痕 SS

       
初音ちゃんの嘘







 今日は4月1日――

 いゆわる、世間ではエイプリルフールと呼ばれている日だ。

 普段なら、大して気にも止めずに過ぎてしまう日なのだが、
暇を持て余していた俺は、この特別な日を有効に使ってみようと思った。

 ……さて、となると、誰を騙してやろうか。

 自分の部屋でゴロゴロと転がりながら考える。

 真っ先に梓の顔が思い浮かぶが、
この歳でエイプリルフールなんぞと言っていることを馬鹿にされそうだな……パス。

 次は楓ちゃんだけど、あの子はリアクションが小さ過ぎて
騙しても面白くなさそうだし……パス。

 千鶴さんは……ダメだな。
場合によってはシャレじゃ済まなくなりそうだ……パス。

 となると、最後に残ったのは……、

「お兄ちゃん……どうしたの?」

 と、俺がターゲットを考えていたところに、初音ちゃんがやってきた。

 ……初音ちゃんかぁ。

 確かに、初音ちゃんなら簡単に騙せそうだし、
嘘だと分かっても笑って許してくれそうだ。

 でも、初音ちゃんを騙すって言うのには、
少々罪悪感が伴うんだよなぁ。

 いや! 躊躇するな、柏木 耕一!!
 男……いや、漢なら初志貫徹っ!!
 ここは非情に徹するんだ!!

「あのさ……初音ちゃん」

「な〜に? お兄ちゃん」


 
――にこっ☆


 
う゛っ……。


 初音ちゃんの天使の微笑みに、俺の決意が揺らぐ。

 頑張れっ、俺っ!!
 負けるなっ、俺っ!!

「あのさ、初音ちゃん……大事な話があるんだ」

「大事な……話?」

「そう……とっても大事な話なんだ」

 俺は真剣な表情で初音ちゃんを見つめる。

 初音ちゃんは、そんな俺の態度に戸惑っているようだ。
 胸に手を当てて、緊張の面持ちで俺の言葉を待っている。

「実はね、初音ちゃん……」

「う、うん……」

「俺、本当は初音ちゃんのことが大嫌いなんだ」

「……………………え?」

 予想外の俺の言葉に、初音ちゃんは硬直している。

 ふふふ……騙されてる騙されてる。

 俺が初音ちゃんのこと嫌いなわけないのに。
 いや、そもそもこの子を嫌いになる奴がこの世にいるのだろうか?
 もしいたとしても、そいつはとんでもなく心が荒んでるな、絶対。

「そんな……お兄ちゃん……」

 初音ちゃんは、まだ硬直が解けていない様子だ。

 やれやれ……ちょっと考えれば、嘘だってわかるのに。

 と、俺がそろそろ嘘だと教えてあげようと思い始めていると……、

「……うぐっ……ひっく……」

 突然、初音ちゃんはポロポロと涙をこぼして泣き出してしまった。

「ちょっ、ちょっと……初音ちゃん?」

「……ひっく……やだよぉ……わたしのこと、嫌いになっちゃやだよぉ」

 しまった! この子はこういう子だったんだ!

「ああああ、うそうそ! 初音ちゃん、全部嘘なんだよ!」

 俺は慌てて泣きじゃくる初音ちゃんを抱きしめて、
優しく頭を撫でる。

「え? 嘘……なの?」

 俺のその言葉に、初音ちゃんは涙目で俺を見つめる。

「そうそう。ほら、今日はエイプリルフールだろ?
だから、ちょっと初音ちゃんをからかっただけなんだよ」

 俺がそう言うと、初音ちゃんはまたジワ〜ッと涙を溢れさせる。

「ヒドイよぉ……ヒドイよぉ……あんな嘘つくなんてヒドイよぉ……」

 そして、俺の胸を、その小さな拳でポカポカと叩く。


 
ポカポカ……
 
ポカポカ……


「わたし……ひっく……悲しかったんだからぁ。
お兄ちゃんに嫌われちゃって、すごく悲しかったんだからぁ……」


 
ポカポカ……
 
ポカポカ……


「ヒドイよぉ……ヒドイよぉ……お兄ちゃんの……ばかぁ……」


 
ポカポカ……
 
ポカポカ……


 初音ちゃんは、何度も何度も俺の胸を叩く。

 ……全然、痛くない。
 でも、心が凄く痛かった。

「……初音ちゃん」

 俺は力一杯、初音ちゃんを抱きしめた。

 ……俺は後悔していた。

 何やってんだ、俺は。
 こんなにいい子をくだらない理由で泣かしてしまうなんて。

 俺に嫌いと言われて泣いてしまうくらい、俺のことを慕ってくれているのに。

 ごめんよ……初音ちゃん。

 俺は心の中で謝りながら、初音ちゃんが泣き止むまで、
ずっと頭を撫で続けた。








「初音ちゃん……もう落ち着いた?」

「……うん」

「ごめんね……もうあんな嘘、絶対につかないから」

「……うん」

「…………初音ちゃん?」

 どうしたんだろう?
 初音ちゃん……さっきから、俺の顔を見ようとしない。

「もしかして、怒ってる?」

「ううん、違うの……ただ、ちょっと恥ずかしくて……、
お兄ちゃんの顔……見れないの」

「……どうして?」

「だって……大嫌いっていうのが嘘から……その……」

 と、そこまで言って、初音ちゃんは恥ずかしそうに俯いてしまう。

 …………あ、そうか。
 大嫌いの反対は…………。

 い、いかん。
 こっちまではずかしくなってきた。

 な、なんとか、この何とも気まずい雰囲気を打破しなければ……、

「そ、そうだ! 初音ちゃん」

 その場の雰囲気を誤魔化すかのように、俺はわざとらしい声をだした。

「え? な、何っ?」

 突然、俺が大きな声を出したので、
初音ちゃんはビクッと体を震わせる。

「俺さ、さっき初音ちゃんにヒドイ嘘ついちゃっただろ?
だからさ、今度は初音ちゃんが俺に嘘をついてよ。
俺が言ったのと同じやつ」

「え? で、でも……」

「いいから。そうしてくれないと、俺が納得できないんだ」

「う、うん……わかった」

 初音ちゃんは頷くと、両手をキュッと胸の前で握って、
俺を見つめる。

 そして、意を決して嘘をつこうと口を開きかげるが……、

「…………」

 途中で口を噤んでしまった。

「どうしたの? ほら、早く」

「う、うん……」

 と、頷く初音ちゃん。

 しかし、何度挑戦しても、初音ちゃんは嘘をつくことができない。

 そして、いつしか……、

「……ひっく……ひっく……」

 また泣き出してしまった。

「ど、どうしたの!? 初音ちゃん、俺また何かした?!」

 初音ちゃんの涙に焦る俺。

「……ダメだよ……嘘でも……お兄ちゃんのこと、嫌いだなんて言えないよぉ」

「初音ちゃん……」

 ……………………ああもうっ!!


 
がばっ!!


「きゃっ!」

 感極まった俺は、初音ちゃんを思い切り抱きしめていた。

 初音ちゃん……何でキミはこんなにいい子なんだ!

「ごめんね、初音ちゃん……もうそんな嘘はつかなくていいよ」

「……うん」

「そのかわり……初音ちゃんの正直な気持ちが聞きたいな」

 俺がそう頼むと、初音ちゃんはちょっと迷った後、
恥ずかしそうに頷いてくれた。

 そして、俺の胸に顔を埋めると、消え入りそうな小さな声で……、

「……大好き(ポッ☆)」

 と、言ってくれた。

 くうぅぅぅぅぅぅーーーーっ!! もう辛抱たまらんっ!!

 抑えがきかなくなった俺は、
手を頬に添えて、そっと初音ちゃんの顔を持ち上げた。

「あ……」

 俺が何をしようとしているのかを察し、
初音ちゃんは瞳を閉じる。

 そして、二人の唇がゆっくりと……、

「こういちーーーーーーーーっ!!」

 ……重なることはなかった。

 梓の叫び声で邪魔されてしまったのだ。

 ちっ……梓の奴……いいところで。

「耕一っ! あんた、初音に何してんのよっ!!」

 梓は憤然とした表情で腰に手を当て、
部屋の襖の側に仁王立ちして、俺を睨んでいた。

 どうやら、キスしようとしてた事には気付いてないみたいだな。
 もし気付いてたら、問答無用で鉄拳制裁だっただろうからな。

「何って、いつもの様に……」

 何事も無かったかのように、俺は初音ちゃんの頭を撫でる。

「……こうやって、いーこいーこしてただけだぞ」

「そのなの? まったくもう、紛らわしい。
コラッ! 初音! いつまでそいつにくっついてんの?!
いつまでもそんなのにくっついてたら妊娠しちゃうわよっ!」

「別にいいよ」


「「んなっ!?」」


 大胆な発言をしれっと言う初音ちゃん。

「は、初音ちゃん……?」

 あまりのことに、俺は言葉を失い、まじまじと初音ちゃんの顔を見る。

 …………そして、気が付いた。

 なるほど、そういうことか。
 それなら……、

「そうだよなぁ。何たって、初音ちゃんは、将来、俺の嫁さんになるんだもんな。
ちょっと早くなるだけだよな」

「そうそう」

 初音ちゃんに話を合わせる俺。
 その俺に、笑顔を向ける初音ちゃん。

 で、一方……、

「な、なな、ななな、なななな、ななななな……!!」

 驚きのあまり、梓は口をパクパクさせている。

 ははは……そろそろ勘弁してやるか。

「梓……嘘だよ、う・そ」

「そうだよ。梓お姉ちゃん」

「…………は?」

「今日はエイプリルフールだからな」

 それを聞き、梓は一瞬固まる。
 そして、へなへな〜っと、床にへたり込んでしまった。

「おいおい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫……ま、まったくもう……まんまと騙されちゃったわ。
そうよね、よく考えたら、初音があんなこと言うはずないものね」

 と、梓はよろよろと立ち上がり、ふらふらとした足取りで
部屋を出ていった。

 結構、ダメージ大きかったかな?

「ちょっとやりすぎちゃったかな?」

 と、少し不安げな初音ちゃん。

「いいっていいって。せっかくのいい雰囲気を邪魔したような野暮な奴には、
あれぐらいでちょうどいいよ」

「そうかなぁ?」

 そう言う初音ちゃんは何処となく満足げな表情だ。
 多分、思ったよりも上手く梓を騙せたのが嬉しいのだろう。

 きっとこの子の事だ。幼い頃から、
この日は何度も引っ掛けられてたんだろうなぁ……特に梓に。
 で、たまに反撃しても簡単に見破られちゃってたんだろうなぁ。
 今回は、期せずして、その仕返しができたってわけだ。

 しかし、さっきの梓に言ったセリフ……あれは本当に嘘だったのだろうか?

 この子は嘘がつけない子だ。
 だから、例え嘘をついても、すぐに顔や言葉遣いに出てしまう。

 でも、さっきのは、初音ちゃんにしては、あまりに上手すぎたぞ。

 もしかして……、

「ところで、初音ちゃん……さっき言ってたことは本当? それとも嘘?」

「ふふふ……どっちだと思う?」

 と、初音ちゃんは悪戯っぽく微笑む。

「あっ、そういう言い方はズイな」

「そう言うお兄ちゃんこそ、さっき言ってたのは本当? そりとも嘘?」

 そう訊ねる初音ちゃんに、俺は……、

「それはね……」


 
――ちゅっ☆


 と、不意打ち気味にキスをした。

「お、お兄ちゃん……」

 自分の唇に手を当てて、初音ちゃんは目を白黒させている。

 そんな初音ちゃんの耳元で、俺は答えてあげた。

「それはね……初音ちゃんの気持ち次第だよ」

 そして、それから後のセリフは、心の中で続ける。








 ……俺の気持ちは、もう決まってるんだからさ。








<おわり>