「どうしてですか!」 

 私の声が事務所に響く。
 目の前のこの男は、私の怒鳴り声などどこ吹く風とばかりに椅子から立ち上がりもしない。だが奥に座った音無さんが首をすくめたところをみると、私の声はよほど大きかったのだろう。
 おろおろとこちらを見る彼女に申し訳なく思いながら、私は意識して声のトーンを落として更に詰め寄る。

「答えてください、どうしてですか」

 怒りを無理に押さえ込んだために、私の声は自分で聞いてもそれとわかるほど震えていた。声を抑えた分、怒りの発露は視線に表れていると思う。もともときつい目つきの私の視線を正面から受けてもなお、目の前の男はまるでそれに気付いていないかのように頭を掻いている。
 あまつさえ、どうしてって何が? などとのんびりした口調で言うものだから、私は再び叫んでしまっていた。

「どうして私のソロじゃないんですか!」

 

 

 


A.I.E.N

第一話
First Impression(如月千早)

2009/4/6 久慈光樹


 

 




 私、如月千早が「アイドル」を目指しているのは、不本意な妥協の産物だった。
 私はただ歌いたかっただけなのだ、テレビで見る同年代のアイドルのようにバラエティに出るつもりは無いし、トーク番組に出るつもりもない。ただ歌うことができればそれで良かった。
 幼い頃から歌うことにかけては誰にも負けたことが無かったし、何より私は歌が好きだった。もし歌うことができなくなった死んでも良いとさえ思う。
 そんな私がなぜ「アイドル候補生」としてこの場にいるのか、それにはとある理由があり、私はその理由のために妥協をしつつもアイドルとしてやっていこうと決めたのだ。
 だからこそ、回り道はしたくなかった。歌の力でトップアイドルに昇り詰める――そう、あの人のように――そのために頑張ろうと決めたのに。
 先週初めて引き合わされたこの「プロデューサー」という男は、いま私に言ったのだ、「千早にはこれからデュオで活動してもらう」と。

「デュオ?」
「そうそう、2人組のユニット」
「……なぜですか?」
「なぜって、その方がいいだろ、華やかで」

 その物言いに私は頭に血が上り、気がつけば叫んでいたのだ、「どうしてですか!」と。

「私一人で十分です! ユニットになんてする必要はありません!」

 自惚れであることは解っている、だが私よりも歌に対する思い入れが強い人なんて滅多にいないということもまた、解っている。アイドルなんて気持ちでやられて足を引っ張られたら迷惑だ。私は私一人だけの力で、私一人だけの歌で、トップアイドルになってみせる。
 「その方が華やかでいい」なんてちゃらちゃらした理由で、この夢を潰されるなんてまっぴらだった。

「まあそう言うな、会うだけ会ってみてもいいだろう」
「誰にですか」
「誰って、決まってるだろ、ユニットを組む子とだよ」
「必要ありません!」

 そう叫んだとき、背後から息を呑む声。

「あっ……」

 振り替えると、そこには私より若干小柄の女性。
 年代は私と同じくらいだろうか、不安げに寄せられた眉、胸の前で握り締められた掌。

「ああ春香、早かったな」
「は、はい…」

 春香と呼ばれたその子は、プロデューサーの横に立ち、ちらりとこちらを見た。

「千早、紹介するよ、この子がお前とユニットを組む天海春香だ」

 千早、という名前を聞いて、天海春香と呼ばれたその子は瞳を輝かす。恐らく事前に私の名前だけは聞かされていたのだろう。

「天海春香です! よろしくお願いします!」

 何のためらいもなく差し出される右手。握手を求めているのだろう。
 天海春香というその子は、服装こそ若干地味だったが、笑顔が眩しかった。私には無い内に秘めた輝きのようなものが感じられる。
 直感する、恐らくこの子は成功するだろう。

 そう、「アイドル」として……

「あ……」

 差し出された右手には目もくれず、私はその子に背を向けた。
 吐息のような小さな声が聞こえたが、あえて無視した。

 本当の意味での「アイドル」というものに、私はまったく興味が無かった。
 この子がアイドルとして成功するならそれは喜ばしいことだ。見たところ悪い子では無いようだし、成功してくれればいいなと思う。
 だが、それに私が関わるとなればまったくの別の話だ。私はアイドルになど興味はない。私は歌を歌うためにここにいるのであり、アイドルというのはその手段に過ぎないのだから。

「まあ気にするな」

 恐らくは天海さんに言ったのであろうプロデューサーの言葉になぜだかむしょうに腹が立ったが、結局私はそのまま振り返ることも足を止めることもせずに、事務所を後にしたのだった。





 なんとなく公園に寄ったのはこれからどうすべきか考えるためで、ブランコに座ったのはベンチが空いていなかったからだ。

「どうしよう、これから」

 勢いでプロダクションを飛び出してきてしまった以上、あそこには戻れないかもしれない。少しだけ、自分の短慮を恨んだ。

「でもいまさら他のプロダクションなんて……」

 私には、あのプロダクションでないと駄目な理由があった。それは私がアイドルなどというものを志した最大の理由。

 アイドル候補生としてあのプロダクションを選んだのは、目指すべき先輩がいたからだ。
 初めてあの人の歌を聞いたときの衝撃は今でも忘れない。歌うことにかけては誰にも負けたことが無かった私が、初めて敗北した瞬間だったのだから。
 流行の歌などあまり聴かなかったが、偶然街頭のテレビから流れていたあの人の歌声に、私は打ちのめされた。当時まだあまり有名ではなかったあの人のことを必死に調べてプロダクションを割り出し、まるで押しかけるように入社テストを受けていた。
 彼女は「アイドル」だった。私が蔑んでいたバラエティにも出ていたし、トーク番組にもよく顔を出していた。だが彼女が盆百の「アイドル」たちと決定的に違う点が一つだけあった。それがあの歌声だ。
 彼女の歌に出会う前であれば決して望まなかったであろう道を選んだのも、ひとえにあの人に近づきたかったからだ。
 残念なことに、いまあのプロダクションに彼女はいない。彼女はたった一年間という活動期間にトップにまで昇り詰め、そして引退していった。
 それ自体は残念なことだったが、アイドルというジャンルにおいても、歌によってトップに立てるのだということを彼女は自ら証明してみせたのだ。
 彼女のようになりたい――とはしかし、私は思わなかった。
 私は彼女に憧れるのではなく、彼女と対等な歌い手になりたいと望んだのだ。今の私では及ばない、だがいつかは私もあのとき偶然に耳にした彼女の歌声のように、誰かを魅了できる歌い手になりたい。そう思ったからこそ、あえて彼女と同じプロダクションを選択したのだ。
 まだデビュー前のアイドル候補生でしかない自分が、引退したとはいえトップアイドルと対等になりたいと望んでいるのだ。それは傍から見れば失笑物の誇大妄想だと思うかもしれない、だが私は確かに望んだのだ。いや、今でもそう望んでいるのだ――

「……」

 無言で身体を前後に揺すると、錆付いたブランコがきい、きい、と音を立てる。
 なにもあそこまで頑なになることはなかったのではないかという思考と、だが歌に関しては絶対に譲れないという思考が頭の中に混在して、軽く溜息をついたときだった。

「うわぁ!」

 そんな声とともに、思わず眉をしかめてしまうような痛そうな転倒音。
 思わず目を向けると、公園の前の道で先ほどの子――天海さんが思い切りひっくりかえっていた。

「……何をしているのかしら」

 そんな私の呟きも届かず、いやそれ以前に公園のブランコに腰掛ける私に気付くこともなく、天海さんはすぐに立ち上がると周りをきょろきょろと見回している。
 どうやら誰かを探しているようだ。

「信じられない」

 恐らく、いや間違いなく、彼女は事務所を飛び出してしまった私を探しているのだろう。私の呟きはその行為それ自体に対するものだった。
 だってあれほど辛く当たったのに、ファーストインプレッションとしてはこれ以上ないくらい最悪のものだったのに、それでも彼女は私を追ってきたのだ。

「信じられない」

 もう一度呟く。
 確かに明るく元気そうな子だったけれど、まさかここまで能天気な子だったなんて。私の言葉の意味が、行為の意味が、理解できなかったのではあるまいか。あんな子とユニットを組めというのだろうか。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい、あの子はきっと、アイドルなどという煌びやかな偶像に惹かれただけの、物事を深く考えない、いまどきの子に過ぎないのだろう。いやそれでいい、アイドルなどという偶像に憧れるのは主にそういう子たちで、だからこそ彼女はきっとこの世界で大成するのだろう。それはいい、先ほどの感想は正直なものだ、彼女にはアイドルとして大成してほしいと心から思う。

 だがそれは、私には一切関係の無い世界の出来事だ。

 ここにいても仕方がない、立ち上がり私は踵を返した。
 一度も後ろを振り向くことなく。

 

 

<つづく>