第13楽章【雪香る】

「むーっ! そんなこと言う人、嫌いですっ!」
 久々に聞いたな、この台詞。相変わらず表情はあまり怒ってないけど。
 ……って、栞にカレーを勧めた俺が悪いんだけどな。
 一口食べただけで、顔を真っ赤にして水を飲み干してしまったので、お子様な味覚して
るよな〜って笑ったら、栞の『そんなこと言う人、嫌いですっ!』が案の定、発動した。
「まあまあ、怒るなよ。あとでアイスおごってやるからさ」
「本当ですか?」
 途端に栞の目がパアッと輝いた……気がした。
「なら、許してあげます」
 満足そうに、しかし満更でもなさそうに、栞は人差し指を唇に当てながら微笑んだ。
「栞、あんたね。餌付けされてんじゃないわよ」
 香里の鋭いツッコミ。
「違うな香里。これは餌付けなんかじゃない」
 しかし、言われるままというのは少し癪なので、一応、反論しておいた。
「これは俺と栞の、いわゆるひとつのコミニュケーションってヤツだ」
「あのね相沢君……それを言うなら、コミュニケーションでしょ」
 香里の相変わらず鋭い、更なるツッコミが俺を襲う。
 流石は学年一番の成績を誇る我らが学級委員長……ってか?
「何か相沢君って……シミュレーションのこと、シュミレーションって言うタイプね」
 グサッ!
 ……図星だった。

 って、俺たちは一体何の話をしてるんだ?
「可愛い妹に二股を掛けてないかを監視する姉と、そのクラスメートの話」
「それは知ってる」
 いや、そうじゃなくて……。
「“地の文”を読むんじゃない! これは、俺の心の中の声なんだ!」
「まあまあ、細かいことは気にしない〜」
「細かくねぇよ!」
「ふふっ」
 先程の真剣な表情は、雰囲気は、微塵も考えられない。
 俺たちは名雪の話をしに来たんじゃなかったのか?
「そうそう、名雪の話だったわよね」
「だから“地の文”を…」
 そこまで言って、俺の言葉は止められた。香里の先程と同じ、真剣な表情によって。
「名雪は今、私の家にいるって言ったわよね」
「ああ」
 さっき食堂に入る前、栞と合流する直前に聞いた、香里の言葉。
「まあ、私の部屋にかくまってる訳だけど……」
「ゴメンな、迷惑掛けちまって」
「迷惑、って訳じゃないのよ」
 じゃあ、という俺の質問に香里は続けた。
「ビックリしたわよ。名雪、真夜中に電話してきて、今晩泊めてって言うんだもの」
 そりゃあビックリするだろう。
 迷惑とか非常識とか、そういう以前に、名雪がそんな時間帯に起きてること事態、本来
驚くべきことだよな。やっぱり。
「そうそう。こんなこと私が言っても全然説得力ないと思うんだけど、まさに奇跡よね」
 もう、地の文のことについてはツッコむまい。
 そして、栞が死の淵から生還した以上、香里が奇跡という言葉を口に出そうが、それも
いちいちツッコむべきことじゃない。
「でも香里、それは奇跡なんかじゃない」
「……解ってるわよ。だって名雪、目が真っ赤だったもの」
「俺のせいなんだ。俺が名雪を、泣かせた……」
「それも解ってる」
 もう隠せまい。名雪が香里の家に泊まっている以上、香里にだけは事情を話さないと。
 解ってくれる。名雪の親友である香里なら、今の落ち込んでいる名雪を、あるいは。
 ゴメン、秋子さん。でも香里(と栞)なら、解ってくれると思うんだ。
 俺は意を決して、秋子さんがしてくれた話を香里たちに聞かせた。
「あのな香里、栞も聞いてくれ。実は、名雪は……」

第14楽章【親友ということ】

 パチィイイィィーーーーーーンン……。
 食堂に乾いた音が響く。
 ちょうど昨夜、俺が名雪にしたように。
 今度は香里が、俺に平手打ちをしていた。
 食堂の喧騒が消え、今は周りの人間全ての視線が俺たちに注がれている。
 その中に北川の姿がちらりと見て取れた。
 栞は両手で目を塞ぎながら、しかし指と指の隙間から、事の顛末を見届けている。
 きっと子供の頃は、怖いものは見たくもないのに、こうやってついつい見てしまう性格
だったのだろう。
 そんな冷静な思考と、いろいろとあって混乱した思考とが、頭の中を駆け巡っている。
 俺は香里を見なかった。香里の目を、まっすぐに見られなかった。
「そうやって、目の前の現実を見据えないで、目の前の現実から逃げて、それで……」
 俺は何も言わなかった。何も言えなかった。
「そうやって、自分を責めてばかりいれば、どうにかなるとでも思ってる訳!?」
「お、お姉ちゃん。落ち着いて……」
 栞がさっきとは違う理由で、顔を真っ赤にして香里を止めようとする。
「これがっ、落ち着いていられる訳ないでしょうっ!」
 声のトーンがあがる、嗚咽混じりの声。
「ごっ、ごめんなさい……」
 普段見せない香里の姿に、様子に、怯えている栞。
「巻き込むなよ。悪いのは俺だ、栞は関係な…」
 パチィーーーン。
 再び、香里の平手打ちが襲う。
「相沢君がしっかりしていれば、名雪はあんなに泣くこともなかった!」
 パチィイィィーーーンン…。
「相沢君が支えてあげていれば、名雪は傷付かずに済んだっ!」
 パチィイイィィーーーーーーンン……。
「相沢君が、相沢君がっ、相沢君が〜〜〜っっ……!!」
 ハァハァと肩で大きく息をしながら、嗚咽混じりの声で言う。
「名雪がっ……可哀想よっ!!」
 それだけ言うと、香里はその場に座り込んで、泣き崩れてしまった。

 親友だから……名雪の、親友だから。
 だからそんな仕打ちをした、そんな状況に追い込んだ、俺が許せないのだろう。
 名雪の彼氏として、余計にだ。
 それほどまでに、名雪はひどい状態なのか。
 ひどい顔をして、香里の家を訪れ……もとい、俺から逃げたのか。
「あの、祐一…さん……」
 栞がおどおどと俺の制服の袖を引っ張る。
「……何?」
「名雪さんに、会って下さいませんか?」
「………」
「今日の学校帰り、家に名雪さんを迎え来て下さい!」
「………」
 俺は考えていた。
 無論断るつもりはない、早く名雪を迎えに行きたい。
 恥ずかしい話、たった一日名雪の顔を見ないだけで、俺、メチャクチャ不安なんだよ。
 でも……俺が香里んちに行ったとして、名雪は、受け入れてくれるのか?
 名雪は俺を拒絶せず、俺と一緒に秋子さんの元へ帰ってくれるのか?
 いや、だがしかし……!
「迎えに来て下さい、だそうだ」
 声がしたので振り向いてみると、北川だった。
「水瀬、助けたいんだろ。じゃあ迎えに行ってやらないとな」
「き、北川……」
「お前らの話、遠巻きながら聞かせてもらったよ。俺だけ仲間外れなんてズルイぜ?」
 俺は恥ずかしくなった。
 何で俺は、ふたりに名雪のことを隠そうと思ったのだろう。
 ふたりはこうして、現実をすんなり受け入れてくれているというのに。
「……そうだな。香里、行ってもいいか?」
「きっ、来なさいよ……って言うか、名雪っ、助けてって、言った……でしょ?」
 まだ、嗚咽混じりにしゃくりあげる香里に、栞に、そして北川に感謝しながら、祐一は
自分の未熟さを改めて痛感させられた。
 そうだ、頑なに自分を責めてもダメだ。
 名雪を救ってやらないと。名雪を、助けてやらないと。
 崩れ去った積み木はまた新たに積み直せばいいんだ。
 ……そうだよな、名雪。

第15楽章【家族ということ】

 いつもより少し遅めの、一人足りない、水瀬家の夕飯。
「ねえ、秋子さん。名雪は?」
「名雪さん、どうしていないの?」
 事情を知らない真琴とあゆが、秋子さんに詰め寄る。
「名雪は、そう……お友達の所に、泊まりに…行ってるのよ……」
 どうしても作り笑いになってしまう秋子さん。
「ふーん…」
「そうなんだ〜」
 その様子に戸惑いながらも、曖昧に返事をする二人。
 俺が名雪を迎えに行かなかった訳じゃない。
 学校帰りに、美坂家に迎えには行った。
 もう一日じっくりと気持ちを整理したいから、今日はまだ会いたくない。
 ――そう、香里の口から名雪の気持ちを伝えられたから、待っているだけだ。
 ちなみにそのことはまだ、秋子さんには言ってない。
 無論、真琴たちには話の内容自体、伝えてない。
 流石に今朝の秋子さんの様子を一緒に見ていた舞には言おうかどうか迷ったけど。

「秋子さん」
 俺は、ある決心をした。
「は、はい? 何ですか、祐一さん……」
「みんなに、話そうと思うんです。あのこと……」
 秋子さんの目が大きく見開かれた。
 平静を装いながら、それでも慌てているのが目に見えた。
「な、何を言ってるんですか、祐一さん……」
 秋子さんが、俺の視線から目をそらそうとする。
「逃げないで下さい、秋子さん!」
 秋子さんが肩で大きく反応する。
「俺はそんな秋子さん、好きじゃないです」
 途端に後頭部に無言チョップが入る。
「ぐあっ!? い、いきなり何するんだよ、舞〜…」
「お母さん、虐めるな!」
 やはり、秋子さん本人の前でも、素直にお母さんと呼んでくれるんだな。
 俺はそんな優しく、純粋な舞に感謝しながら、
「虐めてない、虐めてないっ!」
 色んな意味でも、説明しなきゃいけないかな。やっぱり。
「秋子さん、本当のこと言います。名雪の、行方……」
「……え? な…名雪っ、今どこにいるんですかっ!?」
 急に取り乱す秋子さん、少し、嬉しそうに。
 いつもは適度に親切、適度に放任って言ったって、いざというときは、年頃の娘の母親
なんだな。何だか逆に安心したよ。
「今、香里の家にいます」
「え……美坂さんのお宅に?」
「でも、もう少し待ってほしいそうです。まだ、俺にも会ってはくれませんでした」
 もう少し、ではない。本当は、もう一日だ。
 でも、秋子さんを焦らせないためにも、俺はわざとそう言った。
「そう、ですか……」
「気持ちの整理を付けたいんでしょう。だから帰ってくる名雪のためにも、そして……」
 俺はそこで一旦言葉を止め、深呼吸をした。
「お互い、本当の意味での家族になるために、気を遣わないように……」
 そう、俺たちは家族なんだ。
 限度はあっても、気兼ねなんていらない、気を遣ってはいけない。
「そのためにも、みんなには事情を話した方が、いいと思うんです!」

 秋子さんは少しの間、迷うようにしばらく目を伏せて、それから笑って、
「私ったら、一体何をしてたのかしらね」
 普段通りの、秋子さんらしい、優しい笑顔だった。
 微笑みながら頬に手を添える仕草。
「俺から、みんなに話しても、いいですか?」
「了承」
 出た。必殺『一秒了承』が、秋子さんが、ついに復活した!
「ごめんなさい祐一さん。最初から、みんなに話しておけばよかったですね」
 いや、何の脈絡もなく最初からいきなり話すってのは、それはそれで問題アリアリだと
思いますよ、流石に。
「ねぇ、さっきから一体、何の話?」
「うぐぅ……ボクたちを無視して、話を進めないで〜」
 人の気も知らず、真琴とあゆが散々なことを言ってくれる。
 待て待て、今からシリアスな話をしてやるから。
 チョップをしてから真剣に話を聞いていた舞が、俺に向き直って、
「祐一、私は悲しいお話は好きじゃないけど――」
 そこで舞は、本当に少しだけ笑って、
「でも、それが名雪の、お母さんの、そして……みんなのためになるのなら、話して」
 本当に舞って、普段の無口を補うくらいに核心を突く台詞を言ってくれるよな。
「……ああ!」
 そして俺は、昼に香里たちに話したことを、今度は舞たちに話した。

第16楽章【想い】

「ものみの丘の方が、騒がしいですね」
 天野が何気なく言う。
「そうか?」
「ええ、聞こえます。あの子たちの声が……」
 言われてみれば、ものみの丘からそんな気配が感じ取れるような、取れないような。
「近い内に、何かが起こるみたいですね」
 受け取り様によっては怖いことを、天野はさらっと言う。
「相沢さん。もうそろそろ……」
 天野が中庭の時計を見てそう言った。
「ああ、もうすぐ昼休みも終わりだしな」
「それでは」
「天野も、元気出せよ」
 俺の言葉を理解しかねたようだ。解らないといった天野の表情に、
「忘れることはできない。でも、乗り越えることはできると思うんだ」
 いつか、あゆが俺に言った台詞。
 ずっと昔の話だけどな。
「はい。ありがとうございます、相沢さん」
 俺の真意を妖狐のことだと読んだのか、天野は笑顔で校舎に帰っていった。
 さて、俺ももうそろそろクラスに戻らないと……。

「えぇええぇぇ〜〜〜〜〜〜っっ!?」
「秋子さん、名雪さんの本当のお母さんじゃないの!?」
「………!」
 予想通りの表情を、反応を示す三人。
「え、ええ……」
 やはり少し困り顔の秋子さんに、三人は困惑していた。
 昨日の晩の出来事。
 俺が、真実を、名雪が実は秋子さんの実子ではなく親友から託された子だということを
みんなに話した――。
「じゃあ、名雪は……」
「やっぱり、家出?」
 真琴とあゆが顔を見合わせる。
「でも、すぐ帰ってくる」
 俺は秋子さんと、それから自分自身に言い聞かせるためにも、そう言った。
「名雪のことだ。本当は今頃、お母さんのイチゴジャムを食べたいよ〜とか言って、帰り
支度をしてるんじゃないのか?」
「それは言えてる。だったら、帰ってくるよ」
 真琴が微笑みながら自信満々に言った。
「名雪さん……帰ってくるよね?」
 あゆが心配そうに、俺と秋子さんを交互に見ながら言う。
「当たり前だ。名雪がここ意外に帰る場所なんて、あるもんか!」
 もう一度、自分自身に言い聞かせるために、そしてみんなを安心させるために。
「だから、みんなもあまりそのことには触れ過ぎず、拒み過ぎずに接してくれ」
 俺の、そして秋子さんの、心からの願い。
「みんな、今更だけど……名雪のこと、お願いね」
 秋子さんの声が震える。
「あの子も、そしてみんなも、同じくらい……大切に、思っているから……っ!」
 また、秋子さんの目から、悲しみの結晶がこぼれる。
「秋子さん……そんなこと、本当に今更ですよ」
 俺が心からそう言うと、
「そうだよ秋子さん。だって名雪、家族だもん!」
「うぐぅ……ボク、名雪さんがいないと、やっぱり寂しいよ〜」
「……私も寂しい。やっぱり名雪の部屋には、名雪がいないと……」
 みんな名雪を大切に想ってくれてるんだな。
 みんな、やっぱり家族なんだな。
 俺は鼻頭の辺りが熱くなって、涙ぐんで、でもその涙を拭わずにいた。
「……だ、そうです!」
 照れ隠しに笑って、情けないくらいに涙声で、でも――。
「みんな……ありがとう……!」
 秋子さんは、そのまま嬉し泣き崩れた。
 多分、一生で嬉しい出来事ベスト3には入ったんじゃなかろうか。
 俺も泣くのを堪えるのに必死だった。物凄い精神力を使った。
 あゆも、真琴も、そして驚いたことに……いや、驚くべきことではないだろう、舞も、
泣くのを堪えながら秋子さんを、血の繋がらない、でも最愛の娘を想うが故に泣くひとり
の母親を見守っていた。
 名雪、お前、みんなにこんなに想われてるんだぞ。
 早く帰ってこいよ、この水瀬家に!

 ……キーンコーンカーンコーン……。
 チャイムが鳴って物思いは中断された。
 気が付いたら、俺はまた泣いていた。
 今度こそ涙を拭うと、俺は教室へ向かって走った。

第17楽章【訪問者】

 名雪が今晩、帰ってくる。
 気持ちの整理は付けられたのだろうか。
「今晩、秋子さんと二人で迎えに行くよ」
「そう……仲直りできたらいいわね」
「できるさ、絶対! 少なくとも、秋子さんとは……仲直りして貰わないと」
「何言ってるのよ。相沢君とも……でしょ?」
 そうだな。心配してくれて、本当にありがとな。香里。
「祐一さん、頑張って下さいね!」
「ああ。栞も、ありがとう」
 校門で二人と別れる。
 元気よく手を振る栞を、香里が早く帰るわよと促す。
「さて、早く帰って名雪を迎えに行く準備しないと」
 俺は踵を返して帰途についた。

 家に着いたら、秋子さんの姿がなかった。
 真琴たちに名雪が帰ってくることを伝えると、
「どうしても仕事が抜けられないから、帰りは遅くなるって」
 あゆが、秋子さんからさっき電話があったと説明してくれた。
 秋子さんに昨夜、言わなかったことが、逆にアダになってしまったか。
 かと言って、秋子さんの仕事の電話番号は知らないし
「それで、秋子さんがいないんじゃご馳走つくれないよね……」
 アタシたち料理苦手だし、と付け加えて、真琴がうつむく。
 確か秋子さん、名雪が帰ってくるときはご馳走とイチゴのデザートつくって迎えてあげ
たいって言ってたよな。
 当の秋子さんは、まさかそれが今日とは知るはずもないが。
 昨夜の内に事実を言わなかったことを後悔する。
「……大丈夫」
 リビングから舞が出てきて、落ち込んでる俺たちに向かって自信満々に言った。
「何が大丈夫なんだ? 舞、料理できたっけ?」
「失礼だよ、祐一君!」
 すかさずあゆがツッコむ。
 んなこと言ったって、食べられるものをつくれないあゆが言っても説得力がないぞ。
「私は、つくれないけど……」
 舞の正直な告白に、俺もあゆも思わずコケた。
「そ、それなら、何が大丈夫なんだ?」
「佐祐理がつくってくれてる」
「え……佐祐理さんが?」

 俺は慌ててダイニングキッチンに向かう。
 そう言えば玄関に入ったとき、見慣れない靴があったような……。
「祐一さん、家の中は走っちゃ駄目なんですよーっ」
 手慣れた手つきで楽しそうに料理している佐祐理さんが、振り向きながら言う。
「佐祐理さん!」
「舞から理由は聞きました。もう舞や祐一さんと食べるお弁当もつくる必要がなくなって
しまって、それで寂しくなって……でも、久々なので、腕が鳴りますっ!」
 その表情がフッと翳って、でもすぐ笑顔で、佐祐理さんが張り切る。
 ……ボカッ!
 またもや、舞の無言チョップ。
「ってぇええぇぇ〜〜〜っ!」
「佐祐理、虐めるな!」
「だからっ、虐めてない、虐めてないっ!」
「あははーっ。舞、喧嘩しちゃ駄目だよ〜っ」
 佐祐理さんが本当に楽しそうに、幸せそうに笑う。

 しばらくして、電話が鳴った。
「今、仕事が終わったところです。晩ご飯は帰ってからつくりますから、それまで待って
いて下さいね」
 思ったより早く終わってよかったです、と秋子さんが受話器の向こうから付け足す。
 ちょうどよかった、今から事情を話せば……。
 祐一はこれまでの経緯を手短に話した。
「そう、ですか……でしたら私、イチゴのショートケーキを買って、あとから美坂さんの
お宅に伺いますから、祐一さんたちはお先に行っていて下さい」
 秋子さんが感情を抑えて、平静を装って言う。本当は心底嬉しいのだろうに。
「ん……解りました。じゃあ先に行ってます」
 受話器を置くと、様子を伺っていた真琴たちの顔が、話の内容を知りたがっていた。
「ああ、秋子さんはあとから美坂家に向かうから、先に行っててだとさ」
「それなら、みんなで名雪さんをお迎えに行きましょうよーっ!」
 いつの間にか料理を終えた佐祐理さんが、話をまとめてくれた。
 そうだな、俺だけじゃなくって、みんなで行こう。
 みんな、家族なんだからな!
「ふぇーっ。残念ながら、佐祐理だけは該当しませんね〜……」
 佐祐理さんが半分、冗談とも本気とも取れない泣き顔のような表情で苦笑いしていた。
 振り向くと、殺気を抱いたチョップが目前にまで迫っていたのは言うまでもなかった。

 

 

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