夜は更け、木々や動物達は眠りにつく。

 しかし人間という愚かな種は躍動を続ける。

 

 

午前0時。

 『美坂家』東門にて反乱勃発。

 

午前0時10分。

 『美坂家』西門より出火。西門守備にあたっていた20名による反乱と断定。

 

同10分。

 反乱部隊と思われる一団が『美坂家』本部を奇襲。

 

午前0時25分。

 圧倒的兵力差により近衛兵団全滅。

 当主である『死神』美坂香里は生死不明。

 

 

 

そして午前0時30分。

 『美坂家』にて反乱勃発を確認した『命喰い』美坂栞、『紅の』相沢祐一、『熾天使』月宮あゆ、ONEリーダーである『永遠の』折原浩平が逗留する宿を襲撃。

 しかし宿内に彼らの姿は無く、祐一たちに宛てたと思われる書置きに一言。

 

『街外れにて待つ

折原浩平』

 

 

 夜はまだ、始まったばかりだった。

 

 

 

 


異能者

<第十九章>

−イージス理論−

2001/06/19 久慈光樹


 

 

 

「浩平くんの邪魔はさせないよ」

 

 あゆと栞の前に立ちはだかるは、『心眼』川名みさき。

 

「そこをどいて!」

「退いて下さい!」

「うーん、残念だけど、どくわけにはいかないんだよ」

 

 

 書置き通り街外れに移動した祐一たちを待っていたのは、浩平たちによる奇襲だった。

 

 『心眼』と称されるみさきの存在を考慮し、警戒を怠らなかったことが幸いしたのか。なんとかその奇襲をかわすことに成功する。

 だがその奇襲は、祐一たちにとって思わぬ結果を招く事となる。

 

 対折原浩平の切り札とも言える『命喰い』美坂栞が、あゆと共に祐一と分断されてしまったのだ。

 

 現在は折原浩平と相沢祐一が1対1で対峙している。

 恐らくはそれこそが、奇襲の真の狙いであったのだろう。

 

 あゆは焦っていた。

 祐一の実力を疑っているわけではなかったが、相手は“あの”折原浩平である。

 一刻も早く、合流しなければならない。

 

「力ずくでもどいてもらうよ!」

 

 力に訴えるその言動は、常のあゆからは想像もつかない。それだけ焦りから余裕を失っているのだろう。

 

 あゆの全身を光が包み始める。

 同時にその表情には、ありありと苦悶の色が浮かび始めた。

 

「ううっ…… くうぅ……」

 

 直視できないまでに高まった白い光が、急速にその背に収束する。

 

「ああああああっ!」

 

 苦痛とも快楽ともとれる叫びを上げ、その光はあゆの背で6対の翼となった。

 

『天使化』(ホワイトウイング)

 『熾天使』月宮あゆが本気になった証であるその6対の翼は、尚も光り輝いていた。

 先ほどまでの焦燥を、微塵も感じさせぬ毅然とした表情で、あゆは一歩一歩みさきに近づいていく。

 単身では攻撃の手段を持たぬみさきでは、天使化したあゆ相手に為す術を持たぬように思われた。

 

 だがみさきはそんな事はまったく考えてもいないかのように、ただ歩み寄るあゆを笑みをもって迎える。

 いつからそうなったのか。

 光を映さぬその瞳は、深紅に彩られていた。

 

「もう一度言うよ。そこを、どいて」

 

 別人のような毅然とした声音で、あゆは言い放つ。

 

「残念だけど、そういうわけにはいかないんだよ」

「じゃあ、どかすまでだよ!」

 

 あゆの背に輝く6対の翼より、数え切れないほどの光の束が高速で照射される。

 以前祐一の前で見せた、野犬の群れをなぎ払った光の刃、『天使の涙』(エンジェルズティアー)である。

 あの時とは違い、地上から地上へ、水平に伸びる無数の光の束。

 

 一瞬の出来事。

 

キィン!

 

 みさきを確かに貫くかと思われたその光の束は、だが彼女の眼前で硬質の音を響かせて全て弾かれていた。

 

「えっ!」

 

 驚愕する熾天使。

 尚も笑みを浮かべて立つみさきの眼前に、白銀の輝きを宿した壁が出現していた。

 

「あなたに私は倒せないよ、絶対にね。なぜなら……」

 

 それは完璧な奇襲であったろう。

 あゆに気を取られ、尚も語を接ごうとするみさきに、死角より襲いかかったのは栞だった。

 

「禍々しき死手よ!」

 

 胸を抱えるようにしてそう叫んだ栞の背後より、黒い影のようなものが踊り出て、みさきを襲う。

 その影は、ボロボロの衣を纏い手に大鎌を携えた骸骨のように見えた。

 

『死神の鎌』(デスサイズ)

 美坂家当主の血をひく者のみが扱える、必殺の異能力。

 その鎌は物理的な障壁では遮る事ができず、一旦触れれば確実に相手の命を内面より削る。卓越した異能者であれば確実に死に至るわけではないが、それでも生命力を削り取られることに変わりはないのだ。

 

 この日、なぜか栞は祐一やあゆの知る栞であり、ペルソナではなかった。

 あゆは自分の知る栞が異能力を行使する様を、初めて見ることになったのである。

 

 角度、タイミング、間合い。

 どれをとっても完璧な奇襲であり、みさきに避ける術は無いかに思われた。

 

 が。

 

「ど、どうして!?」

 

 みさきに向かって死の鎌を振り下ろした死神は、またしても音もなく眼前に現れた白銀の壁に触れ、消滅した。

 

「そ、そんなっ!」

 

 あゆの悲痛な叫びが響く。

 自分たちの切り札である『美坂家』の奥義、その奥義が通用しないと思ったからこその絶望の叫びだったのだが、それは事情を察した栞の次の一言で否定された。

 

「大丈夫です、あゆさん。あれは、違います」

 

 ひとまず胸をなでおろすあゆ。だが栞の表情は硬い。

 「奥義」には遠く及ばぬとはいえ『死神の鎌』が充分に強力な異能力であることは、他でもない栞自身が一番よく知っていた。

 

 

「あなたちには、ううん、誰であろうと絶対に私は倒せない」

 

 みさきの声に優越の響きはなく、ただ事実を事実として報告しているだけのように響く。

 

「ねえあゆちゃん、そして栞ちゃん。『イージス理論』って知ってる?」

「な、何を……」

 

 突然話題を変えたみさきに、栞は動揺の声を漏らす。だがあゆは先ほどの動揺から立ち直り、毅然とした態度で答えた。

 

「『最強の盾を持つ者は、絶対に倒されない』」

「そうだよ、よく知っていたね」

「つまり、その白銀の盾があなたにとっての『イージスの盾』ということなのですか?」

 

 みさきは栞の問いかけに、にっこりと笑顔で答えた。

 その笑顔はだが先ほどまでの優しそうな笑顔ではなく、確かに彼女がONE側近である証のそれであった。

 

「私は確かに攻撃の術を持たない。でもこの壁は何人にも破られない。この『絶対障壁』(イージスシールド)はその名の通り、絶対の防壁なんだよ」

 

 イージス理論。

 ギリシャ神話の女神アテナが持つとされる『イージスの盾』は、絶対に破られる事の無い万能の盾と言われている。

 戦いにおいて、勝利するための絶対条件は「相手を倒すこと」である。だが逆に、「敗北しないこと」の絶対条件は「相手に倒されないこと」なのだ。

 あゆの言葉通り、イージス理論とは『最強の盾を持つ者は絶対に敗北する事はない』という事実を表した理論である。

 

 みさきの異能力、『絶対障壁』(イージスシールド)は正にそのための異能力であった。

 原理としてはさほど難解なものではない。以前相沢祐一が『剣聖』との模擬戦において見せた、精神バリアの局地展開。それをより効率的に、そしてより硬度を保った状態で展開しているのだ。

 だが恐るべきは、障壁それ自体ではなかった。

 

「で、でもおかしいです。異能力である以上、自分の意識していない攻撃を防げるはずがありません!」

 

 栞の言葉通り、みさきの『絶対障壁』は硬度こそ桁違いではあるがその原理は精神バリアの局地展開である以上、自分の意識した個所にしか張ることはできない。

 それならばなぜ先ほどの栞の奇襲を防ぐ事ができたのであろうか。

 

「人は五感を駆使して物事を把握しているんだよ。目で見ている物の匂いを感じ、触感を確かめ、音を聞き、相手が人であれば話す事をする。だけど私にはその内の一つが欠けている」

 

 その言葉を体現するかのように、深紅に染まった瞳を閉じるみさき。

 

「だけど、人にはもう一つの感覚があるんだよ。六つ目の感覚、俗に第六感と呼ばれる感覚が」

「そ、それならさっきのは……」

「そう、私は人に見えるものが見えない代わりに、見えないものが見える、感じられないものが感じられる」

 

 深紅の瞳を開き、栞に顔を向けるみさき。

 

 みさきの持つもう一つの異能力、『絶対感覚』(イージスセンス)

 それは一種の『未来視』と言えるかもしれない。自分に向けられる敵意を事前に察知する異能力。それは身体に障害を持つに至ったみさきが、体得すべくして体得した異能力であるのかもしれなかった。

 『絶対障壁』と『絶対感覚』、この2つの異能力こそが、『熾天使』と『命喰い』という一騎当千の異能者を前にしても揺らがない、みさきの自信の源であったのだ。

 

「だから言ったでしょう、あなたたちに私は倒せないって」

 

 悔しそうに顔を歪めるあゆ。唇をかみ締める栞。

 その前に立ちはだかるみさきは、正に難攻不落の絶対防壁であった。


 

 

 

 

 相沢祐一も焦燥の中にあった。

 荒い息をつき、額には汗を浮かべている。

 対する折原浩平は、平静である。息を乱すどころか、初期の立ち位置より一歩たりとも移動してはいなかった。

 

「くそぉ!」

 

 叫び、そのまま間合いを詰める。右手に込めた紅の光を叩きつける。

 浩平の眼前の地面に向けて。

 

ガガァン!

 

 耳を割く爆音と共に、もうもうと土煙が上がり、視界を閉ざした。

 走り寄る速度はそのままに、やや間合いを広げて浩平の側面に回り込む。

 高めた紅光をフルパワーで開放、そのまま突き出した両腕より放出。

 

『深紅の黄昏』(クリムゾントワイライト)

 まともに食らえば、並の異能者であれば精神バリアごと消滅させるに足る威力を持った、『紅の』相沢祐一最大の異能力。

 避けられることはあったとしても、それを正面から防ぎきるような生物はこの世に存在しない。

 

 存在しないはずなのだ。

 

「それで、終わりか?」

 

 眼前の、この男を除いては。

 

 土煙が晴れると、そこには傷一つ負っていない浩平の姿。それどころかまたしても一歩も動いた形跡すらない。

 『永遠』の闇に葬られた紅光は、跡形も無かった。

 

「正直、驚いた」

「なに?」

「スピード、戦術、異能力、全てがワンランクレベルアップしている。よほど『剣聖』の教えが良かったのか、それともお前に才能があったのか」

「くっ……」

「だが」

 

 浩平の瞳が漆黒の輝きを放ったと思われた瞬間、黒い闇の残滓を残し、その姿が掻き消える。

 初めて浩平が攻勢に転じた。

 

「まだ、未熟」

「ぐあっ!」

 

 気配も無く、殺気すらもなく。

 突如として祐一の側面に現れた浩平は、その拳を祐一の腹に叩きこんだ。

 

「ぐっ、げほっ」

 

 咳込みながらも反撃の為に右足を振り上げる。異能力を込めた右足は微かに紅に輝いていた。

 だがそれを無造作に左腕を上げて受け止める浩平。漆黒を纏ったその左腕に触れると、紅の輝きは姿を消した。

 

「がはっ!」

 

 またしても浩平の拳が飛び、したたかに殴りつけられた祐一は2メートルあまりも吹き飛ばされる。

 

「どうした、もう終わりか祐一」

 

 切れた唇より滴る血を拭い、体を起こす祐一。

 

「はぁはぁ…… なぜだ、なぜ異能力を込めない。いたぶるつもりか」

 

 先ほどの殴打にしても、異能力を拳に込めて殴りつければ祐一は吹き飛ばされるだけでは済まなかったろう。

 ましてや折原浩平が繰るは『永遠の力』である。そのようなものが込められた拳で殴られれば、祐一は跡形も無くこの世界から消滅するだろう。

 

「お前ごときに『永遠』を使うまでもない」

 

 瞳に漆黒を宿したまま、冷然と言い放つ浩平。視線は氷刃のようであった。

 その言葉に切れた唇を噛み締める祐一。

 悔しいが実力の差は歴然であった。

 自分も『剣聖』に教えを請い、格段に実力を上げた。だがこの男の強さは底無しか。自分が力を上げた分、その差は更にはっきりと認識できた。

 今の自分では、どう逆立ちしてもこの男の足元にも及ばない。以前の戦闘より差は詰まったはずなのに、まるで勝てる気がしない。

 

ギリ……。

 

 唇を、噛み切るほどに、噛み締める。

 祐一は焦燥の中にあった。

 

 

 

 

 硬直状態。

 

 みさきの『絶対障壁』と『絶対感覚』は、その名の通り、絶対だった。

 あゆも、栞も、幾度も攻撃を仕掛けていたが、そのことごとくを弾かれる。

 対するみさきも、攻撃の手段を持たない。

 戦いは硬直状態だった。

 

 かに、見えた。

 

 あゆも、栞も、気付いてはいなかったのだ。

 攻撃にのみ傾倒することが、いかに危険かということに。

 

 動きは、突然だった。

 攻撃に気を取られ、守りが疎かになるあゆと栞。

 

 瞬間。

 

「澪ちゃん!」

 

 壁の展開に終始し、まったく動きを見せなかったみさき。彼女の突然の声。

 誰もが存在を失念していた澪。

 

『『精神派』(サイコウェイブ)!!』

 

 狙ったのは、栞。

 

「あっ!」

 

 一瞬にして消失する栞の精神バリア。

 羽織っていた上着の内より、銀に輝く銃を抜き放つみさき。

 

「銃!?」

 

 驚愕するあゆ。

 

「さよなら」

 

 氷のようなみさきの声。

 一歩も動けない栞。

 

「栞ちゃん!」

 

 叫ぶ事しかできないあゆ。

 

ガガガガガンッ!!

 

 耳を裂く轟音。

 閃くマズルフラッシュ。

 神速の5連射。

 

「栞っ!」

 

 眼前に、何者かの影。

 展開される、精神バリア。

 弾かれる、弾丸。

 硝煙立ち昇る銀色の銃を手に、見えない瞳を細めるみさき。

 

 全てが一瞬の出来事だった。

 

 

 止まっていた時が動き出したかのような錯覚の中、栞をかばった人影。信じられないものを見たような栞の声。

 

「お姉ちゃん……」

 

 栞の命を救ったのは、生死不明であったはずの『死神』美坂香里だった。

 

 

 

 

 

 

「俺に勝つつもりなら、出し惜しみなどしないことだ」

 

 『永遠の』折原浩平が、ぽつりとそう呟いたのは、睨み合いを続ける祐一が、そのプレッシャーに耐えかね激発する寸前のことだった。

 

「見せてみろよ、『剣聖』と『狂戦士』を圧倒したあの力を」

「なっ!」

 

 相変わらず氷刃の笑みを浮かべたまま、そう告げる浩平の言葉に、絶句する祐一。

 

『永遠の獣』(エターナルビースト)

『永遠の力』の最終形態。

 先の戦いで、二人がかりで向かった『剣聖』川澄舞と『狂戦士』七瀬留美を圧倒した、恐るべき異能力。

 確かにここまでの力の差を覆すには、あの力に頼る他はないかもしれない。

 だが祐一は躊躇する。

 自分が自分で無くなってしまうような恐怖。

 前回の戦いでは、祐一には戦いの記憶がぼんやりとしか残っていなかった。味方であり友誼を育んだはずの舞ですら、攻撃対象としてしまったのだ。

 にも関わらず、後になって思い出せるのは限りなく寒さを伴った暗闇と、獣と2人の少女たちが殺しあっている様をどこか他人事のように遠くから眺めている自分。

 もしも。

 もしもあの場に家族である名雪や真琴が居たとしても、何の躊躇いもなく襲いかかっていただろう。

 なんの躊躇いもなく殺していただろう。

 そう、確かに祐一は恐怖していたのだ。自分自身の持つ、その得体の知れぬ力に。大切な人たちを、自分自身の手で壊してしまうかもしれない力に、心の底から恐怖していたのだ。

 

「怖いか、その力が」

 

 まるで内面を見透かしたかのように、浩平は言葉を発する。

 

「自分が自分で無くなってしまうのは、怖いか」

「当たり前だ! あんな力なんて、俺は欲していたわけじゃない!」

 

 血を吐くような祐一の叫び。その叫びを聞いた浩平の漆黒の瞳に、一瞬、形容し難い感情が浮かんだように見えた。

 軽蔑ではなく。同情でもなく。尊敬でもなく。畏怖でもなく。

 だが、それは一瞬で消え、代わって壮絶な笑みが口元に浮かんだ。

 

「俺が今、『永遠の力』を使わない本当の理由を教えてやろうか」

「なに?」

「異能者が互いに呼び合うように、『永遠の力』は互いに強く引き合うのさ」

 

 浩平がそう言うと同時に、瞳の漆黒が更に深さを増す。

 全身が陽炎のように揺らめき、身体のそこかしこから漆黒の闇が漏れ出す。

 

「お前に行使する意思がないのなら、俺が引き出してやる」

「そ、それはどういう…… ぐっ!!」

 

 胸の内部にぽっかりと口を空けた漆黒の穴、そこから得体の知れないモノが這い出してくるような感触。

 おぞましさと、頭の内側をかきむしるような苦痛。

 

「ぐっ、がっ!」

「一つだけ教えてやる。『永遠の力』とは『永遠の世界』そのものなのさ」

 

 浩平の身体からは絶え間無く黒い闇が漏れ出し、その瞳は漆黒に輝く。

 苦痛とおぞましさに身悶える祐一からも、その闇は漏れ出していた。

 

「や、やめろ……」

「そしてその世界と盟約を結んだ者だけが、その力を行使できる」

「ぐガぁァ……」

「俺や、お前のようにな」

「ガ…… ガアァ……」

 

 既に祐一の体は半ば以上が漆黒に覆われ、瞳には漆黒の輝きが灯る。

 あの時感じた身も凍るような寒さ。そして漆黒。

 浩平の声など既にその耳には届いていなかった。

 意識を苛む狂暴な衝動。圧倒的だった。さながら嵐の海に一隻だけとり残された小船のように翻弄され、今にも沈んでしまいそうな祐一の意識。

 そこに、少女の声が響き渡った。

 

 

「祐一くん!」

 

 

 あゆ

 

 あゆの声

 

 約束

 

 遠い日に交わした、約束

 

 そう、それは盟約

 

 永遠の、盟約

 

 

 

 約束、だよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕留められなかった、か」

 

 さして残念にも思っていない様子でそう呟くと、みさきは手にした凶器を下ろす。

 

 ベレッタM92FSアイノックス。

 イタリア、ベレッタ社の9mmパラベラムオートマチック。

 全長217ミリ、重さ975グラム。平均的な成人女性にはやや手に余るサイズである。

 装弾数は15+1発。ダブルアクションやハンマーデコッキングなどの機構を備えた、軍用拳銃の代表格。

 大破壊前は米陸軍で正式のサイドアーム(制式拳銃)としても使用されていた、名銃である。

 みさきの持つそれは、1991年、素材の大部分に錆に強いステンレスを採用したモデルとして発表された物だ。

 銀に輝くアイノックスは、禍々しい威力を内に秘めながらもあくまで美しかった。

 

 

「お姉ちゃん…… どうして……?」

 

 呆然と呟く栞。

 彼女は当主である姉が反乱により生死不明の状態であったことを知らない。『美坂家』での反乱劇は、折原浩平襲撃と平行して行われたからだ。

 だが、昨夜ペルソナが祐一たちに語った計画を考えると、栞のこの驚きは当然といえる。

 

 しかし、真実はそうではなかったのだ。

 唇を噛み締める栞。

 

 昨夜ペルソナが話した反乱劇の全容は、一見すると完璧な計画に見える。事実、『熾天使』月宮あゆには完全に信じ込ませることに成功した。

 だが、この計画には一点、重大な落とし穴がある。

 『美坂家』現当主、美坂香里の存在である。

 いかに反乱勢力が頭数を揃えたとはいえ、武力衝突となれば単純により強い者が勝利する。

 そして、『死神』美坂香里は『美坂家』最強の異能者であるのだ。

 客観的に見て、この反乱は成功する見込みなどほとんどないに等しいだろう。

 『美坂家』に、美坂香里がいる限り。

 それほどまでに、『死神』の力は群を抜いていた。

 

 『紅の』相沢祐一は気付いていたのかもしれない。昨夜の晩、最後まで警戒するような視線を向けてきた事を考えても、恐らくそれは間違いないと思われた。

 栞自身、反乱が成功するなどとは思ってはいなかった。

 成功する必要は無かったのだ。

 

「あの手紙は、あなたにしては上出来だったわね、栞」

「……」

 

 反乱の首謀者であるはずの、『命喰い』美坂栞の手による密告状。

 常識で考えれば絶対にありえないはずのその行為と、反乱勃発という事実が、『死神』の選択肢を奪うはずだった。

 そう、栞の真の狙いは『死神』美坂香里を『美坂家』に留め置く、ただその一点にこそあったのだ。

 

「でもあいにくだったわね。私を相手にするには、あなたじゃまだ役者不足だわ」

 

 栞は俯き、「どうして……」と呟く。

 その問いは当然であったろう。美坂香里の行動もまた、常識では考えられない。

 

 反乱鎮圧の要となるはずの香里がここにいるのだ。恐らく完全とは行かないまでも反乱は成功し、恐らく今頃は『美坂家』は反乱者たちの手に落ちているだろう。

 香里には理由がないのだ。いまここにいる理由が。

 例え栞よりも彼女の方が謀略戦において勝っており、妹であり最大の敵対者であるはずの『命喰い』の考えを全て読んでいたとしても、だ。

 たとえ首謀者である『命喰い』を捕らえたとしても、その行為の結果本拠地を占拠されたのでは本末転倒であるのだから。

 

「どうして、あなたはここにいるんですか?」

 

 俯いていた顔を上げ、睨みつけるように、香里に向けて問い詰める栞。

 妹に問われた姉は、ほんの一瞬だけ寂しそうな表情を閃かせた。だがそれもすぐに消え、いつものような心を読ませぬ微笑が取って代わる。

 

「それは……」

 

 香里が何事か話しかけたその瞬間。

 

『精神波(サイコウェイブ)!』

「!」

 

 香里と、傍らに立つ栞をも巻き込んで、『沈黙の』上月澪が再度の異能力を放つ。

 

 まったく連携せずに行われたにも関わらず、続くみさきの行動にはまったくの停滞がなかった。

 

 銃を構える一連の動作……。

 その間に、“瞳”は倒すべきターゲットを補足し終えている。

 “位置”を“見て、確かめる”のではない。

 動く方向、スピード、すべを読み取り、そしてターゲットの“居場所”を“感じ取る”。

 後はただ、トリガーを引くだけ。

 “狙って、撃つ”を繰り返すのではない。

 一度に狙いを済ませて、一度に撃ち尽くす……。

 

ガガガガッ!

 

 銃声がまるで1発に聞こえるかのような、5連射。強烈なマズルフラッシュを発して銃口より放たれた弾丸は、2発が栞に、3発が香里に向かっていった。

 まさに凶弾が二人を打ち倒す寸前、光り輝くものが視界を覆い、そのあまりの眩さに立ち竦む栞。

 奇妙な静寂の後、恐る恐る目を開けた栞が見たものは自分たちを守るように展開された光の翼だった。

 

「二人とも、下がって!」

 

 そう叫ぶあゆの背の最上段、6対の翼のうち2枚が大きく伸びて二人を守ったのだ。

 

「栞、話は後よ! 今はこの状況を何とかすることだけを、生き残ることだけを考えなさい!」

「……はい」

 

「まずはあの子を何とかしないと!」

 

 驚異的な銃さばきとはいえ、みさきによる攻撃は所詮銃器によるものである。精神バリアさえ展開できれば異能者にとって銃器は脅威とはならないのだ。

 この連携攻撃の真に恐るべきは、守りの要である精神バリアを完全に無効とする『沈黙の』上月澪による『精神波』(サイコウェイブ)であった。

 

「ええい!」

 

 叫ぶと同時に、あゆの背に輝く翼がさらに光を増す。

 気合の声と共に、その光が幾束にも収束し、澪を襲った。

 それを避けるでもなく立つ澪の眼前に、白銀の輝きが音も無く出現し、光の束は一斉にあらぬ方向へと弾かれた。

 

「無駄だよ」

 

 冷厳と言い放つみさき。澪を守ったのは彼女の展開した壁であった。

 

「くっ……」

 

 あゆも一旦下がり、両者仕切り直しの形になる。

 澪の異能力を警戒し、攻め込むことができないあゆ、栞、香里。

 鉄壁の防壁を有すとはいえ、攻撃に決定打を欠くみさき、澪。

 

 

 

 膠着状態の最中、あゆの瞳は苦しむ祐一を捉えていた。

 背筋の凍るような瞳をした折原浩平の眼前で、相沢祐一は体をくの字に曲げて苦しんでいるように見えた。

 

「祐一くん!」

 

 思わず、叫んでいた。

 

 そして、その叫びに呼応するかのように。

 

 

 

 

 祐一の、闇が

 

 

 弾けた。

 

 

 

 

 

To Be Continued..