「私は栞」
「『命喰い』美坂栞」
異能者
<第十六章>
−全てのものを、偽って−
2001/01/28 久慈光樹
「う、うそだ! だって栞ちゃんは嫌っていたもの、自分の力を、異能力を嫌っていたもの!」
目の前に立つ少女が、彼女自身言う通りまぎれもなく美坂栞本人であることを知りつつも、あゆは叫ばずにはいられなかった。
まるでゲームを楽しむかのようにごろつきどもを殺戮した栞。
その行動には一片の慈悲もなく、また躊躇いも感じられなかった。
むしろ嬉々として異能力を行使していたようにも思える。
「ペルソナ……」
あゆの耳に、祐一のどこか苦いものを感じさせる声が聞こえてきた。
「佐祐理さんと同じ、なのか?」
祐一は思い出す。
自らの偽善と欺瞞をあざ笑い、悔恨を復讐にすりかえて自らの心を偽っていた少女を。
優しく誰からも好かれる自分と、憎しみに染まった自分。2人の自分を己が内に内包した少女を。
栞も、彼女と同じなのだろうか。
「ペルソナ。確かユングだったわね」
妖艶な笑みを張りつかせて、栞は言う。
「なるほど、そうかもしれないわね。私はペルソナ、美坂栞のペルソナよ」
状況について行けないあゆは、ひとまず聞く事に専念したようだ。
祐一も今は栞に語らせるべきだと判断し、口を噤む。
「もう一人の私はこの力を憎んでいる。いいえ、違うわね、恐れているのよ」
月明かりに照らされ妖然と微笑む栞。その姿は見る者に畏怖さえ抱かせる。
「そして拒絶した。滑稽よね、この力も美坂栞という個を形成する要素の一つなのに」
もう一人の自分をあざ笑う栞。
祐一が以前出会ったもう一人のペルソナを持つ少女、倉田佐祐理は過去の悔恨が引き金となってもう一人の人格を己が内に形成した。
栞にとっての引き金は、自らの持つ異能力への畏怖と嫌悪だったのだろう。
ひょっとしたら栞は、恐れ、嫌悪しながらも心のどこかで異能力に対し憧憬の念を抱いていたのかもしれない。
今表面に出ている栞は、異能力を行使する事に一片の躊躇いも持っていない。
そしてそれは栞自身が心の奥底で望んでいた事ではないのか?
嫌悪と憧憬、この相反する2つの感情が、そのまま人格の分裂に繋がったのではないか?
祐一は自らのその仮説が真実を突いているように思われた。
『危険だな』
胸の内で思う。
この状態の栞は恐らく敵だと判断すればたとえ祐一やあゆが相手でも異能力を行使する事を躊躇わないだろう。
そしてそうなった場合、実質的な戦闘力はどうあれ、未だ自分の持つ力を行使する事に躊躇いのある自分やあゆでは勝てないかもしれない。
自らの行為に躊躇いを持たない人間の強さを、祐一は知っていた。
『永遠の』折原浩平。
彼の真なる強さは異能力にあらず、正にこの一点にこそあるのだ。
自分たちの正義を疑っていないのか、それとも他に理由があるのか、それは分からない。
だが彼は自らの為す行いに一片も躊躇いを持ってはいない。そしてそれこそが脅威なのだ。
以前は自分も分からなかった、強さとは異能力の強さと同義だと思っていた。
だが今は知っている。本当の強さとは、何なのかを。
でもだからこそ分かるのだ、今の栞が持つものは、真の強さではないと。
今の栞と、折原浩平とは違うのだ。
自らの行為に躊躇いを持たない、その一点では同じであるにも関わらず、この2人は違うのだ。
栞は、ただ逃げているだけに過ぎない。
あゆと同じだ。
そして自分と同じなのだ。
異能力という絶対的な力を恐れ、正面から向き合おうとしない。
ペルソナという他人格に全てを押しつけ、自分は逃げている。
栞もまた、自分たちと同じ弱い人間なのだ。
「栞ちゃんは、ボクたちが知っているあの栞ちゃんはどうなったの?」
あゆの言葉に、思考の淵に沈んでいた意識を引き戻す。
そうだ、自分たちの知る“あの栞”はどうなったのか。
「眠っているわ。現状に耳をふさぎ、目をふさいでね」
その栞の声にはまぎれもない嫌悪の響きがあった。
この栞も、もう一人の栞に対し祐一と同じような感慨を持っているのだろう。
祐一のそれとは意図するものが違うのであろうが。
「心配しなくても、朝になってあの子が目を覚ませば、私は消えるわ」
「そうなんだ、よかった……」
明らかに安堵のため息をつくあゆを揶揄するように、栞は言う。
「もっとも、完全に消えてなくなるわけじゃないけれどね」
「そ、そんな!」
「言ったでしょう、私も栞なのよ」
「で、でも栞ちゃんは……!」
「栞ちゃんは何? もっと優しい子でした?」
蔑むように鼻を鳴らし、栞は続ける。
「あなたはどうも勘違いしているみたいね」
「な、何を?」
「あなたの知っている“あの栞”も、ペルソナなのよ?」
「そ、そんなことない! だって栞ちゃんは……!」
「美坂栞という少女の、力を嫌悪する側面を持った片割れ。あの子も、そして私も美坂栞のペルソナ」
「あ、う……」
「そういうことか、お前も、そしてあの栞も、“美坂栞”の片割れなんだな」
「ふふ、その通り。飲み込みが早い人は好きよ、私」
妖然と微笑む栞。
「もう少しお話していたいけど、私は行くところがあるからこれで失礼するわ」
「どこへ行くつもりだ」
「あなたには関係の無い事よ」
一瞬、すっと目を細め、祐一を見る。
氷のような視線。
「それじゃあさようなら、月宮あゆさん、そして相沢祐一さん」
そう言い残し、街に向けて歩み去る栞を、祐一もあゆも、ただ見送る事しかできなかった。
異能力『真なる瞳』(マナ・アイ)を用いてその様子を監視していたみさきより、浩平は報告を聞き終えた。
「ふむ、そうか、ありがとうみさきさん」
「どういたしまして。でもあの子、見ている私もちょっと怖かったよ」
「美坂栞、か」
誰にともなく呟く浩平。
そんな浩平を見えない瞳で見つめるみさき。
既に澪は夢の彼方である。
「浩平くん、また何か私たちに隠し事してない?」
「え? いや、そんなこと無いぜ」
「浩平くん、相変わらず嘘が下手だね」
「……」
そう言って笑うと、浩平の顔があるであろう場所から視線を外すみさき。
「ねえ、私ってそんなに頼りないかな」
みさきの表情は悲痛だった。
光を映さぬその瞳には、悲しみの影がゆたっている。
「私じゃ…… ううん、私たちじゃ浩平くんの力になれないのかな」
「みさきさん……」
「全てを話してなんて言わないよ、でももう少し頼ってほしいな」
寂寥の感は拭うべくも無かったが、それでもみさきは微笑んだ。
「私たちは、浩平くんの役にたちたいんだよ」
「……」
「話して、くれるよね?」
「ふふふ、やっぱりみさきさんには敵わないな」
観念したように軽く両手を上げ、浩平は苦笑する。
みさきがその気になれば、浩平の真の目的も全て知る事ができる。彼女の異能力『真なる瞳』はこの世の事象全てを見通すことができるのだから。
だがあえてそれをせず、浩平の口から聞く事を選択したのだ。それだけ浩平を信頼しているということなのだろう。
浩平の様子を“観た”みさきは、今度こそ本当に微笑んだ。
そしてすぐに真剣な表情になり、問う。
「浩平くんがこれほど『美坂家』に執着する理由は何?」
その表情は、いつも優しいみさきではなく、ONEが誇る『心眼』川名みさきのそれであった。
ONEのメンバーで、最も戦略に長けているのはみさきである。側近筆頭である『狂戦士』七瀬留美でさえ、謀略政略を含めた純戦略面にかけてはみさきに一歩劣る。
事実、この『美坂家』懐柔の一件に際して浩平の行動に不自然さを感じたのはみさきだけであった。
『美坂家』を無用に刺激せず、また恫喝の意味合いも含めての側近による接触。
現在のところ最大の敵手であるKanonへの牽制の為にも、直接戦闘において指揮を取る『狂戦士』七瀬留美、『水魔』里村茜はONEを留守にするわけにはいかない。
となれば消去法で人選は限られてくる。
しかし『心眼』川名みさきと『沈黙の』上月澪では近接戦闘となった場合に若干の戦力不足となる可能性があり、それを補う意味も含めリーダーである『永遠の』折原浩平自身が赴く。
これが今回浩平が展開した理論である。
普通に考えればONEほどの集団のリーダーが直接動く事などありえない。だが元々風来坊の気のある浩平である。留美や茜はまたいつもの放浪癖が出たとして、浩平が動くことに反対はしてもその行為自体には疑問を抱かなかった。
だが、みさきは違った。
みさきはこの折原浩平という青年が今回動いたのが、単なる放浪癖からだとは思っていない。
彼は見た目と違い、甘い人物ではないのだ。趣味の為に戦略を疎かにするような愚かな真似をするとは思えなかった。
ということは今回浩平自身が動いたのはそれ相応の理由があったということになる。
みさきは、彼が自分自身で動くほどに『美坂家』に対し何らかの意義を見出しているのだと踏んだのである。
そしてそれは、完全に正しかった。
「流石はみさきさんだな」
そう言って笑う浩平の表情は、先ほどと同じであるようでいて微妙に異なっている。
普段は愚鈍を装っているが、これこそがONEリーダー『永遠の』折原浩平の真の顔なのだ。
「『美坂家』は絶対にONEに加える。どのような手段を使ってでもだ」
「それはなぜ? いかに死を司るとされる『美坂家』とは言っても、所詮は100名程度の小集団。ONEからすればとるに足らないと思うのだけど」
「味方にする事ができればそれにこしたことは無いけれどね」と付け加え、更に語を接ぐみさき。
「それに恫喝めいた手段で味方に引き入れたとして、面従腹背の危険は避けられないでしょう?」
「そうだな」
「その場合、旧組織のトップを更迭ないし抹殺して、組織全体をONEの一部として取り込んでしまうのが定石なのだけれど、『美坂家』の指導者は『死神』美坂香里だよ。彼女を抹殺するのは容易ではないし、人的資源から考えても得策ではないと思うのだけれど」
組織の末端の者にとって、トップが変わることなどさほど問題ではないのだ。
その点、大破壊前の会社組織と似ているかもしれない。会社の経営陣が代わり、社名が変わったとしても実際に働く社員たちにとってはさほど意味がない、会社としての経営理念など一介の社員にとっては雲の上の話なのだから。彼らにとって重要なのは日々の暮らしであって労働に対する正当な報酬である。新しい上層部が前よりもよい給料や労働環境を整えてやれば、末端の社員たちは喜んでその意に従うだろう。
ある組織を取りこむ場合、みさきの言葉通り旧組織のトップを更迭ないし抹殺して組織に取り込んでしまうのは、戦略上における定石であった。
だがそれはあくまで通常の組織での話だ。
元々『美坂家』は美坂の名を継ぐ者によって保たれてきた集団だ、その美坂家の人間を抹殺するのでは、ONEにからすれば『美坂家』を組織に加える意味がなくなってしまう。
「まさか美坂香里が心から私たちに協力してくれるとは思ってないんでしょう?」
「ああ、今日会った限りではあの女性は相当な難物だよ、一筋縄ではいかない相手だろうな」
「では、どうするの?」
浩平は、みさきのその問いに対し、口の端を僅かに吊り上げて、笑った。
眼光は刺し貫くように鋭く、みさきでさえともすれば圧倒されてしまいそうになる。
「逆だよ」
「え?」
「俺が取り込みたい、味方として引き入れたいのは美坂の名を継ぐ者であって、『美坂家』それ自体じゃない」
「ではなぜ『美坂家』を……」
そう言いかけたみさきだったが、唐突に何かに気付いたように呟いた。
「そうか、そういうことなんだね、浩平くん」
「分かったか?」
「『美坂家』を構成する100有余名、それ自体を美坂香里に対する人質にしようということなのでしょう?」
「ご名答」
みさきは改めてこの折原浩平という男の恐ろしさを知る。
浩平はみさきに、発想の転換を強いたのだ。
浩平の目的が美坂香里を始めとする美坂家に連なる者の懐柔にあるのなら、なにも『美坂家』の構成要員は味方に加える必要はなくなる。力あるもの個人を引き抜けばいいだけの話なのだ。
だがそれではみさきが危惧していた通り、面従腹背され土壇場で裏切られる可能性が出てくる。なまじ力が強い者たちであれば、もしそうなった場合の危険性は無視できない。
裏切る危険があるのであれば、そうできない状況を作り出してしまえばいい。浩平はそう考えたのだ。
「でも美坂香里が部下の命を何とも思わない人間だったらどうするの?」
「先ほども言った通り、『美坂家』は美坂の名を継ぐ一族によって保たれてきた集団だ。それは血縁関係が強いことを意味する」
「血族を見殺しにする事はしない、と?」
「人は最後は感情で動く生き物だ、美坂香里が血族を平然と見殺しにできる人物だったとしても、美坂の名を継ぐ者全てがそうとは限らない」
「でも、全てがそうじゃないとも限らないんじゃない?」
みさきは執拗に浩平の論理の穴を突く。
戦略を構築するにあたり、「だろう」は禁物なのだ。常に最悪の状況について考慮し、その対策を用意しておかねば勝利する確立はその分下がる。見込みで戦略を構築するなど、愚の骨頂であった。
「美坂家当主、『死神』美坂香里には妹がいる」
「え?」
「彼女は『命喰い』と呼ばれ、相当の異能者だということだ。その実力はさっきみさきさんに“観て”もらった通り。だが現在は『美坂家』を離れている」
「妹、か」
「ああ、そして『死神』はこの妹を誰よりも大切に考えているらしい」
いつの間に調べたのか、既に浩平は『美坂家』の内情をほぼ把握していた。
「ではその妹を盾に、服従を強いる、と?」
「逆もありうるだろうな、もし美坂香里が妹を切り捨てONEに反するつもりであれば、この『命喰い』を新しい美坂家当主に据え、『死神』に当たらせればいい。一度傘下に取りこんでしまえば、俺たちにはそれを強いる名目ができる」
「なるほど……」
姉妹の情を当てにしているだけではないのだ。
辛辣な策謀であった。浩平の思い通りに状況が展開すれば、『美坂家』は名実共にONEの軍門に下るだろう。
みさきとてこの辛辣な策謀に抵抗がないわけではない。
だが彼女はその気になれば私情を切り捨てて策謀を用いる事ができた。この辺が澪や茜が戦略面でみさきに及ばない所以である。
戦略、特に策謀に属する部分は綺麗事ばかりではないのだ。時には私情を切り捨て、個を殺し群を生かす道を選択しなければならない時もある。それができない者は結局個も群も殺すことになるのだ。
「具体的な方法は分かったよ、じゃあ最初の質問に戻るんだけど、浩平くんがこれほど『美坂家』に執着する理由は何?」
確かに『死神』美坂香里の実力は無視できないものがある。
だがどんな手段を用いてでもONEに引き入れるほどのものであるのか。
ベストとはいえないだろうが、敵に回るくらいであれば抹殺しまうのが一番手っ取り早いのだ。
それをわざわざ策謀を用いてまで味方につけようというのだ、何か別の狙いが浩平にはあるのではないか。
みさきの問いを受けて、浩平は表情を消した。
そして、静かに告げる。
「『美坂家』には初代より伝わる異能力の奥義が存在する、それが俺の真の狙いさ」
「何者だ!」
鋭い誰何の声が部屋に響いた。
「ふふふ、流石は『死神』美坂香里ね、気配は完全に消したつもりだったのだけれど」
「栞……」
「あら、まだ私の顔を覚えていたのね」
香里は、私室への侵入者が栞だと知って一瞬息を呑んだ。
だがすぐにそれがいつもの栞ではない事に気付く。
「ペルソナ、か」
香里が栞のペルソナと直接対話するのは、これが初めてではなかった。
「何をしに来た」
「あら、随分とご挨拶ね。実の妹に向かって」
硬い声で返す香里をあざ笑うように、栞。
「ONEの折原浩平が来たでしょう。恐らくは服従を強いに。違って?」
「……」
香里は答えない。
だがその沈黙こそが、答えだった。
「あの男の狙いは美坂家それ自体ではないのでしょう?」
栞のその言葉に、初めて香里は反応した。
「その通りよ」
「そう、やっぱり。で、どうするの?」
「どうする、とは」
「アレを、渡すの? 渡さないの?」
あくまで表面上は平静を保っていた香里だったが、栞のその問いに、初めて苦渋の色を浮かべる。
「渡せるわけがないでしょう。だってアレは……」
「そうよね、アレこそは『美坂家』の存在意義そのものであり、全てなのだから」
そして、あなたにとってもね。
栞のその心中の呟きは、口に出される事はなかった。
「異能力の奥義?」
みさきの問いかけはやや疑念の色を帯びていた。
それを見て取った浩平は苦笑を浮かべる。
「まぁ奥義って言い方にも胡散臭いものがあるけどな」
「ようはそれほど強力な異能力ってこと?」
「ああ。『美坂家』が“死を司る”存在とされているのは、その異能力が故らしい」
「それほどの……」
個人の戦力が全体の勝敗にまで影響を及ぼす異能者同士の戦いにおいて、それほどの異能力は無視できないものになるだろう。
「恐らくそれを行使できるのは当主である『死神』美坂香里ただ一人」
「だからこそ、彼女をONEに引き込みたいんだね」
「ああ」
「うまくいくかな?」
みさきの問いに、浩平は頷く。
「『死神』は先の展開を見通すことができる人物だ。現在の状況を考慮すれば、恐らく出す結論は一つ……」
「で、どうするつもり」
そう問う栞の口調は、完全な傍観者のそれであった。
第三者として状況を楽しんですらいるような響きが感じられる。
「……『美坂家』はONEに下るわ」
「中立を放棄するということ?」
大破壊前もいくつもの戦乱を経験した『美坂家』だが、栞の言葉通り初代以来一貫して中立の立場を貫いてきた。
現当主の香里は、その立場を自分の代で終わらせるという。
だが香里の表情には迷いの色は無かった。少なくとも表面上は。
「現状を見ればそれも仕方のないことよ。私の代で『美坂家』を途絶えさせるわけにはいかないわ」
「そう、わかった。それだけ聞きたかったの」
それだけ言って栞は身を翻す。
「それじゃあさようなら」
「待ちなさい」
立ち去りかけた栞を、呼びとめる香里。
栞は足を止め、「何?」とだけ返した。振り返ることなく。
「栞を、開放しなさい」
香里の声には、憎しみと焦燥が混在していた。
「さっき言っていた『死神』の妹、確か『命喰い』美坂栞ちゃんだっけ? 彼女もよくわからない子だよね」
一応の回答を提示され、気が抜けたのだろう。みさきは雑談交じりにそう浩平に話しかけた。
浩平も普段そうしているような軽い口調になって返す。
「そうだなぁ、確かによくわからんなぁ」
「ふふっ、浩平くんでもわからない事があるんだね」
「おいおい、俺は神様じゃないんだからさ。だいたいみさきさんにわからないのに俺にわかるわけないだろ?」
「ふふ、そうだね」
「みさきさんこそさっき使った異能力でわからなかったのか? あの娘が何を考えているか」
浩平の言う通り、みさきの異能力をもってすれば造作もないことだろう。
だがみさきは少し悲しそうな様子で首を振った。
「人の心を覗くことはしたくないんだよ」
「……わりぃ」
「ううん、気にしないで。でもさっきちょっとだけわかったんだよ」
「何が?」
「あの子、色々なことを偽っている」
「他人を騙しているってことか?」
「うーん、それもあるんだけど、何より……」
「自分自身を、偽っているように見えた」
「栞を、開放しなさい」
その言葉を聞き、唇の端を吊り上げる栞。
「そんなに心配しなくても、朝になればあの子は目を覚ますわよ。そんなこと、とっくに知っているでしょう?」
「私は“本当の”栞に会いたいの。仮面に、用は無いわ」
「……」
「もう一人のペルソナに、用は無いわ」
「……ふふふ、流石によく分かっているみたいね」
相変わらず振り返ることなく、低い声で笑う栞。
「当たり前でしょう、私はあの子の姉なのだから」
その背中を睨みつけるように、香里。
香里のその言葉を聞いた栞の背が、小さく震えたように見えた。
背を向けて立つ栞の瞳に、形容しがたい色が浮かぶ。
それは、憎悪と、嫉妬と、寂寥と、憧憬と。
だがそれは、一瞬で消えた。
「別に私たちが捕らえているわけじゃないわ」
その声は、先ほどまでと何ら変わらぬものであった。
「“あの子”はただ、逃げているだけ。全てを“私たち”に押し付け、耳をふさぎ、目を閉じて、逃げているだけ」
「……」
「今度伝えておくわ、『お姉ちゃんが心配していた』って」
嘲るようにそう言い残し、栞は部屋を出ていった。
後に残された香里は、俯いてただじっと立ち尽くしていた。
唇を噛みしめながら。
だが、歩み去る栞もその唇を強く噛み締めている事に、香里はついに気付く事はなかった。