「やはり落ちたか」

 

 『美坂家』の周囲を探っていた斥候よりの報告に、美坂香里はそう言葉を漏らした。

 当主不在であったことが災いし、遂に反乱者たちに制圧されたとのことであった。

 不幸中の幸いと言うべきか、死者の数は思った以上に少ない。残してきた腹心には勝ち目が無いと判断したら投降するように申し付けておいたが、思った以上によくやってくれたようだ。

 

「とはいえ、このままというわけにはいかないわね」

 

 投降し、捕虜となった者たちがそのまま許されるとは思えない。きっと近いうちに処刑されるだろう。

 自分を慕って従ってくれた者たちを見殺しにはできない。

 それに何より……

 

「やられっぱなしというのは、性に合わないものね」

 

 氷の刃のような笑みが、香里の顔に浮かぶ。

 『死神』の笑みだった。

 

 

 


異能者

<第二十六章>

−KanonとONEと−

2002/3/10 久慈光樹


 

 

 

「あゆはこれから、どうするつもりだ?」

 

 『美坂家』当主であった香里の口利きで身を隠した宿は、『美坂家』陥落後もひとまず安全といえた。

 だが当主である美坂香里の行方が知れぬ以上、反乱者たちの捜索の手がいつ及ぶかもわからない。早急に立ち去るべきであった。

 

「どうしよっか?」

「俺に聞かれてもなぁ……」

 

 能天気に言うあゆに、苦笑しながらそう答える。

 

「祐一くんはどうするの?」

「俺はKanonに戻るさ」

「そっか……」

 

 『一緒に来ないか』そう言いかけたが、やめた。

 確かにあゆほどの異能者、協力してくれるのであれば戦力の向上という面では大変ありがたい、それにあゆとこのまま別れるというのも寂しい。

 だがKanonは慈善集団ではないのだ。

 Kanonに属すということは、否が応でも殺し合いに巻き込まれることを意味する。

 これ以上、この天真爛漫な少女を争い事に巻き込みたくなかったのだ。

 

 同じ理由から、栞と香里も誘わないつもりだった。

 自分の本来の目的は『死神』美坂香里をKanonに引き込むこと、それは忘れたわけではない。

 だが互いに確執と生死をも乗り越え、姉妹として歩み始めるであろう2人に、これ以上辛い思いはさせたくない。

 甘い考えだということは十分承知していた、だが……

 

「ボク、祐一くんについていったらダメかな?」

「え?」

「迷惑かな?」

 

 予想しない言葉ではなかった。それどころかあゆならきっとそう言ってくれるだろうと思っていた。

 だが

 

「ああ、迷惑だな」

「……」

「足手まといだ」

 

 例え嫌われてもいい。

 殺し合いの辛さは、自分が一番身を持って知っているのだから。

 そう思って発した言葉だったが、続くあゆのリアクションは祐一の予想を完全に越えていた。

 

「あははは」

「……そこは笑うところじゃないだろう」

「祐一くんは、優しいね」

「え?」

 

 ひとしきり笑ったあと、あゆはそう言って微笑んだ。

 幼さの残る顔立ちに、全てを見透かした母性のようなものを感じてドキリとする祐一。

 

「ボクを戦いに巻き込みたくない、そう考えてるでしょ」

「そんなこと……」

「でもね、それは無理だよ」

「なに?」

「このご時世だもん、どこに行ったって争いと無縁じゃいられないよ」

「……」

「だったら力ある組織に身を置いて、守ってもらった方がいいと思わない?」

 

 反論を色々と考えて、諦めた。

 あゆの言うことは正論だった。

 

「いっしょに行っても、いい?」

 

 不安げにおずおずとそう尋ねるあゆの頭に、ぽんと手を置いて、そのままぐしゃぐしゃとかき回す。

 

「わー、やめてよぉ」

「……まったく、敵わないな、あゆには」

「じゃ、じゃあ!」

「ああ、一緒に行こう、Kanonに」

「やったぁーー!」

 

 ばんざーい、ばんざーい、とはしゃぐあゆからは、先ほど感じた母性など微塵も感じられない。

 やれやれと苦笑しながら、それでも祐一も嬉しかった。

 

 こうして『熾天使』月宮あゆは、Kanonの一員となったのである。

 

 

 

 

「俺たちは明日、この街を発つよ」

「そう」

 

 香里にそう声をかけたとき、彼女は何かの書類を読んでいたようだった。

 ちなみに栞は疲れが出たのだろう、今は別室で眠っている。

 香里は部屋に入ってきた祐一とあゆに席を勧め、お茶を入れてくれた。

 

「世話になったな」

「いいえ、巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 『死神』の口から出た思いがけない殊勝な言葉に、若干面食らう。

 

「いいさ」

「月宮さんも一緒に行くのね」

「うん、そのつもり」

「そう」

 

 そのまま3人とも、何とはなしにお茶を飲んだ。

 しばらく無言が続いたが、それを破ったのは香里だった。

 

「私たちをKanonに誘うんじゃなかったの?」

「最初はそのつもりだったがな」

「気が変わった?」

「まあな」

 

 その返答を聞き、香里は話題を変える。

 

「近いうちに、『美坂家』奪還の兵を起こすことになるわ」

「……そうか」

「そこで相沢くん相談があるの、聞いてくれるかしら」

「俺にできることならな」

「単刀直入に言うわ。今回の『美坂家』奪還に際し、Kanonに協力を要請したいの」

 

 香里の言葉は予想の範囲内だった。

 

「いいのか?」

 

 祐一の返答、その意図を隣で聞いていたあゆは掴めなかった。

 援軍を要請され、承諾するか拒絶するならともかく、要請した香里自身に「いいのか」とはどういうことなのか。

 

「構わないわ、是非そうさせてちょうだい」

 

 だが香里には伝わったらしく、そんな答えが返ってきた。

 

「わかった、ありがとう、香里」

「いいのよ」

 

 礼を言う立場が逆転しているようであるが、この場合は少し事情が異なる。

 異能者同士の戦闘となるであろう『美坂家』奪還において、そもそも兵の数自体はさほど問題にはならないのだ。

 むしろこの場合問われるのは異能力の質であり、強力な異能力を備えた異能者の数である。

 その面では、元当主である『死神』美坂香里とその実妹である『命喰い』美坂栞を擁する奪還部隊の方が、兵力としては遥かに勝る。

 香里は何も、Kanonに援軍など要請する必要は無いのだ。

 ではなぜ香里はあえてそうしたのか。

 他組織であるKanonに援軍を請うたということになれば、実質的に両組織は協力体制ということになる。

 要するに、『死神』美坂香里はKanonに対し、協力を申し出てくれたも同義であった。

 それを正確に洞察したからこそ、祐一は「いいのか」と聞き、香里から承諾を得て礼を言ったのである。

 恐らく香里は、最後に『紅の』相沢祐一を試したのだろう。

 この程度の政治的配慮すらも洞察できないのであれば、協力する価値無しと見限るつもりであったのだろう。

 だが祐一はそんな香里の意図すらも見抜き、それでもあえて礼を言った。香里は己の判断がひとまずは間違いではなかったことを知った。

 

「それにね」

「まだ何かあるのか」

「栞とあんなことまでしておいて、みすみすタダで帰すわけにはいかないわ」

「ぶーーーっ!」

「うわぁ、祐一くんきたない!」

「かかかかか香里、みみみ見て、見て……」

「あの子を悲しませたら、タダじゃ済まさないわよ」

 

 祐一を睨みつけながら、ドスの利いた声でそう言う香里。

 呆れた姉バカぶりと言えた。

 

「……祐一くん、栞さんと何かしたの?」

 

 隣に座ったあゆにまで半眼で睨まれ、祐一の頬にイヤな汗が一筋垂れた。

 

「バ、バカ、へ、変な想像するなあゆ!」

「ふーん、変な想像ってどんな想像?」

「ぐっ……!」

「あら、モテモテね、相沢くん」

「……香里、覚えてろよ」

「祐一くんのえっち!」

「バ、バカ者! お前はなに想像してんだよ!」

 

「あはは、あはははは」

 

 祐一とあゆのやり取りを可笑しそうに笑う香里。

 彼女自身自覚しなかったが、彼女が人前でこれほど声を上げて笑ったのは初めてのことであった。

 その笑いは歳相応の少女のそれであった。

 

 

 こうして『死神』美坂香里と『命喰い』美坂栞もまた、Kanonに属することとなる。

 彼女らが形ばかりのKanonの援軍を得て、『美坂家』を奪還するのはこれより半月後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 リーダー、『永遠の』折原浩平が半死半生の体で帰還してより1ヶ月。

 ONE内部に走った動揺は決して小さなものではなかった。

 前線指揮官クラスの人材により、何とか組織として機能していたとはいえ、彼らを指揮統括する立場にある側近の女性たちに何の動きも無く、構成員たちの心は不安と焦燥に満ちた。

 それでも離脱者がほとんど出なかったのは、それだけ折原浩平が構成員の心を掴んでいる証だったかもしれない。

 そんな中、ONEに属する全人員に収集命令が下る。

 

 

 不安を引き摺りつつも集結した約3,000の構成員たちは、壇上にリーダーである『永遠の』折原浩平の姿を認め、歓喜する。

 彼らが敬愛するリーダーは、健在であった。

 

「あー、あー、ごほん」

 

 備え付けられたマイクに、おどけた様子で向かう浩平の仕草は、構成員たちの笑いを誘った。

 

「あー、皆すまん、心配かけたな」

「なんか俺が死んだなんていうふざけた噂も流れたようだが、この通り元気だぞ俺は」

 

 笑いと共に、歓声が上がる。

 その歓声が収まるのを待って、浩平は再び話し始めた。

 先ほどまでとは、少し違った雰囲気で。

 

 

「俺や、ここに集まってくれたお前らは、言ってみりゃ社会の爪弾き者どもだ」

「住んでいた町で人死にが起きりゃ、俺たちの仕業ということになり」

「伝染病が流行しても、それは俺たちの仕業ということになる」

「大火事が起きたなら俺たちが放火したのだし、水害が起きれば俺たちが増水させたってことになる」

 

 あれほど場を満たしていた歓声は、もう聞こえなかった。

 集まった誰もが、浩平の言葉に耳を傾けつつ俯き、奥歯を噛み締める。

 彼らのリーダーの言は、彼ら自身が経験してきた過去に他ならなかった。

 

「俺たちは異能者だ」

「そして異能者は、この世界に害為す存在だ」

「異能者ってのはどうやらこの世界には存在しちゃいけねぇらしい」

 

 静かな、だが内に燃え盛る何かを封じ込めたような低い声で、浩平は話し続ける。

 そして次の瞬間、叫んだ。

 

「だがな!」

 

 その浩平の叫びに、誰もが皆、壇上の浩平を見上げた。

 

「俺たちは好き好んで異能者になったんじゃねぇんだよ!」

「俺たちは異能力を持って生まれてきた、生まれたときから異能者だった」

「だったら」

 

「俺たちは生まれてきちゃいけなかったのかよ!」

 

 炎を孕んだような浩平の叫びに、集まった3,000人の異能者たちは再び熱狂する。

 その熱狂覚めやらぬ中、浩平は話し続ける。

 

「権利とか人権とか、そんな難しいことを言うつもりはねぇ」

「俺はただ、普通に生きて普通に生活できる世の中が欲しいだけなんだよ」

「だけど俺たちはただ存在するだけで世界の害になるとヤツらは言う」

「俺たちは平地に乱を起こす秩序の敵で、平和を乱し戦乱を招く許すべからざる反乱者どもというわけさ」

「俺たちさえ、異能者どもさえいなければ、この世界は秩序と平和を取り戻すらしい」

 

 再び沈黙が支配する場に、浩平が低い声で問い掛ける。

 

「だったらどうする?」

 

「秩序と世界平和に貢献するか?」

「俺たちがこの場で全員死ねばいいんだ、簡単な話さ」

 

 あまりにも過激で意外なその言葉に、場は完全に沈黙に包まれる。

 不自然なほどの沈黙の中、一字一句区切るように、炎を孕んだ浩平の低い声が響き渡った。

 

「だがな、俺たちは虫ケラじゃねぇんだよ」

 

「社会秩序? 世界平和?」

「俺や、俺の大切な者たちがそこに含まれないようなお題目なんてクソ食らえだ!」

「俺たちが、異能者がいるだけで存続できないような社会なら」

 

 

「そんなもの、ぶち壊すしかねぇだろうが!!」

 

 

 浩平の絶叫。

 そしてそれに続く3,000の異能者たちの絶叫。

 凄まじい叫びと喧騒が、場を支配した。

 中には感極まって泣き出す者もいる。

 

 過激な内容、口汚い煽りの台詞。

 だが彼らのリーダーの言葉は、3,000人の異能者たちの心情を余すところ無く代弁する物だった。

 忌み嫌われ、石を投げつけられ続けてきた異能者たちにとっても、少なからず自己犠牲の意識はあったのだ。

 自分たちさえいなければ平和は保たれる。

 自分たちさえいなければ戦乱は無くなる。

 そんな社会に対する負い目を、彼らの指導者は真っ向から否定して見せた。

 エゴと罵られかねない過激な内容。

 だが浩平の言は間違っているのか?

 彼は言ったではないか「俺たちは虫ケラではない」と。

 多数が平穏を保つために少数を排す社会が間違っているのであれば、その間違った社会そのものを破壊するしかないではないか。

 

 

「同じ異能者であっても、俺たちとは考えの違う者たちがいる」

 

 浩平が再び話し始め、場は急速に静まり返る。

 彼の言う「考え方の違う者たち」というのがKanonをはじめとしたレジスタンス活動者たちであることは明白であった。

 

「考え方は人それぞれ、別に悔い改めろなんて言うつもりはないさ」

「共存できるものならそうしたい」

 

「だが」

 

 再び浩平の瞳に炎が宿る。

 

「俺の、俺たちの邪魔をするのならば」

「容赦なく、叩き潰す」

 

 その言葉を発した浩平は、演説中でもっとも覇気に満ちていた。

 感化され、高まる士気。

 

「現在のレジスタンスたちは、Kanonに収束しつつある」

「ヤツらが俺たちと共に歩んでくれるとは思えない」

「だったら潰すまでだ!」

 

「留美!」

「はい!」

「茜!」

「はい!」

 

 傍らに控えていた『狂戦士』七瀬留美と『水魔』里村茜が返事を返す。

 

「異能者狩り部隊2,500名を率いてKanonを攻め滅ぼせ!」

「わかったわ」

「わかりました」

 

 側近筆頭の『狂戦士』七瀬留美、そして彼女と双璧を成す『水魔』里村茜。

 ONEでもトップクラスのこの2人が、全兵力の4分の3を率いてKanon殲滅に乗り出す。

 正に、総力戦であった。

 

「みさきさんと澪、それから長森は俺と共に本部に留まれ」

「わかったよ」

『はい、なの』

「……」

 

 

「いいかお前ら!」

 

 再び全構成員に向けて叫ぶ浩平。

 その顔には先ほどまでの激情はなく、不敵なまでの笑みが浮かんでいた。

 

「出陣は1ヶ月後だ、色々と用意があるからな。先走って突撃なんてすんじゃねぇぞ!」

 

 再び場を笑いと歓声が満たす。

 だがそれは獅子が得物を前にして見せる笑いだった。

 士気は、高い。

 

「社会全体をひっくり返すか、それともここで朽ち果てるか」

「全て、この一戦にかかってる!」

 

 浩平はそこで一旦言葉を切り、宣言するように、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

敵は、Kanonだ!

 

 

 

 

 

 

 

 西暦2019年。

 日本全土をほぼ支配下においた異能力集団「ONE」

 そしてそのONEに対抗すべく力を蓄えた「Kanon」

 両組織の争いの火蓋は、再び切って落とされようとしていた。

 

 

 

 

The End Of The First Part

To Be Continued To The Second Part..