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『その名は絢爛舞踏』
静かな夜。空は満天の星空。優しい月光がグラウンドの少女の姿を映し出していた。
周囲には誰も居ない。
少女は一人きりだ。
少女の奏でる笛の音色だけが、大気を揺らしていた。
少女は夜が好きだった。否、この言い方は正しくないかもしれない。少女は昼が嫌いであった。朝も嫌いだろう。少女は人と接することが苦手、言うなれば嫌いであった。夜が好きだというのは、朝や昼に比べ人に会わないという後ろ向きな理由からに過ぎなかった。
少女の笛の音は続く。
不思議で透明なメロディー。まるでこの世界には存在しないかのような、それほどまでに透明な旋律。それは彼方より現れ、此方へと消えいく旋律。余りにも綺麗すぎて、あることすら感じぬような。それは哀しい曲だった。
「綺麗な曲だね」
そんなことを言いながら、一人の少年が姿を現した。
その言葉に反応するように、笛の音は止んだ。
黒い癖毛に青い瞳。彼の名は速水厚志、ぽややんとした男、というのが今までのもっぱらの彼に対する周りの評価だったが、それは既に変わりつつある。
一度の出撃で平均撃墜数が15だったか。既に撃墜数も200を超えていたはずだ。撃墜数300オーバー、彼が絢爛舞踏と呼ばれる日もそう遠くはないはずである。
いつもぽややんとした笑顔を見せているが、次の瞬間にはそのまま、笑ったまま人を殺すことが出来る。皆、口には出さないがそう思っているようだった。
人類の規格外、絢爛舞踏になるとはそういうことなのだろう。
少女は体を震わせ、小さくなるような仕草を見せたが、声の主が速水であることを確認すると、それと分かる人間は少ないが、僅かに微笑んだ。
少女は知っている。
彼は決して、笑ったまま人を殺したりはしない。必要とあらばそうするかも知れないが、少なくともこの小隊の誰かを殺すことはあり得ない。
確かに彼は、普通の人間に比べ大それた力を持っている。だが彼は決して自惚れてはいない。自分の力で世界を救えるとは思ってはいないだろうし、そうしようともしていない。彼が守りたいのは、この小隊の皆なのだ。その為に、彼は絢爛舞踏になろうとしている。
きっと彼なら、どんなに回りに、守るべき人たちに恐れられてもいつもの笑顔でいるのだろう。
彼は優しい人なのだ。
だから、私を前にしても決して表情を変えない。
他の皆はそう、みんなそうと意識しないで嫌な顔をする。数人は例外がいるけれど、それは気休めにしか過ぎない。少女にとって、安らげるのは夜という時間だけなのだ。
「この時間まで、仕事してたの? 昨日は雨が酷かったもんね、お陰で士魂号のパーツも随分駄目になったって、原さんが怒ってたよ。森さんや中村くんが当たられて大変そうだった」
彼はいつもの笑顔でそんなことを言いながら、長く黒い髪の少女、石津萌の隣へと腰を下ろした。
それにつられるようにして、萌も口をおぼつかないながらも開いた。
「仕事は…大変だっ…けど。瀬戸口く…がてつ…ってくれた…ら」
「へぇ、今日は瀬戸口君学校にいたんだ。たまには仕事もしてるんだ。っていっても、自分の仕事じゃないみたいだけど」
瀬戸口の仕事はオペレーター、萌の仕事は衛生管だ。きっと、自分のオペレーターの仕事は何もしていないに違いない。そう厚志は思った。
そう思い、はは、と厚志は笑った。きっと、女の子が困っていると助けずにはいられないんだろうねそんな事を言って。
「す…ごく、うれし…った」
そう言って、少し萌は俯いた。その表情は本当に嬉しそうだった。
「良かったね。大変なときがまたあったら、僕にも言ってね。どうしても外せない仕事がないとき以外は手伝うよ」
「ありが…とう」
そう言って、萌は顔を僅かに赤らめた。暗がりで厚志には分からなかっただろうが。
「優しい…のね」
その言葉を聞いて、厚志は笑顔を止め真剣な顔つきとなった。
「優しい…か。本当にそう思うかい」
表情だけでなく、言葉遣いや雰囲気も異なっていた。それはまるで別人だが、どちらが本当の彼かは知る人は知っている。
萌は頷いて見せた。
「そうか。でもそれは、僕が冷たくするのや、人を殺すのにただ単に飽きただけなのかもしれない。きっと僕は優しい人間なんかじゃないし、そんなのにはなれない」
違うわ、と言いたげに萌は首を左右に振った。
「そんな…ことないわ。わたしは…冷たくも…でき…いもの」
その言葉を聞いて、厚志の顔がいつものぽややんとしたものに戻った。
微笑のまま言う。
「そういう見方をするのなら、僕なんかより萌ちゃんの方がずっと優しい人だよ」
そんなことはない、と萌は首を振った。
「そうだよ。仮に他人に冷たく接したことがない、接されたことがない人間が、他人に優しく出来ないのだとしたら、同じように心の痛みを知らなければ心から優しくなることは出来ない。だから、きっと僕なんかより萌ちゃんは優しいんだよ」
そう言って、厚志は萌に微笑みかけた。
萌は少しぽかんとした顔をしていたが、
「あり…がとう」
そう言った。
「それじゃ、僕はそろそろ行くね。明日も朝から忙しいからね」
そう言って厚志は立ち上がった。
「萌ちゃんもあんまり遅くならないうちに帰ったほうがいいよ。っていっても、もう遅いけどね。じゃあ、また明日」
そう言って、萌に笑いかけるとゆっくりと歩いて去っていった。
校門まで歩いていくと、一人の人影が見えた。ウェーブのかかった髪に、長身。間違えるはずがない、瀬戸口隆之だった。
「夜遊びが終わり、それともこれから?」
厚志はそんな風に声を掛けた。
「もう終わり。でもそうだな、厚志。君の隅々まで冒険したい」
そんなことを言って、厚志の首にへと手を回す。
「はいはい、またそんなことばかりいって。そんなんだから、壬生屋さんに不潔ですとかって言われるんだよ」
そう言いながら、瀬戸口の手を外す厚志。
「最近は、昔のウブさが無くなって寂しいね。あの女の事は言わないでくれ、いい気分が台無しだ」
言いながら、髪を掻き揚げる仕草をする瀬戸口。
「そこまで毛嫌いしなくてもいいと思うけど」
厚志は呆れ顔だ。
瀬戸口は一変して真剣な顔になると、厚志に言った。
「俺のことは今は置いておこう。それよりもお前のことだよ」
「僕のこと?」
「ああ、聞いたぜ。もうすぐ撃墜数が300だって、本気なのか?」
厚志は不思議な顔をする。瀬戸口が急に真剣な顔と声で喋りだしたのも不思議なら、質問の内容も不可思議だったからだ。
「本気って?」
「お前だって分かっているはずだ。撃墜数300オーバーで絢爛舞踏賞を獲るなんてのは、自ら自分は人類の規格外です、なんて言っている様なもんだ。現に、今までの受賞者は例外なく行方不明だ」
そういう事か、と合点がいった顔をする厚志。
「本気だよ。僕一人が、人類の規格外になることで皆が死なずに済むのなら安いものだと思うけど」
そう、いつものぽややんとした笑顔で厚志は言ってのけた。
信じられない。瀬戸口はそんな顔をした。
「お前さんは、ただの大馬鹿か、優しすぎる人間だよ」
そう言った瀬戸口の顔は悲しいものだった。
厚志はぽややんを崩さない。
「だとすれば、瀬戸口君は優しすぎる人間だね」
「なんでそうなる…」
「だって、大馬鹿の心配をしてるもの」
瀬戸口は瞳を見開いた。
「馬鹿野郎、やっぱりお前さんは優しすぎる人間だよ」
その言葉を聞いて、厚志は優しく微笑んだ。
「萌ちゃんも、瀬戸口君も僕のことを勘違いしてるよ。僕は優しい人間なんかじゃない」
厚志は、瀬戸口の顔も見ず、淡々と言葉を続けた。瀬戸口は口を挟まずそれを聞いた。
「僕は誰のためでもない、あらゆることを自身の為にしているんだ。僕はここに来て、自分でも意識しないうちに多くのものに触れた。最初は苛立った。くだらない、そうも思った。心配したり、させたり、怒ったり、怒られたり、それでもそれは『ごっこ』の域を出ていなかった。そのつもりだったんだ。だけどね、ある日鏡を見て愕然としたよ。意識せずに、僕は笑っていたんだ。いつからか、僕の作り笑顔は、作り物じゃなくなってたんだ。僕は、それを守りたいだけなんだ。自己の保身なんだよ」
「それは、余りにも代償の大きすぎる保身だ。そんなのを保身とは言わない」
「確かにそうかも知れない。でも理由は他にもあるんだ。僕は舞を愛している。そして、舞も僕を愛してくれている」
瀬戸口は厚志のその言葉に茶々を入れたりしなかった。そういう場面でも雰囲気でもないことが分かっていたからだ。
「舞が愛するものは僕も愛している。舞はこの小隊の皆を愛している。守ろうとしている。彼女はそういう人だ。決して見返りは期待しない、けれど自身はそうするんだ。だから、僕も決めたんだ。皆を守ると、けれど決して見返りは期待しないってね」
「やっぱり、優しすぎる人間だよお前さんは」
「そうじゃないよ。ただ自分が幸せになりたいだけだよ。その為には、僕にとって舞は必要不可欠なんだ」
恥ずかしげもなく、厚志はそう言ってのけた。
「そうか、お前さんは行き着くところまで行ってしまうんだな」
瀬戸口は悲しそうな顔をした。
それを見て、厚志は笑った。
「やっぱり優しいのは瀬戸口君の方だよ。そうやって、僕の事なんかを心配してくれる」
そう言って、瀬戸口の肩を軽く叩いた。
「そろそろ帰るよ。昨日は徹夜だったから疲れてるんだ。また明日ね」
ゆっくりと、しっかりとした足取りで厚志は去っていく。
「いや、優しいのはお前さんの方さ。気付いていないだけさ、お前さんは自身の優しさに」
「そう…ね。わたし…も……うわ」
瀬戸口は驚いた様子もなく、後ろを振り返った。
そこには萌がいた。
恐らく、今ここに来たのだろう。先程まで、人の気配はしなかった。
「悪しき心を持つ…ものと…幻獣を狩る…為に、月より…地上に…降り立つ伝説」
萌は、か細い声で、歌うように言った。
それは誰もが笑うような御伽話。全ての悲しみを終わらせる存在の話。
「舞うヒーローか。あいつはそれになるかも知れないな」
瀬戸口は、萌の事も厚志のことも決して笑わなかった。厚志の本当の顔を、横顔を知っているからだ。
あの男は言った。何が出来るかではなく、何をするかを。何が出来るかではなく、何をするかを見ている。普通の人間の一歩も、二歩も先を行く人間だ。それだけの力も、仲間もいる。何より、世界がそれを後押しするだろう。
ただ、それがあのいつもはぽややんとした男にとって幸せかどうかは分からない。
けれど、あの男は言い切った。
「僕にとって舞は必要不可欠なんだ」
もう、あの男は愛を知っている。
きっとあの男なら竜を許すことが出来るだろう。
誰もが終わらせることの出来なかった、悪しき夢を終わらせる存在となれるだろう。良き夢へと。
絢爛舞踏。それは、本来撃墜数300オーバーの人類の規格外という意味ではない。
それは、竜や皇帝を表すもの、大いなる可能性。
彼は成るだろう。
夜明けが来たと告げる足音、豪華絢爛たる光輝呼ぶ絢爛舞踏にと。
瀬戸口は夜空を見上げた。
満天の星空は、まるで他の世界への入り口に見えた。
そんなことを思い、薄く笑う。
不思議な顔をする、萌の頭に手を載せる。
恥ずかしそうな、嬉しそうな、そんな顔をする。
「それじゃ、夜も遅いからな。送っていくよ、お嬢さん」
萌は頷き、歩き出す。瀬戸口はそれに並んで歩いた。
瀬戸口はもう一度夜空を仰いだ。
悪い夢はもう終わる。
その時、俺は彼女に会えるのだろうか。
そんな事を思いながら。
第五世界、ガンパレードの夜は今日も更けていく。
きっと夜明けには訪れる。
悪しき心を持つ者と幻獣を狩るために、月より地上に降り立つ伝説。
その名は絢爛舞踏。