な人間じゃないわ」

 

 自虐や謙遜ではなく、単なる事実の報告。そんな口調で語る秋子に、佐祐理は反論することもできず言葉を飲み込む。少なくとも秋子自身はそう信じて疑っていないと感じたからだ。

 

「8年前まで」

 

 どこか遠くを見るような視線で、秋子は語り始めた。

 

「私はとある研究機関に所属していたわ」

「研究機関、ですか?」

「これでも『大破壊』前は博士号を持っていたのよ、私」

 

 初めて聞く事実に、またしても佐祐理は驚愕する。

 

「『ものみの丘PS研究所』、その機関はそう呼称されていた」

 

 PSという馴染みのない言葉に戸惑う佐祐理に、補足するかのように秋子は「PSとは俗に言う超能力ね」と告げた。

 

「政府公認で超能力の研究なんていうオカルト的なものに明け暮れていたのよ、笑ってしまうでしょう?」

 

 だが佐祐理は笑えなかった。8年前といえばあの忌まわしい『大破壊』の後、異能力という異形の力が世に認知され始めた頃であるからだ。

 当時はまだ「異能力」という呼称は今ほど広まっていなかったことを考えれば、PSの研究とはこれすなわち異能力の研究ということになる。

 

「当時、あの研究所にはたくさんの科学者たちがいた、そしてそれらを取り仕切っていたのが、生体工学と臨床医学の権威であった住井仁博士だった」

「住井仁博士というと、あの?」

 

 世界的に有名な住井仁博士の名に、佐祐理が思わず口を挟んだ。現在ONEに属している『プロフェッサー』住井護の父にして大破壊の原因究明と異能力研究の第一人者。佐祐理ですらその名は知っている。

 そんな世界的科学者をトップに据えた研究所の一員だったというのだ、目の前のこの女性が。

 

「ええそうよ、彼は正真正銘の天才だった」

 

 述懐する秋子の瞳には、まるで昔を懐かしむような、もう戻らぬ過去を惜しむような、そんな色があった。

 

「そしてそんな彼を補佐する立場として、3名の女性科学者たちが付き従っていた。私はそのうちの一人だったの」

 

 あの住井仁博士を直接補佐する程の立場、その一員に名を連ねていたというのだ。それはつまり、当時の日本で、いや、世界でもトップクラスの科学者であったということに他ならない。

 驚く佐祐理を余所に、だが秋子はそれを誇るでもなく、むしろ過去の罪状を懺悔する罪人のように、自嘲の笑みを口元に貼り付けて話しつづける。

 

「3人の女性のうち、一人は私、水瀬秋子博士。そして二人目は――

 

 ちらりと佐祐理に視線を投げた後、意を決したように彼女は告げた。

 

「折原智恵博士」

 

 今度こそ、佐祐理は驚愕に言葉を失った。

 智恵というその名に聞き覚えはない。だがその苗字は……

 

「まさか、その方は……」

「ええそうよ、『永遠の』折原浩平、折原智恵は彼の――実の母親」

 

 驚き覚めやらぬ佐祐理の様子を意に介さず、秋子は話し続ける。それは話の核心ではないということを告げるかのように。

 

「最後の一人は異能者だった。異能力研究者にして異能者、彼女はこう呼ばれていたわ」

 

 

「『魔弾の射手』天野美歌」

 

 

「『魔弾の射手』!?」

 

 その言葉を聞き、またしても佐祐理は驚愕する。

 『魔弾の射手』、襲撃を受けた秋子が思わず呟いた言葉。彼女は言った、「生きていたの?」と。それはつまり襲撃者が『魔弾の射手』であり、その「射手」を秋子が知っているというからに他ならない。

 そう思ったからこそ佐祐理は秋子の元を訪れたのだ。そして彼女は語った、『魔弾の射手』のことを。

 

「で、では、その天野美歌さんが今回の襲撃者だと……?」

「いいえ、それはないわ」

 

 ある程度確信しての問いかけであったにも関わらず、秋子はそれを否定する。

 

 

「なぜなら、美歌はもうこの世にはいないのだから」

 

 

「え……?」

 

 美歌、と呼び捨てにしたところを見ると、その天野美歌博士とは親しい間柄であったのだろう。だが秋子の声に悼むような色はなく、淡々としているように感じられた。

 

「し、しかし指令は『魔弾の射手』と」

「そうね、あれは間違いなく彼女の異能力である『ものみの魔弾』(デーモンズブリッド)だった」

「『ものみの魔弾』、ですか?」

「そして射手を探し出せなかったのも無理ないこと、恐らく襲撃者は数キロ以上離れた場所からあの魔弾を射ったに違いないのだから」

 

 数キロ以上、という言葉を、佐祐理は初め聞き間違えたのかと思った。

 ライフルなど既存の火器であれば、どんな熟練者の手による射撃であろうと射程距離は1キロがせいぜいだ。遠方よりの狙撃に特化したアンチ・マテリアル スナイパーライフルなどでもその射程はせいぜい2キロが限界である。いかな異能力による弾丸とはいえ、数キロ以上先よりの射撃など常軌を逸している。

 

「『傍観者の視点』、美歌の持っていたもうひとつの異能力よ」

 

 『傍観者の視点』(バイスタンダーズアイ)

 数キロ先の情景を、脳裏に投影する異能力。スナイパーである『魔弾の射手』はこの力と、己が意思によって弾道を自在に制御できる『ものみの魔弾』をもって、2km以上の遠方より自分を狙撃したのだと、秋子はそう語った。

 

「でも先ほど、その天野美歌さんは既に故人であると、そう仰ったではないですか」

 

 そう、秋子は確かにそう語った。

 あの光弾だけであれば、偶然の一致で済ませることもできよう、しかし数キロ先よりの射撃を可能とした異能力もということになれば、偶然では済ませられない。状況と、そして秋子自身の言葉を信じるのなら、『傍観者の視点』と『ものみの魔弾』という異能力を用いた、『魔弾の射手』天野美歌による犯行としか考えられないではないか。

 

「美歌には、当時8歳になる一人娘がいたわ」

「え? そ、それじゃ……」

「彼女が生きていたのでしょう、そして名を継いだ。『魔弾の射手』の異名をね」

 

 異能力が母から子に、父から子に遺伝するというのは、珍しくない。そして当時8歳だったというのなら、その娘は第二世代、異能者である確立は高い。もし秋子の言が真実なら、16歳になった天野美歌の娘こそが、現在の『魔弾の射手』。

 

「彼女の名は美汐といったわ、天野美汐、きっと彼女が私を殺しに来たのでしょう」

「秋子さんと天野美歌さんは親しい間柄ではなかったのですか?」

 

 ただ名を呼んでいるということだけではない。天野美歌について語るときの秋子は、親しみに満ちていた。そう、自分が親友である川澄舞のことを話すときのように。

 

「そうね、親友と呼んでいい間柄だったわ」

「であればなぜ、その娘である美汐さんが自分を殺しに来たなどと考えるんですか?」

 

 恐らくそう問われることを予想していたのだろう。秋子は笑みを浮かべたまま、その理由を告げる。そしてその内容に、話を聞き始めてから最大級の驚愕が佐祐理を襲った。

 

 

 秋子は、こう言ったのだ。

 

 

 

 

「私が彼女の母を―― 天野美歌を殺したからよ」

 

 

 

 

 

To Be Continued..