‐現夢‐

 

独り

ずっと独りだった

温もりも悲しみは愚か その意味すらも知らず

涙することも 笑うことも無く

瞳に映るそれを見続けて生きるだけの日々

いや 果たしてそれは生きていると呼べたのかどうか

確かに私はそこに居たけれど

私はそこには無かったから

 

今と昔

さして私は変わっていないのかもしれない

それでも確かに 確実に時は流れていて

 

私は出会った

温もりに――

 

 

 空には独りきりの月がある。

 

 淡く青く光るそれは寂しげで、まるで自分を見ているようだった。

 夜風が少し冷たい。

 こんなことを感じるようになったのは、そんなことを思うようになったのはいつからだろう? 自問してみる。

 何かを望むことは無く。

 何を恐れることも無かった。

 私という個の前に、『使い魔』という私よりも強靭な個が存在していたからだろう。

 けれど、私が見ていたのか、見せていたのか、その辺が曖昧な夢の中で私は初めて死を恐怖した。

 きっと、温もりというものに触れてしまったからだと思う。

 その時初めて、私という個が生まれたのだ。

 ううん、本当はずっと昔からそれは存在していた。

 ずっと、私はそれに気がついていなかっただけ。

 ずっと、本当にずっと昔から、私は求めていたのだ。

 独りであることを恐れ、愛することを、愛されることを求め、ただ流れ続ける時の中で温もりを求め続けていた。

 初めて温もりに触れた時に、私に感情というものが芽生えたのだ。

 暖かさ、冷たさ、悲しみ、苦しみ、寂しさ、何かを愛しいと思う心。

 きっと私は弱くなった。以前の私は強くも無く、弱くも無かったろう、お手本通りのような『使い魔』であったから。

 どうして私に感情というのが芽生えたのか分からない。感情のある『使い魔』というのは『使い魔』としては失格なのかもしれない。

 ご主人様は私の『使い魔』としての宿命か、それに似たなにかを『直視の魔眼』で断ち切ってしまったとでもいうのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい話だと思う。それではまるで、夢見る乙女のようだ。乙女どころか、私は人間ですらないと言うのに。

 けれど、ご主人様の『直視の魔眼』は形の無いものですら断ち切ってしまうというのだから、あながち無いとも言い切れないのかもしれない。

 少しくらい、夢見る乙女であってもいいかも知れない。そんな風に思った。

 真偽はどうあれ、私に感情が芽生えたのは間違いなくご主人様のお陰なのだから。

 『使い魔』としては失格かもしれなくても、私は感情が芽生えた事を嬉しく思っている。

 ご主人様は、私を『使い魔』としてではなく、一人の人間として、家族として扱ってくれているのだから。

 何よりも、そのことを私は嬉しく思っている。

 冷たい風が肌を撫でているというのに、何故か胸の奥が暖かくなって、つい嬉しくて、月に向かって鳴いた。

 黒猫の姿で居る私の声は、当然猫のそれで、夜空に「にゃ〜」と静かに響いた。

「あれ、レンまだ寝てなかったんだ?」

 声がして、私はそちらへと顔を向ける。

 そこには夜風でも浴びに来たのか、寝巻き姿のご主人様がいた。夜は寒いのだろう、上着を羽織っている。

 夜に出歩くこともあるご主人様だが、最近は妹にこっぴどく怒られたとかで控えているらしい。そもそも、寝巻き姿ということはこれから何処かに出かけるということはないだろう。

「あ、猫って夜行性だから夜は寝ないのかな?」

 そんな事を言いながら、ご主人様は庭先にある椅子へと腰を下ろした。

「今夜は結構冷えるね、レンは寒くない?」

 私は、夜風に体を少しだけぶるぶると震わせると、ご主人様が言い終わるが早いか、椅子に座ったご主人様の膝へと軽やかに飛び乗る。そして、くるりと丸くなってお座りの体勢をとる。

 やっぱり寒いです。

 といった意を込めて、「にゃ〜」と鳴いた。

「やっぱり、寒いか」

 ご主人様は私の言った言葉の意味が通じたようで、そう言うと、羽織っていた上着を私に優しく掛けてくれた。

『使い魔』がご主人様に気を使わせてはいけないのだけれど、私は素直にそれが嬉しくて、「ありがとうございます」と鳴いてみた。

 この時点で、やっぱりは私は『使い魔』としては失格だろう。

 ご主人様はそれには瞳だけで答えて、私の頭を優しく撫でながら無言で月を見上げていた。

 見上げるご主人様の瞳は透き通っていてとても綺麗で、私はわけもなくどきりとした。

 今の私は、この胸の鼓動の意味も、ご主人様のことも何も知らない。

 ご主人様も同じように私のことなど分からないだろう。

 もっと知りたい、知って欲しい。

 その感情が何なのかも分からず、私は鳴き声をあげる。

 声をあげることで、ご主人様に月なんかではなく、私を見て欲しかったのかも知れない。

 ご主人様は、私の鳴き声に顔を下ろすと言った。

「この時期でも夜はやっぱり冷えるね、そろそろ中に戻ろうかレン」

 その声に答えて、私はご主人様の膝の上から飛び降りる。

 ご主人様は一度だけ夜空を振り仰いで、そのまま無言で屋敷へと戻って行く。

 私はそれについて行きながら、同じように夜空を仰いだ。

 澄み渡る夜気の中で、たった独りで輝き続ける月がそこにはいた。

 何かを主張するでもなく、ただそこにいつまでも、昔からずっとあり続ける。ただ、それだけの存在。

 そう感じ、何故だか私は鳴き声をあげた。

 夜空に響くその声は、何故か悲しかった。

 どうしてだろう、まるで昔の自分を見ているようで悲しかった。

 独りじゃない、そう月に言ってあげたかった。

 私がいつまでも月を仰いでいると、私はご主人様の暖かな手に抱き上げられていた。

「屋敷に戻ろう、レン」

 ただそれだけを言って、優しく抱きしめ撫でててくれるご主人様の優しさが嬉しかった。思わず泣いてしまいそうで、弱々しく鳴いて返事をした。

 

 その日は夢を見た。

 夢魔である私が夢を見るというのも可笑しな話なのだけれど。

 私に感情が芽生えたということが関係しているのかも知れない。

 喫茶店という綺麗なお店屋さんで私は美味しいケーキを食べていて、向かいにはそれを笑顔で見ているご主人様がいた。

 暖かな夢だった。

 本当に、夢のような夢だった。

 

 朝が来て、私は目を覚ました。

 う〜ん、と伸びをする。

 これは猫の習性なんだな、と思う。この姿で目覚めると、ついこれをしてしまう。

 私はご主人様が寝ている布団の上で眠っていたのだけれど、いつもはこんなことじゃ絶対に起きないご主人様が、う〜んと言いながら目を覚ました。

 珍しいなんてものじゃない。もしかしたら、これは夢なんじゃないだろうか、とすら思う。

 「あ、レンおはよう。翡翠がいないってことは珍しく早起きしたのかな? それとも俺が起きなくて帰っちゃったかな?」

 そんな事を言いながら、体を起こす。

 私はそれに合わせて、ベッドから飛び降りる。

「うん、今日は珍しく早起きだったんだな」

 ご主人様は時計を見ながらそんな事を言っている。

 私は寝起きにどこか散歩にでも行こうと思い、部屋を出ようとした。

 私が出入り出来るように扉は僅かに開いているのだ。

 すると、ご主人様に声を掛けられた。

「今日は日曜日だし、折角早起きもしたんだし、何処か一緒に出かけないかレン? 美味しいケーキのある店があるんだって晶ちゃんがこないだ教えてくれてさ、まだ行ってないんだ。一人で行くのも寂しいし―」

 かと言って、有彦と行くのもなんだし―

 そうぶつぶつと言い続けているご主人様に、私は嬉しくなって、人の姿になって飛び付いた。

「わっ、行くかいレン?」

 私は大きく首を何度も縦に振った。

「そっか、喫茶店だから朝からやっているはずだ。だから、出かける準備をしたら早速行こうか。開店間もない時間なら空いているだろうし」

 言いながら、ご主人様はカーテンを開ける。

 私とご主人様は差し込んでくる朝日に目を細めた。

「うん、いい天気だ」

 ご主人様はそう言って頷いた。

 私も嬉しくて、同じように頷いた。

 

 喫茶店の夢を私が見たのか、ご主人様が見ていたのを私が覗き見してしまったのか、それとも私が無意識の内に見せてしまっていたのかは分らない。

 けれど、互いがただ同じ夢を見たのだと、そう思えばいい。

 互いが、互いを思うのはこんなにも暖かなことなのだから。

 願わくば、この夢のように幸せな現実がいつまでも続きますように。

 そう思って、私はご主人様に抱きつく手に力を込めた。

 頭を撫でてくれるご主人様の手の温もりが、これが現実であることを教えてくれて、温もりと優しさが胸に染み込んだ。

 

 

―決して、覚めることの無い夢を見よう。いつまでも―

 

 

 

 

FIN