絢爛舞踏

2002/09/09 久慈光樹


 

 

 

 出撃の際に感じる緊張感と恐怖は、幾度経験しても慣れる事はない。

 壬生屋は己の騎乗する士魂号の計器を確認しながら、そう感じていた。

 これで幾度目の出撃だろうか。もう数える気にもならない。

 幾度となく出撃し、幾度となく敵を、幻獣を殺し。そして今日まで生き残った。

 だがこの出撃でもそうだろうか。

 

 死ぬかもしれない。

 

 毎回そう考えてしまう自分を叱咤し、今日まで生き残ってきた。

 だが今回もそうだろうか。

 

 オペレータの通信に機械的に応えながら、彼女は自分の騎乗機たる士魂号複座型を歩ませる。

 まだ死ぬわけにはいかない。

 そう、この士魂号の乗り手であった彼女のように、死ぬわけにはいかないのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 遠坂は壬生屋以上に緊張していた。

 自分の担当は士魂号複座型電子制御部パイロット。もう整備員ではないのだ。

 決して自分が臆病であるとは思わないが、実戦経験の差はいかんともし難い。女性である壬生屋の補佐的な立場に思わないところがなかったわけではないが、それも戦場に、一線に出て霧散した。

 死というものをこれほど身近に感じた経験は、彼の人生においては皆無だった。

 ここでは、戦場では悲しいくらい簡単に人が死ぬ。

 それは知識として知っていた事であったが、ここでは肌で感じ取る事ができる。

 死にたくない。自分はまだ死にたくない。

 恥も外聞も、生きていればこそだ。

 

 彼は…… こんなことは考えないのだろうか。

 

 モニターを、前方に向ける。そこには、細く優美さすら感じる事ができる機体、士翼号が映し出される。

 今自分が乗るこの機体、士魂号複座型の乗り手であった、彼は。後いくつかの撃墜数で、絢爛舞踏章を獲得するであろう彼は。

 

 死の恐怖など、感じないのであろうか。

 

 

 

§

 

 

 

 最初は、軟弱そうなヤツだと思った。

 幾度か話をするうち、いいやつだと知った。

 そのうち、ライバルだと感じるようになった。

 そして今は……

 

 滝川は、己の駆る士魂号単座型の前方を歩く、士翼号を眺めながら、回想する。

 親友で、そしてライバル。

 あいつとは、ずっとそんな関係だった。

 歴史に名を残すパイロットになりたかった。

 死ぬのは怖かったけれど、エースパイロットと呼ばれる夢は、それ以上に魅力的だった。

 人類を救う救世主。

 まるで自分が幼い頃によく見ていたテレビアニメの主人公のような立場。

 平和な世であれば、一笑に付されてしまうようなこの夢も、この時代この場所であれば現実的だった。

 だから、努力した。

 愛機のメンテナンス、筋力トレーニング。苦手な授業もちゃんと受けた。

 女である壬生屋や、あの女に負けたくないという以上に、同じ男であるあいつにだけは負けたくなかった。

 

 だが、今はそんな気持ちは消え失せた。

 

 あいつは…… 違うのだ。

 自分とは、違うのだ。

 

 人間である、自分とは。

 

 

 

§

 

 

 

「萌ちゃん、調子はどないや?」

 

 いつものように指揮車を運転しながら、後座に乗り込んだ銃手の石津萌に声を掛ける。

 返事が返ってこないのがいつものことであるので、そのまま運転に専念しようとする。

 だが、今回は違っていた。

 

「……悪く…ないわ…」

「さよか、そりゃ何よりや」

 

 石津が返事を返した事に内心驚きつつも、加藤は表面上陽気にそう返した。

 彼女とて、緊張と恐怖に囚われるのはいつもの事だ。

 このような状況で、それらの感情と無縁でいられる人間などいようはずがない。誰だって死ぬのは怖いし、緊張しない人間などいない。

 そう、人間ならば。

 

「しっかし何度見ても士翼号っちうのは綺麗やなぁ、隣歩く2体の士魂号がよけ不細工に見えるわぁ」

 

 士翼号は、確かに綺麗だった。

 そして、恐ろしかった。

 

「……あれは…危険だわ…」

「そら幻獣にとっちゃ危険極まりないわなぁ」

 

 石津の呟きを、わざと曲解して返す。

 加藤も、感じていたのだ。

 士翼号が危険なのは、幻獣に対してだけではないのだということを。

 理性によらず、感じ取っていたのだ。

 

 だが、果たして危険なのは、士翼号そのものだろうか。

 それに騎乗する彼こそが、人類にとって、危険な存在なのではないだろうか……。

 

「さあて、今回も気張るでぇ!」

 

 陽気に、元気に。

 そう思って張り上げた大声は、末尾が震えてしまっていた。

 

 

 

§

 

 

 

「敵はスキュラを含む30体」

 

 オペレータの声が通信機より流れる。

 ようやく戦場となる場所に移動し終わったのだ。

 

 戦場。

 そこは、彼が唯一己を表現できる場所だった。

 昔は、そうではなかった。

 少なくとも、彼女を失うまでは……。

 

 士翼号が手にしたNEPを無造作に構える。

 NEP、ナノ・エリンコ・ゲート砲。

 呪術の流れを汲んだ、芝村の技術の結晶。現在の科学からいえば、完全なオーバーテクノロジー。

 狙いを定め、引き金を引く。

 まるで魔方陣のような複雑な文様が空間に生じ、次の瞬間、戦場を凄まじい閃光が走った。

 

「て、敵生体の7割が消滅!」

「竜軍師より伝達! 敵は撤退に入りました。掃討戦の用意を!」

 

 オペレータからの通信に、またも真っ先に反応したのは士翼号だった。手にしたNEPを投げ捨て、両肩にマウントされた2本の超硬度大太刀を一息で引き抜く。

 そして士翼号は前傾姿勢になり凄まじい勢いで走り出す。

 撤退を始めた幻獣に向けて。

 

「お、おい! 一人で突出するのは…… !」

 

 孤立する危険性をおもかんぱった滝川が、通信を開く。

 だがその言葉は途中で途切れた。

 彼は見てしまったのだ。

 士翼号を駆る、彼の表情を。

 

 速水厚志。

 今や小隊だけでなく、軍全体のエースとなりつつあるその青年は――

 

 

 口の端を吊り上げるようにして、笑っていた。

 

 

 宙を舞うように敵陣へ飛び込む士翼号。そのまま両手の太刀をそれぞれ一閃すると、2体の幻獣が真っ二つになる。

 足を止めることなく駆け、両の太刀はまるで固有の生き物のように走り、死を量産していく。その姿はあたかも死の翼を広げる告死鳥のようであった。

 

 

 

§

 

 

 

「鬼神か……」

 

 壬生屋はその動きに戦慄する自分を自覚する。

 人の為しうる動きではなかった。

 まるで全ての事象を見透かしているかのように、至近より放たれる幻獣からの反撃をかわし、返す刀で葦を刈るようになぎ倒す。

 その姿は美しく、そして恐ろしかった。

 

 もし

 もしも自分の士魂号があの士翼号と相対したのなら。

 恐らく自分は瞬時のうちに殺されるだろう。

 

 幼い頃から武芸に長け、今も鍛錬を欠かした事の無い壬生屋だったが、そんなことは何の役にもたたないように思われた。

 人としてどれほど優れようとも、人外のモノにとっては取るに足らないのではないか?

 自分は知らぬうちに、その気になれば一瞬で自分を殺す事のできるモノと机を並べていたのではないか?

 普段の速水が浮かべる暖かな笑顔を思い出し、その考えを否定しようとする。

 だが、一度浮かんだ疑念は、まるで鉄を侵食する赤錆のように、壬生屋の心を蝕んでいった。

 

 

 

§

 

 

 

 士魂号の上位互換として設計、建造された士翼号。

 その運動性は士魂号を遥かに上回り、まるで背に翼を持つかのような動きを可能とする。

 士翼号という名称はそれにちなんで付けられた。

 だが……

 

「こんな、こんなことって……」

 

 整備主任である原素子は、部下の前であるにも関わらず忘我していた。

 

「ありえない、ありえないはず……」

 

 原の部下である森精華にも、上司である彼女が何を言いたいのか理解できた。

 全てにおいてハイスペックである士翼号。

 だがしかし、今モニター越しで見ている速水機の、鬼神と見紛うばかりのあの動きはどうだ。

 運動性、反射性共に常軌を逸している。

 それは実際に整備を手がけている自分たちが一番よく分かった。

 いかに士翼号とはいえ、あれほどの動きをするなど考えられない。

 そう、あのような動きをすることなど、“ありえない”のだ。

 

 士翼号が、いや、機械というものがスペック以上の動きをするなど、異常な事である。人が手がけたものである以上、スペック以下の動きしかしない事はあったとしても逆はありえない。

 いかに絢爛舞踏目前のエースが駆る機体とはいえ、機械とその乗り手という制約からは何人も逃れられない。

 レーサーが騎乗しているからといって、軽自動車ではF1カーと渡り合う事などできないのだ。

 

 

 あの士翼号は、違うのではないか?

 

 突如脳裏に浮かんだ考えに戸惑う森。

 あの士翼号は、通常の士翼号とは違うのではないか?

 そう考えて、森の脳裏に真っ先に浮かんだのは、未だブラックボックスである士魂号の制御機構であった。

 ハイスペック機とはいえ、基本は士魂号である。士翼号の制御機構も、整備員にとってはブラックボックスだった。

 秘密は、恐らくそのあたりにあるのではないか。

 軍の機密に関する部分の事、それを探る危険性は学兵とはいえ森も承知していた。

 だが、一度浮かんだ疑念を解消する術は、そこにしかないのだ。

 この戦いが終わったら、調べてみよう。大丈夫、深夜であれば誰にもばれる事は無い。

 自分が後戻りできない領域に踏み込もうとしている事に、森は気付いていた。

 

 だが、彼女自身自覚していただろうか?

 彼女を行動へと駆りたてる、その真の動機を、彼女自身は自覚していただろうか?

 彼女は認めたくなかったのだ。

 士翼号の異常な戦果が、乗り手である速水に負うものであると言うことを。

 速水厚志が、人外のモノであるということを、彼女は認めたくなかったのだ。

 自分が密かに想いを寄せる者が、実は人間ではないのではないかという疑念は、到底彼女にとって許容できるものではなかった。

 

 

 

§

 

 

 

 戦闘は終わった。

 敵生体の約9割を撃破、対して味方の損害はゼロ。大勝利だった。

 

『あれが、戦闘なものか』

 

 声には出さず、滝川はただ胸中で吐き捨てる。

 NEPの閃光に焼き消される幻獣たち。逃げ惑うそれらをまるで葦を凪ぐように切り倒す士翼号。それは戦闘ではなく、一方的な虐殺だった。

 何の役にも立っていない自分に、忸怩たる思いはあった。だが、その感情を圧するのは、恐怖。

 もう認めよう、自分は、あいつを恐ろしいと感じている……

 

『士魂号2号機、ハンガーイン、準備してください』

 

 オペレータからの声に、我に返る。無意識のうちに帰還していたらしい。

 

 ハンガーにドックインを終え、愛機から降りる。俯いた顔を挙げると、目に飛び込んできたのは士翼号。純銀の機体を返り血で真っ赤に染めた壮絶な姿に、思わず立ちすくむ。

 そんな彼をまるで気にも留めぬそぶりで、同じように機体から降りた速水が立ち去ろうとしていた。

 

「速水!」

 

 呼び止めたのは、どうしてだろうか。滝川は自分でも分からぬまま、小走りに彼に近寄った。

 

「今日も大活躍だったな!」

 

 陽気な声。可能な限りの、陽気な声。

 だがその声に、速水は振り向くこともせずに立ち去ろうとする。

 

「おい! 待てよ!」

 

 どうしてこんなにもカッとしたのか、自分でもわからない。気が付くと、滝川は乱暴に速水の肩に手をかけていた。

 そして……

 

「ひっ……!」

 

 殺される。

 

 瞬間、そう思った。

 

「ごめん、疲れてるんだ」

 

 それだけを言い残し、立ち去る速水。

 滝川はその背中をただ見送ることしかできない。崩れそうになる膝を、必死に保ちながら。

 

 振り返った瞳が紅い輝きを宿していたのは、髪が濃蒼に見えたのは。

 光の加減だったのだろうか。

 あれは本当に――

 

 速水なのだろうか。

 

 

 

§

 

 

 

「こんな…… こんなことが……」

 

 深夜。

 森は一人、ハンガーにいた。

 ブラックボックスである士翼号制御機構。並の整備士では解析など不可能なそれを、不完全ながらも解析してのけた彼女は、ある意味天才と言えるだろう。

 だがその行為によって得た物は、あまりにも酷だった。

 

 士魂号制御機構には、クローンの脳髄が使われている。

 

 士魂号の整備士たちにとって、この事実は言わば公然の秘密だった。

 ヒトをヒトとして扱わぬ、悪魔の所業。

 忌諱し、嫌悪しながらも、ただそれだけであれば森もここまで取り乱さなかっただろう。

 

「このパーソナルパターンは……」

 

 士翼号の制御機構から発せられるパーソナルパターンのシグナルは、彼女のよく見知った者の物だった。

 

 いや

 

 ・・・・・・
 見知っていたと言うべきか

 

 

「知ってしまったんだね、君も」

 

 突然背後からかけられた声に、飛び上がる。

 驚き怯えながらも腰に差した銃を抜き去り突きつけたのは、学兵といえど兵士としての訓練をつんだ者の証だった。

 

「速水、くん……」

 

 暗く、何の表情も見せぬ瞳で彼女を見ていたのは、速水。

 相手が見知ったものであったにも関わらず森が突きつけた銃を下ろさないのは、制御機構の解析という銃殺ものの行為を見咎められたからか。それとも、別の理由か。

 

「知っていたのね、あなたは」

 

 森の声音の激しさは、学友に対してのものではなかった。

 自分を睨みつける森の厳しすぎる視線も、突きつけられた銃すらも目に入らぬ様子で、速水は彼女の脇を抜け、士翼号制御機構の前に立つ。

 

「答えなさい! 知っていたんでしょうあなたは! これが……」

 

 

 

「芝村舞の脳髄だってことを!」

 

 

 

 

§

 

 

 

 どのくらいそうしていただろう。

 自らの叫びに、その内容に、怯えたように銃を構えたまま立ち尽くす森。そして彼女に背を向け、微動だにしない速水。

 

「ふふふ、あははは」

 

 発せられた笑いは、まるで悪戯を咎められた児童のように無垢なもので。

 それ故に、森は背中に氷の塊を押し付けられたような恐怖を感じた。

 

「そうだよ、舞はいるんだ、ここに」

 

 振り向く速水、その表情は酷く穏やかで、恍惚としたものすら混じっている。

 

「素晴らしいだろう? もう僕と舞を分かつものは何も無い、僕と彼女は一体なんだ」

 

 ゆっくりと、自分に銃を突きつける少女に歩み寄る速水。

 恐怖から一歩も動けない森、幼女のようにいやいやと首を振りながら、凍りついたように彼のその笑顔から目が離せない。

 

「これに乗っているとね、舞の声が聞こえるんだ。もっと殺せ、もっと殺せって」

 

「い、いや……」

 

「だから僕は殺しつづける、彼女がそれを望んでいるんだ、適えてあげなくちゃ」

 

「いや…… こないで……」

 

「僕は舞で、舞は僕で。 ねぇ森さん、素敵だと思うでしょ? 思うよね!」

 

「いやあああぁぁぁ!」

 

 

ターン

 

 

 ハンガーに響いた銃声は、拍子抜けするほどに乾いた音だった。

 

「あ……」

 

 胸の中心に銃弾を受け、体の半分を血に染めながらも、それでも速水は立っていた。

 

「は、速水君……」

 

 未だ硝煙上がる銃を投げ打ち、密かに思いを寄せていた青年に駆け寄る少女。

 自らを殺した少女を、青年は優しく胸に抱き寄せ、言った。

 

「……ありがとう……」

 

「え……?」

 

 思いも寄らぬ行動とその言葉に、思わず顔を上げた森。

 その即頭部に、何か固い筒のようなものが押し付けられたのを感じた。

 

 そして……

 

 

ターン

 

 

 ハンガーに、二度目の銃声が響き渡る。

 つづいて、何か硬い物が倒れるような音がして。

 

 

 そしてハンガーからは何も聞こえなくなった。

 

 

 

<END>