a puppet

第一話
−召喚の儀式−

2004/5/4 久慈光樹


 

 

 

 うす青く輝く召喚陣。大気に満ちる魔力がびりびりと空気を震わせ、小規模な台風のごとく彼女の長い髪を嬲る。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の――」

 

 術者は女だ。

 可聴領域を僅かに下回る呟きで紡がれる詠唱。それ自体がまるで生あるかのようにめまぐるしく組み合わされる両の指。

 額には精神集中を兼ねた宝珠。服装こそ正式なものではないが、魔力を持って織り込まれた魔術師としての略式正装。

 閉じられた瞳。半ば紡がれた口。両の耳は吹きすさぶ魔力嵐の咆哮を捉えず、鼻腔はすえた地下儀式場の匂いを脳に届けることもない。僅かに残されたのは触感のみ。

 

 五感の内の四を塞ぎ、内にて魔力の増幅機構と為す。

 

 本来であれば術師十数名でなされるべき、それは百工程(ハンドレットアクション)の召喚儀式であった。

 

 

 寸刻を待たずして削られていく内なる魔力。首に下げた紅玉の魔力結晶たる宝石よりの供給が間に合わず、猛り狂った“何か”は容赦なく術者の生命そのものを削る。

 

 薄青く発光を始めた陣の中心に据えられしは、禍々しいほどに白い小さな石。

 

 否。

 其は石に非ず。

 

 見る者に人間的な道徳的な禁忌を思い起こさずにはいられぬそれは、確かに、人の遺骨だった。

 

 聖杯。

 遥かな昔、聖者の血を受けたと伝えられる、現存する最大にして最悪の論理武装。形は違えど、その骨は存在自体が聖杯だった。

 

 そう、それは。

 

 

 術者である彼女の、かけがえのないたった一人の妹の、骨――

 

 

 

 

 と。

 轟、と大気が絶叫する。

 

 既にして可視域にまで到達した濃密な魔力が渦を巻く。

 術式は既にして佳境。数時間の詠唱の儀式は終わりを迎えようとしていた。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の――」

 

 女はそこで、言葉を飲み込んだ。

 正気の沙汰ではない。既に魔力は彼女の肉体を満たし、本来の五体とは相反する魔術回路の波は術者たる彼女の食い殺さんと牙をむいているのだ。詠唱を途中で止めるなど、狂気の所業。

 

 滾る魔力が内から彼女を切り刻むその寸前。

 彼女は、意を決したように叫んだ。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤より外れし哀しき英霊よ!」

 

 感覚を閉ざした瞳に、圧力さえ感じるほどの眩き光。身体の必要器官をごっそりと抜き去られるような不快感。

 そして、自分以外の生ある者の気配。

 

 未だ感覚を取り戻さぬ両の耳に、どこか人をくったような、この場には限りなく場違いな声がまるで雷鳴のように響いた。

 

「まったく、強引にもほどがある。真なる聖杯を用いずしての強制召喚とは」

 

 閉じられた瞼の裏に、果たして彼女は何を見たか。

 

「では慣例に従い問おう。君が――」

 

 そして、陣より顕れし赤衣の男は

 

 その言葉を、口にした。

 

「君が、私のマスターか」

 

 紅の騎士が言葉。

 閉じられた瞼の裏に、彼女は何を幻視したか。

 二言三言何かを呟いたようだったが、それは誰の耳にも届くことはなく。

 

 そしてゆっくりと開かれた彼女の瞳は、凍てつきし鋼の刃のようだった。

 

「そう、私が貴方のマスター」

 

 歪められた口元は果たして自嘲か、それとも、嘲笑か。

 

「私の名前は遠坂凛」

 

 過ぎし日と同じ言葉、同じ台詞。

 だがしかし、女の言葉は淡々として生者のものとも思えぬほどに温度が無く。

 

 そしてだからこそ、そこにあるのは隠しようもないほどの――

 

 

 

 

「初めまして、英霊エミヤ」

 

 

 

 

<つづく>

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