異能者 第二部
<第四章>
−デーモン(前編)−
2002/3/1 久慈光樹
「食らえっ!」
両手に発した紅光が奔流となって迸り、着弾する。
轟音と共に大地が抉れ、もうもうと土煙がたちこめる。
『深紅の黄昏』(クリムゾン・トワイライト)
『紅の』相沢祐一の代名詞とも言える、一撃必殺の異能力。まともに食らえば、いや、たとえ精神バリアの展開が間に合ったとしても、消し炭すら残らないであろう威力であった。
「指揮官から伝令! 祐一だけ前に出すぎだって!」
背後から聞き慣れた真琴の声。その声で、祐一は自分が突出し過ぎていることを知る。
「済まん! 第一部隊、そのまま直進! 真琴は第三隊の指揮を執れ!」
左腕に巻かれた千人隊長の証である赤い布を揺らし、祐一は配下の百人隊長たちに矢継ぎ早に指示を出す。
「りょーかい!」
周囲の喧騒に負けじと声を張り上げる真琴の左腕には白い布、第一部隊百人隊長の証である。
「一番槍は俺たちの部隊が奪う! 『死神』の部隊に後れを取るなよ!」
「お姉ちゃん、舞さんから伝令です」
横合いから妹である栞の声。トレードマークとはいえ、戦場でストールを羽織るのはいかがなものかしら、などという戦場にそぐわない感想を浮かべながら、先を促すように頷いたのは第二部隊千人隊長の美坂香里である。
「祐一さんの第一部隊との連携が乱れています、もう少し進行速度を上げるように、と」
「まったく、相沢くんも存外に猪ね、こういう場でこそ整然と行動すべきなのに」
眉を顰める姉に苦笑しながら、返事を待たず自分の部下たちに進行速度を上げるよう指示を出す栞。姉が続けてそう指示することを知っているのだ。さすがは姉妹、このあたりの連携は他者の真似のできないところであろう。
香里は栞のその行動を嬉しく思っている自分に気付き、照れ隠すように、遠ざかっていく栞の背中に叫んだ。
「戦場ではせめて『隊長』と呼びなさい、栞!」
「第三部隊の名雪に伝令、第一、第二部隊の背後を敵が突こうとしている、援護に回れ」
一点突破の戦法は決まれば強いが、背面もしくは側面を突かれると脆い。遊軍を作るのは得策ではないが、もしもそのような局面となった場合のために比較的自由に動かせる部隊を温存するのは必要な策である。
指揮官である舞はその局面を想定し、温存していた『眠り姫』の第三部隊に指示を出す。
対ONEを想定した、全軍による軍事演習。開始から数時間、そろそろ大詰めの段階だった。
遂にONEに対抗できるまでに成長したKanon。人数的にも、そして異能者の質的にも、極めて強大な存在となっていた。しかし急速に数を増したことにより、指揮系統が未だ万全ではなく、全軍規模での軍事演習が必要であった。
戦場ではなにが起きるかわからない、したがって演習などはなんの意味も為さない無用の長物である――などと考える者には、指揮官の資格は無い。なにが起きるかわからないからこそ、不測の事象に対処できるよう演習をするのだ。日々の研鑽を厭わぬ者にこそ、生き残るべき資格がある。川澄舞の、それが信念であった。
「……だそうですあゆさん、帰ってきて早々申し訳ないんですが」
「うん! 佐祐理さん、任せて!」
舞からの伝令を佐祐理が受け、伝令役であるあゆに伝える。
倉田佐祐理の立場は指揮官である舞の補佐、そして月宮あゆの役割は伝令である。
伝令というと使い走りを想像するが、こと戦においてそれは間違いだ。戦火飛び交う戦場において、可能な限り迅速に、正確に、指令官からの指示を第一線の前線指揮官に伝えるというのは、非常に重要で、また危険な任務である。
「じゃあ!」
だがあゆは気負うことなく見守る佐祐理に一声かけ、異能力を開放する。
全身が薄く輝いたかと思うと、次の瞬間その背に光り輝く3対の翼が現れ、そして大地を蹴ったあゆの身体は大空に吸い込まれるように飛び立っていった。
『天使化』(ホワイトウイング)
『熾天使』の異名どおり、月宮あゆの異能力はその背に6枚の翼を具現化する。
翼の羽ばたきに拠らず、異能力によって天空を駆ける月宮あゆは、戦場における伝令役に止まらず、場合によっては遊撃手として戦闘にも参加するのだ。その機動力と天から降らせる光の槍は、単体とはいえ十分に戦力として期待できるものであった。
「名雪さーん!」
「あゆちゃん?」
天より舞い降りたあゆは、第三部隊長である水瀬名雪に舞からの伝令を伝える。
この場に祐一がいたら首を傾げたかもしれない。
笑顔で、あゆに了解した旨を伝え、ねぎらいの言葉すらかける名雪には、先日に星を見上げて涙を流していた面影など微塵も感じ取れず、あゆになにも含むところなど無いように見える。
「じゃあボクは戻るね、頑張って名雪さん」
それとも、家族を自らもって任じる祐一であれば気がついたであろうか。
「ありがとうあゆちゃん」
名雪の笑顔が、普段とは微妙に異なっていたことに。
「ふう、ちょっとだけ疲れたかも」
演習が始まってから通算5度目の飛行、強がってはみても身体の芯には疲労が蓄積していく。本陣へと飛行しながら、あゆはそっと溜息をついてそう呟いた。
そのときだった。
「わっ! なにっ!?」
視界の隅に光を捉えたと思った瞬間、何かが凄まじいスピードで身体をかすめ去っていく。
バランスを崩し、危うく墜落しそうになりながらも、視線は自分を追い越していった何かに向けられた。
あれは、『光弾』だった。異能力によって創り出された、攻撃を目的とした光弾。
そしてその向かう先は――
「いけないっ!」
体勢を立て直し、全力で光弾の向かう先に進路を取る。方向を転換したのではない、なぜなら光弾の飛び去った方向はこれからあゆが戻る先――本陣の方向であったからだ。
『お願い! 間に合って!』
速度的、距離的に間に合うわけが無いことを知りながらも、あゆはそう願い飛行速度を限界まで上げた。
「首尾はどうかしら?」
演習開始からリーダーである水瀬秋子が口を開いたのはこれが始めてであった。
Kanonのリーダーである秋子だが、戦闘指揮を完全に舞に委任している以上、自ら指揮に口を出すことはしない。立場的に上の自分が下手に口出しをすれば、指揮系統が混乱することを知っているのだ。
「悪くない」
舞は前方を見据えながらぼそりとそれだけを口にする。相変わらず言葉足らずの彼女をフォローするように、傍らに控えた佐祐理が続ける。
「そうですね、命令の伝達と徹底に関しては問題ないと思います。ただ……」
「各隊の連携がまだまだ」
舞の言葉どおり、『紅の』相沢祐一の第一部隊、そして『死神』美坂香里の第二部隊の連携にやや柔軟性を欠いていた。部隊長たちもそうだが、特に百人隊長たちの間に確執とは言わぬまでも互いに対抗意識があり、功を競うようなところがある。
それ自体は決して悪いことではない、現に今も中央突破戦法においてその意識が良い方向に作用しており、十分な速度と破壊力を展開している。だが猪突のみが戦術ではない、例えばこれが両翼からの挟撃作戦となった場合、どちらか一方のみが突出してしまっては時間差をつけての各個撃破という最悪の展開となる恐れがある。更に演習を積み、完璧な連携を実現させなくてはならなかった。実戦ではやり直しはきかないのだから。
「そう」
秋子がそれだけ言って、舞に倣って前方に視線を移した時だった。
「危ないっ!」
その叫びがあゆのもので、危険を知らせる内容であることを脳が理解するよりも早く、動いたのは舞だった。
「……!」
「あっ……!」
間一髪、いや、髪一筋の差ほどもなかっただろう。
飛来した光弾が、舞に突き飛ばされた秋子の、その額を掠めた。
「秋子さん!」
飛び散る鮮血。事態が把握できずただ叫ぶことしかできない佐祐理は、信じられない光景を目撃する。
上空より飛来し、秋子の額を掠めた光弾。
角度的にそのまま地面に着弾するかと思われたそれが、まるでゴム鞠のように、地面すれすれで跳ね上がったのだ。
まるで意思ある一個の生命体のように、光弾はそのまま上空に舞い上がり、倒れ伏した秋子に再び狙いを定め、止めを刺すかのように一直線に飛来する。
「このーーっ!」
それを見て取ったあゆが、撃ち落さんと光の束を照射した。
『天使の涙』(エンジェルズティアー)
超高温の拡散レーザー。
飛行中、そして咄嗟のことに精神集中を欠いたのか、本来であれば無数の光の束を照射するその異能力も、5本しか現れない。だが狙い違わず、今まさに秋子に着弾しようとしている謎の光弾を撃ち落す。
はずであった。
「避けた!?」
完全に慣性の法則を無視するような動作で。
光弾は直角に進路を変え、自らに迫る5本の光の束をまるで避けるかのようにやり過ごしたのだ。
「くっ!」
近衛隊の責務を全うするかのごとく、倒れる秋子の前に自ら盾となって立ちふさがる佐祐理。同時に彼女は身代わりの異能力である『身代わりの自己』(セルフサクリフェイス)を、秋子を対象として発動する。
精神バリアは展開できない、異能力を発動した直後でもあるからだが、何より秋子に近すぎる。精神バリアは発動者以外を拒む障壁であり、異能者ではない秋子に触れようものなら彼女を排除し弾き飛ばしてしまう。
『天使の涙』を避けた光弾は、再び上空に舞い上がると10メートルほど先でいったん高度を落とし、そのまま凄まじい勢いで横合いから襲い掛かってきた。狙いは完全にリーダーである秋子に固定されているようだ。
結果的に、佐祐理の判断は誤っていたと言えるだろう。彼女は秋子に接近すべきではなかったのだ。ある程度離れた位置から『身代わりの自己』を秋子に展開し、自らは精神バリアを展開するべきであったのだ。対象が被るダメージをすべて自分に転化させるというその異能力の性質上、佐祐理自身はともかく、秋子の身はそれで完全に守られたであろう。
だが既に遅い。光弾は盾になった佐祐理の身体ごと、秋子を撃ち貫くだろう。
「させない」
着弾する寸前、思わず瞳を閉じた佐祐理の耳に、聞き慣れた親友の静かな声が流れ込んできた。
瞳を開けると、親友の背中。そして彼女に一刀両断にされた光弾が、両の脇をまるでスローモーションのように通り過ぎていく。
そしてそれを、やっと到着したあゆがそのまま光の翼で押し潰した。
本陣の異変に気付いたのだろう。第一から第三の各部隊から、祐一たちが血相を変えて走り寄ってくるのを視界に納めながら、佐祐理は倒れ伏した秋子がこう呟くのを耳にした。
「そんな……生きていたというの……?」
「『魔弾の射手』が……」
Kanonの演習を一望できる岩壁の上に立つ、一人の少女。
肩口より上で切り揃えられた癖のある髪を、風が弄る。
遠目からは米粒ほどにしか見えない眼下の様子を、まるで見えているかのように凝視していた彼女は、ぽつりとこう口にした。
「討ち漏らしましたか」
言葉の内容とは裏腹に、さして残念とは思っていない口調であった。
見えるはずのない距離、だがしかし彼女の視線は、秋子をガードするように集まりつつあるKanonの異能者たちの姿を捉えていた。Kanonの異能者、一騎当千の幹部たち。恐らく再び光弾を放ったとしても目的は達せられないだろう。
例えそれが、己が意思で弾道を自在に制御できる『ものみの魔弾』(デーモンズブリッド)であったとしても。
沈着。
絵に描いたような彼女のその態度が崩れたのは、秋子に走り寄ってくるKanon幹部たちの中に、一人の少女を認めたからだった。
「マコト……」
彼女の視線の先で、少女は怪我をした母親にそうするように、縋りつき取り乱していた。
「そう、そういうこと……」
まるで痛ましいものを見るように、視線の先の少女を見る彼女の表情は歪んでいた。
「そんな酷なことはないでしょう」
再び視線を倒れたままのKanonリーダーに向け、すっと視線を細める。そうすると彼女の纏う空気が、その性質を変えたと錯覚するほどに、変わった。
それは、憎しみ。その視線だけで相手を射殺すかのような、憎しみの視線。
「水瀬博士、貴女はどれだけ罪を重ねれば気が済むのですか」
それだけ口にすると、もう用は無いとばかりに踵を返す少女。
今回は仕損じた、だが
「次は、次こそは必ず……」
殺します。
彼女の背中は、そう語っていた。