A.I.E.N

第二話
Rupture of negotiations

2009/12/30 久慈光樹


 

 




 逆側の出口から公園を出ようとしたところで、天海さんに見つかった。

 「あっ!」という妙に嬉しそうな声と、こちらに駆け寄ってくる足音。
 それを聞いて舌打ちしそうになった。
 気付かれてしまった、いま彼女と相対すと自分でもどんな酷い言葉をぶつけてしまうかわからない。だから黙っていた。

「あの、ごめんね千早ちゃん」

 第一声はそれだった。
 『千早ちゃん』という、ここ10年ほど聞いたことがない呼び方に、馴れ馴れしいと腹が立つより先に困惑した。

「私、何か気に障ること言っちゃったかな」
「ごめんね、私ドジだから」
「あのね、私プロデューサーさんから千早ちゃんのこといろいろ聞いてたの」
「すっごく歌が巧いんだって」
「春香もレッスン頑張らないとダメだぞって怒られちゃった、えへへ」

 無視して歩く私をそれこそ無視するように、まるで親しい友人に話しかけるように彼女は次々と言葉を紡ぐ。
 マイペースな子ね……私は怒る気がなんとなく殺がれてしまい、それでも彼女には相槌のひとつも打つことなく、ただ黙々と足を動かした。

「私ね、家が結構遠くて、通勤二時間かかるんだよ」
「高校終わってから事務所まで通うの結構大変なんだよね」
「でも頑張ろうかなって」
「プロデューサーさんも頑張れって言ってくれたし」
「あのね、それでね……」

「……天海さん」

 放っておくといつまでも続きそうだったので、半ば遮るようにして彼女の名を呼んだ。

「え? なに?」

 ただ、なんとなくだった。
 深く考えたわけではなかった。
 名を呼んだ手前、何かを話さなくてはいけないと思って、ただなんとなく、聞いてみた。

「あなたはどうして、アイドルを目指しているの?」

 答えなどは、はなから期待していなかった。
 『面白そうだったから』『有名になりたいから』『ただなんとなく』そんな答えが返ってくるのだろうと思っていた。
 だからこんな質問は無意味だ。意味があるとすれば、この子とはユニットなんて組めないという自分の意思を確かなものにできることくらい――

「歌が好きだから」

 その答えそのものよりも、むしろ即答だったことにこそ驚いた。
 流れを無視した唐突な問いであったにも関わらず、少しも考えることなく、まるでそれが当たり前だというように彼女は即答したのだ。
 思わず彼女の顔をまじまじと眺めてしまう。

「……そう」

 少しだけ表情が緩んだのが自分でも解る。
 私は少しこの子を見損なっていたのかもしれない。この子はこの子なりに、真剣に考えているのだろう。
 考えてみれば、別にこの子が悪いわけではないのだ。悪いのは私をソロで活動させてくれないプロデューサーで、この子はあの男の言うことに従っただけに過ぎない。この子――天海さんに当たるのは筋違いというものだろう。
 少し冷静になって、そこで初めて私は足をとめ、彼女の方を向く。

「さっきはごめんなさい、少しやりすぎたわ」
「う、ううん、ううん」

 驚いたようにぶんぶんと首を左右に振る彼女に、今度こそ少し微笑むことができた。
 やっぱりいい子だ。学校でも友人などほとんどいない私だったが、彼女とはひょっとしたら友人になれるかもしれないとすら思う。
 ――無論、ユニットを組むつもりはさらさら無いが。

「あの、改めまして、私、天海春香です」
「如月千早です」

 改めて自己紹介。
 それで私はその場を去ろうとしたのだが、呼び止められる。
 まだ何か用があるのかといぶかしむ私に、彼女は言った。

「さっきの、デュオのことなんだけど――」

 せっかく気分を切り替えたというのに。またしても表情が険しくなるのが自分でも解る。

「きちんと理由を聞かせて欲しいな」

 その口調と表情に、今度こそ驚いた。
 先ほどまでの明るい笑みはそこには無く、彼女の表情はひどく真剣なそれで。

「デュオの話、千早ちゃんがどうしても嫌なら強制はできないよ。でもきちんと理由を聞かせてくれないと、私は納得できない」

 ああ、やっぱりこの子は真剣なんだ。そう思った。
 アイドルを目指した理由、「歌が好きだから」というのは、本当なんだ。彼女は彼女なりに、歌に対して真剣に向き合っているのだろう。そして真剣であればあるだけ、何の理由も告げずただ拒絶した私を許せないに違いない。
 不快ではなかった。むしろ好ましい。
 あまり人付き合いに気を遣わない私と違って、明るくそれなりに社交的であろう彼女がここまで真剣に食い下がるのだ、それは並々ならぬ決心あってのことだろう。
 その真剣さ、歌に対する姿勢は好ましかった。



 でもだからこそ。

 いや、それゆえに。

 私は躊躇わない。


 またきつい言葉になってしまうだろう、きっと彼女を傷つけるだろう、でも躊躇わない、言葉を飾らない。
 それが、歌に対して真剣な彼女に対する礼儀だと思えばこそ。

「私はただ歌いたいだけなんです。誰かと一緒に歌いたいとは思わないし、本当はアイドルとして活動なんてしたくないんです。解りますか? 私はあなたと一緒だと――迷惑なんです」

 あまりにも無慈悲なその言葉に、さすがに天海さんは息を呑んだ。
 まさかここまで直接的な言葉で拒絶されるとは思っていなかったのかもしれない、ひょっとすると私が怯んで意志を曲げるとでも思っていたのかもしれない。
 だが残念ながら私は折れない。歌に対する情熱という点において私は誰にも負けない。だから、折れない。

 嫌われたっていい、そんなものは慣れている。


 しばらく彼女は俯いていた。


 どれくらいそうしていただろう、やがて彼女は顔を上げ、言った。


「なに、それ?」

 それは、こちらが思わず背筋が冷たくなるほどの怒りを含んだ声だった。
 低く抑えられた声には感情は感じられない、でもだからこそ、内に滾る激情を無理やりに押さえ込んでいることが容易に感じられる。
 そしてなによりその瞳に、こちらを刺すように貫くその瞳に、思わず後ずさりそうになる。

 先ほどの私の言葉、あれほど酷いことを言われれば恐らく誰だって怒るだろう。
 彼女が私に怒りを向けるであろうことは覚悟していたし、自分の言葉が相手のどんなきつい言葉を返されるものであろうことかは覚悟していたつもりだった。

 だけれども、それにしてもなお、天海さんの怒りは、正直度を越しているように思われた。

 怒鳴り散らされたりする方がまだましだった。疎まれるのも蔑まれるのも慣れている、もし天海さんがそうしたのなら、私はここまで動揺しなかった。そうされて当然のことを私は言ったのだから。

 だがたった一言だったけれど、天海さんの怒りはまるで激しく燃え盛る赤い炎よりも遥かに高温で静かに燃える青白い炎のようだった。


 なぜ彼女はここまで怒るのか。


「千早ちゃん、質問してもいいかな」

 抑揚の無い声。私は頷くことしかできない。



「あなたは、何のために歌うの?」



 最初は、何を言われたのか解らなかった。
 告げられた言葉の意味をしばらく考えたけれど、それでも解らなかった。



「あなたは、誰のために歌うの?」



 解らない。解らない。
 何を言っているのだろう。
 この子は何を――


 口の端をくっと吊り上げるような嫌な笑い方をして(少なくとも、この時の私にはそう見えた)、彼女は、嗤い。


 そして、言った。





「千早ちゃんの歌に対する想いって、随分と独りよがりなんだね」





 その言葉の意味を理解したその瞬間に。



 私は彼女の右頬を、思いっきり張り飛ばしていた。


 

<つづく>