ガチャリ

 

 扉の開く音に、みさきは振り向く。

 部屋に入ってきたのは留美だった。

 

「まだ目を覚まさないのね」

「ええ……」

 

 

 

 


異能者

<第二十四章>

−永遠の守護者−

2001/12/16 久慈光樹


 

 

 

 

「少しは寝ないと、もたないわよ」

 

 留美の忠告に曖昧にうなずき、視線をまたベッドに戻す。

 そこに横たわるのは浩平。

 その相貌には血の気が無く、浅い呼吸をしていることを除けば、死人そのもののように見えた。

 

「あの…… みさきさん」

 

 留美の躊躇いがちな声に、再び視線を彼女に転じる。

 

「あの時は、その……」

 

 普段から明朗な彼女らしくなく、留美の言葉は歯切れの悪いものだった。

 

「いいんだよ、留美ちゃん。私が悪いんだもの、留美ちゃんが怒ったのは当然だと思うよ」

 

 

 

 

 『死神』美坂香里がその命を賭して放った異能力『絶望の死蛇』(ミッドガルズ)

 その顎から『永遠の獣』の生命力で辛くも脱した浩平だったが、その後の消耗具合は目を覆わんばかりだった。

 

 2日前。

 『神出鬼没の』柚木詩子に連れられて帰還した既に意識の無い折原浩平の様子を見たとき、側近の女性たちは皆一様に動揺した。

 半死半生。

 そのときの彼の様子は、この言葉が一番しっくりくるほどのものだったのだ。

 

「折原!」

「浩平!」

「みゅー!」

 

 駆け寄る彼女たち。浩平の身体に触れたとき、その体温の低さに更に蒼白になる。

 

「ちょっと! 何があったのよ!」

「理由は後で話すから、いまは浩平くんを」

 

 問いただそうとする留美を制し、みさきは浩平を医務室に運び込むと、すぐさま医師の手配をする。

 その間、もう一人の同行人であった澪は泣きどおしであり、とても事情を聞ける雰囲気ではなく、留美も茜もただ歯噛みするような焦燥と共に時を待った。

 傷を癒す異能力を持った『母なる』長森瑞佳でさえ同様である。彼女の異能力を外傷を塞ぐだけであり、内面より生命力を削り取られた今の浩平に対しては為す術を持たないのだ。

 

 やがて医師から絶対安静を言い渡され、浩平は昏々と眠り続けた。

 

「聞かせてもらいましょうか、『美坂家』でいったい何があったのかを」

 

 帯電しているかのような留美の詰問。

 みさきはゆっくりと、全てを語った。

 

 

 『美坂家』でのこと。

 『紅の』相沢祐一との戦い。

 『永遠』

 

 

バシッ!

 

 全てを語り終えたみさきの頬に、留美の平手が飛んだ。

 

「あなたがついていながら、何をやっていたのよ!」

 

 打たれた頬を押さえ、立ち尽くすみさき。

 瞳を燃え上がらせ睨みつける留美。

 

「やめてください! いまそんなことを言っても仕方ないでしょう!」

 

 茜が留美を諌めなかったら、彼女は更にみさきを殴っていただろう。

 それほどまでに、留美の怒りは大きかった。

 

 結局その場は茜によって収められ、それ以来一度も留美とみさきは言葉を交わしてはいなかった。

 そして折原浩平もまた、本部に帰還してから一度も意識を取り戻さぬまま、今に至る。

 

 

 

 

「留美ちゃんの言った通りだよ、わたしがついていながら浩平くんを危険な目に遭わせちゃったんだから」

 

 自嘲するようなみさきの呟きに、留美はバツが悪そうに身じろぎした。

 2日前は動揺をそのまま引きずって激昂してしまったが、彼女とて内心ではみさきが悪いなどとは思ってはいなかったのだ。

 今は彼女を張ったのがただの八つ当たりだったことを誰よりも自覚している。

 素直に謝れない自分に苛立ちこそすれ、みさきを責めようなどとは今では微塵も思ってはいない。

 自分の軽率な言動で仲間である彼女を傷つけてしまったことに忸怩たる思いを拭えぬ留美だった。

 

「……とにかく、少し休まないと身が持たないわ、こいつが目を覚ましたら真っ先に呼ぶから、少し休んで」

 

 本部に帰還してからずっと浩平の傍らに寄り添い、恐らくはほとんど寝ていないのだろう、みさきの憔悴具合はとても見ていられなかった。

 

「ほら、こいつは私が見ててあげるから」

「……うん、ありがとう」

 

 みさきの瞳に悲しげな色が浮かんだのは、浩平のことを自分には任せておけないと、留美がそう判断したと感じたからだろう。

 だが留美はみさきを休ませるのが先決と判断し、あえてその誤解を解かずにおくことにした。

 誤解は後で解けばよい、このくらいの誤解で互いに信頼を失うほど自分たちの結束は脆くは無いはずだった。

 

「じゃあ留美ちゃん、浩平くんを、お願い」

 

 肩を落とし、そのまま部屋を出て行くみさき。

 その気配が遠ざかり、部屋には静寂が立ち込めた。浩平の呼吸は浅く、静寂のこの部屋でもそれと聞き取ることは出来ぬほどであった。

 

ガン!

 

 立ち尽くしたままの留美は、激情をそのまま拳に込めて、壁を殴りつけた。

 

 苛立ちと、後悔と、怒り。

 

 みさきはずっとこの部屋で浩平に寄り添い、睡眠はおろか食事さえ満足にとろうとはしない。

 澪はあれっきり自室に篭り、浩平の容態を確認しに出てくる以外は姿を見せない。

 茜も繭も、そして瑞佳も同様に滅多に自室から出ようとはしない。

 今更ながら、自分たちがいかにこの折原浩平という青年に依存していたかを痛感させられる。

 

 視線を、眠り続ける浩平に向ける。

 

「早く目を覚ましなさいよ、この大馬鹿……」

 

 言葉の内容とは裏腹に、その声はあまりにも弱々しい少女のそれであった。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、意識が覚醒していく。

 

 最初に感じたのは、眩しさだった。

 眩い日差しが、閉じた瞼に突き刺さる。まるで何年も光を見ていなかったかのように。

 

「まぶ……し……」

 

 あげた声のあまりの小ささに、自身が驚いた。

 

 ここは……?

 

 ぼんやりとする頭で、あたりを見回す。見覚えの無い場所だった。

 

 身体を起そうとするが、まったく力が入らない。

 ひどい倦怠感が身体全体を包み、ともすれば再び眠りに落ちそうになる。

 頭の中に霧がかかったように、何も考える事ができない。

 だがそれでも、繰り返し押し寄せる睡魔の攻勢に耐え続けた。

 

 なにか、大切な事を忘れている気がしたからだ。

 なにか、とても大切な事を忘れてしまっている気がしたからだ。

 

 

キィ

 

 部屋の完全な静寂が、扉がきしむ音でかき乱される。

 誰かが扉を開けて入ってきたのだと理解するよりも先に、来訪者の叫びが再び静寂をかき乱した。

 

 

「栞!」

 

 その声を聞いた途端。

 入ってきた姉の姿を見た途端。

 

 栞の頬に、いくすじもの涙が、零れ落ちた。

 

「おねぇ……ちゃん……」

 

「栞っ! 大丈夫? どこか痛いところ無い?!」

 

 妹である栞でさえ、数えるほどしか見たことの無い取り乱した姉の姿。

 恥も外聞も無く取り乱したその姿は、『死神』でも『美坂家』当主でもなく、ただの年相応の少女のそれだった。

 

 遅れて入ってきた祐一とあゆが、唖然として固まっているのを見て、栞は涙を拭い、くすくすと笑いながら姉に声をかけた。

 

「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「そ、そう、よかった……」

 

 祐一たちの様子に気付いたのだろう、頬をうっすらと朱に染めて香里は努めて平静を装った。

 もっとも、そんな様子が更なる衝撃を伴って祐一たちを打ちのめしたのであるが。

 

「……香里も女だったんだな……」

 

 その呟きが香里の逆鱗に触れ、叩き出されるように部屋から追い出される祐一とあゆであった。

 

「ボ、ボク何も言ってないのにー」

 

 

 

「はぁはぁ、まったく……」

 

 祐一たちを叩き出した香里は、荒く息をつき、未だくすくすと笑いつづける栞をひと睨みで沈黙させた後、備え付けの椅子に腰をおろした。

 

「お姉ちゃん、かわいい」

 

 ジロリ

 

 針どころか畳針もかくやという視線で睨まれる。

 あわてて首をすくめ、縮こまる。

 幼い頃、よくこうして姉に睨まれて首をすくめていたことを思い出した。

 そんなことすらも、いつしか忘れてしまっていた。

 

 幼い頃。

 大好きだった両親と、そして他の誰よりも大好きだった姉と、共に過ごした幼い頃。

 あの頃は本当に幸せで、毎日が宝石のように輝いていた。

 世界は狭くて、辛いことなんて何も無くて、自分が何者であるかを知らずにいることができた。

 

 ああ、自分が何者であるか知らぬ少女時代は、なんと幸せであることだろう。

 なんのしがらみに縛られることもなく、ただ自分が自分であればよかった少女時代は、至福と呼ぶに相応しい日々ではなかったか。

 人はどうして過ぎ去ってしまってから、日々の大切さに気付くのだろうか。

 

 俯いた栞の頭を、何か暖かいものが包み込んだ。

 抱擁されているのだと気付く前に、姉の声が聞こえた。

 

「泣かないで、栞」

「え……」

 

 そう言われてやっと、自分が泣いていることに気付く。

 

 私はなぜ泣いているのだろうか。

 過ぎ去った少女時代を想ってか、それとも幸せだった日々を失ってしまった今の自分を哀れんでか。

 

「あなたは何も失ってはいない、何も無くしてはいないの」

「お姉ちゃん?」

「私はここにいるわ、そしてあなたもここにいる」

「え…うっ……」

「ありがとう栞、ここにいてくれて」

「……うっ…あ……」

「ありがとう栞」

「…うっ……うっ…」

「生きていてくれて」

「うああああああぁぁっ」

 

 

 窓から差し込む光が、一組の姉妹を。

 互いに涙を流し、きつく抱きしめあう一組の姉妹を。

 照らし出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜半。

 ONE本部、折原浩平自室。

 みさきとの約束どおり、ずっと傍についていた留美だったが、今はその姿が見えない。

 相変わらず、昏々と眠りつづける浩平。

 

 そのとき、何の前触れもなく。

 一つだけある窓に掛けられたカーテンが、ふっと、揺れた。

 

 

 

くすくす……

 

 

 

 いつの間にそこにいたのか。

 一人の少女が、眠りつづける浩平の傍らに立っていた。

 

 漆黒の髪、漆黒の瞳、そして漆黒の服。

 黒き少女。

 

 まだあどけない印象を残すその黒き少女は、楽しそうに口元をほころばせながら立っていた。

 

 

 

くすくす……

 

 

 

 密やかに、だが本当に楽しそうに微笑みながら。

 少女は、浩平に向けゆっくりと右手を伸ばす。

 伸ばされた手が浩平の右頬に触れる。

 

 

 

いっしょに

 

いこう

 

 

 

 

 眠りつづける浩平の体から、漆黒の闇が漏れ出す。

 

 

 

 

おにいちゃん

 

 

 

 

 まるで空気に溶け込むかのように。

 徐々に浩平の身体は輪郭を失いつつあった。

 

 そしてその身体が完全に消え去る寸前、その声はかかった。

 

 

「そこまでだよ」

 

 

 驚いた風もなく、浩平の頬に当てていた手を戻す少女。

 同時に、浩平の身体が元に戻る。

 まるで今の現象が夢だったかのように。

 

 

「まだ彼を連れて行かれるわけにはいかないんだ」

 

 

 少女が、ゆっくりと声の主に向け、振り向いた。

 

 

「悪いけど、お引取り願おうか、折原みさお  ……いや」

 

 

「『永遠の守護者』(エターナル・ガーディアン)」

 

 

 

 

 扉に寄りかかるように背をつけ、振り向いた少女と対峙していたのは。

 

 氷上シュンだった。

 

 

 

To Be Continued..