異能者

<第十二章>

−剣なき戦い−

2000/10/22 久慈光樹


 

 

 

 

「茜、折原見なかった?」

 

 里村茜が七瀬留美に呼びとめられたのは、昼食を終えて自室へ向かう途中の廊下だった。

 

「留美さん、もう傷の方はいいのですか?」

 

 留美が『紅の』相沢祐一との戦いで負傷したのは、1週間前の事である。

 

「ああ、大丈夫大丈夫、瑞佳のおかげでもうすっかりいいわ」

 

 

 

 

 異形と化した祐一との激闘後、不覚にもその場で気を失ってしまった留美であったが、気付いたときには傍らに端佳と浩平がいた。

 『母なる』長森瑞佳、その異能力である『幼き絆』(インファントコネクション)は対象となる者が負った外傷を全て治癒する。

 対象の外傷に比例して、術者である瑞佳の疲労度が増すという欠点があるものの、治癒系の異能力は貴重であった。

 

 留美だけでなく、敵である『剣聖』川澄舞や『自己無き』倉田佐祐理、更には『紅の』相沢祐一までもその癒しの対象となっていた。

 

「どうして?」

 

 留美の問いは瑞佳に対してであった。

 だが、その問いに対する応えは浩平の口からだった。

 

「俺がそうしろって言ったんだ、敵とはいえ、ひどい怪我だったからな」

 

 普段通りの軽い口調。

 留美はそれを聞いて、軽くため息をつく。

 

「あっそ、まあいいわ」

 

 瑞佳の繰る癒しの異能力とて万能ではなく、外傷は塞がるがそれによる体力の低下と疲労は取り除く事ができない。

 比較的外傷が少なく、自らの異能力で昏倒しただけである留美と違い、ひどく外傷を負っていた舞、佐祐理、祐一の3人は未だ目を覚ます気配はなかった。

 留美はそのうちの一人、『剣聖』川澄舞に視線を向け、そのままじっと見つめる。

 

「どうした七瀬、ひょっとして惚れたか?」

「そんなわけあるかっ!」

 

 茶々を入れる浩平に怒鳴りつけ、そして独り言のように呟く。

 

「こいつとはいつか決着をつけるわ、必ず」

「そうだなぁ、そうするがいいさ。 じゃあそろそろ帰るか。 おい、長森、帰るぞ!」

 

 こうして3人は浩平の『永遠の力』を借りた遠距離移動により、本拠地へ帰還したのである。

 

 

 

 

 

「で、茜、折原見なかった?」

「いいえ、見ていません」

「まーったく、どこほっつき歩いてんのよ、あいつは」

「留美さん」

「ん? なーに?」

「浩平に何か用事でも?」

「ああ、別に用事って訳じゃないんだけどね」

 

 留美のその応えを聞いて、茜はくすりと笑みを漏らした。

 

「留美さんは相変わらず嘘が下手です」

 

 そう言った後、浮かべた笑みを消して真剣な表情で続ける。

 

「聞きたかったのは、『紅の』相沢祐一に関して。彼の操った『永遠』に関して。 違いますか?」

「茜、あなた何か知っているのね?」

 

 留美はもう笑っていなかった。

 

 相沢祐一の変貌。

 『永遠』の覚醒と暴走。

 『永遠の獣』(エターナルビースト)

 

 留美は目撃した一連の事実を、誰にも語っていなかった。

 浩平にさえも。

 浩平も何も聞かなかった。聞かずとも分かっていたのだろう、留美はそう考えていた。

 同じく『永遠』の力を操る浩平だ、何かしら感じたのかもしれないと、そう考えていた。

 だが、茜がそれを口にしたのはなぜか。

 浩平が話したという可能性はないだろう。直感だったが、留美は確信していた。あの男は自分の考えを容易に他人には漏らさない。

 ではなぜ知っているのか。

 

「何を、知っているの?」

 

 再度問う。

 ずっと無言だった茜が、ゆっくりと口を開いた。

 

「獣と化した相沢祐一。彼はどうなりました?」

「私と『剣聖』で何とか押さえたわ、獣化は解けていたけど、意識は無かったみたいね」

「そうですか、彼は“呑まれ”なかったのですね」

「のまれる?」

「『永遠の世界』に、呑み込まれなかったのですね」

「……どういうこと」

「『永遠の力』は、諸刃の剣だということです。その圧倒的な力は、いずれは術者すらをも呑み込んでしまう」

「! そ、そんな……」

 

 留美は、自分の声が乾いてひび割れていることを自覚する。

 “呑まれる”と茜は言った。

 『永遠の力』。その力を用いる人物が、自分の身近に居るではないか。

 

 『永遠の』折原浩平。

 

「……『永遠』って、何なの?」

「私にも、分かりません。ですが、あの力は危険です」

 

 唇を噛み締める留美。

 絶大なる力を持つ『永遠』、だがそれは諸刃の剣だと茜は言う。

 いずれは術者自身をも呑み込んでしまう、と。

 そしてその諸刃の剣を振るい続ける浩平。

 彼を失えば、ONEはあまりにもあっけなく瓦解するだろう。そしてそれ以上に、留美自身が彼を失うことになるのだ。

 留美は、自分がそれに耐えられるとは思えなかった。

 

「留美さん、私がなぜ正直に話したか分かりますか?」

「……いいえ」

 

 茜は、顔を強張らせる留美にその理由を説明する。やわらかな笑みを浮かべながら。

 

「あなたも、私と同じだと思ったからです」

「え?」

「あなたも、そして私も、彼を、浩平を失うことに耐えられないと思うから。彼をかけがえのない者として想ってしまっているから」

「そ、そんなこと……」

 

 慌てて否定しようとする留美だったが、赤くなってしまう頬は隠しようがない。

 そんな彼女をみて、くすりと笑った茜は一転して真剣な表情になって言った。

 

「きっと私たちだけじゃなく、川名さんも、澪さんも、そして瑞佳さんも、彼を想ってる。だからこそ私たちはあの人を助けることができる」

「私たちが、助ける……」

「彼が『永遠の世界』に呑まれないように、護ることができる」

「ええ、そうよね。 きっと…… いいえ、絶対にそうよ!」

「はい、絶対に」

 

 『永遠の世界』とは何か。

 呑まれるとはどういうことか。

 そして、呑まれるとどうなってしまうのか。

 分からない事だらけだったが、それでも留美は、茜は決意する。

 大切に想う人を、絶対に護ると。

 それは、誓いだった。

 

 

 

 

 『剣聖』川澄舞と『自己無き』倉田佐祐理がKanonの本部に到着したのは、彼女たちが祐一と別れてから6日後のことだった。

 

「よくいらして下さいました。歓迎しますわ」

「佐祐理たちの力でよければ、いくらでもお貸しします。ね、舞?」

「(こくり)」

「それではまずは自己紹介ですね、私は水瀬秋子。一応Kanonのリーダーということになっています」

 

 『静かなる』水瀬秋子の名は、舞も佐祐理も聞いた事があった。なかなか食えない人物とのことだが、こうして見ると人のいいお母さんといった印象である。

 

「私の娘、名雪です」

「水瀬名雪です。よろしくお願いしますね」

 

 どこか秋子に似た笑みを湛える少女。

 舞の視線が若干興味の色を帯びたが、初対面の名雪は気付かなかったようだ。

 

「それから…… ほら、真琴、きちんとご挨拶なさい」

 

 そう言って自分の陰に隠れる少女を優しくたしなめる。

 どこかまだ幼さを感じさせるその少女は、人見知りするのだろう、舞たちにちょこんと頭を下げると、再び秋子の背に隠れてしまった。

 

「あらあら、ごめんなさい。この子ちょっぴり人見知りするのよ。この子は沢渡真琴です」

「あははーっ、よろしくね、真琴ちゃん」

「あ、あうー…… よろしく……」 

「あははーっ」

 

「私は川澄舞」

「倉田佐祐理です。これからご厄介になります」

 

 両者ともに自己紹介を終えると、名雪に向かって舞が唐突に声をかける。

 

「祐一は元気にしている」

「えっ!?」

「あぅ」

 

 突然のその言葉に、発言の意図を掴みかねたかのように驚きの声をあげる名雪。

 真琴も祐一の名を聞いて、興味を引かれたようだ。

 

「祐一さんから伝言を頼まれたんですよ、「俺は元気だって伝えてくれ」って」

「そうですか……」

 

 8割の安堵と、2割の不安をないまぜにしたような、そんな一言では形容しがたい感情を瞳にたたえて、名雪はそっと息をついた。

 その様子を観察するように興味深く見る舞。

 

「あうー、祐一は?」

「『美坂家』に向かいました」

「まだ帰ってこないんだ……」

「大丈夫よ、真琴。祐一さんはきっとすぐに帰ってくるわ」

「うん!」

 

 秋子の励ますような言葉に、元気良くうなずく真琴。

 その返事を微笑みながら聞いた秋子は、話題を変えるように少し大きな声で宣言した。

 

「それでは、早速で申し訳ないのだけれど、これから作戦会議を行います。舞さんと佐祐理さんも同席してください」

「はい、わかりました」

「(こくり)」

 

 秋子、名雪、真琴という組織のトップが行う作戦会議に同席するということは、実質的に舞たちを組織の重鎮として認めることに他ならない。

 舞も佐祐理も自らの選択が誤りではなかった事を知った。

 

「現在、我がKanonは規模を拡張しています」

 

 秋子が口火を切る。

 彼女の言葉通り、Kanonはその規模を大幅に拡張していた。

 元々50名に満たない小組織であったが、折原浩平の側近たる女性とその直轄である異能者狩り部隊を退けたとして、その下に終結する反ONE組織が後を立たない。事実的には折原浩平が引いただけであるのだが、そのあたりは噂という物の曖昧さだ。

 KanonとしてもONEとの戦力差を埋めるため、その噂をあえて否定せず、むしろ最大限に活用し積極的に組織の拡張に乗り出していた。

 

「現在の人員は約300名、およそ初期の6倍です。ですが数が拡張した分、指揮系統が完全には統一されていないのが弱みですね」

「なるほど、それは問題ですねー」

「そこで舞さんと佐祐理さんには、実戦部隊の総指揮をとっていただきます」

 

 『剣聖』川澄舞の名声と実力を考慮した場合、それがベストといえた。更に人付き合いが苦手な彼女のサポートとして佐祐理を当てることで、部隊の強化と同時に指揮系統の一本化を謀るつもりであるのだろう。

 

「了解した」

「分かりました」

「ではそちらはお任せします」

 

 舞と佐祐理の返事にうなずく秋子。

 

「現在、ONEとKanonの戦力差は3対1、まだまだ数的に勝負にならような状況です」

「なるほど」

「したがって名雪には引き続き、私の全権委任大使として未だ旗色を決めかねている組織に対し、勧誘にまわって欲しいの」

「うん、わかったよ」

 

 旗色を決めかねている、といえば聞こえはいいが、事実上は半中立の立場を維持しつつあわよくば漁夫の利を得ようと画策している組織が大半であった。

 

「それは危険」

 

 舞の言葉通り、名雪の行っている任務は危険が伴う。

 表面上は勧誘の為の大使である以上、必要以上の武装はできない。名雪の他に随員が1名つくのがせいぜいだった。

 

「大丈夫ですよ、わたしは」

 

 分かっているのかいないのか、名雪の言葉は軽いものであった。

 

「しかし……」

「そうね、確かに危険かもしれません」

 

 頬に右手を当て、言葉と裏腹に全く危機感を感じさせない口調で言う秋子に、僅かに眉を顰める舞。

 

「次にまわってもらおうと思っている組織は、約100名の構成員を持つ今まででもっとも大きい組織です。しかもリーダーの男性は狡猾だと評判だから、少し心配ね」

「はぁ」

 

 まるで「晩御飯が足りるかしら」とでも言うような軽い口調に、佐祐理も少々呆れ顔である。

 

「分かった、随員として私が同行する」

「あら、舞さん、いいんですか?」

「構わない」

「『剣聖』に随員してもらえれば、名雪も安心でしょう」

 

 すかさずそう決めた秋子を見て、舞は先ほどとは違う意味で眉を顰めた。

 恐らく秋子は最初から舞を同行させるつもりだったのだ。だが、リーダーである自分の言によって強制するのではなく、舞自身の口から言わせるように誘導したのだろう。

 それにより、名雪を守るという責任が発生する。自分で言い出した事だ、責任感の強い舞は全力をもってその任にあたるだろう。

 Kanonリーダー『静かなる』水瀬秋子は噂以上に食えない人物のようだ。

 舞はその認識を新たにするのだった。

 

「じゃあ舞さん、ご一緒させてもらいますね」

 

 相変わらず分かっているのか疑問な様子の名雪を見て、心中でため息をつく舞だった。

 

 

 

 名雪と随行した舞がその組織に着いたのは、翌日だった。

 客間に案内される。

 表面上は客人として遇されてはいるものの、案内される道中も監視と武装した一団に包囲されていることを舞は見抜いていた。どうやら自分たちはあまり歓迎されていないらしい。

 

「よくおいで下さいました。私がこの組織のリーダーを勤めております……」

 

 リーダーの男は多弁であった。

 自己紹介に始まり、自分がいかにこの戦いに対し協力を惜しまないか、果てはKanonに対するおべんちゃらまで、聞いている方がうんざりするくらいまくし立てる。

 それに笑顔で応対する名雪。舞は早々に嫌気が差し、ずっと沈黙を守っていた。

 男の話が一段落ついたところで、名雪が用件を切り出す。

 

「今日お伺いしましたのは、貴組織にご協力をお願いするためです」

 

 その言葉を聞き、男は両眼をすっと細める。爬虫類めいた視線であった。

 

「ほう、それはそれは」

 

 名雪はその視線に気付いた風もなく話を進める。

 

「このままONEの専横を許しては、我々に未来はありませんわ。いかがでしょう、ご協力いただけますでしょうか」

「ふむ……」

 

 男は、相変わらず爬虫類めいた視線で、名雪の全身を値踏みするように嘗め回す。

 隣席した舞のほうが鳥肌が立つような嫌悪を感じた。

 

「“我々”と仰ったが、それは“Kanonが”の間違いでしょう」

「と、申されますと?」

「“我々”には、もう一つの選択肢もある、ということですよ」

 

 つまりはONEに協力するという選択肢もありえるぞ、と言いたいのだ。

 

「……」

「確かにONEの目に余る専横は許しがたいものがある。だが実際問題ONEは強大だ。あなたがたは本気であの『永遠の』折原浩平とその側近たちに勝つおつもりなのかな?」

「無論です」

「だが、現在のところ戦力差はいかんともしがたいのではありませんかな?」

「ですので貴組織のお力を……」

「もしそうなった場合、我らにとって利はあるのでしょうな?」

 

 結局本音はそれか。

 舞は眼前の男を見、苦々しくそう思う。

 リーダーであるこの男にしても、ONEに下る気など毛頭無いに違いないのだ。なぜなら戦力に差がありすぎる。ONEとしては実力行使もありえるのだ、例えONEに下ったとしても吸収されてしまうに違いない。

 そしてその際は旧組織のトップなど邪魔になりこそすれ利にはならない。恐らくは粛清されるであろう。

 しかしKanonに対してはそこまでの戦力差は無い。争いになればKanon側にも無視できない被害が生じるであろう。

 それを見越し、Kanonの傘下に入るにしても少しでも自分たちの、いや、自分の立場を優位に持っていこうとする魂胆が明白であった。

 

「具体的に、どう言った条件をお望みですか?」

 

 舞は名雪のその言葉を信じられない気持ちで聞く。

 ここでこの男の横暴を許しては、例えこの組織を傘下に加えたとしても内部に火種を抱え込む事になるのだ。そのような愚は犯すべきではなかった。

 

「名雪さん、それは……」

 

 止めようとした舞を、そっと目線で制す名雪。

 相変わらず笑みを浮かべたままだったが、瞳は奇妙に冷めた色を湛えていた。

 その視線に気圧されるように口をつぐむ舞。

 

「そうですな、まず我々の組織はKanonに加わったとしても独立部隊としての権限をいただきたい。その上で我らの行動を掣肘するような命令に対しては拒否権を持たせていただこう」

 

 舞はその要求に思わず舌打ちしてしまいそうになった。

 男の要求はKanonとしてはとても呑めるものではない。そのようなことを認めてしまえば指揮系統が混乱し、いざという時全く対処ができないのだ。

 

「ふふ、ふふふ……」

「何がおかしいのかね」

 

 突然堪えきれないように笑い出した名雪を男が問い質す。

 名雪の笑いには嘲りの色が感じられ、それを敏感に察した男の声は硬い。

 

「ふん。失礼だが大使殿は、いま少しご自分たちの置かれた立場というものを理解すべきではないかな」

「ふふふ、自分たちの立場を理解すべきはそちらですわ」

「なに?」

「今日、わたくしたちがここを訪れているという情報は、ONEに筒抜けでしょう」

「それがどうしたというのだね」

 

 突然話題を転じた名雪の意図を掴みかねた男が、不信げな声をあげる。

 舞も名雪の言わんとすることを掴みかねていた。

 

「おわかりになりませんか? 我々が、あなたがたの組織に対し接触を図った。『永遠の』折原浩平はその事実に対し、どう考えるでしょうね?」

 

 その言葉で、舞にはわかった。

 名雪は、男の退路を断ったのである。

 反ONE勢力の筆頭となりつつあるKanon、その全権委任者たる自分たちと会見の場を持ったと言うことは、それ自体がONEに敵対する意思ありと見なされるのだ。

 更にはここを訪れる前、名雪は意識してその情報をONEに伝わるよう流していた。

 うまく立ちまわり漁夫の利を得ようとするこの組織の態度を見越し、己の身を危険に晒すリスクを犯してまでも、この状況を作り出したのである。

 

「例えONEに下ったとしても、もう手遅れです。恐らくONEの人間はこう考えるしょうね、この組織はKanonに協力してONEの内情を探るために面従腹背しているのだ、と」

「なっ……!」

 

 ここに至り、男もようやく名雪の意図が分かったようで、言葉を無くす。

 

「ご理解いただけましたでしょうか?」

 

 そう確認する名雪の声には、勝ち誇ったような響きは無く、ただ事実を事実として確認しているようであった。

 

 剣も、異能力も無い。

 だが、これは確かに戦いであった。

 「謀略」という名の、剣なき戦い。

 

「き、きさまっ! 謀ったな!」

「わたしは、ただご協力をお願いにあがったまでです」

「だ、だまれ! おいっ!」

 

 逆上した男が叫ぶと、隣室に控えていたであろう武装した一団が名雪と舞を取り囲んだ。

 

「……」

 

 無言のまま傍らの剣に手をかけ、名雪を守るように一歩踏み出す舞。

 音に聞こえた『剣聖』の名声に恐れをなしたのか、取り囲んだ一団が後ずさる。

 だが、踏み込みかけた舞を、名雪が片手で静かに制した。

 一瞬怪訝そうな顔をした舞だったが、素直にそれに従い、抜きかけた剣を収める。

 

「全権代理たるわたくしたちに危害を加えるということは、Kanonに対する宣戦布告ということになりますが、よろしいのですね?」

 

 その顔に冷たい笑みを浮かべて、名雪は静かに語を接いだ。

 

「そしてONEはそれを擬態だと判断するでしょう。もはやあなたがたを受け入れる組織は無くなります」

「う、うう……」

 

 名実共に日本を支配しているONE、そしてそれに唯一対抗できるまでに成長しつつあるKanon。この2つの組織を敵に回して生き残る術は皆無であろう。

 男に、選択肢は無かった。

 名雪の顔に、今まで以上の冷笑が浮かぶ。それは、勝利を確信した笑みであった。

 

「わたくしたちに、協力していただけますね?」

「わかった…… 先ほどの条件は撤回する、我々は無条件でKanonに協力しよう……」

 

 また一つ、組織がKanonの軍門に下った。

 一滴の血も、流される事無く。

 

 

 

 

「あー、怖かったぁー」

 

 本部帰還のさなか、気の抜けたように名雪。

 

「でも舞さんが居てくれて助かりました」

 

 その言葉に、苦笑しつつ舞。

 

「私はなにもしていない」

「そんなことないですよ、うまくいったのも舞さんが居てくれたからこそです」

「名雪さん」

「あ、名雪でいいですよ」

「……名雪、済まない、私はあなたのことを見誤っていた」

「え?」

 

 言葉通り、舞はこの少女を見誤っていたと感じていた。

 決して低く見ていたわけではなかったが、舞でさえもその外見や雰囲気に惑わされ、名雪という少女の本質を見誤っていた。

 舞とて凡庸ではない、たかが一組織の懐柔に成功しただけとはいえ、その際における見事な手腕と、敵中において命の危険に晒されても顔色一つ変えないその様子から、名雪が戦略にかけては一流の素質を持っていることを見抜いていた。

 

「えへへ、誉めても何も出ませんよ?」

 

 照れたように笑顔を浮かべる名雪。

 その笑顔は先ほどの組織で見せた冷たい笑みではなく、暖かな春の陽射しそのものであるように、舞には感じられた。

 同性である舞でさえも、思わず見惚れてしまうような笑顔だった。

 

「祐一が……」

「え? 祐一?」

 

 祐一という単語に即座に反応する名雪に、またしても苦笑を浮かべながら先を続ける。

 

「祐一が、名雪のことを大事に思う気持ちもわかる」

「わっ! そ、そんなことないですよ」

 

 見事に真っ赤になる名雪。

 舞はそれを見て微かに笑みを浮かべる。

 普段無表情なだけに、その笑みは微かではあったが、驚くほど川澄舞という少女を彩った。

 そして、少し悪戯っぽく続ける。

 

「でも、私も負けない」

「え? え? ……えーっ!」

 

 さらりと爆弾発言をした舞を、真っ赤な顔のまま凝視してしまう名雪。

 舞の頬も微かに赤く染まっている。

 

「そ、そうなんですか? 舞さん」

「……そう」

「そうなんだ……」

「……そう」

 

 傍から聞いていれば意味不明の会話であったが、お互いの考えは伝わったようである。

 もう舞の顔は真っ赤だ。

 しばらくそんな舞を凝視していた名雪だったが、やがて満面の笑みを浮かべた。

 

「うふふふ、いいですよ、受けて立ちます!」

「……負けないから」

「わたしだって負けませんよ」

「……」

「……うふふ」

「ふふふ」

「あはははっ」

 

 冬の終わりの昼下がり。

 2人の少女があげる楽しげな笑い声が木霊する。

 澄み渡った空はどこまでも高く、陽射しは春の足音を感じさせる。

 そんな晴天の一日の出来事であった。

 

 

 

To Be Continued..