この世界は、綺麗だった。

 輝くような朝、降り注ぐ太陽の温もり、真っ赤な夕焼け、そして星群の輝き。

 この世界は、本当に綺麗だった。

 だけど、大破壊後の混乱期、私は世界を失った。

 あれほど綺麗だった世界を、私は二度と見ることができなくなった。

 私の瞳は、真っ黒な闇しか、映さなくなった。

 

 痛かった。

 辛かった。

 悲しかった。

 

 そして何より

 

 

 惨めだった。

 

 

 

 

 


異能者

<第十七章>

−必要なもの、必要でないもの−

2000/03/05 久慈光樹


 

 

 

 差し込む陽射しに、栞は目を覚ました。

 

 爽快な朝だった。

 昨日までは倦怠感が支配していた身体には活力が漲り、食物を全く受けつけなかった胃は栄養摂取のために空腹を訴えている。

 窓から差し込んだ暖かな陽射しが、心地よく健康的な身体を照らす。

 とても爽快な朝だった。

 だが、栞の表情は絶望に彩られていた。

 

「また…… 私は、また……」

 

 絶望に満ちた震える声が、暖かな陽射しに照らされて静寂の部屋に響く。

 声だけでなく、栞は全身で震えていた。

 もし祐一が今の栞を見たら首を傾げるかもしれない。

 蒼白と言ってもよいほど白かった肌は、血行の良さを表すように薄く色付き、昨日までの彼女に感じたようなどこかやつれた印象は微塵もない。

 健康そのもの。医者が診たらそう判断するに違いない。

 

「嫌…… もう、嫌」

 

 自重を支えかねるように膝がくだける。その場に座り込み、栞は涙を流しつづけた。

 

「どうして? どうして私だけこんな目に逢うの?」

 

 栞は、健康になった事を嘆いてるように見えた。

 

「こんな思いをするくらいだったらいっそ……」

 

「いっそ、死んでしまったらいいのに」

 

 

 

 

 宿代を手持ちから払い、栞は宿を後にした。

 自分では取った記憶のない宿。

 だが、その事については別段驚くに値しない。きっと自分が眠っている間に“あいつ”が目を覚ましたのだ。

 自分の中に巣食う、化け物が。

 

『化け物は私か』

 

 疲れ果てたような表情の、唇だけが自嘲するように歪む。

 健康な身体が、先ほどからしきりに空腹を訴えているが、無視した。とても食事をするような気分ではない。

 それに食事だったら昨晩とったではないか。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人の命という食物を、喰ったではないか。

 

 急激に嘔吐感がこみ上げ、手で口を覆う栞。

 

 

「美坂、栞さんだよね?」

 

 その声が掛けられたのは、ようやく嘔吐感が収まり、あてもなく歩き出そうとした時だった。

 反射的に振り返った栞の表情に驚愕の色が浮かび、次いで警戒がそれに取って代わる。

 

「あなたは、昨日の……」

「こんにちは、私は川名みさき。みさきさんって呼んでね」

 

 柔らかな笑みを浮かべるみさきとは対照的に、栞は警戒の姿勢を崩さない。

 ONEの異能者であり、折原浩平の側近である『心眼』川名みさきが自分になんの用だと言うのか。

 

「私に何かご用ですか?」

 

 そう問うてから、栞は目の前に立つみさきの瞳が、自分に向けられていないことに気がつき、その理由を思い出した。

 

 

 『心眼』川名みさき。

 生まれついてのものなのか、彼女の瞳は光を映さない。彼女の瞳に映るのはそれ以上のものであるのだ。

 彼女の繰る異能力『真なる瞳』(マナ・アイ)はこの世の全ての事象を見通す、正に真なる瞳なのである。

 戦闘向きではないものの、その異能力と戦略に関する能力はONEにとってもかけがえのない「瞳」であった。

 栞はそう認識していたし、その評価は全く正しかった。

 みさきの得意とするは戦略、それも謀略や策略に関するものだ。自然と栞の表情に浮かぶ警戒の色合いが濃くなる。

 

 だが、彼女の回答は意表を突くものだった。

 

「せっかくだから一緒に朝ご飯でも食べようかと思って」

「え?」

「あっ、栞ちゃんはもう朝ご飯食べちゃったかな?」

「い、いえ、まだですけど……」

「よかった、じゃあ丁度いいね。わたし美味しいお店見つけたんだよ、一緒に行こうよ」

「は、はぁ……」

 

 お嬢様然とした外見とは裏腹に、結構な強引さで誘うみさき。その勢いに呑まれた栞は思わず頷いてしまった。

 

「決まり! それじゃ早く行こうよ、私もうお腹ぺこぺこだよ」

「はぁ……」

「ほら早く早く」

「きゃっ! ちょ、ちょっとそんなに引っ張らないで下さい」

 

 

 

 

「ごちそうさま、朝はちょっと軽めにしておかないとね」

「か、軽め?」

 

 栞が絶句したのも当然で、みさきはご飯を大盛りで4杯もお代わりしたのである。おかずである鮭の塩焼きは3切れ、味噌汁も3杯、そのうえサラダまでボールに大盛り平らげた。

 朝とは別の理由から食欲を無くしてしまった栞である。

 

「い、いつもそれくらい食べるんですか?」

「うん、まぁこれくらいは普通だよ」

 

 普通だろうか? などと考えたが、口には出さず引きつった笑いを返す事しかできなかった。

 ONEの経済状況は大丈夫なのかしら? などと愚にもつかないことを考えていた栞に、先ほどまで幸せそうにご飯を平らげていたとは思えないほどに冷静な、みさきの声がかかる。

 

「悪いとは思ったのだけれど」

「え?」

「昨夜の出来事は全部見せてもらったよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、栞の顔色が変わったのをみさきは見逃さなかった。

 

「その様子だと、やっぱり知ってるんだね」

「……」

「別人格がとった行動は全て栞ちゃんも知っているんだね」

 

 それは質問ではなく確認だった。

 栞はそれには答えず、じっと俯いている。

 

「今日は昨日よりもだいぶ身体の調子がいいみたいだね」

 

 唐突に話を変えるみさき。だがその言葉を聞き、俯いたままの栞の顔色が更に変わる。

 

「心を読んだんですか?」

 

 そう問いかけた栞の声は、怒りとそして恐怖に震えていた。

 

「私は普通の人と違って色んなものが見えるけど、人の心を覗くことだけはしたことがないよ」

「だったらどうして」

「栞ちゃんはもうちょっと自分の置かれている立場ってものを把握した方がいいと思うよ」

「どういう、ことですか?」

「美坂家の次女はあなた自身が思っている以上に有名だってこと。『命喰い』美坂栞さん」

 

 もはや栞の顔色は蒼白だった。癖なのだろう、唇を噛み締めてじっと俯く。

 

「他者の生命力を吸収し、自らのそれを補う。『命喰い』とはよく付けたものだね」

 

 辛辣な内容とは裏腹に、みさきの声には嘲りや蔑みは感じられなかった。

 しかし同様に、慈しみや労わりもまた、感じられなかった。

 

「あなたなんかに……」

「そうやって、他人の命と引き換えに今まで生き長らえてたんだね」

「あなたなんかに、何がわかるんですか!」

 

 突然の大声に、店の客が何事かと一斉にこちらを見る。

 その中の何人かは、栞の顔を見て顔を背けた。

 栞は唇をかみ締めながら、その視線から身を隠すようにじっと俯く。

 

『疫病神が』

 

 吐き捨てるような小声が、聞こえた。

 

「出ようか」

 

 何事も無かったかのように、聞き様によっては冷たくも感じられるような声で、みさきはそう告げた。

 

 

 

 

 祭りで賑わう街。

 先ほどの辛辣な言葉がうそのように、みさきは道に出揃う出店を楽しそうに覗く。

 栞はただその後を俯きながらついていくだけ。

 

 どのくらい歩いただろうか、唐突に、本当に唐突にみさきは口を開いた。

 

「生まれたときにはね、見えたんだよ」

 

 光を映さぬその瞳を、出店に向けたまま、みさきは囁くような声でそう言った。

 

「あなたの瞳のことですか?」

 

 先ほどの辛辣な言葉への反感もあり、栞はわざと確認するようにそう問う。

 対するみさきは、相変わらず楽しそうに出店を見て周りながら、続ける。

 

「そう、私の瞳が光を映さなくなったのは、大破壊後の混乱期に事故に遭ったから」

 

 珍しい話ではなかった。

 それほどの混乱が大破壊後にはあったのだ。

 だが珍しい点もある。

 

「よく生き残れましたね」

 

 栞の言葉通り、大破壊後、身体に障害を持つ者の生存率は限りなくゼロに近かった。

 それまでの社会福祉制度の撤廃――と言うよりは消滅――、そして生き残った人々に余裕が無かったという点、原因は多々あったが大破壊とそれに続く混乱は、障害を持つ者にとって生きていくにはあまりにも過酷な世界だった。

 

「私には、この“力”があったからね」

 

 その答えに対し何か言いかけた栞を遮るように、みさきは語を接いだ。

 

「さっき、栞ちゃん言ってたね。『私の何がわかるんですか』って」

 

 栞は応えない。ただじっと唇を噛み、俯く。

 内心には反発があった。

 目の前のこの人は、確かに過酷な十字架を背負って生きている。でもだからといって私のことを理解できるとでも言いたいのだろうか?

 だが続くみさきの言葉は、またしても栞の意表を突いた。

 

「分かるわけないよ、だって私は栞ちゃんじゃないもの」

 

 そっけなくそう言い放つみさきに、真意を図りかねた栞はただ沈黙で答える。

 

「自分の力が嫌い?」

 

 またしても唐突なその言葉に、その言葉の内容に、知らず俯いていた顔を上げる栞。

 いつのまにかみさきは体ごと向き直り、その光を映さぬ瞳が栞を捕らえている。

 

「こんな力、無かったらよかったのに、って、そう思ってる?」

 

 栞は応えない。

 いや、応えられない。

 みさきの声は、熾火のごとく熱を持っていた。

 燃え盛る炎の熱ではなく、燻り続ける熾火の熱を。

 

「わ、私は……」

 

 言い淀む栞。そんな栞に追い討ちをかけるようにみさきは続けた。

 

「栞ちゃんが思っていること、当てて見せようか?」

「え?」

 

「『こんな力があるくらいなら、いっそ死んでしまったら良かったのに』」

 

ひぅ

 

 驚愕に、栞の喉が鳴る。

 みさきの言った言葉は、今朝の呟きそのものだった。

 

 そんな栞に、笑顔を浮かべながらみさきは言う。

 

「さっきも言ったけど、心を読んだわけじゃないよ」

 

 みさきのその言葉は真実だった。だが彼女には、栞が何を考えているかが容易に理解できるのだ。

 なぜなら、かつて彼女自身がそう思っていたのだから。

 

 そこで一端言葉を切り、栞を見つめるみさき。その顔には、相変わらず柔らかな笑みがあった。

 だがその光を映さぬ瞳は、まったく笑っていない。

 栞には、その瞳の奥にある熾火が更に熱を増したように感じられた。

 

「うふふ、どうしてわからないかな?」

「……何がですか?」

 

 栞がそう問い返すと、みさきの顔から一瞬にして笑みが消えた。

 

「その考えが、わたしや澪ちゃんに『生きる価値が無い』って言っているのと同じだと言う事が、どうしてわからないかな」

 

 その声音には、全く温度が感じられなかった。

 

「そ、そんなことはありません! 私はただ、自分自身のことを……」

「同じだよ」

 

 栞に最後まで言わせず、氷のような声でみさきは言う。

 

「異能力無しでは生きることができないあなた、暗闇に生きるしかない私、何も伝えることができない澪ちゃん。みんな、同じだよ」

「わ、私は、私は……」

 

 取り乱し、語を接げない栞を冷たく見据えながら、みさきは続けた。

 

「死にたいのならば、自分一人だけで死ねばいい」

「!!」

「だけど異能力を使って生き延びる、自分自身を蔑むことだけは許さない」

 

 もはやはっきりとその声音からは、憎しみが感じられた。

 

「美坂栞さん、私はね、あなたの事が……」

 

 

 

「大嫌いだよ」

 

 

 

 

 

 当主の権限により緊急で開いた会議は、荒れに荒れた。

 初代より続く中立の立場を放棄し、ONEに下る。

 それが当主である『死神』美坂香里が下した決断であった。だがその決断に、周囲が猛反対したのだ。

 

 当主とはいえ、皆が皆香里の権威に唯々諾々と従っているわけではない。

 いやむしろ先代である母の死を持って当主の座を引き継いだばかりの香里にとって、周りは敵ばかりと言ってよい状況であった。

 現在の会議に出席しているのは当主である香里を始め、全て美坂の名を持つ者たちである。

 だがいかに血筋により保たれてきた『美坂家』とはいえ、組織というものの性か、権力争いと無縁ではいられなかった。加えてこの場に集まった男たちは先代の補佐役だった者たちであり、その発言力は無下にはできない。

 しかし当主の座は美坂直系の女子に限られる。そのため香里が当主の座を追われるということはないのだ。

 

『いや、そうとは限らないか』

 

 自分の決定がいかに先祖英霊の意思に沿わぬものであるか、目の前で力説する壮年の男の声を聞きつつ、香里は心中で独白する。

 

 当主の座は美坂家直系の女子により継承される。

 それは何も長女である必要はないのだ。

 

『栞……』

 

 癖なのだろう、唇を噛み締める香里。

 

 昨晩訪れた栞のペルソナ。

 あの娘が何を考えているのかはわからない。

 だがあの娘は間違い無く、自分が『美坂家』存続を第一と考えていると思っているに違いない。それだけはわかった。

 だがそれは間違ってる。

 私は別に美坂家当主の座に何の魅力も感じていない。

 いや、それどころか『美坂家』自体になんの魅力も執着も感じてはいないのだ。

 『美坂家』に価値があるとすれば。

 それは自分と、そして妹が帰る家としての価値だ。

 

 香里は、すっと目を瞑る。

 その様子が傍から見れば己の過ちを悔いての行動に映ったのだろう、未だ発言を続ける男の顔が優越感に歪む。そして更に熱を持って話し始めた。

 だがそんなことは今の香里には関係のない話だった。

 

 私はこれからもこの『美坂家』を守ろう。

 だがそれは私と栞の帰るべき場所を守るだけの行為。

 権力など興味は無い。当主の座など興味は無い。

 だが自分達の帰るべき場所を守るためであれば、どんなことでもしよう。

 それが権力の行使という手段で果たされるのであれば、躊躇い無くそうしよう。

 私と、そして最愛の妹が帰るべき場所を、無くさせはしない。

 

 

「言いたいことは、それだけか」

 

 当主の声は、熱っぽく語っていた男の声帯を一時的に麻痺させるだけの威厳に満ちていた。

 

「あなた方はなにか心得違いをなさっているのではないか」

 

 肘を抱えるように両腕を体の前で組み、鋭い視線で居並ぶ男たちを射抜く。

 

「私はあなた方の承諾を得るためにお集まりいただいたのではない」

 

 居並ぶ男たちは、誰一人として真っ向からその視線を受けとめることができない。

 

「これは確認だ。我が『美坂家』は中立を破棄し、ONEに従う。当主である私が決定した」

 

 正に、格が違った。

 

「何か異論のある方はいらっしゃるか」

 

 そう締め括り、居並ぶ男たちを見渡す香里。

 異論は出なかった。

 会議は、終了した。

 

 当主の退室に、作法通り平伏する男たち。

 権力に囚われ、先を見通す能力にも欠けたその者たちを香里は哀れみを込めた視線で見やる。男たちは平伏しているため、その表情を見咎められる事はない。

 だが同時に、男たちの浮かべる怒りと苛立ちの表情もまた、香里はついに見ることはできなかったのである。

 

 

 

 

 祭の喧騒の中、川名みさきは足早に通りを走りぬける。

 その顔には、後悔と苛立ちがありありと浮かんでいた。

 

 あの後、蒼白になって立ち尽くす栞をその場に残し、みさきは一人、宿とは逆方向へと走った。

 

 自分はただ、栞を励ましたかっただけだったのだ。自棄になる栞を嗜めこそすれ、あそこまで言う気は無かった。

 自分の感情を、制御できなかった。

 

 みさきは、ONEにおける自分の立場というものを正確に把握している。

 自分はあの組織においては常に冷静な“瞳”でなくてはならないのだ。

 時に感情を殺し、冷徹に徹しなくてはならない時もある。ともすれば暴走しがちな側近たちの中にあって、自分だけは常に冷静な立場に居なくてはならない。

 参謀とはそういうものだ。

 

 だが今日、みさきは己の至らなさに目が眩むようであった。

 よりにもよって自軍に引き込むべき対象を、自分は面と向かって罵ったのだ。しかも個人的な感情に駆られて。

 対組織としてみた場合、自分の行動は害になりこそすれ、利にはならない。普段のみさきであれば絶対に犯さないであろう過ちを、犯してしまったのだ。

 

 しかし。

 

 許せなかった。

 どうしても許せなかったのだ、あの少女、美坂栞の考えが。

 

 

 

『チャイルド』椎名繭と初めて会った際、彼女はこう言った。

 

「おねーさん、目が見えないなんて、かわいそう」

 

 かわいそう。

 

 そのとき、みさきは危うく繭を殴りつけるところだった。

 だが幸い感情を制御する事ができ、「そんなことないよ」と笑顔で返す事ができた。

 

 そのとき隣にいた留美の視線も、みさきは嫌だった。

 言動こそ乱暴だが、七瀬留美は優しい娘だ。子供の、無垢な子供だからこそ言える、残酷な言葉に、みさきが傷ついたのではないかと気遣うような視線を送ってきた。

 

 嫌だった。

 自分を気遣うその視線が、どうしようもなく嫌だった。

 

 この混乱の時代において、そうして気遣ってくれる人たちに囲まれた自分はきっと幸せなのだろう。自分と同じく身体に障害を持つ者の大部分はそのような気遣いとは無縁の環境にいるか、既にこの世にはいないのだから。

 

 だが、嫌なのだ。

 

 特別に見られること

 同情の視線を向けられること

 

 奇異の視線や蔑みの視線に晒されることと同じように、いや、もしかするとそれ以上に、みさきは特別視されるのが、同情されるのが、嫌だった。

 

 それは、身のほど知らずの感情なのだろうか?

 身体に障害を持つということは、他人と違っているということは、特別視や同情されることが当然なことなのだろうか?

 

 

 だが、みさき自身、わかっていたのだ。

 

 本当に嫌なのは、自分自身なのだ、と。

 

 健常者とは違うという考えを一番強く持っているのが、他でもない自分自身だと言う事を、みさきは知っている。

 

 みさきは、そんな自分自身が一番嫌なのだ。

 

 

 

「大嫌いだよ」

 

 

 

 先ほど、美坂栞に言い放ったその言葉。

 それは、自分自身に向けて言ったも同じなのだ。

 美坂栞を見て、自らを貶める彼女を見て、あれほど感情を高ぶらせたのは、彼女の姿に自分自身を重ねたからに他ならない。

 彼女は、自分なのだ。

 私は鏡に向かって「あなたが嫌いだ」と言ったに過ぎないのだ。

 

 自分が一番嫌いなのは、他ならぬ自分自身なのだ。

 

 嫌だ。

 嫌いだ。

 大嫌いだ。

 

 繭も

 留美も

 栞も

 そして、自分自身も

 

 みんなみんな、大嫌いだ!

 

 

 

「おーい、みさきさん、どこ行くんだよ。そんなに走って」

 

 そのとき、唐突にかけられた声。

 立ち止まり、振り返る。

 

「浩平くん……」

 

 そこにいたのは、浩平だった。

 

「そんなに走ると、危ないぜ?」

 

 危ない。

 そう、盲目の自分が走ると危ないに違いない。

 普通に目が見える人とは違うのだから。

 

「……どうして私が走ると危ないの」

 

 みさきの声が、震える。

 明らかに普段とは異なるその様子に気付かないのか、それとも気付いていてあえてそうしているのか。

 続く浩平の言葉は、普段通りのものだった。

 

 

「みさきさんはこれで結構おっちょこちょいだからな。転ぶぜ?」

 

 

「……ひどいよ、浩平くんにだけは……言われたく…ない…よ……」

 

 ああ、ここにいるじゃないか。

 ありのままの川名みさきを見てくれる人が。

 ちゃんとここに、いるじゃないか。

 

 もうだめだった。

 みさきの光映さぬ瞳からは、次から次から雫が溢れ、語尾が震えて言葉が続かない。

 

「お、おい、どうしたんだよみさきさん、俺なんか悪いこと言ったか?」

「浩平くん!」

「わっ、お、おい、みさきさん」

 

 浩平の胸に飛び込み、そのまま泣き出すみさき。

 

 さっきのはウソだ。

 本当は繭も留美も、そして栞も、大好きだ。

 

 でもやっぱり自分は嫌い。大嫌い。

 

 そんな大嫌いな自分を、浩平くんは必要としてくれる。

 ありのままの私を、この人は見てくれる。

 

 この人の側に居たら、ひょっとしたら。

 ひょっとしたらいつか、私は私が好きになれるかもしれない。

 

 

 みさきは、浩平の胸で泣きつづけた。

 

 そんなみさきを困ったような顔で見て、ぼりぼりと頭を掻く浩平。

 周囲からの好奇の目を時折ギロリと視線で制しながら、浩平はいつまでも泣き止まないみさきを胸に抱いたまま、途方に暮れたように立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 夜半。

 灯りすらない一室に、一人の少女と、数人の男たちが集まっていた。

 

「それで、首尾は?」

 

 そう問う少女の声は、妖艶な響きを持っている。

 

「『美坂家』内部の約6割が、貴方様に忠誠を誓います」

 

 重々しくそう答える男の声は、どこか熱を帯びていた。他の男たちも賛同するように一斉に頷く。

 

「そう」

 

 だがそう返す少女の声は、どこか冷めたように響く。

 

「では決行は予定通り2日後の早朝でよろしいですね?」

「ええ、そうして頂戴」

 

 少女の承諾を合図に、男たちは一斉に部屋を出て行った。

 皆、無言だった。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

 後には、少女の妖艶な忍び笑い。

 

 そのとき、雲に隠れていた月が大地に灯りを投げかけ、窓際に立っていた少女を照らす。

 

 

 

 少女は、チェック柄のストールを羽織っていた。

 

 

 

 

 

 

To Be Continued..