異能者

<第二章>

−降り続く雨−

1999/11/07 久慈光樹


 

 

 

 しとしと

 

 しとしと

 

 しとしと

 

 

 雨は降り続いていた。

 

 大地を汚す赤い液体をゆっくりと薄めていく。

 だがあまりにもおびただしい量のそれは、降りしきる雨でも完全には洗い流すことはできないように思われた。

 

 その赤く染まった大地の中心に、傘も差さずに立ち尽くす少女。

 

 そして少女にゆっくりと人影が近づいてきた。

 

 ピンク色の傘。

 両側で三つ編みに結われた豊かな髪。

 

 少女から5メートルほど離れて人影は立ち止まる。

 

 

 

 両者とも無言だった。

 そして両者とも無表情だった。

 

 永遠に続くかと思われた沈黙を先に破ったのは真琴だった。

 

「真琴は今、気分が悪いの……」 

 

「だから……」

 

手加減しない!

 

 そう叫ぶや、真琴は無意識のうちに聖獣に攻撃の指令を出した。

 

「死んじゃえ!!」

 

 

グオオオォン!!

 

 

 叫び声をあげてぴろが傘をさす女性に襲い掛かる。

 すさまじいスピードだった。

 明らかに先ほどまでとは違う。

 並の異能者であれば、精神バリアの展開さえ間に合わずその爪に引き裂かれていただろう。

 

 が

 

ギャオォ!!

 

 悲鳴のような鳴き声をあげて弾き飛ばされたのはぴろだった。

 

「ぴろっ!」

 

「無駄です」

 

 傘の少女が初めて口を開く。

 

「この天候では、あなたに勝ち目はありません」

 

 少女…… 『水魔』里村茜はその無表情に相応しい淡々とした口調でそう言った。

 その声に誇ったような響きは無く、ただ事実の報告をしているような口調だった。

 

 相変わらずピンクの傘をさして立っている茜の前方には、無数の水の塊が漂っている。

 

 まるで真空状態に置かれたように、その無数の水の塊は空中を浮遊していた。

 大きさはバスケットボールくらいだろうか。先ほどぴろを弾き飛ばしたのも、それだった。

 

 水を自在に操る異能力。

 里村茜が『水魔』と呼ばれ恐れられる所以だった。

 

「……」

 

 無言のまま目を細める茜。

 その仕草に呼応するように、今まで宙を漂っていただけの水の塊が一斉に真琴めがけて襲い掛かる。

 

 

バシーン!

 

 

「くぅ!」

 

 辛うじて精神バリア展開が間に合い、直撃は避けた真琴だったが、思った以上のフィードバックに思わず苦痛の声を漏らす。

 塊は正真正銘のただの水だったが、そのスピードが尋常ではなかった。

 

 もともと水は比較的比重の大きい物質である。

 十分な質量とスピードさえあれば、その威力は鉄球と大差ない。

 

「こんなものー!」

 

 真琴はそう叫ぶと、弾き飛ばされたぴろに再び攻撃の指令を送る。

 

 攻撃方法さえ分かっていれば、かわすことはそう困難ではない。

 猫科の肉食獣そのもののしなやかな動きで、迫り来る水球を左右のステップでかわしながら茜に肉薄する。

 正にその爪が茜に届こうとする瞬間、ぴろの動きががくんと何かに引っ張られるように止まった。

 

「な、何?」

 

 一瞬状況を把握できず、狼狽した声をあげる真琴。

 ぴろの足元はまるで蛇のように変化した水のロープに絡め捕られていた。

 やがてその戒めは、足を伝って全身を拘束する。

 

「言ったはずです。この天候ではあなたに勝ち目は無いと」

「くっ」

「私が司るは水。そしてその水は今、無尽蔵に天から供されています、あなたには万に一つも勝ち目はありません」

 

 頼みの綱の聖獣を封じられた真琴には、確かに為す術が無いように思われた。

 

「投降なさい」

「じょ、冗談じゃないわよ! 誰があんた達なんかに!」

「では死になさい」

「!」

 

 茜は冷たく言い放つと、底冷えのするような視線を真琴に向けた。

 真琴の足元の水が意思を持ったように集まり、彼女の足を絡めとる。

 

「うわぁ!」

 

 慌てて引き剥がそうとするが、絡めとられた足はびくともしなかった。

 

「これで終わりです」

 

 二つ、三つ、四つ……。

 再び空中に水の塊が球状に集まり始める。

 

 

 このままじゃ……

 

 足を絡めとる冷たい水の感触。

 真琴にはそれが迫り来る死の冷たさそのもののように感じられた。

 

 

 

 

 

 

Kanon本部 裏門

 

 

 

「状況は!」

 

 裏門にたどり着いた名雪はすぐさま現場の戦闘員に状況を確認する。

 

「指示通りこちらからは手出しせず、防戦に徹しています。ですがこのままでは……」

 

 たしかにこのまま防戦に徹しても状況は悪くなるばかりだろう。篭城とは本来援軍を待つための時間稼ぎに過ぎないのだから。

 だが彼我の戦力差は単純計算しても100対30だ、ここで打って出ても待っているのは破滅だけだった。

 

「大丈夫! もう少しすれば祐一が帰ってきてくれるよ!」

 

 『紅の』相沢祐一。

 その実力はKanon最強である。彼ほどのレベルになれば、たとえ一個人とはいえ無視できない戦力だ。

 異能者同士の集団戦闘では数よりも異能力の質が優先される。

 『大破壊』以前の世界での戦争は、いかに相手よりも性能のよい兵器を揃えるか、そしていかに近隣諸国との外交で優位に立つが勝敗を決める要素の全てと言えた。つまり戦争に突入する時点でほとんど勝敗は決していたのである。そこには一個人レベルの能力など介入する余地は無い。

 だが大破壊と、それに伴う異能力の発達はその戦争の常識を覆した。いや、より原始的になったというべきか。

 特に精神バリアの発達は大きかった。

 異能力で作られた精神バリアを破ることができるのは異能力だけであり、銃器や爆発物という通常兵器に対して精神バリアは文字通り「絶対防壁」たりえたのである。

 それゆえ、中世のヨーロッパのように一個人レベルの能力がそのまま勝敗の帰趨を決する要因となりえるのだ。

 

 祐一ほどの異能者であれば、たとえ相手が最強部隊と名高い“異能者狩り部隊”であり、さらには圧倒的とも言える兵力差があるとはいえ、うまくすれば五分の戦いに持ちこめるであろう。

 

「だからそれまで“ふぁいとっ”だよ! みんな!」

 

 名雪の激励に、目に見えて味方の士気が上がる。

 普段はぼんやりしているとしか思えない名雪だったが、指揮官としての才能は流石に『静かなる』水瀬秋子の実子といえるものであった。

 

 

 確かに祐一が来てくれるまで持ちこたえることができれば、状況は好転するだろう。

 だけど……

 

 

 表面上は平静を装う名雪だったが、内心では不安が渦巻いていた。

 

 

 もし敵に彼女達がいたら……

 

 

 折原浩平の側近たる5人の女性達。

 正門に『水魔』里村茜が姿を現したとなると、本隊である裏門の部隊も残り4人のうちの誰かが指揮をとっていると見たほうがよいだろう。

 それが一人だけであれば、兵力の差を考慮に入れても祐一と名雪で何とか支えきれる。

 

 

 だけど……

 もし二人以上いたら……

 

 

 祐一と名雪だけでは恐らく支えきれないに違いない。

 兵力の差がそのまま戦力の差に直結し、裏門を突破される。

 裏門を突破されるということは、本部、ひいてはKanonの陥落を意味していた。

 

 

「敵本隊、再度進行してきます!」

 

 名雪の内心の不安を余所に、戦闘員の報告が響く。

 

「わたしが前線に出ます! みんなはなんとしてもこの場を死守して!」

 

 そう言って名雪は前線に繰り出す。

 前線ではすでに敵が目視できるまでに迫ってきていた。

 

「いけーー!」

 

 先手必勝とばかりに、名雪は自分の異能力を開放した。

 攻撃態勢に入っていたONEの異能者達は、ばたばたと大地に倒れていく。

 

 『眠り姫』水瀬名雪の異能力『覚めない眠り』(ウィッシュレススリープ)である。

 この異能力自体は、比較的広範囲の敵を眠りに落とすだけで殺傷能力はないものの、文字通り眠りは“覚めない”眠りであり、何らかの精神治療を行わねば一生目を覚ますことは無い。

 敵本隊の、恐らくは先発隊と思われる20名ほどは残らず眠りの底に落ちていた。

 

「これでだいぶ時間が稼げるはず」

 

 それを確認した名雪は前線から退こうとした。

 

 その時。

 

『さすがは『眠り姫』なの』

 

 名雪の頭の中に少女の声が響いた。

 

「な、何これ!?」

 

 突然の出来事に動揺する名雪。

 その時になってやっと、敵の中に眠りに落ちていない人影があることに気付いた。

 

 それは小柄な少女だった。

 名雪よりも若干年下に見える。

 

『はじめましてなの』

 

 再び名雪の頭の中に声が響く。

 そして目の前の少女は名雪に向かってにっこりと微笑んだ。

 その微笑みは限りなく純粋で、血なまぐさい戦場においてはひどく場違いに感じられた。

 

「『沈黙の』上月澪……」

 

 やはり側近がいる!

 

 名雪は戦慄と共に、その事実を受け止める。

 目の前で愛らしい笑みを浮かべる少女こそ、折原浩平の側近の一人『沈黙の』上月澪だった。

 この少女は生まれつき話すことができない、そのせいだろうか、精神感応により相手の脳に直接意思を伝える異能力を持っていた。

 その異能力をひとたび攻撃に用いれば、相手の精神を破壊する恐るべき攻撃となるのだ。

 

「本隊を指揮しているのはあなた一人なの?」

 

 それとなく探りを入れてみる。

 上月澪一人でも名雪の手に余る。この上さらに側近が出てくると、たとえ祐一が間に合ったとしても支えきれなくなる。

 

『ないしょなの』

 

 だが澪はそう答えて微笑むだけだ。

 

『ここを通してもらうの』

「通りたければわたしを倒して力ずくで通りなさい!」

 

『そうするの』

 

 名雪は精神攻撃に備え、自らの精神バリアに意識を集中させる。

 一般に精神攻撃を得意とする異能者ほど同じ精神攻撃には耐性を持っている。先ほど名雪の『覚めない眠り』が通じなかったのも、上月澪が精神攻撃を得意とする異能者だからであろう。

 名雪も“眠り”という精神攻撃を得意とする異能者である。精神攻撃であれば耐えきる自信があった。

 

 だが

 

『精神波』(サイコウェイブ)

 

 頭の中にその声が響いたと同時に、名雪の張った精神バリアがかき消されてしまう。

 

「そ、そんな!!」

 

 精神バリアは異能者の防御の要である。いかに異能者とはいえ、精神バリアが無ければナイフ一本であっけなく倒されてしまうだろう。

 

 

 まさか精神バリアを無効化する能力を持った異能者がいるなんて!!

 

 

 戦慄する名雪。

 このままではやられる。

 そう思った名雪は攻撃に転ずるため、精神を集中する。

 

『遅いの』

 

 だがそれよりも一瞬早く、次なる澪の異能力が名雪を襲った。

 

『精神の監獄』(サイコプリズン)

 

 再び名雪の頭の中に声が響く。

 

 ゆっくりと自分の中に何か異質な物が入りこんでくるイメージ。

 そしてその異質な物は名雪の心の奥底にある、他人には決して知られたくない部分を晒し出そうとする。

 

「いやぁぁーーー!」

 

 絶叫する名雪。

 忘れかけていた、いや、忘れようとしていた過去が心の底から晒し出される。

 

 

 

 

 

 

忘れようとした過去

 

 

 

 

 

罪の意識

 

 

 

 

 

 

抜け殻のようになった祐一

 

 

 

 

 

 

もう祐一は笑わない

 

 

 

 

 

 

わたしのせいで

 

 

 

 

 

 

 

わたしが……

 

 

 

 

 

 

わたしが……

 

 

 

 

 

 

 

あの子を……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺したから

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちがう!!」

 

 絶叫する名雪。

 まるで頭の中の映像を振り払うように両手で頭を抱え、激しく左右に振る。

 

 

 

 

 

何が違うの?

 

 

 

 

 

 心の中を覗く異質なものが問い掛けてくる。

 それは……

 

 

 名雪自身の姿をしていた。

 

 

 

「ちがう! わたしじゃない…… わたしじゃない……」

 

 

 

 

違わないわ

 

 

 

 

 名雪の姿をしたそれは冷酷な笑みを浮かべて名雪を追い詰める。

 

 

 

 

 

怖かったんでしょう?

 

 

 

 

 

祐一を取られるみたいで

 

 

 

 

 

怖かったんでしょう?

 

 

 

 

「ちがう! ちがう!!」

 

 

 

 

 

だから殺した

 

 

 

 

 

「!!」

 

 

 

 

だから殺したんでしょう?

 

 

 

 

 

 

ボクを

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか、話しかけてくるそれは名雪の姿ではなかった。

 

 10歳くらいの少女。

 背中までのびる髪。

 髪を止める白いリボン。

 

 決して思い出したくなかった姿。

 

 7年前と変わらない少女が名雪を見て

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑った

 

 

 

 

 

 

「いやあぁぁぁーー!!!」

 

 

 

 

 

 

To Be Continued..