夜が明けるまで
2001/11/19 Mana
すっかり夜はふけていた。
曇りの空は、空に浮かぶ星座を覆い隠していた。
そろそろ1年になる。
「……今日も帰ってこなかった」
アイツが旅立ってから季節は夏になろうとしている。
あの日、待ちぼうけをくらわされたあの日から私は毎日ここに立ちつづけている。
いつかは来てくれる事を信じて。
薄汚れたドレスを身にまとい、毎晩公園で立ち尽くす私の行動はおかしいのだろう。
親からはとうに見放され、仲の良かった友人からも疎遠になってしまった。
唯一の親友たる彼女も私の事を心配してくれている。
「私にできることがあればいつでも言ってね、私はいつも留美ちゃんの味方だよ」
優しい彼女の言葉。
でも。私はこの言葉を聞いた時に、彼女を困惑させるだけの言葉がノドまででかかってしまった。
『じゃあアイツを思い出して』
アイツはもはや、私の心の中以外にはいない。
忘れられたのではない、消え去ってしまったからだ。
でも私は覚えている。
アイツの言葉、顔そして細かい仕草までもが思い浮かぶ。
「早く帰って来い、折原浩平……女の子をいつまでも待たせるものじゃないわよ」
わたしはツイと空を仰いだ、そうしないと涙がこぼれてしまいそうだったからだ。
アイツが帰ってくるまで、涙はとっておこうと心に決めている。
私が泣くのは、帰ってきたアイツの胸の中と決めているから……。
でも私の頬に水滴が伝った。
「え?」
驚いて目を開いてみる。
涙を流した訳ではない。
雨が降り始めていた。
「困ったな、傘なんてもってきてないよ」
仕方が無いからビニール傘を買いにコンビニへ行くことにしよう、それに今日はもう帰ろうと思っていたところだ。
無駄な出費だけど、このドレスがダメになるよりは余程マシだ。
私はアイツが贈ってくれたこのドレスで待ち合わせをしているんだから。
不審と好奇心とが入り混じった視線をコンビニの店員から受けながらも傘とビニールコートを買う。
安っぽい傘に当たる雨の音はどんどん強くなっているようだった。
「仕方ないわね……今日は近道をして帰ろう」
普段の私は、少し遠回りになっても沢山街灯がついた広い道を通って帰っている。
私だって女の子だ、夜道は怖い。
でもこの雨だ、痴漢も家でおとなしくしているだろう。
そんな都合の良いことを考えながら、いつもは直進する道を横に折れる。
街灯が少ない道は暗い。
必要以上に神経を研ぎ澄ませながら、足早に道を進んでいった。
「そういえば、この道はアイツに教えてもらったんだっけ……」
この街に転校してきてすぐのある日、朝も早々に漫才をやっていた私とアイツは、遅刻しそうになった。
近道をすると言って、急に走り出したのを必死に追いかけたのを覚えている。
そしてアイツが近道と称して走っていったのがこの道だった。
そう考えると少し気が楽になった。
ここにも、アイツがいる。
私にはこの街の至る所に、アイツの息吹を感じることができた。
私にはどこにいてもアイツを感じることができるのに、それが他人にはわからないのがどうしようもなく悔しい。
クラスメート一人一人に「折原浩平、覚えてるよね!」と尋ねて回りたい衝動に駆られないといえば嘘になる。
でも、それは出来ない。
私以外の誰も彼のことは覚えていない事は間違いないのだから。
待ちぼうけをさせられた次の日、私はその事を瑞佳に尋ねた。
「ねえ瑞佳」
「なに?」
「浩平のやつ来てないようだけど、どうかしたの?」
「え?誰って?」
「誰って……浩平よ浩平。折原浩平」
「え、え〜っと、ごめんねちょっと私の知らない人かも」
「何言ってるのよ!折原浩平よ!?あなたの幼馴染の!」
「ご、ごめんね。すぐ思い出すから」
「……」
「あ、あの〜留美ちゃん、何かヒントみたいな物は無いかな?」
「……ごめん瑞佳、私の勘違いだった」
その日から、私は公園で待ちつづけている。
想像の世界に思考を傾けていた私だが、気配を探るのを止めたわけではない。
怖いものは怖いのだ。
しかし、前から人が歩いてくる気配がしてきた。
不安に身を硬くして、そろそろと前をうかがった。
痴漢だろうか。
でもピンク色の傘……女性かな?
いやいや、傘の色だけで安心するのは早い。
でも、スカートを履いてる……ってあれはウチの学校の制服じゃない?
二人の距離が近づき、お互いの顔が確認できるようになる。
「あ……」
「……こんばんは」
「……里村さん?」
「……はい」
クラスメートの里村茜だった。
「どうしたのこんな時間に、しかも制服なんか着て?」
驚くよりなにより疑問が頭に浮かんだ。
こんな時間にこんな格好って意味じゃ私だって人のこと言えないんだけど。
「……雨が降ってきましたから」
「え?」
「……アイツ、傘持ってなかったから届けてあげるんです」
そういう彼女の腕には男物の傘が掛かっている。
そっか、そう言う事ね。
里村さんに彼氏がいるなんてのは少し驚きだけど、それなら納得がいく。
「そ、そう、夜遅くなのに大変ね」
「……いえ」
彼女は感情の起伏が薄い。
クラスでもおとなしい方で、あまり他人と交わっている所を見たことがない。
最も、私の最近の状況も彼女とさほど変わらないものだったが。
「私も一つ質問をしていいですか?」
「……どうぞ」
「こんな時間にドレスを着て、どうされたのですか?」
同じ質問が返ってきた。
適当にはぐらかせようとも思った。
でも、この件に関しての全ての嘘は、真実味を失ってしまうような気がした。
なにしろ、私がとっている行動は他人から見れば奇行以外のなにものでもないのだから。
だから、正直に答える。
「……待ち合わせだから、待ってたのよ」
「……会えなかったんですか?」
「……ええ」
とうぜん彼女も、私が1年間続けてきた行動のことは知っているのだろう。
でも、その事に対する言葉は一言もなかった。
『……』
沈黙が場を包む。
「……私もです」
「え?」
「この傘、アイツに届けてあげたいのに……雨だから傘がないと……、でもアイツにはこの傘がどうしても渡せないんです……」
「……」
「……でも、私が持って行ってあげるしか無いんです……もうアイツの事を覚えているのは私しかいないんだから……」
最後の方の言葉は聞き取ることができなかった。
彼女が何の事を言っているのか、さっぱり意味はわからなかったが、そういう彼女の顔は寂しそうでもあり、どこか疲れた顔でもあった。
待つのに疲れた顔。
……私もこんな顔をしているんだろうか。
「七瀬さん」
ハッと顔を上げる、少し考えに耽ってしまった。
悪い癖だ。
「待つことは辛くありませんか?」
酷な質問だ。
アイツを待つことは辛くは無い。
でも、私にとってアイツがいない世界というのは、色彩を失ったものなんだ。
そのモノトーンな世界で永遠に過ごしていけと言われれば、私は絶えることが出来るだろうか。
でも、私は……
「辛くは無いわ」
「……」
「アイツは絶対に来る」
「……」
彼女が私をみつめている。
心を見られているようだった。
私がアイツの事を思う気持ち。
彼女が、ふっと息をついて自分の手にかけた傘を見る。
顔には少し笑顔が浮かんでいた。
「七瀬さんは強いですね……」
「そんなことないわよ、ただ……アイツは約束だけは破らないヤツだから」
「……たしかに、普段は出鱈目ですが、そう言うことには厳しそうな人でしたね、折原君は」
「え!?」
一瞬時が止まった。
アイツの名前が私以外の口から出てくることなんてありえなかったからだ。
「さ、里村さん、今なんて言ったの!」
「……2年生の時にクラスメートだった折原浩平君……ですよね?七瀬さんと付合っていたのは」
彼女はクスリと笑う。
「もっとも七瀬さんにちょっかいをかけてきたのは折原君の方が先だったように思いますが」
それだけを聞くと私は傘を放り出して、来た道を走り始めた。
手で目に入る雨だけを防せぎながら一路公園を目指す。
息を荒くしながら、公園の入り口へたどり着く。
そこには、自転車の側に佇む喪服を着たアイツがいた。
「わるいな、七瀬。少し遅れてしまった」
「遅すぎよ……」
「悪かった……」
「もう……絶対に私から離れないで」
「わかった、もう絶対に離れない」
アイツは帰って来たんじゃない、少し遅刻をしていただけなんだ。
証拠にほら、アイツも私も盛装しているじゃないか。
さあ、これから一緒にダンスを踊りましょう。
夜が明けるまで。
―――――――End