異能者

<第二十五章>

−逃げた先には−

2002/02/03 久慈光樹


 

 

 

 『永遠の守護者』(エターナル・ガーディアン)

 

 そう呼ばれた黒き少女は、相変わらずの微笑を浮かべたまま。

 対するシュンもまた、内心を容易に悟れぬ笑みを浮かべ、対峙していた。

 

「素直に退いてくれるのならよし」

「それとも……」

 

 シュンの笑みが微妙に変質する。

 

「僕と一戦交えるかい?」

 

 応えはない。

 だが音も無く、黒き少女の背後に幾つもの黒球が現出する。

 

「ふふ、やる気満々ってわけだ」

 

 対するシュンは相変わらず腕を組み、ドアに寄りかかった姿勢を崩さない。

 

「『永遠の守護者』たる君が、寄生主にすぎない彼に対して、随分とまあご執心じゃないか」

「流石は……」

 

 

 シュンの笑みは

 

 いつの間にか、ひどく歪んでいた。

 

 

 

「流石はオリジナルと言うべきか……」

 

 

 

 刹那

 少女の顔から笑みが消えた。

 

 そして黒球が、能面の少女より放たれる。

 全てを消滅させる『永遠の力』

 だが黒球はシュンの身体をまるで陽炎のようにすり抜け、消えた。

 

「……失礼、失言だったね、今のは」

 

 そう言って苦笑するシュンはまったくの自然体。

 まるで先ほどの出来事が幻だったかのように。

 

 そしてまた両者とも言葉なく対峙する。

 帯電しているかのような沈黙の中、時間だけが刻々と過ぎ去ってゆく。

 

 

 どれほどの時間そうしていただろう。

 まるで能面のようだった黒き少女の顔に、再び微笑が浮かんだ。

 そして何の前触れもなく、その姿がまるで空間に溶け込むようにかき消える。

 

「去った、か」

 

 一つ息をつき、視線をベッドに向ける。

 

「それとも、君が退かせてくれたのかな?」

 

 ベッドに横たわる浩平。その瞳はいつの間にか開かれ、自分に語りかけるシュンに向けられていた。

 

 

 

 

 

「祐一さん、ここにいたんですね」

 

 街を貫くように流れる川のほとり、頭の後ろで腕を組み、土手に横たわって空を見上げていた祐一の頭上から、そう声が掛けられた。

 見上げると、そこには美坂栞の姿があった。

 

「栞か、もう身体いいのか?」

「ちょっとまだふらふらしますけど」

 

 そう言って笑いながら、祐一の隣に腰をおろす栞。

 

「わっ、ここ風が気持ちいいですね」

「そうだな」

 

 しばらくは二人とも無言で、心地よい風に吹かれていた。

 

「栞は……変わったな」

「え?」

 

 唐突な祐一の言葉に、驚いたように彼に顔を向ける栞。

 祐一は相変わらず空に顔を向けたまま、ぽつりぽつりと呟くように続けた。

 

「まだ知り合ってから間もない俺が言うのも何なんだけどな。逆を言えば知り合って間もない俺がそれとわかるほどに、栞は変わったと思う」

 

 あれ以来、栞のもう一人の人格である「ペルソナ」が表面に出ることはなくなった。

 そして、元々の人格であったであろうもう一人の「美坂栞」もまた、祐一の言葉通り変質していた。

 以前の栞は、どこか人に怯えたような態度を隠せないでいるかのような印象だった。

 他者に怯え、そして何よりも自らに怯えていた栞。だが今の栞にその面影はない。

 伏せられることなく前を見据えた瞳、途中で途切れることなく紡がれる言葉、そういえば癖だったであろう唇を噛む仕草も無くなったようだ。

 

「そう……かもしれませんね」

 

 それだけ言うと、栞は祐一に倣って草の上に上半身を投げ出し、空を見上げた。

 

「いままで、私の中には2人の私がいました」

 

 栞の言葉に驚き、上半身を起こし彼女を見下ろす祐一。ちょうど先ほどまでとは立場が逆になった構図だ。

 

「栞は気付いていたのか?」

「祐一さんも、気付いていたのでしょう?」

「……ああ、前にペルソナの口から聞いたしな」

 

 

 

美坂栞という少女の、力を嫌悪する側面を持った片割れ

あの子も、そして私も美坂栞のペルソナ

 

 

 初めてあの妖艶なペルソナと対峙した際、彼女はこう言ったのだ。

 

「祐一さんやあゆさんと出会った私もまた、ペルソナでした」

「じゃあ……」

「ええ」

 

 そして栞は立ち上がり、祐一に笑顔を向けて、こう言った。

 

       ・・・・・
「美坂栞です、初めまして相沢祐一さん」

 

 

 

 

 

 

 

「シュンか……」

 

 ベッドに横たわったままの浩平は、未だ弱々しく響く声でそう言った。

 いつの間にか枕もとに移動しその言葉を聞いたシュンの目が、すっと細くなる。その様子はまるでこみ上げてくる喜びを押し殺しているかのようだった。

 

「君にその名で呼んでもらえるのは、久しぶりだね」

「……そうだな」

 

 シュンの指摘に浩平も初めてそのことに気付いたような顔をしたが、訂正することもなく回顧するように呟いた。

 

「もう、8年以上経つんだな」

「時の経つのは早いものだね」

 

 過ぎ去った過去に思いを馳せているのであろうか、しばらくは2人とも無言。

 やがてその沈黙を破ったのは、浩平であった。

 

「みさおが、来ていたのか」

 

 その言葉に、シュンは目を伏せる。まるで直視したくない現実から、目を逸らすように。

 

「『永遠の守護者』(エターナル・ガーディアン)、あれほどまでに実体化している」

「……」

「危険だよ。やがては君も、彼のようになる」

「……司か」

 

 その言葉を口にした刹那、浩平とシュンの視線が閉じられたままの扉に向けられた。

 

「どうやらお客さんのようだ、僕はこれで失礼するよ」

「そうか」

「また会えるといいね、それじゃ」

 

 シュンの身体より、漆黒の闇が湧き出る。『永遠の力』を借りた遠距離移動の前兆であった。

 

「氷上」

 

 浩平が呼び止める。先ほどまでの弱々しい口調とは違う、毅然とした口調。呼び名が苗字になっているのは意図的なものであったのか。

 

「俺の邪魔をするようであれば、たとえそれがお前であっても……」

 

「殺す」

 

 シュンは応えない。

 相変わらずのアルカイックスマイルを浮かべ、そしてそのまま漆黒と共に消えた。

 

 それを見届け、浩平は扉に向かって言葉を発した。

 

「いるんだろ? 入って来いよ」

 

ガチャ

 

「……茜、か」

 

 強張った表情でそこに立っていたのは、里村茜であった。

 

 

 

 

 

『誰かがいる?』

 

 部屋の主である折原浩平以外には無人であるはずの部屋。里村茜はその部屋から話し声が漏れてくることに気付いて、ノブに伸ばしかけた手を止めた。

 ずっと彼に付き添っていたみさきの代わりに先ほどまでは留美が付き添っていた、だがその留美も無理をしすぎるために茜が説得して部屋に戻らせたのだ。

 茜自身もたったいま留美を部屋に送ってきた帰りであり、そして今度は自分が浩平についていてやるつもりだった。

 誰かが入れ替わりに部屋に入ったのだろうか? しかし漏れてくる声はどうやら男性であるようだ。

 

「……ンか……」

「………のは……だね」

 

 声はあまり大きくなく、注意して聞いていないと聞き取れない。茜はドアに耳を近づけた。

 立ち聞きするつもりはなかったのだ。単に部屋にいる人物が何物か知りたかっただけだ。

 

「『永遠の守護者』(エターナル・ガーディアン)、あれほどまでに実体化している」

「……」

 

 聞き慣れない単語、だが「エターナル・ガーディアン」というその響きは、茜の心に波を立てるに十分であった。

 諸刃の剣である『永遠の力』を振るい続ける浩平。茜は彼がその力に飲み込まれぬよう、何があっても守るつもりでいた。

 だがその実、『永遠』について茜は何一つといっていいほどに何も知らないのだ。

 

「危険だよ。やがては君も、彼のようになる」

 

 部屋にいる何物かの言葉。

 そして続く浩平の言葉に、茜の心は嵐の海に漕ぎ出した一隻の小船のようにかき乱され、翻弄された。

 

 

 

「……司か」

 

 

 

「……っ!!」

 

 “つかさ”

 確かに彼はそう言った。

 

 

 

 司

 つかさ

 ツカサ

 

 やがては君も、彼のようになる

 彼のように……

 

 

 

「あかねぇぇぇーーー!」

 

 詩子の絶叫

 立ち竦む私

 

ガアアアァァァァ!

 

 鉤爪のついた丸太のような腕を振り上げる、異形の獣

 

「………ガ…ネ」

 

 そしてその鉤爪は、獣自身の心の臓に振り下ろされた

 

「…ア……カ…ね……」

 

 最後に自分の名を呼んでくれた彼

 血に塗れて彼の名を叫ぶことしかできなかった私

 

「いややああぁぁぁ!」

「司ぁぁぁーーー!!」

 

 

 

「いるんだろ? 入って来いよ」

 

 室内から掛けられた声に、我に返る。

 気付けば室内にいたであろうもう一人の人物の気配はなくなっていた。

 扉に手をかけ、そして、開く。

 

「……茜、か」

 

 浩平は驚いてはいないようだった、少なくとも表面上は。

 

「浩平は知っているんですね」

「司を知っているんですね」

 

 強張った顔でそう言った茜の声は、震えていた。

 

 

 

 

 

「初めまして、って……」

「うふふ、ケジメですよ単なる」

 

 狐につままれたような祐一の顔を笑いながら、栞は楽しそうに川に向かって歩き始める。

 祐一も慌てて立ち上がり、その後を追った。

 

「他人格が取った行動をすべて私は認識してました、だから祐一さんのこともあゆさんのこともちゃんと覚えてますよ」

「そ、そうか」

「言ったでしょ? ケジメですよ」

 

 自分の後ろを歩く祐一に振り返って、栞は輝くような笑顔を浮かべた。

 

「私はもう逃げません、自分から」

 

 そんな栞をしばらくのあいだ眩しそうに見て、祐一は彼女を追い越し川辺に立つ。

 そして、言った。

 

「強いな、栞は」

「祐一さん?」

 

 苦しそうなその声をいぶかしみ、栞が祐一に声をかける。

 しばらくじっと流れる川を見ていた祐一が、続けた。

 

「俺は、ダメだ」

「え?」

「怖いんだよ、自分が」

「……」

「前にも一回、俺は戦いの最中に異形に変じたことがあったんだ」

「……!」

「その時はまるで自分が自分じゃないみたいで、ただぼんやりと遠くから見ているような感じだった」

「今回は違った?」

「ああ、今回はちゃんと意識があった、自分で自分を制御できているんだって、そう思ってた、最初はそう……思ってたんだ」

 

 栞の脳裏に、異形に変じた祐一の戦いが浮かぶ。

 同じように異形に変じた『永遠の』折原浩平を追い込み、追い詰め。そして殺戮の悦びに哄笑しているかのような漆黒の獣の姿が。

 血に酔い、殺戮の力に酔っていたあの姿は正に悪夢のようだった。

 

「怖いんだよ」

 

 自分で自分を抱くように、自分で自分を拘束するように。

 祐一は両腕で自分を抱え込むようにして、震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「答えてください浩平、司のこと、知っていたんですね」

 

 それは質問ではなく、確認だった。

 震え、だが毅然としたその口調に、浩平はごまかしようがないことを悟る。

 

「ああ、知っていた」

「どうして……」

「別に隠していたわけじゃないさ、聞かれなかったからな」

 

 明らかな詭弁。

 納得などできようはずもない、だが問い詰めたとして、浩平がそれに答えてくれるとも思えない。

 茜は若干声を和らげて別の事を聞いた。

 

「司とは、どういう関係だったんですか?」

 

 その問いに、浩平は少し遠い目をして答える。

 

「古い馴染みさ、あいつが茜や柚木と知り合うよりもたぶん前のことだ」

「そう、ですか」

 

 幼馴染。

 自分と詩子、そして司は、そんな関係だった。

 そう、あの時までは……

 

「司は、死にました」

「『永遠の力』に、呑み込まれたのだろう?」

「はい」

 

 茜の返事を聞き、浩平は目を閉じた。旧友の死を悼むように。

 茜には、その様子が演技には見えなかった。浩平は心から司の死を悼んでいた。

 

「あいつの最期の様子を教えてくれないか」

「『永遠の力』に呑み込まれ、暴走した司は、近くにいた私や詩子を殺そうとしました」

「なっ……! 近くにいたのか、お前たちも」

「はい」

 

 信じられない事を聞いたように、浩平はベッドから身を起こした。言葉にこそ出さなかったものの、その状況で茜と詩子がよく生き延びることができたものだと思っているのだろう。

 同じ『永遠の力』の使い手として、それに呑み込まれた時の恐ろしさはよく知っているということだろうか。

 

「彼は、最後の最後に一瞬だけ自分を取り戻したんだと思います」

「!」

「最後に、途切れ途切れに私の名を呼んで……」

「……」

「そして彼は、自決しました」

 

 茜は、涙を流していた。

 ずっと続くと思っていた3人の時間。自分と、詩子と、そして司、3人の時間はあの瞬間に唐突に終わりを告げたのだ。

 

「私は…… 私は……」

「済まなかった、茜、辛いことを思い出させたな」

「うっ…… うわあああぁぁぁ!」

 

 耐え切れなくなったように自分に縋って泣き叫ぶ茜を見て、浩平は自問する。

 

 

 『永遠の力』

 数々の悲劇を生み出した、この世界に存在してはならない力。

 自分の為そうとしていることは、この腕の中で震え泣きつづける女性には決して赦されることはないだろう。

 彼女だけでなく、自分を慕い、案じてくれている女性たちを手酷く裏切る結果となることだろう。

 だが

 後戻りはできない。

 

 『紅の』相沢祐一は『永遠の力』に覚醒した。

 計画は次の段階に移行する。

 

 もう後戻りはできない。

 できないのだ……

 

 

 

 

 

 

 

 川べりに立ち震えながら独白する祐一。

 その様子に栞は、自分自身の姿がだぶって見えた。

 

「あんな殺戮のためだけの力」

 

 人を殺めねば…… 他者より生命力を搾取せねば、生きていくことができないこの躯

 

「俺は要らなかった……」

 

 こんな躯、こんな力、要らなかったのに……

 

 

 ああ、やっぱり。

 

 栞は目の前で震える青年を見て、自分が以前感じた感情が間違いではなかったことを悟った。

 

 やっぱりこの人は、私と同じだ。

 自らの“力”に翻弄され、押し潰されそうになっていた自分と、同じなんだ。

 

 

「祐一さん」

「し、栞?」

 

 突然背中に抱きついてきた栞に、狼狽の声を上げる祐一。

 

「逃げないで」

「え?」

「自分自身から、逃げないでください」

 

「私は、逃げていました」

 

 そう、逃げていた。

 人の命を奪ってまで生き延びていた自分から、逃げていたのだ。

 

「でも、逃げても一緒だったんです」

 

 立場から逃げ、他人格から逃げ、自分自身から逃げても、同じだったのだ。どこにも自分の居場所を見つけることはできなかった。

 そしてその結果、『美坂家』という姉と自分の帰るべき家を失い、そして最愛の姉をも失いかけた。

 

「祐一さんは、まだ何も失ってないじゃないですか」

「だから大丈夫です、きっとまだ大丈夫」

 

 俯く祐一。

 そしてその祐一の背に頬をつけて、栞は続ける。

 

「あなたの“力”は、私なんかとは比較にならないほど大きなものです」

「でも、逃げないで、自分自身に押し潰されないで」

「逃げてしまったら……」

 

「ぜんぶ、なくしちゃうから」

 

 背中に感じる栞の温もり。

 自分はまだ何も失っていない、だが逃げてしまったら全てを失うことになると、栞は言う。

 脳裏に浮かぶ、家族とかけがえのない仲間たち。

 秋子さん、名雪、真琴、佐祐理さん、舞、あゆ、そして、栞。逃げてしまったら、何もかもを失ってしまう。

 

「俺には……わからないよ」

「祐一さん?」

 

 祐一のその言葉に、不安げに声をかける栞。

 わかってもらえなかったのだろうか。

 

「わからない、わからないけど……」

 

 祐一はもう、俯いてはいなかった。

 

「大切な人たちを失うのは、ごめんだ」

 

 決して力強くというわけではなかったが、そう言いきった祐一を見て。

 栞は、改めて祐一の背中に抱きつく力を強くした。目を瞑り、その背に頬をつけて。

 そして小声で呟いた。

 

「それでこそ、私が好きになっちゃった祐一さんですよ」

 

 最初は親近感だけだったのだ。

 「この人はきっと自分と同じ」そんな思い込みに過ぎなかった。

 だけど今は……

 

「ん? 何か言ったか?」

「なんでもありません!」

 

 てんで鈍い祐一と、そしてそんな彼を慕っている者が多いであろう事実(きっとあゆもそうだろうと確信していた)に、栞はため息をついた。

 

 

「あー、そ、そろそろ離れてくれると嬉しいんだが……」

 

 困ったような声に反して、ちょっぴり赤くなっている祐一。

 

「あ、ごめんなさい、迷惑でしたか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが」

「?」

「ぺったんことはいえ、胸が当たって落ち着かない」

 

 悪戯っぽくそう言った祐一を見て、栞は輝く太陽のような笑みを浮かべ、こう返した。

 

 

 

 

「そんなこと言う人、嫌いです」

 

 

 

 

To Be Continued..