作者:流人


『あの、上月さん。ちょっといいかしら?』
『・・・・・・(深山部長?)』
『来年の3月に行われる舞台の配役の事なんだけど・・・』
『・・・・・・』
現実に立ち向かいそして夢に向かって歩き出すということ
何事にも縛られず自らの持てるすべての力を形に変えること
それは決して容易な事ではないだろう
けれど必要なのは奇跡ではない
そう本当は誰もが知っているのだ
それはどんな時も前へ進んで行く強い意志だということを

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「なかなか良く出来ていると思うぞ、この台本」
「・・・・・・」
澪は、うんっ。
と元気良く頷いた。
俺は澪の部屋で、手渡された舞台の台本に目を通している。
俺と澪が、来年3月に行われる舞台の台本を考え始めてから2ヶ月が過ぎた。
もう夏の装いの人達で町は賑わい
照りつける日差しは、夏の到来を予感させていた。
そして俺と澪は、散々考えた結果
やはりオリジナルの話を考える事にした。
その内容は、事故によって記憶はおろか
言葉や感情を表す事さえ出来なくなった少女が
恋人だった男と記憶と感情を取り戻すため、色々な人と出会い
そして、様々な出来事を乗り越え成長していくという物だ。
だが、この台本は、俺達だけでは完成させる事が出来なかったので
骨組みだけ考えた後、演劇部全員で台詞や舞台設定などを決める事にしたのだ。

「澪も、明日から早速練習だな」
「・・・・・・」
澪は、うん、うん。
と2回頷き、オレンジジュースの入ったグラスを手に取った。
だが、この台本は、はっきり言って難しいと思う。
特に澪の役柄は、登場してすぐ事故に遭い
話す事が出来ないばかりか、感情さえも表に出す事も出来ないのだ。
この話が、本当に劇として成り立つのだろうか?
澪が、役者として舞台に立つ事に、そこまでこだわらなければならないのだろうか?
澪は、もう十分頑張ったのではないだろうか?
俺は、このシナリオを読んで、そう思わざるを得なかった。

「なあ、澪・・・あの・・・澪は・・・」
「・・・・・・(?)」
辛くないのか?
たくさんの人が見ている前で、自分が言葉を話す事が出来ないという事を示すこと
それはまるで、サーカスのピエロのように
道化を演じることを強要されている事と同じだとは思わないのだろうか?
だが、台本を見て欲しいと、俺に台本を手渡してくれた時の表情
そして、今俺が”なかなか良く出来ていると思うぞ、この台本”と言った時の表情
とても嬉しそうに微笑み
その舞台に思いを馳せる澪を見ていると
俺は、その言葉を口にする事は出来なかった。

「い、いや、なんでもない。じゃー、俺はそろそろ帰るよ」
「・・・・・・(?)」
もう日が暮れようかという時間だったので
俺は、立ちあがり、家に帰る事にした。
澪は、俺の言動を少し理解出来なかったようだが
澪も立ちあがり、いつものように俺を玄関まで送ってくれるようだ。

「俺も、出来るだけ学校に行って、舞台の用意を手伝うから」
「・・・・・・」
澪は、うんっ。
と嬉しそうに微笑みながら元気良く頷いた。
演劇部は、恒常的に人手が足りず
一人で、数人分もの仕事をこなさないといけない。
それは、役をもらった人でも、大道具や小道具の準備をしなければならないからだ。
だから俺は、演劇部に所属していた経験を生かして、大道具や小道具を作る手伝いをするつもりだ。
そして俺は、澪に見送られながら家に帰った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「折原君、今日も手伝いにきたのかい?」
「ええ、俺達は、今が一番忙しい時ですから」
吐く息は白く、朝晩の冷え込みが一層厳しくなってきた。
学校は、冬休みとなり
校舎には、ほとんど生徒は見当たらなかった。
俺は、学校の廊下を演劇部の部室に向かって歩いていると
英語の先生とすれ違い、軽く会釈をした。
しかし、このところ毎日のように来ているな。
最初のうちは、学校に入る時、用務員のおじさんに止められたりもしたが
今やもう、顔パスで学校に入れるようになった。

「折原先輩、こんにちは」
「ああ、こんにちは」
俺が、演劇部の部室に着くと
数人の下級生の演劇部員が、挨拶をしてくれた。
部室の中を見てみると、ほとんどの演劇部員が、ノコギリや金槌を持ち
ベニヤ板で背景のセットを作ったり、出来上がったセットにペンキで色塗ったりしていた。
そして澪が、椅子に座り窓の外を眺めているのが見えた。

「澪、調子はどう・・・」
「・・・・・・」
俺は、背筋が凍るような感覚に襲われた。
振り向いた澪が俺を見る視線
それはまるで、他人を見るような瞳で
いつものように、俺に抱きついてくるようなこともなく
ただ空虚な空間を見るような・・・
そんなまさか、また俺は・・・・・・
あれ?ちょっと待て
今、部室に入る時、確か下級生の部員達が俺に挨拶をしてくれたぞ。
他の演劇部員達が、俺をこの世界に留めているなどという事は絶対にあり得ないはずだ。

「澪、もしかして、舞台の練習中なのか?」
「・・・・・・」
澪は、うん、うん。
と小さく2回頷き
そして、再び演劇の練習を再開し
無感情な瞳で俺を見ている。
心臓が止まるかと思った。
俺は一年の時を経てこの世界に帰ってきた。
それは、澪に会うために
澪のそばに居たかったからなんだ。
もし今、澪に俺の事を忘れられてしまったらと思うと
体中の力が抜け、震えが止まらなかった。
今度もう一度、澪が俺の事を忘れてしまうような事があったら
もう、俺は、この世界に
澪のいるこの世界に戻ってくる事は出来ないだろう。
確かにそれは、澪の演技が良くなってきたという表れなのかもしれない。
だが俺は、ささやかな仕返しをする事にした。

「澪・・・」
「・・・・・・」
俺は、澪の真正面にしゃがみ、澪の顔を真顔で見据えた。
澪は、相変わらず無表情なままで、俺を見ていた。

「(んべえ)」
「・・・・・・」
俺は、自分の口の両端を人差し指で引っ張り
舌の先で鼻を触ろうとしつつ、目玉だけ上を向いて眉をヒクヒクさせてみた。
だが、澪は、些(いささ)かも動じる事なく無表情なままで、俺を見ていた。

「(ふぼっ)」
「・・・・・・」
俺は、右手を広げながら親指を自分の左頬に
左手を広げながら親指を自分の右頬に付き立て、手をパタパタしながら
舌を出して鼻を膨らまし、さらに目玉を寄せながら眉をしかめた。
しかし澪は、それでも無表情のままだった。
ダメか、これでもダメなのか?
イヤ、澪の肩が、ふるふると震えているような気がする。
ここで、とどめの”顔面爆弾”だあー!

「(ふおぅ!)」
「・・・・・・(!)」
澪は、けほっ、けほっと咽たように息を吐き、お腹を押さえている。
ふっ、勝った。
何に勝ったのかは、よくわからないが
とにかく俺は、苦しい戦いに勝ち抜いた戦士のように勝利の余韻に浸っていた。

『邪魔したらダメなの!』
「それは違うぞ、澪」
澪は、俺に非難の感情をぶつけている。
だが、俺はそんな澪の両肩に、そっと両手を置き、澪を諭した。

「舞台の本番となれば、とても大きなプレッシャーがあるものだ
だから、俺はそのプレッシャーに耐えれるよう、心を鬼にして変な顔をしているんだ」
「・・・・・・」
澪は、疑惑の目で俺を見ている。
だが、俺は真剣な表情で澪を見つめた。

「わかってくれるよな、澪」
「・・・・・・」
澪は、まだ疑惑の目で俺を見ている。
やはり、ちょっと苦しい言い訳だったか?
だが、それでも、俺は真剣に澪を見続けた。

「・・・・・・」
澪は、はう〜、とため息をつき、うん、うん。
と2回頷いた。
澪に、俺の想いが通じたようだ。
よしっ、これで恐れるものは何もない。

「じゃー、澪。特訓再開だ」
「上月部長、折原先輩。漫才は、そのくらいにして下さいね」
いつの間にか、俺と澪のそばに下級生の男子部員が来ていたようで
その男子部員は、俺達にツッコミを入れた。
他の部員達も、そんな俺達を見ながら、微笑んでいた。
そうだな、こんな事をしている場合ではなかった。
早くみんなの手伝いをする事にしよう。

「折原先輩、申し訳ありませんが、足りない材料を買出しに行くので
荷物を持つのを手伝ってもらえませんか?」
「ああ、わかった」
俺達にツッコミを入れた男子部員は、必要な物が書かれたメモを手に持っていた。
確かに、一人で持てる量ではない。
俺は、その部員と一緒に買出しに行く事にした。

「今回は、時間的には、割と余裕があるな」
「ええ、折原先輩のおかげですよ」
俺達は、商店街にあるホームセンターで、ベニヤ板や釘
ペンキなどを買いにやって来た。
今年は、比較的早く舞台の台本が決まり
邪魔にならない小道具から順番に作っていったので
役をもらった部員達は、かなり台詞を覚えたり、演技の練習をする時間があったように思う。

「折原先輩、そこの青と緑のペンキをお願いします」
「ああ、これだな」
俺と買出しに来た男子部員は、持ってきたメモを確認しながら
ショッピングカートに、必要な物を入れていった。
今のペースでいけば、背景などの大道具も、冬休み中に完成しそうだ。
大掛かりな作業になる部分もあるので、生徒の少ない冬休みにやり終えておきたいし
それに、後は、体育館を使わせてもらっての舞台練習を中心にしていきたいと思う。
そして俺達は、レジで清算を済ませ、学校に戻る事にした。

「あの上月部長、このシーンなんですけど」
「・・・・・・」
俺達が、学校に戻ってくると
新入生の女子部員が、今回の舞台の演技について澪に何か質問しているようだ。
しかし、当の澪は、何かを伝えようとしているが
肝心のスケッチブックを、机の上に置きっ放しにしているじゃないか?

「何やってんだよ、澪のヤツ・・・」
「ああ、折原先輩。多分大丈夫ですよ」
俺は、スケッチブックを取りに行こうとしたが
俺と買出しに行った男子部員が、俺を制した。
何を言っているんだ?
この男子部員は、新入部員だ。
だが、もう澪を事を知らない訳ではあるまい。
澪が、言葉にハンディを持っている事を・・・

「僕も最近ようやく、上月部長が、どんな事を伝えたいのか、なんとなくわかるようになってきたんですよ。
だから多分彼女も、今度の舞台の事なら、わかると思います」
「・・・そうなのか」
「いや、あの、全部が全部って訳じゃないんですけど・・・」
その男子部員は、自分で言ってみて恥ずかしかったのであろうか
少し照れながら、ポリポリと頬を掻いている。
・・・恥ずかしいのは、俺の方だ。
演劇部の部員達が、澪の事を理解し始めてくれているというのに
俺は、この男子部員に何と言おうとした?
我ながら、自分が情けなくなる。
だが、同時にとても嬉しく思う。
澪の伝えたい事
それは、舞台を通して、たくさんの人に伝わるかもしれない。
でも、それだけじゃない。
澪が、仮に意識していなかったとしても
こうして、身近なところから少しずつ伝わっていくものだから。

「よし、じゃー俺達は俺達の出来る事をしよう」
「はい、折原先輩」
俺は、背景を組み立てる作業を始めた。
その時澪は、質問を受けた女子部員に対して
身振り手振りで何かを教えようとしている。
そして、その様子を見て、その女子部員も頷き、さらに何か質問しているようだ。
澪のヤツ、下級生に指導する姿も、さまになってきたじゃないか。
でも”澪コーチ”なんて呼んだら、きっとまたイヤがるだろうな。
などと考えながら、俺は、ベニヤ板に釘を打つため金槌を振り下ろした。

ゴンッ
「ぐわーっ!」
「だ、大丈夫ですか?折原先輩」
想いを伝えるという事
誰もが普段、何気なくやり取りしている言葉
そこには、どんな想いが込められているのだろうか?
人から人へと大切な想いを伝えていくという事
今回の舞台を通じて
澪はきっと、その答えを見つけてくれると思う。
そして、ついに俺達は、舞台の当日を迎えたのだ。

「澪、緊張しているのか」
『少し、しているの』
舞台が、始まる直前
その時は、多分どんな有名な役者でも緊張すると思う。
俺達演劇部も、また同じように
この控え室には、例えようもない緊張感が漂っていた。
そして、部員の中には、発声練習をする者
何度も台本を読み返し、自分の台詞をつぶやく者
深呼吸をし、体を伸ばしたり屈伸運動をする者
それぞれの部員が、自分が一番リラックス出来る事をしているようだ。

「澪、少し外を歩いてみようか?」
「・・・・・」
俺は、澪に一緒に外に出るよう促した。
だが澪は、控え室を見渡し、時計を見て少し迷った様子で俺の方を見ている。

「お客さん、来てなかったら困るからなあ」
『たくさん来るの!』
観客が、たくさん来ているであろう事はわかっている。
だが、俺は軽口をたたき、澪の緊張をほぐそうとした。
そして結局俺と澪は、控え室から外に出て体育館の様子を見に行く事にした。

「やっぱり、たくさん来ているなあ」
「・・・・・・」
澪は、俺の服の裾を掴み、じーっと観客が体育館に入っていくのを見ている。
そして俺と澪は、体育館の表の方に歩いていった。
開演には、まだ少し時間があるのだが
かなりの人だかりで、体育館の中も前の席から順番に埋まっているのがわかった。
この学校の公開演劇は、伝統があるので、毎年来てくれている人達もいるようだ。

「これは、澪も頑張らないといけないな」
「・・・・・・」
澪は、うんっ。
と元気良く頷いた。
そして、体育館を一回りし、しばらく様子を見た後
あまり時間も無くなってきたので
俺と澪が、控え室に戻ろうとした。
その時、俺と澪は、俺達より少し年齢が下に見える二人組の男とすれ違った。

「さっき聞いたんだけど、なんか喋れないヤツが出るらしいぜ」
「何それ?じゃー、劇中に”吹き出し”でも出るのかよ?」
・・・な、何っ!
こいつら、今なんて言った!?
何も知らないのに
澪が、どれだけ頑張って舞台の練習をしてきたか
どれだけ苦労して今まで生きてきたのか知りもしないで
なぜそんな事が言えるんだ!!
俺は、振り返り、その二人を追おうとした。

「お前ら、ちょっと待・・・」
「・・・・・・」
澪が、俺の服の裾を掴み
涙を浮かべそうになりながら、ふるふると首を振っている。
そんな澪を見て俺は”はっ”と我に返った。
俺が、ここであの二人に殴りかかったところで
澪は、決して喜んだりしない。
むしろ、より深く澪を傷つけるだけじゃないか?
そして、俺は、ようやく落ち着きを取り戻して澪の方に向き直り
澪と一緒に控え室の方へと歩き始めた。

「・・・・・・」
俺に気を使っているのだろう
さっきからずっと、澪は、いつも以上に明るく振舞っているように見える。
これじゃー逆じゃないか!
中傷されたのは、澪の方なのに・・・
澪を外に連れ出したのは、完全に失敗だった。
もし、この舞台が上手くいかなかったら
それは、全部俺の責任だ。

「あのなあ、澪・・・」
俺は、一体何と声をかければ良いのだろうか?
澪が、生まれながらにして言葉にハンディを持っている事は、確かに事実だ。
その事実を覆す事は出来ないし、慰める事は決して出来やしない。
俺には、今何が出来る?
俺は、澪に何と言う事が出来るのだろうか?

「上月さん、折原君。お久しぶり」
「深山先輩!」
「・・・・・・」
ソフトスーツに、肩からショルダーバッグ下げている深山先輩が
手を振りながら、俺達の方に歩いて来た。
澪は、深山先輩を見るなり、深山先輩の方に走っていった。

「本当は、もっと早く来て準備を手伝おうと思ったんだけど、遅くなってしまって
・・・あの、良い席が無くなってしまったから、舞台の袖で観劇させてもらえないかしら?」
「ええ、もちろん構いませんよ。深山先輩」
深山先輩が、舞台袖にいてくれれば、澪だけでなく他の演劇部員達も心強い。
むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。

「本当に、ありがとうございます。深山先輩」
「・・・?」
さっきの出来事を、忘れてしまったかのように
深山先輩にしがみつき、微笑んでいる澪を見ていると
俺は、自然と感謝の言葉を漏らしていた。
だが、その言い方が、少し大げさに見えたのだろうか
深山先輩は、少し首をかしげながら、俺を見ていた。
そして、俺達は、一度控え室へ行き
俺と深山先輩は、澪と別れ舞台袖に向かった。

「あの、折原君。何かあったの?」
「えっ?あ、あの、実は・・・」
舞台袖に着くなり、深山先輩は、心配そうに俺の方を見た。
多分俺は、よほど暗い顔をしているのであろう。
そして俺は、さっきあった出来事を、深山先輩に話した。

「・・・そう、そんな事があったの」
「ええ」
やはり、深山先輩も、少し残念そうな顔で表情を曇らせた。
だがあれは、事故だったのかもしれない。
その時の言葉が、仮に彼らの本当に感じた事であったとしても
澪に向かって直接言うような事はなかったと思う。
なぜなら、それは、身体的なハンディを持っていない者が
ハンディを持っている者に、多かれ少なかれ必ず持つ感情なのであるのだから。

「でも、大丈夫じゃないかしら」
「えっ?」
深山先輩は、その場しのぎに、適当な事を言ってごまかす様な人ではない。
一体、何の根拠があって、そんな事を言うのだろうか?

「私は、まだ自分が演劇部の部長だった時、上月さんに尋ねた事があるの
”もし、今度の舞台であなたに役を任せる事になったら、辛くはない?”と」
同じだ
俺と同じ事を、深山先輩も考えていたのだ。
確かに澪は、自分の意志で演劇部に入った。
だが言葉にハンディを持つ澪が、舞台に立つという事
それは、役柄を決め、台本を書く深山先輩にとって大きな迷いがあったはずだ。
澪は・・・その時、澪は、何と答えたのだろうか?

「その時、上月さんは、ふるふると首を振って、私に、こう教えてくれたわ
”私は、クレヨンと勇気をもらったの。自分を変えていく勇気を与えてもらったの。”ってね」
・・・勇気、自分か変える勇気
クレヨンというのは、多分
俺が、一人でブランコに乗っていた澪に渡した物だ。
その時、俺は、澪に勇気を?・・・

「言葉にハンディを持つ上月さんが、夢に向かって一歩を踏み出すのは
私になんか、想像もつかないほどの大きな努力が必要だったの思うわ」
そう、あの時澪は、一人ぼっちでブランコに乗っていた。
俺が、話かけても、もちろん返事をする事もない。
ただ寂しそう俯いて前を見る事もなく
まるで、その場に立ち止まっているかのようであった。

「でも上月さんは、そのきっかけをクレヨンと共に、その人から与えてもらったのだと思う
だから、今でもきっと、その人に支えられているのだと思うわ」
「・・・今は、俺の方が、助けられてばかりですよ」
「えっ!?じゃー、その時に、上月さんにクレヨンを渡したのは・・・」
「あっ、深山先輩。舞台が、始まりますよ」
つい口を滑らせてしまった。
俺は、おそらく今、耳まで真っ赤になっていると思う。
だが、深山先輩は、すべてを察してくれたのであろう、何度も頷き俺の方を見ている。
俺に出来る事
それは、澪を信じる事だ。
澪なら、きっとどんな困難があろうと、きっとこの舞台を成功させてくれる。
この三年間で学んだ事
今まで感じてきた事
そのすべてを、この舞台という形に変えるのだから。
そして、今まさに俺達演劇部の舞台の幕が上がった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「たとえ彼女の記憶が戻らなかったとしても感情さえ取り戻したのなら、それで構わない
思い出はまた、作れば良いんですから」
恋人役を演じている男子部員が、最後の台詞を言い終え
ゆっくりと幕が降りていった。

パチパチパチパチパチ
「澪、すごいぞ!とっても良かったぞ!」
「・・・・・・」
大きな拍手と共に舞台が終了し、幕が降りた瞬間
俺は、澪を抱きしめ、そして抱き上げた。
演劇部員全員が、一つとなって
俺の不安など、どこかに吹き飛ばしてしまうほどの最高の舞台を見せてくれた。
本当に良かった。
俺は、この舞台に関わる事が出来て本当に嬉しく思う。

「澪は、休んでいて構わないぞ。後片付けは、俺達がするから」
「・・・・・・」
澪は、ふるふると首を振った。
俺達演劇部員は、舞台のセットや小道具を、演劇部の部室に運んだり
観客席のパイプ椅子を片付ける作業をしている。
俺は、澪の分も後片付けをするから休んでも良い、と言ったのだが
澪は、どうしても後片付けを一緒にすると一歩も譲らなかった。
結局、俺と澪は、小道具などを体育館から演劇部の部室に運び
再び体育館に戻ってきた。

「あ、あいつらは・・・」
「・・・・・・」
見間違えるはずはない。
あの二人は、舞台が始まる前
澪を中傷した二人組だ。
一体、こんなところで何をしているんだ?
その二人組は、俺達に気がつき
ぬけぬけと、こちらに向かって歩いて来た。

「これから先は、関係者以外立ち入り禁止です!」
「・・・・・・」
俺は、澪を庇うようにして立ち、二人を睨み付けた。
それが、俺に今出来る限界だった。
俺は、今舞台が終わり達成感や充実感で満たされている
この雰囲気を壊したくはない。
だから俺は、自分の気持ちを押し殺し、今俺が出来る最も丁寧な対応をしたつもりだ。
それでも、語気が、荒かったのであろうか
体育館から、部室に向かおうとしていた演劇部員が、体育館に戻って行ってしまった。

「あの、上月さんですよね」
「・・・・・・」
二人組のうちの一人が、澪に話しかけようとした。
もし、今こいつらが、澪をさらに傷つける事を言ったなら
その時の怒りを我慢する事は出来ない。
俺は、腕が震えるほど拳を握りしめていた。

「本当に、すいませんでした」
・・・二人は、突然頭を下げた?
何だ?
一体どうしたって言うんだ?
俺には、この二人の行動が、全く理解出来なかった。

「俺達、喋る事が出来ない人が、舞台に出るなんて
きっと、客を呼ぶための話題作りだと思っていました」
「でも、上月さんは、違っていました。本当に素晴らしい演技で、俺達感動しました」
「これからも、頑張って演劇を続けていって下さい」
その二人は、それだけ言うと、もう一度頭を下げ
そして、何度も振り返りながら帰っていった。

「あれっ?あの人達、隣町の高校の演劇部の人達だよ、どうかしましたか?」
「いや、今回の舞台がとても良かった、って、わざわざ言いに来てくれたんだよ」
演劇部の部室に小道具を置いて
体育館に戻ろうとしていた女子部員が、俺達に声をかけてくれた。
そうか、彼らの演劇部員だったのか。
彼らもまた、真剣に演劇に取り組んでいるのだと思う。
だからこそ、言葉にハンディを持つ人間をわざわざ出して客を引こうとした事を不快に思ったのだ。
だが、彼らは、自分達が誤解していた事に気がつき
澪に、直接会って謝ろうと思ったに違いないのだ。

「そうですか。じゃー、来週行われる彼らの高校の舞台は、絶対見に行かないといけませんね」
「ああ、そうだな」
そうか、来週彼らも舞台に立つのか。
澪と一緒に、絶対見に行こうと思う。
彼らは、一体どんな演技をするのか、楽しみだな。

「・・・伝わったかもしれない」
「・・・・・・(?)」
俺は、誰に言うという訳でもなく呟いた。
だが今、確信出来る
それは、真実であると。

「澪の伝えたい事。ほんの少しかもしれないけど、彼らにも伝わったかもしれないな」
「・・・・・・」
澪は、うんっ。
と元気良く頷いた。
澪の伝えたい事
それが、どんなものであるのかは、まだわからない。
でも、間違いなく、彼らに
そして今日、舞台を見に来てくれた人達すべてに、ほんの少しずつ伝わったと思う。
なぜなら、それは、急ぐ事ではない
一度に伝わってしまうものではない
一歩ずつ歩き続けて行き、そしていつか必ず達成されるものだから。

「(なんだよ、喧嘩なんかしていないじゃないか?)」
「(そうだ、みんな揃ったし”アレ”持って来ようか)」
体育館で、後片付けをしていた演劇部員が、
入り口で浩平が喧嘩していると聞きつけ、全員体育館から出てきた。
だが、実際には、喧嘩などしていないという事に気がつき
全員が、ほっと胸をなで下ろしていた。
そして、その内の二年生の部員の二人が、演劇部の部室へと向かって行った。

「後片付けが終わったら、打ち上げだ
よーし、今日は俺のおごりだ、みんなで何か食べに行こう。澪、何が良い?」
今日は、最高の気分だ。
俺は、演劇部全員に何かご馳走する事にした。

『お寿司』
そうか、お寿司か・・・
食べに行くと言った以上、パック詰めの寿司という訳にはいかないな。
俺は、こそこそっと後ろを向いて、財布の中身を確認し
しばらく考えた後、1つの結論が導き出された。

「か、回転寿司なら・・・」
まあ、なんとかなるだろう。
いざとなれば、深山先輩もいるし。

「悪いわねえ、私までご馳走になって」
「み、深山先輩・・・」
「冗談よ、冗談」
深山先輩は、ちゃっかり演劇部員の輪の中に入り
一緒に、はしゃいでいる・・・
そんな時、二人の演劇部員が、演劇部の部室から何かを抱えて戻ってきた。
そして、その二人の気が付いた演劇部員達は
澪の前に道を作る様に、左右の分かれていった。

パチパチパチ
「上月部長、三年間お疲れさまでした」
その二人の演劇部員は、澪の前に出来た道を
大きな花束を抱えて澪に向かって歩いて行き
そして今、澪にその花束を手渡した。

「・・・・・・」
澪は、大きな花束を手渡され
戸惑いおろおろと俺や深山先輩の方を見ている。
そして、俺と深山先輩は、ただ大きく頷いた。

「・・・・・・(!)」
澪の表情が、ぱっと明るくなり
その瞳からは、大粒の涙が溢れ出してきた。

「演劇という形で、色々な事を表現する楽しさを知りました」
「私は、一年間だったけど、とても勉強になりました」
「上月部長、またいつでも遊びに来てくださいね」
演劇部員達は、一人ずつ自分達の言葉を澪に送り
そして、握手していった。
一方、澪は、大きな花束を抱えているため
スケッチブックを取り出すどころか
その溢れ出る涙を拭う事さえ出来ない。
だが、俺達には、もうそんな物は必要ない。
演劇を通じて培った絆
そしてその想い
それは、きっと伝わるはずだから。

「(みんな、本当にありがとうなの)」
ひとつの舞台の幕が降りた
三年間を締めくくるに相応しい最高の舞台
澪の伝えたい事はきっと多くの人々の心に届いた事だろう
それは多くの人達に夢を与えていく事
俺は澪と二人で夢のかけらを探す旅をしていきたい
これからもずっと二人で旅を続けていきたい
そして今新たなる舞台の幕が上がろうとしている
人生という壮大な世界にその舞台を変えて

 

 

 

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