阿倍碧郎さん



10月20日
 日記より転載 74文字改行で122行


「お兄ちゃん、宅急便届いてたよ。向こうの家から?」
「ああ、そうだ。勝手に開けるなよ」
「開けないよ。どーせえっちな本とか詰ってるに決まってるもん」
「今更そんな事言う年でもあるまいに」
「気分の問題だよ、こーゆーのは」
「ほっとするようなつまらん様な、微妙な妹だな、お前」
「そかな?」
「解んね」
「ん、私も解んない。…とりあえずこれでも飲む?」
「おっと気が利くな、らしくなく」
「そんな事言うとあげないよ」
「はいはい、ありがとうございます妹様」
「やれやれ…。あっ、どーせお兄ちゃんお酒飲めないままでしょ。ジュースにしてあげたからね」
「そこには心から感謝だな。煙草もそうだけど、あんなもん飲んでもなんも良い事無いと思うんだが」
「多分私の方が飲めるね」
「お前、未成年だろーが。そりゃ経験則か?」
「さあ、どうでしょう〜〜?」
「…ま、程度もんならいいけれどな。んじゃ、頂きます」
「私も頂きますっと」
「…ふぅ。これで枝豆でもあると最高なんだがなあ」
「炭酸飲料に枝豆っていうその味覚センス、何とかならない?」
「うるさい、好きなんだからいいだろーが」
「絶対合わないと思うんだけどなあ。お兄ちゃんの奥さんになる人、間違いなくびっくりするよ?」
「そんな事恋人でも出来たら考える。今はいないから考える必要ない。はい、これでオッケー?」
「理系はこれだから……っていうか言っててむなしくならない?」
「なに笑ってんだ、お前?」
「何でもないよっ。…あ、お兄ちゃんいつまでこっちにいるの?」
「一週間くらいかな」
「…荷物送ってきた割には短いね」
「向こうの部屋が段ボールで一杯になってきたんでな。物置に入れておくものがほとんどだ、ありゃ」
「そっか…そうなんだ」
「なんだ、寂しいのか?」
「そっ、そんな訳ないでしょ! お兄ちゃんなんかいなくなったって全然へっちゃらへーで、これっぽっちも寂しくなんか無いんだからね! お兄ちゃんこそ寂しいんじゃないのっ」
「これっぽっちの大きさ示す手が小さすぎないか? ちなみに俺は全然寂しくないが……ってま、それもそうか。俺が一人暮らし始めてからもう半年だしな、いい加減いてもいなくても変わらないくらいにはなってるか」
「……」
「どーした、静かになったな?」
「……あのさ」
「ほえ?」
「心ってどんなものだか、お兄ちゃん考えた事ある?」
「藪から棒だな」
「お兄ちゃんの妹だもん、考え無しの発言は似たような物だって」
「ああ、納得納得。…心か、あるようなないような…。それがどーかしたのか?」
「私はね、今年に入ってからちょっと考えたんだ。心に風が吹き付けるようになって、穴を見つけて、だからゆっくりと考えてみた」
「受験勉強もしないで?」
「お兄ちゃんだって昔はろくにしてなかったでしょーが」
「またしても至極納得。んで、何を見つけた?」
「あ、うん。半年も経って、どうしてまだ風がこんなに冷たいのか。半年前と今とが、どうしてこんなに違うのか。何に心が対応できてないのか」
「……」
「心はね、そんなに器用じゃないんだよ、きっと」
「器用?」
「元々大きくて色々なものが混ざった世界に人が対応するために、優しさとか、思いやりとか、悲しさとか、ちょっとの意地悪とか。そういう物を備え付けるために人が作り出したのが、心だと思うの」
「……そりゃ大変だろうな、一手に担うにしちゃちょっと……」
「うん、お仕事が多すぎるの。だからね、心のどこかを変えるってのは凄く大変な事。大きなシステムの、どこかすらはっきり解らない、そして凄くたくさんの所にも入り込んでる何かを見つけて変えないといけないんだから…。思い切って変える事の方が、きっと簡単なんだよ」
「…だから、俺の方が楽って事か」
「今まで当たり前だった風景が、少しだけ変わる。…もちろんそこが、凄く大切な所なの。心には…少なくとも私の心には、それは簡単に出来る事じゃない。心がその風景に馴染むのは、とってもとっても大変な事」
「解る気がするよ。俺は、大きく変えた方だからな」
「私は、ちょっとだけ変えなきゃいけなかった。お兄ちゃんがいなくても、私は私で、この街にいられたから」
「……」
「いなきゃ、いけなかったから」
「そっか」
「そなの」
「……」
「………」
「それにしてもお前、妙に理屈っぽくなったな?」
「うん、新しいお友達で勉強の出来る男の子がいてね、その影響かな?」
「なにっ、彼氏か!」
「さあ、どうでしょう?」
「俺は許さないぞ…っていきなりそれもなんだな。どんなやつだ?」
「さっきの私の話、その人から聞いたことから思いついたんだよ。すっごく数学が好きな人なんだけれどね、その人がこう言ってたんだ」
「数学者か。…胡散臭くて役にたたない連中を俺はあんまり信用してないんだがな…」
「ちょっとだまって聞いてなさい」
「はい…」
「『何ヶ月かかかって書き上げた証明、それは僕にとって凄く愛着のある物だ。でももしその中の一箇所で、何回も使っている理屈にギャップが…ミスがあったとしよう』」
「…うん」
「『そのギャップは凄く大きくて、なんとか訂正できそうな予感はするけれど、でもそう簡単には行かない事も解る。もしかしたら元の証明より、こっちの訂正の方が時間がかかるかもしれない』」
「なるほど…」
「『その時僕は、その一部を…何度も出てきて使って愛着のある部分を直すよりも、もしかしたら証明そのものを全く違うものにしたいと思うんじゃないか。そっちの方が楽だし、一から始められるから創作としての充実感も感じられるんじゃないかって、そう思うんだ…』」
「……やっぱり数学は嫌いだ。でもそいつの言う事は解る気がするよ」
「私もそう思った。だからお兄ちゃんが帰ってくるまで、一生懸命考えたんだよ」
「……」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「寂しい?」
「……少しな」
「そっか。…私も、少しだけ寂しいかな」
「そっか」
「うん。…まだ、飲む?」
「そうだな…俺が持ってくるよ、何がいい?」
「ビールっ」
「くぉらあああぁっ!」
「てへっ…」



久慈光樹より一言

 碧郎さん、長すぎ……