あんりみてっどちょこれーとわーくす
−後編−
2004/2/17 久慈光樹
「なにしてるんだあいつ……」
衛宮士郎はボソリとそう呟いた。口調は果てしなく疲れている。
にわかにざわめき始めた教室、ホームルームが終わったばかりの放課後ともなれば、多少の喧騒はあって然るべきだ。だが今日という今日は多少趣が異なる。
今日は2月の14日。一年のうちでもっとも男子生徒が挙動不審になる日である。
ましてや……
「『これあげるわ』 ……ちょっと素っ気ないかしら」
「『これ、私の気持ち――』 って! これじゃ誤解されるじゃないのよっ! えと、その、ご、誤解じゃないけど…… と、とにかくこれじゃダメなのよ!」
「『四の五の言わず、これを受け取りなさい! 抵抗は無意味よ!』 って、果し合いに持ち込んでどうするのよっ!」
なんの漫才だろう…… 士郎の額に汗が浮かぶ。
2−Aの遠坂凛と言えば、同学年で知らぬものはいないであろう学園の女王である。『アイドル』ではなくて『女王』であるあたりが非常に微妙というか正鵠を射ているのだが、とにかくあの有名な遠坂凛が――
廊下で顔を赤くしたり青筋を立てたりしつつ一人芝居。
そりゃ教室もざわつく。
ましてや今日はバレンタインである。本人はまったく気付いてはいないが、今日の遠坂凛の一挙一動は朝から男子生徒全員に監視されていると言っても過言ではない。よく見ると士郎のクラスだけではなく他のクラスの男子生徒も遠巻きに彼女の奇怪な行動を石化しつつ見守っている。
「『おめでとう!』 ……は変よね、冠婚葬祭じゃあるまいし」
か、冠婚…… と自分の独り言に真っ赤になって固まってしまったりしている凛を見て、取り巻いた男子生徒が徐々に殺気立っていく。
先ほどから繰り広げられる一人芝居。そして手に持った真っ赤な包み紙に覆われた小箱。
どこからどう見ても、チョコレートを渡す予行演習。しかも限りなく本命。
実は解りやすい女、遠坂凛。誰が見たってその様子は「恋は盲目」であるのだが――
「疲れが脳に回ったんだろうか……」
衛宮士郎は甲斐性なしだった。
そうこうするうちに、ざわっ、と喧騒が一際大きくなる。
まなじりを吊り上げた凛が、当たって砕けろいやむしろ私が砕く、とばかりに行動を開始したのだ。
ただでさえツリ目がちな瞳が、戦いを前にした武者のような眼光を湛え、形の良い眉がきゅっと寄せられる。
そうまるで、今から死合う魔術師のように――
「え、えミヤくん! ちょっとハなしアルの」
めっちゃ声裏返ってるじゃねーか。
「えっ、俺?」
なにかあったのだろうか。
まさか昨日持っていった栄養ドリンクが気に入らなかったとか―― やはりケチケチせずにユンケル黄帝液とかにしておくべきだったか。
とかなんとか考えつつ、それでも彼女がいつもの金属バットを所持していないことに安心したのか、素直についていく士郎。
殺気立つ男子生徒の山にも気付かぬまま、二人はそのまま屋上に消えた。
「……」
「……」
夕焼けに染まる屋上で、二人は無言で対峙していた。
『ま、まずい…… 二人っきりになったらなんだか余計に緊張してきちゃった……』
『遠坂が俯いて震えている…… やはり俺はなにか決定的なミスを犯したのか……?』
無言で対峙する格好は一緒でも、考えていることは限りなくすれ違っていた。
『遠坂のあの後ろにまわした両手は…… ま、まさか! い、いや落ち着け士郎、さっきは確かに得物は持っていなかったはずだ』
しかし安心はできない。彼は凛がまるで投影魔術のごとくどこからか取り出した金属バットで、自らのサーヴァントである赤い衣の騎士を張り倒す様を幾度となく目撃しているのだ。というかあんなんサーヴァントでもない限り死ぬちうねん。
いや待て、よく遠坂の様子を見てみろ。なにか様子が変だ。
俯いた顔が赤く染まっているのは、果たして夕焼けのせいなのか。しかもあれは、震えている?
なにかモジモジとして……
まさか。いや、そんな――
「遠坂――」
びくっ、と、凛の身体が震える。
気付かれた――!
「違っていたら謝る、お前まさか――」
そ、そうよ! 悪い!? 私だってそりゃ似合わないことしてるって解ってるわよ! 魔術師としてこんなの心の贅肉なんだってこと言われなくたって解ってる! でも仕方ないじゃないの! こうしたいって―― こうしたいって私の心が思っちゃったんだからっ!
「トイレなら我慢しない方がいいぞ」
「なんでやねーん!」
ドスッ!
「げふっ! き、金属バットの先端で腹突きとは新鮮なツッコミを…… というかお前それどこから出し――がくり」
「なんでやねん、なんでやねん、なんでやねーん!」
衛宮士郎 金属バットで 滅多打ち
「お前、あれは普通死ぬぞ――」
「士郎があんまりバカなこと言ってるからよ! まったく!」
なんとか撲殺を免れた士郎であるが、パンチドランカーのように足元はおぼつかない。どうやらかなりのダメージだった模様。
「まったく、どうしてあんたはそういつもいつも――」
「む、なんだよ、遠坂が不信な態度なのがいけないんじゃないか」
ふん! と言いつつプイっと顔を逸らす。いつのまにか、先ほどまでの緊張は少しも感じない。
「仕方ないわね、はい、チョコレート」
それでも多少顔が紅潮するのを感じつつも、できるだけさりげなく、手に持った包みを差し出す。
「なによ、トンビに油揚げ攫われたみたいな顔して。いらないならはっきりと――」
「い、いや、貰う、貰うよ! いやちょっとびっくりした、まさか遠坂から貰えるとは思わなかったから」
こちらが怯むくらいの素直な台詞に、ふん! とまたしても顔を逸らしてしまう凛。
「ありがとう遠坂」
まったく、これだからこいつは――
こいつはいつだってこういう奴なのだ。
なんて憎たらしい奴だろう。こんな風にいつだって、こいつは私を追い詰める。
ああそうだ、そうだった。こいつはいつだって、こんなにも愚直な奴だった。
いつか見た、夕焼けのグラウンド。飛べるはずのないバー。
どうしてあの少年は、あんなにも無駄なことに真剣になることができたのだろう。
いつかは飛べるのだと、いや違う、飛べるようになることは問題ではないのだと、全身で語っていた、あの夕焼けの少年。
彼はあの頃から少しも変わらずに、夕焼けに赤く染まりながら私の前に立っている。
「遠坂、どうかしたか?」
夕焼けに赤く染まった屋上、ずっと変わらない少年。
だから少しだけ、素直になれた。
「なんでもないわ、帰りましょう、衛宮くん」
差し出した手、繋がれる手。
それはとても、暖かかった。
その日の夜、遠坂邸。
「まったく、私は家政夫ではないのだがな」
ぶつぶつと文句を言いつつも、その手さばきには一切の無駄がない。
今回の聖杯戦争に召還されたサーヴァント中、もっとも家事の似合う男、アーチャー。いそいそと朝食の仕込をするその様子は、どこからどう見ても家政夫以外の何物でもない。
ふと気付く。食卓のテーブルの陰に、真っ赤な包み紙に覆われた小さな箱。
あれは確か、凛が昨夜一晩かけて完成させた、衛宮士郎へ渡すためのチョコレートではなかったか。
朝の弱い凛が忘れていったのだろうか、それとも結局渡せなかったのだろうか。
眉をしかめつつその包みを手に取って―― そしてそのカードに気が付いた。
『料理のご教授ありがとうアーチャー。これはあなたの分、しっかり味わって食べなさい。それから――』
ふん、と鼻を鳴らした。
我がマスターは相変わらずだ。魔術師として類稀な才能を持ちながら、心の奥底にはこんなにも甘さを残している。いつかそれが命取りになると、あれほどに忠告しているというのに。
「まったく、度し難いな我ながら」
悪態をつくアーチャー。
その口の端は、僅かに微笑むように上げられていた。
『それから、これからもよろしく、アーチャー!』
おしまい