異能者 第二部
<第十六章>
−霧海−
2007/2/27 久慈光樹
部屋に残留した冷気に、留美は身を震わせる。部屋は、惨憺たる有様であった。天井からは大小無数のつららが下がり、床は完全に凍りついている。吐く息は白い塊のように凍え、まるでシベリアの永久凍土のなかにいるかのようだ。
「倉田佐祐理さん、あなた、強敵だったわ」
視線を落とす。
そこには、倒れ伏した佐祐理。
『凍てつきし』倉田佐祐理と『狂戦士』七瀬留美、二人の卓越した異能者による激闘は、『狂戦士』の勝利で幕を閉じていた。通常このレベルの異能者同士であれば敗者が生き残る可能性は非常に低い、良くて即死、悪くすれば遺体すら残らない。決壊した水がすべてをなぎ払うように、拮抗した異能力は敗者を塵一つ残さずこの世から消し去る。
そういう意味からいえば、敗れたとはいえ未だ生きている佐祐理は優秀であるといえるだろう。だが、それも時間の問題だった。
佐祐理は虫の息だった。まだ息があるようだったが、このまま放置すれば間違いなく息絶えるだろう。
留美は、手にした日本刀を逆手に持ち替え、挙げる。そのまま腕を振り下ろせば刀が佐祐理を貫き通す位置だ。
「あなたに敬意を示します」
留美にとって、敗北した者への最大の手向けは自らの手でとどめをさしてやることだった。
ONEとして起ってより今まで、数え切れないほどの人を殺めてきた、そしてこれからも殺め続けるだろう。両の手は血にまみれて、どんな言い訳をしたとしても、どんな贖罪をしようとも、洗い流すことはできない。
そのことを、留美は良く知っている。自らの手が血にまみれることを易々と享受できるほど彼女は厚顔ではなく、冷徹にはなりきれない。彼女は人を殺すことが好きなわけではないのだ。
だがしかし、であればこそ――
「あなたを殺害する罪を、私は背負い続けます」
「あなたの未来も、希望も、罪も、すべて私が引き受けます」
留美は、敬意を表すべきこの強敵に、とどめをさそうとしている。その罪を背負おうとしている。決して事故や過失ではなく、自分の意思で相手の命を奪おうとしている。
それこそが、自らが破った相手への責任の取り方だと思えばこそ。
留美は、佐祐理を殺すのだ。
「さようなら、倉田さん」
そうして留美は、挙げた刀を振り下ろした――瞬間だった。
「くっ!!」
ひゅうという微かな風きり音、脳がそれを認識するより先に、身体が動いていた。
ギン、という鋭い刃鳴り。
まったくの死角から放たれた鋭利なナイフを弾き返したのだと気付いたのは、弾いたそれが弧を描き、投擲者の手元に収まったのを確認してからだった。
「お前は……」
いつの間に侵入したのか、部屋の入り口に佇むのは一人の男だった。
再びその手に戻ったナイフを逆手に持ち替える仕草、もう一方の手には同じような漆黒のナイフ。
「『トリックスター』」
留美の言葉通り、そこに立っていたのは先に進んだはずの『トリックスター』北川潤であった。
Kanonに優秀な諜報部員がいるということをONE側では早くから把握していた、それが男であり『トリックスター』と呼ばれていることも。
だがみさきの『真なる瞳』(マナ・アイ)をもってしても、その人物の実体はようとして掴めなかった。ありえないことだ、この世のすべてを見通すといわれる真眼をもってしても捉えられないなど。
その謎の存在であった『トリックスター』が仲間たちから「北川」と呼ばれ、どこにでもいるような普通の男性であることを、留美は今回のKanon迎撃で初めて知ったのだ。
先ほど、倉田佐祐理が足止めをする前、一対多で引き止めていた時、彼はまったく戦力ではなかった。そして留美は早々に彼を脅威として度外視したのだ、彼から異能力がまったく感じ取れなかったから。
『トリックスター』はあくまで諜報担当、戦闘要員ではないのだ、というのが留美の下した結論だった。
だが――
「そのナイフ、見覚えがあるわ」
先ほど投擲され、いま再び『トリックスター』の手にあるのは漆黒のナイフ、両の手に逆手に握られたそのナイフは刃に墨が塗られ、光をまったく反射していない。
刃に墨を塗るのは、光の反射からターゲットに気取られることを嫌うからだ。それは、暗殺者と呼ばれる輩が好んで使う手法だった。
そして留美は、暗殺者と呼ばれる者とつい最近刃を交えている。
あの漆黒のナイフは、彼女が大切に思っている友人の血を吸ったナイフ。あのナイフで肩を抉られた後、上月澪は出血による発熱で苦しそうにベッドの上で荒い息をついていた。
「そう、あなたがそうだったのね」
留美の声は硬い。先ほど佐祐理に対していたときのような相手に対する敬意など微塵もなく、ただ汚いものを見るかのように冷たい。
「『静謐の暗殺者』(サイレントアサシン)」
友人である『紅の』相沢祐一が今の彼を見れば当惑しただろう。
普段の闊達で明るい表情は微塵もなく、『トリックスター』、いや、『静謐の暗殺者』北川潤は、まるで能面のような無表情で、まるで人形のような表情の無い瞳で、ただ、そこに“在った”。
対する留美も、まったくの無表情。
人は真に怒りを抱いたとき、むしろ表情をなくすものなのだ。
「前に会ったときに言ったはずよね」
ゆっくりと、刀を上げる。
「次に会ったときは、殺すって!」
彼が――『静謐の暗殺者』が倉田佐祐理を窮地より救うために現れたのならば、留美はここまで激昂しなかっただろう。薄汚い暗殺者とはいえ、Kanonに属する以上は仲間に対する連帯感や親愛があれば、当然そうするはずだった。
だが違う、こいつは違うのだ。
先ほどのナイフの投擲は、留美の首筋を狙っていた。
必殺の投擲。確実に敵の命を奪うことのみに特化した攻撃方法。
それはつまり、こいつは、サイレントアサシンは……
仲間を救うことよりも、敵を殺すことを優先したのだ!
『こいつだけは許せない。絶対に、許せない!』
仲間を想うということの大切さ、それを留美は、いや、ONEに属する側近の女性達は皆、知っている。自分よりも大切な人がいるということを、自分の身よりも大切なものがあることを、彼女たちは身をもって知っているのだ。
瑞佳も、茜も、みさきも、澪も、繭も、そして留美も、それを知っているからこそ、人を殺めるという地獄の道に足を踏み入れ、いまも歩み続けている。
例え敵であったとしても、それは変わらない。舞に、そして『凍てつきし』倉田佐祐理に彼女が敬意を表すのは、彼女たちが強敵であるのと同時にお互いがお互いをかけがえのない親友として想いあっているからだ。
例え敵であったとしても、Kanonを、留美は憎んではいない。倒すべき敵として容赦をするつもりはなかったが、それは主義主張の違いであって憎しみから発せられた対立ではないのだ。Kanonも自分たちと同じであると信じているからこそ、仰ぐ旗は違っても価値観を共有していると感じられるからこそ、殺し合いの中でも憎しみを感じずにいられたのだ。
自分でも解っている。それは単なるセンチメンタリズム、殺し合いの戦場においては不要な、ただの自己満足。そんなことは百も承知、だが、であればこそ、それは越えてはいけない最後の一線なのだ。それすらも無くしたら、自分たちはただの殺戮の機械に成り果てる。
それを知っていればこそ――
「殺して、やるわ」
彼女は許せない。
眼前に佇む、この殺戮機械が。
叩きつけられる凄まじい異能力の波動。佐祐理との激闘において相応に消耗しているとは思えないほどの剣気。
常人であればただそれだけで失神してしまいかねないほどのプレッシャーを受け、だが『静謐の暗殺者』は微塵も動じない。いや、動じないというは誤りかもしれない、留美の剣気は暗殺者をまるですり抜けているかのようだ。
暴風の中でまったくそよがぬ葦のような不自然さ、薄気味の悪さ。
そしてまったく唐突に
男がそこからかき消えた。
「くっ!!」
ぎいんという鈍い鋼の音と共に、首の側面にかざした日本刀から火花が散る。
「くあっ!」
薙ぎ払った刀が空を切る。
ぞくりと、首筋に悪寒。
前方に倒れ込むようにして体を倒すと、寸前まで首があった箇所に漆黒の剣線。
倒れ込みながらも身体を捻って一閃するがまたしても空檄。
そのまま二転三転して間合いから逃れる。
「このっ!」
飛び起きると同時に範囲を拡大させての『剣の暴君』。
ヤバイ!
身体が反応してバックステップを踏む。
前髪が数本、黒い剣影に持っていかれる。
そのまま脚の全筋力を開放して後方に跳ぶ。
一気に5m以上も宙を跳んで、間合いから離脱した。前方、抉られた床の上に男は陽炎のように佇んでいることを確認し、留美は止めていた息を吐き出す。
「こいつ……」
全身から冷たい汗が噴き出しているのが解る。
一瞬の攻防、だが留美の心胆は凍り付いてた。
「なんなんだ! お前は!」
・・・・・・・・・・・・・・
いま自分が戦っているこの男は、本当にここに存在しているのか?
こうして正面から相対していても、留美にはその疑念が拭えずにいる。
本来、戦いにおいて留美のような剣士は、敵の気配を常に察知することによりある程度の「先読み」のような事を意識せず行っている。
剣に限らず、武においてもっとも大切なのは「間」である。「間合い」という言葉が示すとおり、間を制するということはすなわち武を制すということ。留美に限らず武に生きる者は例外なく「間」を重視する。
そしてその「間」を計るのに剣士が用いるのが、敵が発する「気配」。
「気配」とは、人間に限らず生物であれば必ず発しているものだ。それは息遣いであったり、関節の軋みであったり様々だが、生物として大気で呼吸をし、関節で稼動している以上これを完全に消し去ることはできない。
そう、生物である以上、気配を完全に消し去ることなどできないのだ。だからこそ剣士は敵が発する微かな気配を察することに全力を傾ける。敵の気配さえ掴めば、戦いにおいて大きく機先を制することができるのだから。
留美の背筋を、冷たい汗が流れる。
幾百の敵と戦ってきた。『剣聖』や『紅』、そして先ほど破った『凍てつきし』倉田佐祐理のように、強敵、難敵と呼べる敵と戦い、そのすべてにおいて留美は生き残ってきた。
だが、こんなにも。
こんなにも恐ろしい思いをしたことはかつてない。
そう、怖い、敵と相対してこんなにも「怖い」と思ったのは初めての経験だ。
「くっ!」
またしても暗殺者の姿がかき消える。
狙われるのは恐らく首の頚動脈、そこまでは絞れる。では斬撃は右か? 左か?
迷っている暇はない。
先ほどは左だった、では次は右――と見せかけてまた左だ!
当たった、かざした刀に衝撃が走る。鋼の擦れ合う嫌な音が耳元で響く。
追撃は来るか? いや、間合いが遠すぎる、恐らくこのまま相手は離脱する。
当たった、先ほどと同じ場所に、消えたときと同じように忽然と姿を現す暗殺者。
再び留美の背中を冷たい汗が伝う。
また、なんとか賭けに勝った。
そう、繰り広げられる戦いは、既に戦いではない。
それはいわば、ギャンブルだ。半が出るか丁が出るかの、しごく単純なギャンブル。そして賭け金は自分の命。
歴戦の経歴も、知識も、身体に染み付いた経験も、何一つ役には立たない。あるのはただの「勘」だ。振られたサイコロが奇数を出すか偶数を出すかという単なる勘、それが今の留美の為す術のすべて。
『このままじゃまずい……』
留美は完全に敵の術中に嵌った。
今はまだ勘が当たっているが、そのうちに運命のサイコロは留美が選んだ目とは異なった目を示すだろう、そしてそのとき、彼女は頚動脈をあの漆黒の刃に抉られる。
「くっ!」
再びの斬撃、右か左か、回避する方法は正しいか、追撃はあるか否か、そのすべての賭けに、またしても留美は勝利した。再び離れる間合い。
断続的な攻撃は、明らかに留美に洞察と熟考の間を与えないためのもの。
『こいつ、戦い慣れている!』
それは暗殺だけではなく、正面きっての戦いにも熟練している証だった。
『狂戦士』七瀬留美は、その豪放磊落な戦闘スタイルとは裏腹に、理詰めで戦いを進めるタイプの剣士だった。同じ剣士である『剣聖』川澄舞とはそこが異なる。
『剣聖』はどちらかといえば才能で戦うタイプの剣士だ、豊富な才能とセンスで状況を瞬時に捉え冷徹なる思考で的確な判断を下せるからこそ、一見すると無造作にも見える戦い方ができる。
そういう意味では、留美は彼女ほどの才能はなかった。それは留美自身が一番良く知っていることだ。
留美は、自分に才能があるなどとは今まで一度も思ったことがない。
それは謙遜でも、ましてや自虐でもなく、彼女は冷静に自分に剣の才能が無いことを受け止めていた。
確かに、その事実を受け入れるのは容易なことではなかった。幼き頃より剣を志して以降、天分の才に恵まれた兄と常に比較されて生きてきたのだから――
自分には備わっていない「天分の才」という要素を、留美は努力で補った。掌の感覚が無くなるほどに剣を振った、血マメが潰れて血を流し、その上にまたマメができるほどに修練に没頭した。
そうして気がつけば、彼女は『剣聖』という天才と互角に渡り合えるほどの剣士となっていた。
だからこそ、留美にとって『静謐の暗殺者』は「天敵」以外の何者でもない。
前回の襲撃の際に見せられた奇妙な異能力の正体を、彼女は彼女なりに推測していた。あれはきっと「気配」というこの世に生きる生物であれば決して絶てない物を完全に絶つことができる異能力なのだろう。だからこそ一瞬姿が消えるように見えるのだし、攻撃に際しても殺気すら放つことが無いのだ。
『喪失する存在感』(インビジブル・エア)
北川潤を『静謐の暗殺者』と呼ばしめる異能力。本来この世に存在する生物であれば、隠すことはできても絶つことはできないはずの「気配」という要素を完全に消去する異能力。
それ自体は特異と呼べるものであるが、決して強力無比な異能力というわけではない。無論凡百の異能者であれば正に静謐のうちに葬り去る強力な異能力ではあるが、『狂戦士』レベルの異能者ともなれば話は別のはずだった。苦戦はするであろうが、恐らく『剣聖』であればここまで一方的な勝負にはならないに違いない。彼女は天分の才による閃きにより、暗殺者のこの特異な異能力に対しても互角以上に渡り合うだろう。
だが留美は違う。彼女は繰り返される鍛錬と積み重ねられた経験、そして慎重さを伴った洞察力に拠り必勝を期すタイプの剣士だ。気配を遮断するタイプの異能力に対してはすこぶる相性が悪い。
それを知っているからこそ、サイレントアサシンはこうして矢継ぎ早に洞察する暇を与えずに攻撃を繰り返しているのだろう。留美がそういうタイプの剣士だと瞬時に洞察したからこその矢継ぎ早な連続攻撃は、留美と同程度の、いや、それ以上の場数を踏んで戦い慣れているからこそ選択できる戦術。
敵は百戦錬磨、加えて異能力の相性の悪さ。
留美にとって、『静謐の暗殺者』北川潤は正に天敵といえる存在だった。
「『“間”は“魔”也、“魔”を制するは之“剣の道”也』、か」
尊敬していた父、そして自ら斬り殺した父の教え。
絶体絶命のこの状況。口に出してそれを反芻しつつ、だが留美の口元に浮かぶは確かな笑いの形。彼女はこの状況でなお、笑みを浮かべていた。
「解っておりますよ、父上」
そうして彼女は、あれほど発散させていた剣気を収束させる。踵を浮かせ、腰を落とした中背の姿勢になる。今まで正眼に構えていた剣を絞り、腰の横で溜める。
威力を捨て、最速で剣を振ることができる姿勢。
そしてあろうことか、留美はそのまま両の瞳を閉じた。
殺し合いのさなかに目を閉じるということが、どれほど愚かしいことかは実際に殺し合いをしたことがある者には実感として理解できるだろう。それは正に自殺行為と、一般人であればそう思うだろう。
だが、それを見て初めて、まったく存在感を感じさせなかったサイレントアサシンに緊張の気配が宿る。
留美は自らの周囲に“結界”を張ったのだ。
今まで前方のみ、敵までの距離すべての空間に対して張っていた認識の網を、自らの周囲1m程度の空間に限定したのだ。それは反撃にのみ特化した戦術、「肉を切らせて骨を絶つ」を具現化したような戦術であった。
アサシンが緊張するのも無理は無い。いかに気配を完全に絶っているとはいえ、そのような戦法を取られては打つ術が無いからだ。
このまま『喪失する存在感』(インビジブル・エア)を行使し続ければ、たとえ『狂戦士』といえども確実に刃に捉えることが可能だろう。その刃は確実に彼女の頚動脈を切断するに違いない。だがそれと同時に、「結界」に踏み込んだ彼は確実に両断される。
いや、むしろそれが考えられる最善の結果だろう。
今まで拡散していた意識をごく限られた空間に限定し展開している今の状況では、反応速度は今までとは比べ物になるまい。たとえ気配を絶った状態であっても「結界」に踏み込んだが最後確実に捕捉される。相打ちになれば僥倖、少しでもこちらの速度が不足すれば一方的に斬り捨てられて終わる。相手はかの『狂戦士』、純粋な剣速勝負となった場合たとえ軽量のナイフと重量のある日本刀というアドバンテージがあったとしても、確実に勝てる保証は無い。
最後の手段にして必勝の型、このままでは勝てぬと瞬時に悟り何の躊躇も無く背水の陣を敷いた留美を賞賛すべきか、それともかの『狂戦士』にこのような戦法を取らせた『静寂の暗殺者』をこそ賞賛すべきか。
奇妙な静寂が支配する中、留美の思考はまったくの凪。色即是空、心にあるのはただひとつの思考。自らの領域を犯すものをただ斬る、それだけのこと。そこには焦りも、恐怖も、殺気すらもない、相手への慈悲も、敬意も、憎しみも、なにもない。
“間”は“魔”也、“魔”を制するは之“剣の道”也
どのくらいそうしていただろう。
一時間か、十時間か、それとも五分か、三分か。
前戦で負った凍傷の痛みと消耗により、留美の集中力が、ふと、途切れた。
ああもうダメだな。
すんなりとそう思えた。解かれる「結界」、もしもアサシンがこの瞬間を未だ見計らっていたのなら、自分は殺されるだろう。
だがもう限界だったし、何より留美は満足していた。自分は限界まで戦った、それで殺されるのなら仕方が無いことだ。
そんな妙に清清しい気持ちで「結界」を解いた留美、だが斬撃は来なかった。
あたりを見回すと、そこには誰もいない。
『静謐の暗殺者』の姿だけでなく、倉田佐祐理の姿すらもが、部屋からは消えていた。
「去った、か」
力尽きたようにその場に腰を下ろす『狂戦士』。
「危険を冒して斬り込む愚を冒さず立ち去ったのか、それとも最初からこれが狙いだったのか」
去った難敵に対して、留美は若干認識を改めた。
経緯がどうだったかはともかく、結果としてサイレントアサシンは倉田佐祐理を救い、離脱に成功したのだ。彼女が助かるかどうかは微妙だろうが、放置すれば確実に彼女は死亡していたのだ。
「『静謐の暗殺者』北川潤、か」
しんどそうに、ふうと息をつきつつも。
「次に会ったときには、必ず殺してやるから」
『狂戦士』七瀬留美は、そう呟いて口の端を微かに上げた。
『狂戦士』が守護する部屋。
『狂戦士』七瀬留美と『静謐の暗殺者』北川潤の戦闘は、こうして一応の決着を見たのだった。