今年も厳しい冬がやってきた。
 この街に、そして……この丘に。
 まとわりつくような寒風から身を護るように、自分をそっと抱え込む。


 ……何かを、待っていた。
 何かを待ち続けていた……。


 遠い記憶――白く霞む、想い出の彼方――。 


 ふと、視界に入る無数の白くて小さいもの。
 空を見上げると――風に混じってちらちらと降り注ぐ真白い雪。
 でも、言い表せない感情が沸き起ってきて……何かイヤ。

  キュン…

 何なの、これ……知らない感情……。
 怖くなって、あたしは寒さも忘れてその場から駆けだした。

『ほら、もう大丈夫だ』
 忘れたはずの、ずっと忘れたかったはずの――。

『よかったな、もう歩いてもいいぞ』
 忘れたかったのに――ずっと忘れられなかった、あの人の声――。

『うわっ、やめろよ……くすぐったいって』
 何で今ごろ思い出すのよっ!

  ……ザクッ!

「痛ッ!」
 完全な前方不注意だった。
 見ると、左の後ろ足が切れて血が滲んでいた。
「何なのよぅ…」
 あまりの痛さに涙目になりながら、その犯人を捜す。
 辺りを見回したところ、古びた陶器の欠片が目に入った。

  ズキッ!

「あ……っ」
 それを見た瞬間、胸が鋭い何かで刺されたように痛んだ。

 ――割れて汚れたお皿。
 あの人に捨てられた、そのときに残された、お皿――。

 飽きたらポイなんて人間、どこにでもいるのに。
 足のケガを見たときだけ同情して、要らなくなったから捨てた。
 あの人だって、きっとそうに決まってるのに――。
 ……なのに!

「どう、して……どうしてよぅっ」
 涙が、次から次から止めどもなく溢れ出す。
 思い出せば思い出すほど、胸がズキズキと痛む。
 募る憎しみと想い……でも『想い』なんて、あたしは知らない。
 ……どうして、あたしだけが苦しまなくちゃいけないの!?
 あいつの……、あいつ…の……っ!!


「バカァアアァァーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」



  キイィィィンッッ!!



 次の瞬間、あたしは眩しい光に包まれた。
 眼を開けられないほどの、強力な光に――。



  イィィ…ィィン……



 眼をうっすらと開けると、あたしを包んでいた光は消えていた。
 周囲を見渡したけど、場所もまったく変わってはいない。

「………あれっ…?」
 視線の高さに違和感を感じ、ふと自分の身体を見てみると――。
「な、何これ〜〜〜っ!?」
 それは明らかに人間の容姿だった。
 身体中の毛は消え、尻尾もなくなり、その代わりに――服を着た、あたし――。
「あた…し……、人間になっちゃった…の…?」
 その問いに応えてくれる者など、当然ながら誰もいない。

  カサカサカサ……

 ただ、雪をまとった風だけが草葉を鳴らしていた。
 まるで『あの人の元へ…』と肩押しするかのように――。



「………………っ!!」
 そのとき、人間の身体になり失われつつある嗅覚が、最後のチカラを発揮した。
 明確に甦る記憶の彼方に、あの人の――あいつの映像が浮かぶ。
 ――間違いない、あいつがこの街にいる。
 あいつがこの街に帰ってきた――!

 心の底から沸き上がろうとする感情。
 でも、あたしはそんなモノ知らない。
 今はただ、あいつが憎かったから――!
 よくもっ、よくもよくも……よくもぉぉっ!

「このあたしを苦しめてくれたわねぇ〜〜〜っ!!」

 そう叫ぶと、あたしは憎きあいつのいる街へと駆け出した。
 傷がもう塞がっていたことや、ポケットの中の黒皮の物体には気も留めずに――。


 あたしは知らなかった。
 憎きあいつのことを考えているあまり、それまでの記憶が無くなっていたことを……。


 ……ココハ、ドコ?

 ……アタシハ、ダレ?

 オボエテイルノハ……アイツヘノ、ニクシミダケ……。 





 ……苦しみの正体、その暖かさと家族の情愛……。
 その果てに待ち受ける絶望と奇跡を……。

 ――まだ何も知らない少女の、儚くて切ない物語――。

 

 

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